さて、本論の「一万年の天皇」です。後書きで、筆者はこう語っています。
【わたしは、(阪神・淡路大)震災をいろいろしらべた結果、「地震で死んだ人は
800人なのに、その5,6時間あとに、火災で死んだ人は4200人という大惨事になった原因は、大阪ガスが元栓を締めずにガスを流し続け、関西電力が各所の切れた電線を応急処置して電気を流したためあちこちで電流がショートしてガスに引火し火災をおこしたからで、それをゆるした行政当局の誤判断」と書いた原稿が没のされた・・。
そういうマスコミに絶望したわたしは、しかたなしに『雑家』という月刊の「個人的政治評論雑誌」をつくって「阪神・淡路大震災」にとどまらず、日本社会のいろいろの分野の問題についてしらべ、自分なりの主張を書きつづけた。・・・
そういう勉強をかさねてきて、わたしは日本の国をわるくしたのははじめは「政治家と官僚とマスコミだ」とおもったが、だんだん「学者が問題だ」とおもうようになった。・・・
たとえばアメリカは現在の日本にとってふかい関係がある国なのに、アメリカの
片々たる情報は新聞・雑誌にいろいろ書かれているがその総体の研究となると
ほとんど見あたらない。だから「アメリカとはいったいどういう国なのか」ということがじつは庶民にもよくわからないのである。
日本の文化人類学は世界中の未開社会の文化などをよくしらべているが、
現代アメリカの文化人類学は皆無にちかい。
ところがそのうちに、そういう学問の体質はかならずしも学者の問題ではなく
「日本の歴史の問題だ」とおもうようになった。つまりある時期から、日本という国がまったくおかしくなってしまったのである。
それはいわゆる「戦後民主主義の時代」をのみさすのではない。
じつは140年まえの明治維新に決定的問題があったのだ。
とすると、現代日本のさまざまの問題を解決するためには、明治維新にまで
さかのぼってもういちどかんがえなおさなければならない。・・・
本書もそのひとつである。】
「後書き」のあと「はじめに」を見てみる。
【昭和の敗戦後に日本の経済は成長したかもしれないが、反面、社会のモラルも
日本人の誇りも失われて、かつての日本では考えられなかったような奇々怪々な
事件がつぎつぎにおきる無責任社会となっている・・・問題の本質はここにある、
とおもう。】
【つまり現在の日本人から日本文化が失われたことだ。皇位継承問題をめぐる「迷走論議」は、はしなくもそのような問題の一端を露呈したにすぎない。
明治維新を形容してよくいわれる「和魂洋才」とは、じつは近代史学者のあいだ
では明治10年までの話であって、それ以後は「洋魂洋才」あるいは「無魂洋才」になった、といわれている。】
。
【わたしは、(阪神・淡路大)震災をいろいろしらべた結果、「地震で死んだ人は
800人なのに、その5,6時間あとに、火災で死んだ人は4200人という大惨事になった原因は、大阪ガスが元栓を締めずにガスを流し続け、関西電力が各所の切れた電線を応急処置して電気を流したためあちこちで電流がショートしてガスに引火し火災をおこしたからで、それをゆるした行政当局の誤判断」と書いた原稿が没のされた・・。
そういうマスコミに絶望したわたしは、しかたなしに『雑家』という月刊の「個人的政治評論雑誌」をつくって「阪神・淡路大震災」にとどまらず、日本社会のいろいろの分野の問題についてしらべ、自分なりの主張を書きつづけた。・・・
そういう勉強をかさねてきて、わたしは日本の国をわるくしたのははじめは「政治家と官僚とマスコミだ」とおもったが、だんだん「学者が問題だ」とおもうようになった。・・・
たとえばアメリカは現在の日本にとってふかい関係がある国なのに、アメリカの
片々たる情報は新聞・雑誌にいろいろ書かれているがその総体の研究となると
ほとんど見あたらない。だから「アメリカとはいったいどういう国なのか」ということがじつは庶民にもよくわからないのである。
日本の文化人類学は世界中の未開社会の文化などをよくしらべているが、
現代アメリカの文化人類学は皆無にちかい。
ところがそのうちに、そういう学問の体質はかならずしも学者の問題ではなく
「日本の歴史の問題だ」とおもうようになった。つまりある時期から、日本という国がまったくおかしくなってしまったのである。
それはいわゆる「戦後民主主義の時代」をのみさすのではない。
じつは140年まえの明治維新に決定的問題があったのだ。
とすると、現代日本のさまざまの問題を解決するためには、明治維新にまで
さかのぼってもういちどかんがえなおさなければならない。・・・
本書もそのひとつである。】
「後書き」のあと「はじめに」を見てみる。
【昭和の敗戦後に日本の経済は成長したかもしれないが、反面、社会のモラルも
日本人の誇りも失われて、かつての日本では考えられなかったような奇々怪々な
事件がつぎつぎにおきる無責任社会となっている・・・問題の本質はここにある、
とおもう。】
【つまり現在の日本人から日本文化が失われたことだ。皇位継承問題をめぐる「迷走論議」は、はしなくもそのような問題の一端を露呈したにすぎない。
明治維新を形容してよくいわれる「和魂洋才」とは、じつは近代史学者のあいだ
では明治10年までの話であって、それ以後は「洋魂洋才」あるいは「無魂洋才」になった、といわれている。】
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