古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

参院選の総括

2010-07-29 | 経済と世相
愛知県図書館に出かけ、各雑誌の参院選の総括を読んでみました。まだ月刊誌は載っていませんから、週刊誌ですが、堺屋太一さんの週刊朝日7/23の寄稿が、一番的確だと思いました。

 『2005年に小泉内閣で自民党が大勝した衆院選、07年に安倍内閣で自民党が大敗した参院選、民主党の政権交代が実現した昨年の衆院選、そして今回の参院選。これら4回の選挙を通じて、はっきりしたのは、どの政党であれ、官僚の主張を取り入れた政党が大敗してきた、ということです。国民が批判したのは、時の政権政党ではなく、「官僚の主張を受け入れた政府」だったのです。

 昨年の衆院選では、官僚批判が自民党、ひいては与党批判につながって民主党が大勝しました。

 民主党には官僚政府ではない政治を期待されていた。だが、だんだんとあやしくなってきた。特に菅内閣になると、財務官僚の思惑どおりに消費税引き上げを言い始め、普天間問題でも、結局は外務省、防衛相のいうとおりに辺野古移設案に戻ってしまった。その途端、選挙で予想外の大敗を喫したのです。』

『今は、日本中の国民が官僚の言いなりの政治はダメだ、と皮膚感覚で感じているのです。

 逆に、「みんなの党」が躍進したのは官僚批判に徹したからです。』

『今までは、竹下内閣で消費税を導入したときも、橋本内閣が消費税を5%にしたときも、イコール・フッテイングという考え方が徹底されていた。つまり、消費税を上げるが、所得税など、ほかの税を引き下げるのが大前提だった。増税するのでなく、税制の構造を変えるのだ、と。それが、菅さんは消費税も所得税も相続税も上げるという「純粋な増税」に踏み切った。それは民の取り分を下げて、官の取り分を上げることにつながるのだから、財務省のいいなりですよ。』



 高級役人の天下りへの批判が厳しい。これは日本の政策が、「失われた20年」と評される期間、失敗続きであったことが、原因ではないだろうか?自民党から民社党へと変わったが、実質日本の政策を取り仕切ってきたのは、官僚。適切な政策もとれず、高禄を食むとあっては、国民の反発もうなずける。国を豊かにする施策を執ってくれるのなら、役人が多少の高禄を食んだところで、こうまで批判を浴びることはないと思う。

 では何故、役人の政策が失敗続きなのか?それは、日本が世界の最先端を行く国になったからである。実際、「失われた十年」を、世界はこれから体験しようとしているのに、日本は20年前から既に体験している。

 日本より先進の国が存在し、その国を目標にすればよい時代にあっては、日本の官僚制度は有効に機能していた。しかし日本が先頭になって、目標を自分で考えねばならない時代になると、従来の官僚方式でリーダーを選ぶことが不適切になったのだ。ここに「政治主導」の意味があるのだが、それを言う民社党も、どうすれば適切な「政治主導」になるのかが、分かっていないのでは?