古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

本当は日銀発?

2007-03-16 | 経済と世相
 3月14日の中日朝刊に同志社大学教授の浜矩子さんが寄稿していました。
先般の上海発の世界同時株安について、私が思っていたことと全く同じことを述べていますので、要旨を紹介しましょう。。

『これは要するに雪崩である。頂上付近にどっさり溜まった積雪が、わが身の重みに耐えかねてついに滑り落ちだした。上海というデヴュー間もない新雪ならぬ新市場から始まったから、さしあたり表層雪崩・・新雪の勢いに引かれて、底の方の古い雪も崩れ始める。かくして世界同時株安とあいなった。』

『この雪崩現象、一見すれば上海発だが、実のところは日本が出発点である。低金利の日本で調達された資金が、世界中に出回った。おカネは低いところから高いところに流れる。ただ同然のコストで借りた日本円を高金利通貨に換えて運用する。これが、このところすっかりはやり言葉となったいわゆる「円キャリートレード」なるものだ。

 日本から世界へと「キャリー」すなわち運び出されたおカネが、頂上へ頂上へと舞い上がる。巡り巡って上海までたどり着いたおカネもあるだろう。ニュージーランドやオーストラリヤで高利の荒稼ぎに花を咲かせていたおカネもあるだろう。華麗なる雪の宴だ。』

『・・それが転じて雪崩となれば、誰もがそれこそ雪崩を打ってふもとを目指す。
雪崩が雪崩を生む中で為替市場が大きく円高に動いた。日本から出ていったおカネが里帰りしてきた構図だ。・・誰もが必死で下山に走る。』

『途中で踏みとどまって、またおっかなびっくり肝試しに立ち戻る懲りない面々もいるだろう。そんな人々が多ければ、ひとまずは株も為替も雪崩が止まる。だが、これを繰り返しているうちに、もう誰も踏みとどまるゆとりがなくなって、全層雪崩の局面を迎える。』

『こうして株と為替の雪山模様を思い浮かべているうちに、改めて認識したことが一つある。それは、「いざなぎ超え」を囃される日本の景気が、ここまでいかに異常なつっかえ棒に支えられて来たかということだ。つっかえ棒は二つある。その一が超低金利、その二が超円安だ。もとより、二つのつっかえ棒は無縁ではない。超低金利というつっかえ棒から、円安というもう一つのつっかえ棒が枝分かれした。・・・この「二つの異常」があればこそ、輸出主導と株高が売り物の景気展開が可能になった。』
『怪しげなつっかえ棒に依存しなくても、自力で機能できる体力と体質を取り戻すことが必要だ。金利も為替も、早く正常な水準に戻ってもらった方がいい。・・・
二つの異常は、日本にとってばかり問題なのではない。日本からやたらとおカネが出て行き続ければ、それが次々と雪崩の元となっていく。ここは世のため人のためにも、日本は果敢に二つの正常化と向き合うべきだ。』

冒頭に述べた私が思っていたこととは、「今回の世界同時株安は上海発でなく、本当は日銀発ではなかったか」及び「日銀の金利引上げ判断は遅すぎた。それは国内景気のみから判断して、世界経済に与える日銀の金利政策の影響をほとんど考えてこなかったため」です。