古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

小学女児の殺人

2004-06-03 | 経済と世相
尾張名古屋のNOZUEです。
 小学女児の殺人事件を聞いたとき、すぐ思ったことは、「少子化の所為だ」。
 昔の子供は、子供が大勢いたから、その中で喧嘩ぐらい、いつもやっていた。喧嘩
馴れしているから殺人に到るまでの喧嘩はしない。あぶないと思うと手加減する。今
の子供は、こどもの数が少ないから、子供同士でもまれる機会が少ない。喧嘩もする
機会も少なくなってるんだ。
 実際、私の子供の頃は、どこの家にも5人~6人の兄弟がいた。先日、中学同級の
女性に会って「ご両親は健在ですか」と聞いたら、笑い出して「私、末っ子でしたの
で長兄はもう80歳をはるかに越えてるんです。生きていれば両親ともに、百歳を越
えてますよ」といった。またプールで、コーチに「お孫さん、何人ですか?」と聞か
れて、「娘の子供が3人」と答えたら、「凄い!よく3人も育てますね」。
 昔は、親が育てなくても、上の兄弟が育てたのだ。私も学校から帰ると、「子供の
守りをしなさい」と、背中に弟を縛り付けられたものだ。

 ところが、その後のニュースで、「インターネット上のトラブルが原因」と報道さ
れました。これまた、吃驚!大体、インターネットのメールというシロモノ、私が会
社勤めしていた頃には、会社では使っていなかった(一部の専門家は使っていただろ
うが、ごく少数だったろう)。それが、今やメールを使わないと、担当者との連絡な
どスムーズに行かない。わずか8年での変化である。まさに、「失われた10年」ど
ころか、大転換の10年だった。
 退職した時、これからは、FAXがないと連絡も不自由だと、FAX付き電話機に電話を
変えたのに、今は、FAXを使うことは殆どない。すべてeメールで用が足せる。便利な
世の中になったと感心していたら、小学生までそれを使っていて、それが殺人の原因
になったと言うから、まさに仰天!
 
 そもそも、どうしてインターネットで気に入らないことが書き込まれたことが、殺
人にまで進展するのだろうか?
 人と人の付き合いというものは、やはり子供の頃から、兄弟や友達にもまれて、覚
えていくものではないだろうか。実体験としての、人の付き合いが十分でない子供
は、インターネットの中での人付き合いに入り込んでしまうと、インターネット上の
(いわばヴァーチャルの世界の)人格が、実際の人格のすべてを写していると言う錯
覚を持ってしまうのだろうか?
 
 それにしても、メールはとても便利だけれど、気づかずして、他人の感情を傷つけ
ていることがあるかもしれない!皆さん!もし小生のメールで不愉快なことがござい
ましたら、即、お知らせください。