古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

アメリカ帝国の終焉

2017-05-04 | 読書
 『アメリカ帝国の終焉」(進藤栄一著、2017年2月講談社現代新書)、書店で手に取ってみたら後書きに「出版のきっかけを作ってくださった孫崎亨先生に深謝」との言葉があり、買って読むことにしました。
第3章「勃興するアジヤ—-資本主義の終焉を越えて」が面白い。
 西側先進諸国は、特に2010年以後、リーマンショックから立ち直るために、中央銀行の政策金利を2%以下に抑えたうえで、大量金融緩和政策に乗り出した。その量的緩和を、EUが追いかけた。
しかし西側先進諸国が採り続ける長期「超」低金利政策に焦点を当てて、「資本主義の終焉」する世界と位置付けるなら、歴史の読み方を誤ることになる。

 日本は、米、欧に先駆けて1993年、バブル崩壊後の不況から脱するため、政策金利を1.75%にまで引き下げ、さらに1999年2月(2000年8月解除)、2001年3月(2006年7月解除)、2010年10月と、ゼロ金利政策を採用した。そして黒田日銀総裁下で2016年に、EUにならってマイナス金利に転じた。日本は、20年以上も長期「超」低金利政策を牽引する
 かくて米、欧、日の先進諸国が長期にわたって超低金利政策をとり続け、そのため企業家や庶民が利潤を金融機関に預託しても利潤を生むことのない経済社会構造が作られ、定着していく。
 資本主義が「死の床」に着き始めている。知名のエコノミスト水野和夫教授や榊原英資氏は、そう診断して、「資本主義の終焉」を示唆し強調する。
 たしかに本来、資本主義は、資本が利潤を生んで投資や消費に向けられて、経済が成長し続けていくことを本質とする。それなのに主要諸国が、一様に超低金利政策をとり続けるなら、資本主義が立ち行かなくなる、と説く。
 ほんとうに資本主義は終焉しつつあるのだろうか。現実にはしかし、資本主義はどっこい生き続けている。
 実際もし私たちが視野を、先進国世界から新興国世界に広げるなら、私たちの眼前にはまったく違った光景が展開する。すなわち、インドやインドネシヤ、トルコに至る新興G7諸国の金利は、1990年以後、ほぼ一貫して5%内外、もしくはそれ以上を維持している。
 米、欧、日の余剰資本は、低金利の先進国市場を嫌って、高金利の新興国市場へと逆流する。そして資本主義は、終焉することなく、逆に拡大深化している。
 2008年リーマンショックを境に、新興諸国、とくにアジヤ諸国へ逆流を強めて、新興アジヤを軸にもう一つの資本主義が勃興しているのだ。
 資本主義にはいくつものかたちがある。いま、米欧日などの先進国型とは違うもう一つの資本主義が、ニューヨークやロンドン、東京から「ジャンプして」、「新しい空間的定位」を求め北京、ニューデリー、ジャカルタに至る新興アジヤで勃興し成長し続けている。
 解は情報革命にある。
 第一に情報革命は、生産構造の主軸を資源労働集約型から知識資本集約型へ変容させた。
 実際、21世紀情報革命下で、ものづくりのかたち、つまり生産構造や生産様式が変容した。その結果、資本主義が興隆するのは情報革命が発祥した米国でもEUでもなく、新興アジヤで、もう一つの資本主義が甦生している。
 日本のエコノミストたちが唱導してきた「雁行形態モデル」は崩れている。
日本が雁の群れの先頭を飛び、その後ろを韓国や台湾などNIESが追いかけ、ASEAN諸国が後に続いて、雁の群れの最後尾を中国やネパールが飛んでいくという、1980年代までの常識―――雁行形態―――は崩れる。
 進行しているのは雁行モデルではなく。蛙とびモデルだ。韓国などのNIESはいうまでもなく、圧倒的な技術後発国であった中国、インドが科学技術突破をたくみに利用して、工業先進国に飛びつき、飛び越していくことができるようになった。
 第二に情報革命は、生産様式の主軸を、国内垂直統合型から多国間水平分業型に変えた。通信技術革命が、国境の壁を取り払って、国々、企業、市民相互の距離をおびただしく縮めたのである。
 生産のモヂュール化も可能にした。たとえば今や、クルマは一つの国でつくられていない。5か国から6か国、デザインを入れると8か国にもなる。国際分業のかたちはネットワーク化していく。
 自動車産業についてみると、世界における生産シェアは、日本は1980年28.7%だったが、2015年には10.2%になった。一方アジヤは、1980年29.3%(日本含む)だったのが2015年51.2%になった。
電気機械についていうと、日本のシェアは、1980年69.7%だったのが2014年には11.1%。一方中国は1980年の0.7%から2014年42.8%になった。
つまり、アジヤの資本主義は終焉どころか、沸騰している。米・欧・日型の資本主義は終焉したと説くエコノミストがいるが、終焉したわけではなく、アジヤの新興国に、別のかたちで(蛙とびタイプの資本主義)がどっこい生きているというのだ。