古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ノーベル物理学賞の裏話

2013-10-09 | 読書
『村山さん、宇宙はどこまでわかったんですか?』(朝日新書、2013年4月刊)をよんでいたら、こんな一節がありました。

実は、ヒッグスさんと同じ時期に似た内容の論文を書いた研究者が他にもいるんです。ノーベル賞候補で一番強いといわれているのがヒッグスの単名の論文と、アングレールとブラウトいうベルギー人ふたりの共著の論文。ブラウトさんは残念ながら2011年に亡くなったので、もうノーベル賞はもらえないですけれど。この二つがたぶん一番有力ですね。アングレールとブラウドさんは1964年6月、ヒッグスさんは1964年8月に論文を出している。
―――ヒッグスさんの方が遅いんですね。
そうなんです。じゃぁ、なんでヒッグス粒子と呼ばれるのか。このアングレールとブラウトの論文というのは、真空に何かものがギッチリ詰まっていたら、ものが遅くなって重さをもらって、力が遠くに行かなくなると言った。でも、新しい粒子が見つかりますよとは言ってないのです。
―――なるほど。
ヒッグスさんの論文には、たった一文ですけれど、これが正しかったら新しい粒子が見つかるはずだって書いてある。ここで話がもっと面白くなるのは、ヒッグスさんは最初の論文を投稿したときにはそれを書いてなかったんです。最初はヨーロッパの『フィジックスレターズ』という論文紙に投稿したんですけれど、拒否された。
―――何でだめといわれちゃったんですか。
それはわからない。しょうがないからアメリカの雑誌に出したんですね。論文というのは、レフェリーという人が読んで出版に値するかどうか判断するわけなんですけれど、そのときこのままじゃ載せられないと判断された。というのはこのアングレールとブラウトの論文とあまり変わらない。新味がないと。だけど何か新しいことがあるなら、たとえば新しい実験的事実に結びつくのであれば、載せる価値があるだろうとコメントがついた。
それでヒッグスさんは一文を足して、掲載にこぎつけた。実はそのレフリーが南部陽一郎さんだったんです。