古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

12月8日の駅ちかウオーキング

2012-12-10 | 旅行
 12月8日の駅ちかウオーキング、堀田駅から神宮西まで8km弱歩きました。以下そのコース点描です。
雲心寺は西高蔵の信号を北へ少しの地点。
本日特別公開の本尊さまは名古屋三大仏の1つで丈6の阿弥陀と言われるもの。名古屋市の文化財に指定されている。丈6とは1丈6尺のこと(約4.85メートル)であるが、座像のため実際は8尺(約2.4メートル)ほどのお姿だ。
この阿弥陀如来は京都の仏師山本茂助によって制作され、文久2年(1862)に完成した。京都総本山知恩院・阿弥陀堂の本尊さまを模したものと言われ、寄木造りの像に金箔をほどこしている。

 高蔵の高座結御子(たかくらむすびみこ)神社(写真)があった。
熱田神宮とほぼ同年に創祀された古社で、延喜式に名神大社として記載されております。古来、子育ての神として信仰が篤い。
 ウオーキングを歩いていつも感ずるのは、古い神社仏閣が市内の至るところにあることだ。つまりは、大昔から人々が神様や仏さまを欲していた。人は大きな脳を持つようになって、生きるための思考が必要になったのだ。
熱田公園内の断夫山古墳では、地元のボランテイアが、古墳の由来を説明していた。
「、「ヤマトタケルは東征の折、この尾張の地で豪族の娘ミヤズヒメと結婚の約束をかわしたが、東征の帰途病気がもとで死に、白鳥となり飛去った」とあります。
この白鳥となったヤマトタケルの墓が白鳥古墳であり、ヤマトタケルへの思いをいだいて死んだミヤズヒメの墓がこの断夫山古墳であると伝えられています。この事から夫を断つ山、断夫山古墳と名前がついたそうです」
 「前方後円の古墳です。前方後円墳の形は大和王朝が伝えた墳形です。古墳の大きさは葬られた人物、その権力をうけ継いだ人物の支配力の強さを語っています。断夫山古墳の大きさから、熱田台地に本拠地をおいていた尾張氏の墳墓と考えられるのです。」
 
熱田公園を出て堀川沿いに歩くと、レンガ色の大きな建物が見える。
「あれは何かな?」近寄ってみたら、
名古屋学院大学だ。こんなところに在った?瀬戸の方じゃなかった?」
最近は大学の都心復帰が多くなった。
聞くところでは、愛知学院大学が数年のうちに我が家の近く(名城講演東側)にくるとか?
因みに名古屋学院はキリスト教系、愛知学院は仏教系の私学だ。
 直ぐ白鳥庭園が見えてくる。今日は2割引で¥80の入場料。
紅葉が綺麗だったが、風が強く寒くなった。シベリヤ寒気団が南下してきたようだ。寒い!
入り口で暑い日本茶をサービスしてくれたのがありがたかった。
ベンチに越を下ろしてお握りを食べて腹ごしらえ。
1989年(平成元年)開催された世界デザイン博覧会のパビリオン「日本庭園」として本格的に整備された。閉幕後は、庭園専用の有料公園とするため継続整備され、1991年(平成3年)に完成・オープンした。
とにかく寒くなったので早々に園内を通り過ぎた。水鳥も寒そうだ。
南門から出て、白鳥橋を渡り熱田神宮に向かう。
神宮の本殿に参拝したが、寒いので直ぐ東門から出て神宮西駅に向かう。途中の熱田区役所南の空き地のイベント会場がゴールでした。
 記念のバッチを貰って、2時間半のウオーキングは終了しました。