古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ドーアさんも言っている

2007-11-20 | 経済と世相
 18日日曜日、TVで韋駄天みずきの走りを見た後、新聞(中日)を開いたら、ドナルド・ドーア(ロンドン大教授)さんの寄稿が目についた。「市場の失敗」という経済学の原理に触れ、「市場の失敗を認めよ」と題しています。
【日本経済の成長率の見込みが最近また下方修正された。「踊り場現象」が永遠に続きそうだ。マクロ経済に大きな「市場の失敗」があることをどうして政府は認めないのだろうか。一企業にとって、賃金を抑え、利益を拡大し、配当を増やし、株価を上げて、ハゲタカファンドの買収攻撃から身を守るのはいたって合理的な行動である。しかし、全部の企業が同じことをすれば、どうなるか?配当の半分ぐらいが外国人に持っていかれ、後の半分の大部分が貯金される。賃金カットで普通の家庭の収入が減り、せっかく企業が作るものやサービスを買う購買力がない。
 法人企業統計によれば、一番大きい5500の大企業が、2002年から2006年のあいだに配当を189%上げた。同時に従業員の一人当たり給与プラス福利厚生費を3%減らしている。大企業でさえそうだから、中小となったらなおさらである。】
【かつて、新聞を開けると、企業のQCサークルの話が載っていない日がないほど、日本の労使関係、現場の労働者の意欲的協力が日本的経営の誇りとされた時期があった。今、その話が全く消え、人間としての労働者の姿が見えなくなり、「労働力」は、できれば非正規的契約で、なるべく安く買うものだという態度で臨んでいる経営者が多くなった。その労働問題軽視の気運が、観念的な市場主義とあいまって「有識者」の間にも浸透してきているようだ。】
 一般論になるが、一国の経済をグローバル化すると、ものの貿易に関する問題と金融政策に関する問題と、二つの問題が発生する、と愚考します。
 簡単に言うと、前者は、賃金の低い国の生産物との国際競争にどう対応するか、後者は、国内経済の景気対策として、例えば金融を緩和した時、緩和した金が国内でなく海外に流れてしまうというように、政府の金融政策が効果的でなくなることです。
 後者は別の機会に述べることにして、前者の問題。望ましい対応は、賃金の安さで競争する産業は、発展途上国に譲り、賃金の高さが競争力を阻害しない産業に転進することです。もちろん、これは言うほど簡単ではなく、その問題をここで論じようとするのではありません。私が問題だと思うのは、以下のことです。
 日本政府は、経済のグローバル化に際し、産業構造を改革するのでなく、高い賃金を低くすれば良いと考えたらしい。その結果、企業の従業員の3割とか4割を非正規雇用にするべく、労働法規を改悪した。でも、そのため企業が利益を上げても、従業員にお金が回っていかない。いきおい従業員が金を使わないので、自営業者の経営は悪化する。
 従来、日本の政治は、企業が成り立っていくようにすれば、国民の生計も成り立つと言う前提で政策を運用してきた。ところが、企業が成り立っても国民の竈が賑わない構造にしてしまった。それにも拘らず、経済政策は企業が成り立つことを最優先にしている。
 ドーアさんは、「経済学の原点に戻って、再考すべし」と言っています。大阪市長選の与党敗北も、こうした政策の誤りが真因と思います。