古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

小さな政府?

2005-08-20 | 経済と世相
 総選挙の話題が賑やかです。ホリエモンが刺客になって広島に乗り込むなんて、”事実は小説より奇なり”ですね。

 ところで、今度の選挙、各政党が公約と言うか、マニフェストというか、発表しています。
自民党では、「郵政民営化」だけでは批判も出るので、「小さな政府」の実現で、より広範な「小泉改革」を訴えるそうです。
 この「小さな政府」が本日の話題。

 一体「小さな政府」って何か?
 私の考えでは、政府が使うお金をなるべく節約することだと思うのです。つまり、政府が使うお金が少なくなれば、税金が少なくて済む。国債の発行も少なくなる。と、考えたのですが・・・
 小泉内閣発足直前の200年3月末で、政府の抱える借金(国債、借入金)残高
は、538兆円だったが、2004年度末で814兆円。4年間で276兆円の増加。
小泉内閣成立前の4年間の増加は180兆円だったから、メチャクチャに金を
使ってくれた。4年間の借金の増加は、この4年間の税収のトータルより大きい。
 一方、税金は少なくなったか?基礎控除の減少などの増税策は一部実施したが、
今後も増税プランが目白押しである。
 一体、小泉内閣は「小さな政府」を志向したのだろうか。「民間でやれることは民間でやる」などと、「小さな政府」志向らしく聞こえるが、財政の実績を見る限り、それ以前の内閣と全然変わらないどころか、より「大きな政府」になっているのではないのか?それとも、小泉内閣のいう「小さな政府」は、私の考える「小さな政府」と意味が異なるのだろうか?

 そうだとしたら、小泉内閣の「小さな政府」は何を意味するのか、「定義」を明確にしてもらいたいと思う。
 小泉首相の使う言葉は、何時も定義が明確でない、と私は思うのだが・・・

 例えば、「当年度GDP対比で政府支出の率を小さく(たとえば10%以下)すること」など「小さな政府」の定義を明らかにしてもらいたい。

若手将校の経済思想

2005-08-20 | 放送大学
 先日の放送大学のスクーリング「太平洋戦争への道」を聴講して、ふと、思ったことです。

 『満州事変は、関東軍による計画的犯行だったが、盧溝橋事件は、誰が起こした
のか分からない。むしろ、現地の日本軍は事件の拡大には消極的だった。』と講師は述べられた。
 板垣征四郎大佐(当時:後の陸軍大臣、A級戦犯で刑死)の講演録『軍事上より見たる満蒙について』が紹介され、ついで、これを補足する『満蒙問題私見』という石原莞爾中佐の論文コピーを配布された。

 石原は、満蒙地域の経済的価値を論じ、
『1.満蒙の農産は我が国民の糧食問題を解決するに足る。
 2.鞍山の鉄、撫順の石炭等は、我が重工業の基礎を確立するに足る。
 3.満蒙における各種企業は我が国現在の有識失業者を救い不況を打開するを得べし。
(昭和6年5月)』
 要するに、満蒙地域に住んでいる人のことなど全然お構い無しに、日本の土地にしてしまえという、今日の常識から判断すれば考えられない意見を発表している。
 軍人が何故こうした考えを持つに到ったか?第一次世界大戦以後、戦争は国と国の経済力の争いになった。軍人が、仮想敵国に勝てる軍事力を保有しようと考えると、日本の経済力の強化を図らねばならない。しかし、国家の経済を企画するには、彼らの経済に関する知識はまったくお粗末で(経済学自体未発達の段階だった?)土地とその土地から産出する鉱物資源さえ押えれば、経済力を拡大出来ると考えていたらしい。
 かくして、満州事変をでっち上げ、満州国をでっち上げたのである。
 彼らの感覚からすると、このプロジェクトはうまく行った。国際連盟のリットン派遣団などの言うことはbenign neglect(優雅に無視)しておけばいい。
 その後の、日中戦争のキッカケになった盧溝橋事件は、今日では犯人が中国人な
のか日本人なのかもわからない(と、講師は言う)が、満州事変と異なり、現地軍は拡大に積極的でなかった。遠隔にいた参謀たちが、満州でうまくいったから今度もうまく行くだろう。イケイケドンドン、で泥沼にはまってしまった。
 満州事変は、そこに植民地を作ろうという計画的な確信犯だったが、日華事変は行きがかりの積み重ねだった。
 行きがかりの積み重ねが日米戦争にまで発展したのは、定見のあるリーダーが、軍にも政界にもいなくて、大野耐一氏流に言うと、馬(軍部の若手)に乗っていたのでなく、馬に乗せられていたため、厩の鴨居に頭をぶつけた類。自分たちがコブを作るだけで済めばよかったのだが、国全体を焦土にしてしまった。
 いずれにしても、当時の軍部官僚が、いかなる経済思想を持っていたかを研究してみると、太平洋戦争の原因が浮かび上がるのではないでしょうか。