古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ブラックホールの発見

2018-01-07 | 読書

「ニッポン宇宙開発秘史」からのエピソード、次は小田稔さん(1923~2001)です。

 小田先生は、X線天文学の父です。宇宙からはさまざまな電磁波が地球に向かって飛んでくる。可視光線だけでなく、X線もガンマ線も地球に降り注いでいる。しかし、地球の大気でX線もガンマ線も吸収されて地上には届かない、人間は地上でキャッチできる可視光だけが見えるよう進化してきたと言える。ジャンスキーという科学者は雷から出る電波を捉えようとアンテナを設置したら、雷のない所から電波が来る。そうした電波の一つが射手座から来ていることが分かった。1930年代、こうして電波天文学が始まる。X線天文学やガンマ線天文学が開花します。

 小田先生が年端もいかぬ頃に初めて抱いた疑問は、「鼻くそがどうして大きくなるのか」毎朝起きると鼻くそが溜まっている。「夕べ寝る時にはなかったのに?」

そこで小田少年は朝になると小さな箱に自分の鼻くそを入れ、押し入れの中にしまっておいた。鼻くそが大きくなるかの実験です。夕方に開けてみても大きくならない。「鼻くその量がたりない?」と来る日も来る日も箱にいれ続けた。

この「壮大」な実験はあるときお母さんが部屋の掃除をしていて見つかった時終りを迎えた。

 小田先生はブルーノ・ロッシというイタリヤの天文学者と出会い、X線天文学の研究に従事する、1960年代前半のことです。X線天文学が飛躍した時期でした。それまで太陽からくるX線だけしか観測できなかったが、太陽以外に観測対象をひろげることで、X線天文学の可能性が一気に膨らんだ。アポロ計画に便乗し、「月からくるX線を研究したい」と予算を通した。1962年、太陽以外の天体からと思われるX線を初めて検出した(、「サソリ座X1」)。1962年です。小田先生がMITに呼ばれ、X線の発信源を特定する研究が始まります。

小田先生は、「すだれコリメーター」を発明しました。

ケネヂー暗殺のニュスを聞いていてアイデアが浮かんだといいます。1963年11月22日です。

そのアイデアは簡単にいうと、

 回し車のような格子があって、格子にX線が入る角度によって反対側にできる「影」が違ってくる。その「影」を見ることで、X線がどの方向からどういう角度で来たか特定できるとうものです。その頃、糸川先生が中心となって東大に宇宙航空研究所が設立されます。1966年、日本に戻った小田先生は、宇宙航空研究所の教授に就任、まさに「宇宙科学の父」と呼ばれるべき八面六臂の活躍をみせることになる。「すだれコリメータ」の分解能はどんどん改良され、ついに10秒水準を達成する。1秒は1度の3600文の1です。この結果、ⅹ線観測の精度が可視光観測の精度に追いつく。即ち、X線で観測した星と可視光で観測した星とを対応させることが出来るようになった。岡山天文台が可視光である星を観測し、「サソリ座X1」ではないかと予言した星がまさにそうでることが確定させました。以後「しすだれコリメータ」を使って世界中でさまざまな発見が続きました。1968年から70年の間に、はくちょう座のX線源が特定されました。「はくちょう座X1」と名付けられました。同時期に大きな青い星も観測され、当初これが「はくちょう座X1」ではないか考えられましたが、観測を続けていくと、大きな青い星からはX線がでていないことがわかった。

 1971年東京天文台が重要な発見をします。大きな青い星から噴出しているガスがⅹ線を出している未知の天体に吸い込まれているという発見です。

 小田先生は、この発見を受け、未知の天体にガスが吸い込まれていく様子をX線で観測します。小田先生の結論は世界中に衝撃を与えました、ブラックホールの発見です。