古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

5000kmのお祝い

2006-04-30 | 水泳
 29日午後、名古屋ドーム手前の市営東プールに出かけました。入口でプール定期券(4月から65歳以上も有料になりました。一回100円ですが、一年間の定期券だと¥10600ですので、早速購入しました)を見せて入場。
 今日は念願の累計5000Km達成の日です。後,1500mで5000Kmでした。
 平泳200m,背泳25m×8本,バタ25m×4本+キック25m×4本、クロール200mと泳いだところで休憩時間のミュージック。5分間の休憩後、バタ100m、バック、平泳ぎ100m、クロール100m。その後、バタ・バック・平・クロールの順で各50mで1400m。
 最後にダウンを兼ねて平,クロールの50mを泳いで1500mで終わりました。
 5000Kmの達成です。

 平成5年1月以来13年4ヶ月かかりました。(年平均375Km)
 思いかえせば、昭和63年、52歳の時から水泳を習い始めました。その時まで、まったく泳げなかったのです。所謂カナヅチでした。25mのプールを、こちらから向こう側まで泳げるようになるまで半年かかりました。まぁそれぐらい泳げないと、普通の人は「オレには泳ぎの才能がないのだ」と諦めてしまうと思うのですが、幸か不幸か「諦めない」という才能を両親に貰っていたので,「オレは生来不器用だから、他人が10日で覚えることを100日、200日かけて憶えなくちゃ」と性懲りなく練習を続けました。
 これが良かったと思います。泳げるということは、泳ぎ方を知っているということと、泳ぎに使う筋肉が発達していることを意味します。器用な人は、泳ぎ方をすぐ憶えてしまうので、筋肉が充分出来上がる前に飽きがくる。
 ところが、私のように不器用な人間は、なかなか泳げないから、泳げるまでに必要な練習時間が長いので、泳ぎ方が分かるようになった時には筋肉も出来上がっていることになります。
 いずれにしても、たいへんな距離です。赤道一周で確か4万キロ、その八分の一ですから。

 夕食には缶ビールを一本追加して、祝いました。


「海上の森」を歩く

2006-04-30 | 旅行
 大型連休の入口28日は素晴らしいお天気になりました。住宅のシニアクラブで瀬戸市の「海上(かいしょ)の森」にハイキングをしようと、9時半エレベータホールに集合。集まってみると、何故か、女性10名、男性は2名だけでした。
 地下鉄で大曽根駅まで行って、JRで高蔵寺まで。そこで愛知環状鉄道に乗換え、3~4駅で山口駅。「えっ、これで¥320」とMさんが言うので「第3セクターでJRと違うのね。まぁこういう鉄道は遊園地の電車みたいなもんだから」と小生。しかし、私も愛知環状鉄道は、18年も前に開業しているのだが、初めての乗車。 ここのHPが面白いですよ。
http://www.aikanrailway.co.jp/

 駅前で、みんなで準備体操をしてから歩き始めた。
 「海上の森」は、愛知万博の会場に指定されたところ、オオタカの営巣が発見されたことから、反対運動が盛り上がり、結局、愛知青少年公園がメインの会場、海上の森はほんの一部が万博瀬戸会場になった。つまり、一部だけでも、会場にしたことで、万博事務局のメンツを保ち、実体はほとんど青少年公園に移ったことで、住民は実を取ったと言うことらしい。
 いずれにしても、この万博騒ぎで「海上の森」は一挙に有名になった。
 今、その「海上の森」はいかに?という興味もあったが、「海上の森センター」(万博瀬戸会場愛知県館)は今年9月オープン予定で、現在はまだ入れない。本格的な整備はまだこれかららしい。

 駅から小1時間で、「海上の里」なる休憩所に着く。
里山サテライトという古民家を新たに整備した建物で、昼時だったので、ハイキング客で賑わっていた。整備にはボランテイアが活躍したというこの古民家と、
隣接する「エコトイレ」(雨水利用とバクテリヤによる分解で処理するトイレ)が自慢らしい。

 1時間ほど持参の弁当を広げ、奥様方の自慢の漬物、煮物などをご馳走になる。
午後は1時間ほど周辺の、通称大正池、渓流、木立などを散策した。
 「空気が綺麗ねえ」。奥様方が言うのを聞いて、私の子どもの頃は(田舎に居たのだが)、周りはみんなこういう風景だったと感じた。
 土地価格の上昇率のベスト10中8箇所まで名古屋と、大都市化が進む名古屋。
名古屋が大都会になるほど、ここは貴重な自然として、喜ばれる土地になるかもしれない。

 道沿いに、小さな花を見つけた「みやま躑躅」だという。
 2時過ぎ散策を打ち上げ、駅までウオーキング。3時半の電車で、4時半帰宅しました。