古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

自由貿易について

2013-08-26 | 経済と世相
 『TPP開国論のウソ』(飛鳥新社2011年5月刊)という本を読みました。
東谷暁さんの本を読んで、http://d.hatena.ne.jp/snozue/20130821
同じ著者の最近の著作はないかと図書館で検索して見つけたのですが、中野剛志、三橋貴明との3人の共著でした。
面白かったのは、「自由貿易」をめぐる以下の記述です。私たちは「自由貿易」について考え直す必要がありそうです。
『TPP反対論者が増えてきました。たとえば、同志社大学大学院の浜矩子先生。・・「TPPは本当の自由貿易ではないので反対」といった趣旨の発言をしています。自由貿易論者の彼女と私の考え方は違いますが、確かに米国は農業に輸出補助金を与え、さらにドル安に為替操作しているわけですから、自由貿易とはいえません。』
中野剛志は、反TPPの論客です。彼の主張を著書で読んだ後、では「TPP賛成論」の論者は、いかなる理由で賛成するのか、賛成論者の著作を読んでみました。それらに共通する主張は、「TPPは自由貿易である」、「自由貿易は経済を発展させる」という。
しかし、TPPは本当に自由貿易であるかについて、詳しい記述には欠けると思いました。関税撤廃を掲げていますから、表向きは、TPPは「自由貿易」の実現を目指しているようですが、「自由貿易」の意味を考えてみる必要があるでしょう。
ウィキペデイアによると、
『自由貿易とは,国際間の財貨・サービスの取引に際して,各国が原則的に貿易政策や為替政策による政府介入を行わず,市場の価格調整機能に任せることをいう。』
つまり、政府が介入しない貿易が「自由貿易」。関税をゼロにすれば、この面からは自由貿易ですが、政府が意図的に為替介入すれば、関税よりはるかに影響は大きい。そもそもTPPは、米国の輸出を増大しようとする米政府の試みですから、素直に「自由貿易」の促進と理解するのは、ナイーブ過ぎる。

もう一つ「グローバル化するなら政府は大きく」という章が面白い。
『90年代以降のグローバル化は、それ以前の貿易自由化と比べて、私はかなり異常だと思っています。
そもそも、経済自由主義者は、貿易を自由化すべき、政府は小さくすべきと言いますが、90年代以前は、国際的な貿易の自由化が実際に進めば進むほど、政府は大きくなっていきました。国際的には自由貿易、国内的には大きな政府という組み合わせになる。貿易の自由化と小さな政府のセットは成り立たなかったのです。・・・
なぜなら、貿易を自由化すると、TPPもそうですが、必ずその国の弱い所、農業や貿易自由化によって職を失う弱者が被害を受ける。だから、貿易は自由化しつつ、弱者には補償を与えて助けてあげないといけない。したがって必然的に、大きな政府になっていかざるを得ない。
統計的にみても、自由化が進めば進むほど、GDPに占める政府支出の割合は、むしろ大きくなっていました。自由貿易は小さな政府とセットになると勘違いしている人が多数いますが、80年代までの政治経済学では大きな政府とセットになるのが常識でした。
90年代あたりから、この常識が崩れます。それまでは、GDPに占める輸出+輸入、つまり海外開放度が上がると、GDPに占める政府支出は上がるか変わらなかったのです。ところが2000年代には下がる国がたくさん出てきた。特に、韓国は、対外開放度が極度に上がっているのに、政府支出のGDPに占める比率は下がるという奇妙な現象が起きました。
政府を大きくして福祉国家を維持しつつ、国際貿易も進めて、いろいろな製品が出入りして皆で豊かになるという幸福なシナリオが、90年代以降のグローバル化によって壊れたのです。』