古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本経済の重商主義

2011-03-08 | 経済と世相
 【リーマン・ショック以降、金融機関が米国の証券化商品を大して保有していなかったにもかかわらず、日本経済は、なぜ不振を極め、デフレに苛まれているのか。構造改革が日本経済の体質改善を完遂したのだとすれば、国内の資金や物財の循環で景気は維持されるはず。そうならなかったのは、日本国内に健全な循環を築けていなかったからではないか。】
【5年間であれ日本の景気が回復したと言われたのは、外国、とくに米中への輸出が伸びたからに過ぎない。構造改革は、企業に国際競争力をつけさせる策だったのだ。
サブプライム危機以降の米国経済の低迷で輸出が滞ると、日本経済は内需不足状況に立ち戻ってしまった。】
【戦後の日本では、景気回復期には企業収益の増額とともに賃金も上がり、従業員は企業とともに景気回復を実感できた。ところが03年から08年までの緩やかな景気回復期にこの傾向は消えた。企業収益は回復したのに、賃金は下がったのである。】
【構造改革は国内経済に関し改革を行い、循環を健全化すると謳った。だがその実は輸出企業を優先する市場介入策(たとえば低金利の継続策など)だった。・・・世界の水準とかけ離れた低金利政策は、円安に誘導し輸出を促進するための国策であった。
 筆者はそれを、「重商主義」と呼んでおきたい。重商主義を(それと逆の概念の)市場主義であるかに謳い、その続行が可能であるとしたのが小泉政権の採用した構造改革路線であった。】
【小泉構造改革が行った輸出振興策は、低金利政策によって円安誘導すること。そしてリストラの容認をはじめとする生産要素の市場化により国際的な低価格競争を援護することだった。これらはいずれも、総需要(内需)の不足を輸出によって補うための市場介入であり、「重商主義」なのである。】
【変動為替制の下では長期的には為替レートが国際収支を調整しそうなものだが、円はこの間、ドルに対して安い水準で安定していた。これは日米間の(意識されたか暗黙かにかかわらず何らかの)合意にもとづくもの。輸出入差額で得たドルが、日米間の3%以上の金利差ゆえに米国で資産として運用された。ドルの価値を維持しようという日米の政治的な意思が、日本の重商主義と、米国に流れ込んだ投機マネーの暴走を可能にした。】
 【競争力が高ければ輸出し続けるという考えは、為替レートが安定していることを前提とする。1ドル80円台をつけてもなお、米政府がドル売りの姿勢を強めており、価格競争によって輸出を伸ばしても、変動相場制のもとでは円高により相殺されるだけで、国レベルでは景気対策にならない。内需不足に起因する景気不振から国際競争力によって脱しようとする重商主義は、幻想にすぎない。】
【「国富論」においてスミスは、資本が国内の農業、製造業、商業の順に投下されるべきであり、それが満たされた後に植民地に投下されるべきだとする「自然な資本投下の順序」説を唱えた。つまり、重商主義は、輸出振興で「自然な資本投下の順序」を逆転させて、国内で用いられるべき資本を海外(植民地)で活用しようとする。その結果、植民地へ輸出する製造業は保護されるものの、国内農業は沈滞する。重商主義を止めれば資本は自ずから国内に回ると、彼は主張したのだ。】
 以上は、『日本経済論』(松原隆一郎著、NHK出版新書、11年1月刊)に拠りました。
追伸:(私の独断)80円台にまで円高が進行した背景には、米国への投資額が減少したことがある。日本が従来国際収支の黒字を米国に投資してきたのは、ほぼ3%あった日米間の金利差に因る。しかし、米国が世界覇権を継続するためには、金利差が縮小しても、日本の資金を吸い上げる必要があり、そこで登場したのがTPP。投資の自由化で円資金の米国移動を図りたいのだ。

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