先日、佐伯啓思さんの「さらば資本主義」という本を読んで、この著者は面白いと感じたので、市の図書館で「佐伯啓思」で検索したら「西田幾多郎」(新潮新書)があった。早速、港区図書館から取り寄せてもらった。
「禅の研究」で知られる西田幾多郎は、日本発の哲学を創った哲学者として知られる。京都には「「哲学の路」という観光スポットがある。西田幾多郎が思索を重ねながら散策した道で、桜の時期には観光客でにぎわうらしいが、訪れたことはない。
が、小生は、彼の著作(難解で知られる)を読んだことはないし、どんな思想を有した人か全く知らない。佐伯さんが新書で簡潔に紹介してくれるなら読んでみようと思いました。
第一章で筆者はこう説く。教育の「コクサイカ」は言語道断である。英語養育の前にやるべきことがある。「まずは、日本語で自前の言葉で自己を表現し、他人と議論でき、家族や友人とまともな議論でできるようにすることが先決だ」。
西田哲学はほとんど唯一の日本発の哲学です。西田の意図は、西欧哲学の成果を踏まえて、それとは異なる日本の哲学を生み出すことだった。
しかしことさら、西欧と日本を対立させるというより、西欧哲学を突き詰めれば、本当に日本精神(特に仏教)を踏まえた彼の哲学的立場へ行くと考えていたらしい。
しばしば、西田哲学はかなしみから生み出されたと言われる。西田地震も「哲学の『動機』は驚きではなく深い人生の悲哀でなければならない」と述べている。
西田の一生をきわだたせているもの、それは多くの近親者との死別でした。3歳で姉と死別、34歳で弟が旅順で戦死。36歳の時、5歳の次女を失い、生まれてすぐの5女を失った。49歳の時妻が脳溢血で倒れ、数年の介護の後54歳の時没した。また50歳の時長男を失い、同時期に3人の娘たちが大病を患い70歳で侍女を失い、74歳で長女を失う。西田自身の死もこの年、1945年6月、終戦の2か月前でした。彼は人生の基底に「悲哀」を見出しそれを徹底的に見つめ、哲学にまで仕立てたと言える。
西田哲学はしばしば「無の哲学」と言われる。「無」へたどり着く彼の思索は彼の人生の悲哀と無関係ではない。
死には意味がなければならない。人生の出来事にはそれなりに深い意味がなければならない、と彼は書いている。この「深い意味がなければならない」は、実は「本当は何の意味もない」という根源的な立場と背中合わせでした。
西田の関心は、西洋哲学の限界を突き詰めて、もっと深くまで行くことだった。そしてその深いレベルで彼が見出したものは「日本的」としかいいようのない観念だったのです。
西洋哲学はしばしば「主体」と「客体」を整然と区分する。その出発点はデカルトにある。彼は「私は考える。ゆえに私はある」と確信し、これを「哲学の第一原理」とした。
西洋科学では、「私」という「主体」と「世界(対象)という「客体」の主客二分法がある。しかし、西田はこう述べる。
例えば「私は綺麗な桜を見た」という経験。「私」が「美しい花」を「見た」というのは認識であって経験ではない。
しかし花を見た一瞬、あっと息をのんだ瞬間、確かにある経験をしているのだが、「私は今桜を見ている」ということも[きれいな花だ]など考えたりしません。そんな明瞭な認識はない。この一瞬には言葉もでてこない。ただ「経験」があるのみです。そこには「私」もなければ「桜」もない。両者が融合した「経験」があるのみです。
西田はこうした経験を「純粋経験」と呼んだ。「私」という主体と「桜」という客体が区別される以前のもので、「私」というものは、後からその経験を振り返ってでてくる。
愛する者が死ぬ。悲しくて苦しい。ここではもはや自我も、私もありません。ただただ慟哭するだけです。しかし、その際でも何かそれを見ているものが私の中にある。決して慟哭もしなければ動きもしない、慟哭する私を見ているもう一つの私のようなものがあるという。そこに「純粋経験」を超えて西田哲学の重要性が認められる。
わが心 深き底あり 喜びも憂いの波も 届かじと思う。
例えば「「西田は京都に住んでいた日本の優秀な哲学者である」という命題を考える。
ここで重要な見方の変更を行います。西田とは、「哲学者」や「日本人」や「「優秀」や「京都に住んだ」などが実現する場だと考える、あるいは、それらの属性を映し出す鏡と考えるのです。上の短歌の「心の底」とは、「無」です。つまり、鏡は最終的には「存在そのものを意味し」、それ自体はなにものでもない、「無」だと考えます。次の短歌もあります。
世を利れ、 人を忘れて 我はただ 己が心の奥底に住む
万葉集にこういう歌があります。
世の中は 空しきものと知るときし
いよよますます 悲しかりけり
ここでいう「もの」とは何か。大野晋によると「もの」には、「さだめ、決まり、自分では変えられないこと」の意味があるという。
通常、「モノ」は物体です。「もの」はいずれ消滅してしまう。それが「さだめ」です。「消滅」とは「無に帰する」意味です。西田にとっては、自己とは「絶対無の場所」。
ここまで読んで、「われあり」、「われが知る」という主語、述語で成立する西欧言語に対し、日本語では、「われは」は「われにおいては」、の意味で、必ずしも主、・述の関係ではない。
哲学でも科学でも、考える際、日本人は日本語で考え、西欧人は西欧語で考える。
だから言語の構造がそれぞれの哲学に反映するのだ、と私は思いました。