古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

神通川マラソン 2

2008-03-19 | マラソン
 号砲一発駆け出した。1~2秒でスタートラインを踏む。20分ぐらいで神通川が左に見えてきた。有沢橋という大きな橋がある。この橋の手前で河川敷に降りてサイクリング道路を走る。この道路を上流の第一折り返しまで走り、折り返した後下流の第二折り返しまで走るというコースになっている。景色に既視感がある。初めてのコースだが・・・そうか、河川敷の風景がなんとなく去年も走った金沢の犀川に似ているのだ。しかし、川の流れは神通川は、犀川よりはるかに速い。
 32分ぐらいで先頭グループ3人が折り返してきた。更に10分ほど走った時、折り返してきたランナー、ゼッケン8番が私の顔を見て、「頑張ってください」と大きな声をかけてきた。知らない人だから、放送でゼッケン番号を記憶したのだろう。右手を挙げ激励に感謝する。10kmで時計を見ると、一時間一分。
 時速10kmがなかなか難しくなってきた。思うに、これは筋肉の所為。筋肉には、良く知られたことだが、遅筋と速筋がある。速筋は運動のスピードを担当し、遅筋は持久力を担当する。そして、筋肉細胞は、時々刻々古い細胞が分解され、一方新しい細胞が生まれて入れ替わる。老人になると、新しく生まれる細胞の殆どが遅筋の細胞となるのでは?
 最高齢でもドベにはなりたくない。折り返しで確認すると後ろのランナーは10人以上はいる。ドベにはならないな。10km過ぎると、250人のランナーだから、ランナー間隔はかなり離れてくる。前方に小さく見えるランナーの背中がだんだん大きくなってくると元気が出る。自分より若いランナーを抜くときは「ヤッター!」と思うものだが、今日はどのランナーも、自分より若い。スピードでは負けても、粘る(同じスピードで走りつづける)ことは出来る。「ヤッター!」と8~9人抜くことができた。ただし一人に抜かれました。有沢橋まで戻り、一旦一般道に上がり橋を渡った所で、再度河川敷に下りて対岸のサイクリング道路を下流に向かう。
 8番さんが来た。今度も「頑張ってください」。(完走後、選手名簿で確認したら富山市のTANAKAさん、34歳だった)自分の倍もの歳のランナーが走っているのを見て声援したかったらしい。手を挙げて返礼。第二折り返しで折り返す。有沢橋で一般道に上がりゴールの陸上競技場を目指した。
 
 競技場に入った時、腕の時計は2時間7分だ。グランドのアンツーカ-を4分の3周してフィニッシュ。完走証を貰う。「2時間9分1秒。50歳以上の部50位(63名中)」とあった。
 これで富山県で3回のマラソンを走った。いずれもハーフマラソン。前2回は 魚津蜃気楼マラソン(90/04/29)と黒部名水マラソン(97/05/25)。70歳を越えてから、一都九県のマラソン(フル1、ハーフ8、20km1)を完走したことになる。
 
 着替えして、市電に乗ったのは12時(ゴールが11時39分だから随分大急ぎだった)。ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、富山駅で昼食。1時23分の大聖寺行きで金沢に向かう。
「富山にくるのは、もう人生最後かな?」と思うとなんとなくセンチな気分になった