古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

淳一先生の小泉評

2005-08-24 | 政治とヤクザ
「アイルケ」でお馴染みの渡辺淳一先生が、小泉首相を批評している。
題して『ネオヤクザ・小泉純一郎』(週間新潮8/25)。
小説家の見方として面白いので要旨を紹介します。

【小泉純一郎という人、はっきりいってあまり勉強している、とは思えない。なにかの学問に秀でていたり、ある種の分野にとくべつ造詣が深く、広い視野をもっている、というわけでもない。
 くわえて、実生活に根を下して、組織や人間関係に深い洞察を秘めている、とも思えない。もちろん男女関係などにはほとんど無知というか無関心・・・
 それなのに、どこか面白くて花がある。わたしはもちろんだが、多くの人々が彼の言行を見ていて飽きない。・・・
 かつて室町時代の能役者、世阿弥が著した『風姿花伝』という本がある。・・・その中に「珍しきが花」という言葉がある。
 これは世阿弥がお父さん(観阿弥)に『花のある役者であり続けるためには、どうしたらいいのですか』と尋ねたときに、観阿弥が答えた一言である。「花のある役者であるために一番大切なことは、常に珍しいことをやることだよ。珍しいことをやるかぎりお前はスターでいられるはずだ」と。

 そこで小泉首相だが、自らそうあろうと、意識しているとは思えないが、やることなすことすべて珍しい。
むろん彼が、よき政治家であるか、立派な政治家であるか、などとは関係ない。多分後世の評価では、名宰相とか名政治家、ということにはならないだろう。・・・
特徴的なのが、女性の気配がまったくといっていいほどないこと。とにかくこれほど女の匂いのしない政治家も珍しい。そしてきわめつけはは、お金や利権の匂いがまるでしないこと。
(小生は小泉人気はここに原因があると思っています)
 ・・・これまでの政治家とまったく違って超珍しい。まさに「珍しきが花」を実践して、観阿弥のいったとおり、いまだに人気が落ちる気配がない。
・・・反対票を投じた議員への仮借なき仕打ちなど、あまりといえばあまり、そして見事と言えば見事である。・・・一度でも敵とみなしたらあくまで敵で、相手の息の根を止めるまで徹底的に叩きのめす。
 このやり方は、まさしく暴力団のそれと同じストレートで明快で単純で、まわりには敵と味方しかいない。思い込んだら命がけ。それを貫き徹すまであきらめない。
 ただし見かけは紳士的なので、新しいタイプの「ネオヤクザ」といったところ。
 実際、首相のお爺ちゃんは、背中に昇り竜の入墨を彫っていた小泉組の幹部だったから、その血が隔世遺伝しただけかも。】
 小生は以前、こんなメールをしたためたことを思い出しました。
『日本社会にはヤクザに対する需要がある。政治家がその需要を満たしているので、政治家がやったと思うと理解に苦しむことも、ヤクザがやったと思えば理解が簡単なことが、時折起きる』