古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

国家から自立する住宅

2015-03-19 | 読書
 ウオーターブロックに組み付け用の凹凸をつけてウオーターブランチを作るという実験を隈さんは試みている(「小さな建築」)。国家から自立した住宅を狙うのである。
 20世紀のアメリカが「郊外住宅」を発明した。爆発する人口を処理する魔法の装置が「郊外」。「小さな住宅を建てれば幸せになりますよ」という悪魔のささやきで人々は狂ったように郊外住宅を建てはじめた。緑の芝生の上に、真っ白な「自分の城」を立てれば、人生のセキュリテイ。一生分の幸せを獲得できるように人々は錯覚した。
 アメリカ政府はこの「悪魔のささやき」を利用した。郊外に家を持つことで、一生の幸せを獲得できると信じた労働者のための「住宅ローン」というシステムを発明した。1937年に連邦住宅局が設立され、住宅ローン制度がスタートした。「悪魔のささき」は大成功を収めた。「小さな住宅」を手に入れるため、人々は必死に働きはじめた。「小さな住宅」は内需拡大の決定打であった。家の工事費のみならず、内装も家電も必要であった。「小さな住宅」から大都市に通うためには自動車を手に入れる必要があったし、大量のっガソリンも必要だった。「小さな住宅」はエネルギー的には少しも小さくなかった。『小さな住宅』を手に入れた人はささやかな「わが城」を手に入れて満足し、政治的にも保守化していった。まさにアメリカ政府にとって万々歳であった。「住宅ローン」によって、アメリカはヨーロッパを抜き去って、20世紀の覇権を手に入れたともいわれる。第一次大戦後のヨーロッパは「住宅ローン」の代わりに公営住宅を建設し戦後の住宅難を切り抜けようとした。労働者は安い家賃で良質の賃貸住宅を手に入れ働く意欲を失い、内装や家電にカネを使う意欲も盛り上がらなかった。
 20世紀の建築は国家によって用意された資源とエネルギーの大幹線(インフラへの依存を深めていくばかりだった。水は上水インフタから供給されて、下水インフラに排出されたし、電機は電線から供給された。そのようなインフラへの依存を通して、建築と言う存在自体が、国家に代表される上位システムへの依存を強めていった。建築は国家によってコントロールされるものだと、誰もが疑わなくなった。
20世紀以降の建築は、国家によって用意された資源とエネルギーの大幹線(インフラ)への依存を深めていくばかりであった。建築は国家によってコントロールされるものだと、誰も疑わなくなってしまった。
 東日本大震災は、そのようにして自立性を失った建築の脆弱さを、いたましいほどに露呈した。インフラから切断された時、年も建築も巨大なゴミと化した。国家によって与えられたエネルギーに依存していた我々の弱さをつきつけられた。数年ごとに首相が代わり、危機管理という発想すらなかったいい加減な国家に、われわれは声明を含むすべてをゆだねていたのである。
 もし建築が、生物と同じようにインフラから自由になれたとしたら、都市も街も集落も、今とは全く違う姿になりうるのではないか。
 ウオーターブランチは、そんな新しい建築をスタデイするための一つの実験である。たとえば普通の「大きな建築」は国家から供給される上水というインフラを使う。しかし「小さな建築」にもはや上水というインフラはいらない。雨水を溜め、それをウオータ^ブランチでできた壁の中を循環させればいい。
 生物が体を温め、冷やすときには、血管や毛細血管お流量のコントロールが行われるが、同じように、ウオーターブランチを使って、微妙な冷暖房が可能になる。日当たりのよい場所にウオーターブランチで貸与運津温水器を使う。
電気はどうか。ウオーターブランチ辞退光をとうかするから昼間証明は要らない。夜のため、手道の手回しがた簡易発電機を使って必要なだけ体を使って発電すればいい。
というのだが、まことに楽しい発想ではないだろうか。