尾張名古屋のNOZUEです。
6月18日の朝日に、小説家の高村薫さんが、国政選挙の投票率に関し寄稿してい
た。
【近年の低投票率を特徴づけるのは、もはや「政治への無関心」や「政治不信」では
なく、国民国家という枠組みへの直観的な懐疑であろう。
「国家という単位が効果的な機能を発揮しうる時代」の終わりを有権者が実感し始
めたという点で、事態は深刻である。こうした実感が生れてきた背景には、冷戦とい
う枠組みが消えた後に加速された自由主義経済の膨張やグローバル化があると思う。
グローバル化には、主権国家という近代以降の基本的な枠組みを溶かしてしまう傾
向がある。たとえば「国境を越えた開かれた経済・金融体制」が広がる中、それぞれ
の国家が独力では自国経済をコントロールできない実情があらわになってきている。
・・・
バブル崩壊後に進行した経済のグローバル化は、「市場原理に基づく自由競争」を
この国に広く浸透させた。小泉改革もこれに沿ったものだが、その結果、人々はこの
社会で生きていくことにひどく疲れているように見える。
非常な競争が当然視され、老後の生活設計も含めた「未来」が自己責任とされ、経
済格差の広がりも放置されるような状況に、人は耐えられない。選挙へ行って社会を
変えようという能動的な発想が生れにくくなった内面的な要因は、この疲労感だろ
う。】
一読し、小生が日頃思っていることと、全く同じ発想だと思った。これを、小説家
でなく、経済学者に言ってもらいたかった。
首相の、最近の景気回復は「構造改革の成果だ」など、噴飯ものの言い草である。
昔は、政府が金を使えば、景気を刺激できた。今は、景気対策で金を使うと、その金
が国内を回らず(いくらかは回っても)中国や米国に行ってしまう。逆に、政府が金
を使わなくても、米国や中国が金を使うと、そのおこぼれが日本に回ってくる。ただ
し、国際競争力のある企業、ざっくばらんに言うと、中国や米国と取引のできる企業
にだけだ。だから、経済成長率が年6%であるとしても、昔は、国内すべてが6%成
長の恩恵に浴したが、今は、良い企業は10%も12%も成長するが、さっぱりの企
業はさっぱりである。
従って、経済成長率と言う数字が、国民の経済的福祉を代表できなくなっていると
考えます。
これが、経済のグローバル化であって止むを得ないという意見もあろうが、そうな
ら、経済のグローバル化は、喜んで推進すべきものだろうか?日本は、なるべくグ
ローバル化をサボタージュすべきだったのでは?百歩を譲って、サボタージュをしな
いとしても、その結果、不幸にして競争に勝てない人を救う社会保障網の整備に努め
るのが、政府の役割ではなかったか?
そうした議論を、是非、経済学者にしてもらいたいのです。
6月18日の朝日に、小説家の高村薫さんが、国政選挙の投票率に関し寄稿してい
た。
【近年の低投票率を特徴づけるのは、もはや「政治への無関心」や「政治不信」では
なく、国民国家という枠組みへの直観的な懐疑であろう。
「国家という単位が効果的な機能を発揮しうる時代」の終わりを有権者が実感し始
めたという点で、事態は深刻である。こうした実感が生れてきた背景には、冷戦とい
う枠組みが消えた後に加速された自由主義経済の膨張やグローバル化があると思う。
グローバル化には、主権国家という近代以降の基本的な枠組みを溶かしてしまう傾
向がある。たとえば「国境を越えた開かれた経済・金融体制」が広がる中、それぞれ
の国家が独力では自国経済をコントロールできない実情があらわになってきている。
・・・
バブル崩壊後に進行した経済のグローバル化は、「市場原理に基づく自由競争」を
この国に広く浸透させた。小泉改革もこれに沿ったものだが、その結果、人々はこの
社会で生きていくことにひどく疲れているように見える。
非常な競争が当然視され、老後の生活設計も含めた「未来」が自己責任とされ、経
済格差の広がりも放置されるような状況に、人は耐えられない。選挙へ行って社会を
変えようという能動的な発想が生れにくくなった内面的な要因は、この疲労感だろ
う。】
一読し、小生が日頃思っていることと、全く同じ発想だと思った。これを、小説家
でなく、経済学者に言ってもらいたかった。
首相の、最近の景気回復は「構造改革の成果だ」など、噴飯ものの言い草である。
昔は、政府が金を使えば、景気を刺激できた。今は、景気対策で金を使うと、その金
が国内を回らず(いくらかは回っても)中国や米国に行ってしまう。逆に、政府が金
を使わなくても、米国や中国が金を使うと、そのおこぼれが日本に回ってくる。ただ
し、国際競争力のある企業、ざっくばらんに言うと、中国や米国と取引のできる企業
にだけだ。だから、経済成長率が年6%であるとしても、昔は、国内すべてが6%成
長の恩恵に浴したが、今は、良い企業は10%も12%も成長するが、さっぱりの企
業はさっぱりである。
従って、経済成長率と言う数字が、国民の経済的福祉を代表できなくなっていると
考えます。
これが、経済のグローバル化であって止むを得ないという意見もあろうが、そうな
ら、経済のグローバル化は、喜んで推進すべきものだろうか?日本は、なるべくグ
ローバル化をサボタージュすべきだったのでは?百歩を譲って、サボタージュをしな
いとしても、その結果、不幸にして競争に勝てない人を救う社会保障網の整備に努め
るのが、政府の役割ではなかったか?
そうした議論を、是非、経済学者にしてもらいたいのです。