13,14日と放送大学愛知学習センターのスクーリングに出席しました。
「デジタル技術と情報社会」なるテーマの講義でしたが、先生は訥々として語り、お世辞にも上手な講演ではなかったのですが、雑談の合間に洩らされる考え方に、私と同じ考え方が多く、同好の士を見出した思いでした。
例えば・・
1.「日本語は論理的でない」と言う人がいるが、それは「論理的に考える習慣を持たない日本人が多い」ためで、「日本語自体が論理的記述が出来ない」ということではない!
2.「ものごとを論述する時には、そこで使う言葉の定義を明確にして述べることが重要だ」。
議論する人が同じ言葉を別の意味で使っていたら、議論は成り立たないのだ。
3.「憲法は、公務員が守る法律ですよ」。(私は、為政者が守るべき法律と考えているが、同じ意味と思う。実際、「健康で文化的な生活を保障する」を守れと言われても、一民間人が守りようがない。そんなことは為政者でないと保障できない。
「情報セキューリテイー」に関する法律の説明では、こんな余談を話されました。
法律に対する考え方には、国によって次の三つがある。
①法律は国や行政が民衆を過度に苦しめないようにするためのものだから、
国や行政が守るべきものである。
例えば、刑法というものは、犯罪人を守るものである。
「・・・は、懲役15年以内の刑に処する」というのは、
「15年を越す刑にはしない。お上のご機嫌しだいで、打ち首になることはない」、という意味で犯罪人を守っている。
②法律は民衆を取り締まるものものであるから、民衆が守るべきものである。
③法律は一応作っておかないといけないが、国も民衆も守る必要はない。
事実や数字、法律や契約は人間の精神の外側にあって人間を束縛する。
それを遵守することは理不尽なことに感じられる。
この国でもっとも尊敬される人格は老獪である。
さて、どの国がどのグループか、ご一考ください。
総理大臣が一億円貰っても、「記憶にない」と言えば、不起訴処分になる国というのは、法律は民衆が守るべきものと、検察も考えているのでしょう。
総理大臣と面会の約束もドタキャンするのは、契約にも人は束縛されるべきでないと考えている国でしょう。「法匪」という言葉がこの国にあったようです。
というわけで「デジタル技術」よりも余談でスクリーン出席の報告に替えます。
「デジタル技術と情報社会」なるテーマの講義でしたが、先生は訥々として語り、お世辞にも上手な講演ではなかったのですが、雑談の合間に洩らされる考え方に、私と同じ考え方が多く、同好の士を見出した思いでした。
例えば・・
1.「日本語は論理的でない」と言う人がいるが、それは「論理的に考える習慣を持たない日本人が多い」ためで、「日本語自体が論理的記述が出来ない」ということではない!
2.「ものごとを論述する時には、そこで使う言葉の定義を明確にして述べることが重要だ」。
議論する人が同じ言葉を別の意味で使っていたら、議論は成り立たないのだ。
3.「憲法は、公務員が守る法律ですよ」。(私は、為政者が守るべき法律と考えているが、同じ意味と思う。実際、「健康で文化的な生活を保障する」を守れと言われても、一民間人が守りようがない。そんなことは為政者でないと保障できない。
「情報セキューリテイー」に関する法律の説明では、こんな余談を話されました。
法律に対する考え方には、国によって次の三つがある。
①法律は国や行政が民衆を過度に苦しめないようにするためのものだから、
国や行政が守るべきものである。
例えば、刑法というものは、犯罪人を守るものである。
「・・・は、懲役15年以内の刑に処する」というのは、
「15年を越す刑にはしない。お上のご機嫌しだいで、打ち首になることはない」、という意味で犯罪人を守っている。
②法律は民衆を取り締まるものものであるから、民衆が守るべきものである。
③法律は一応作っておかないといけないが、国も民衆も守る必要はない。
事実や数字、法律や契約は人間の精神の外側にあって人間を束縛する。
それを遵守することは理不尽なことに感じられる。
この国でもっとも尊敬される人格は老獪である。
さて、どの国がどのグループか、ご一考ください。
総理大臣が一億円貰っても、「記憶にない」と言えば、不起訴処分になる国というのは、法律は民衆が守るべきものと、検察も考えているのでしょう。
総理大臣と面会の約束もドタキャンするのは、契約にも人は束縛されるべきでないと考えている国でしょう。「法匪」という言葉がこの国にあったようです。
というわけで「デジタル技術」よりも余談でスクリーン出席の報告に替えます。