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shiotch7 の 明日なき暴走

ビートルズを中心に、昭和歌謡からジャズヴォーカルまで、大好きな音楽についてあれこれ書き綴った音楽日記です

Neil Sedaka Best

2009-04-24 | Oldies (50's & 60's)
 日本人にとってオールディーズ・ポップス男性シンガーの東西の横綱と言えるのがポール・アンカとニール・セダカである。“街角男”デル・シャノンンはどーした、“ビキニ坊や”ブライアン・ハイランドだっているぞ、“7オクターブの声を持つ男”ジーン・ピットニーを忘れんなよ、といった声が聞こえてきそうだが、知名度から言ってもヒット曲の多さから言っても日本ではこの二人が突出している。しかもポールには「ダイアナ」、ニールには「恋の片道切符」という超特大ホームラン級の“この1曲”が存在するのだ。一定の年齢以上の人なら誰だって “き~みはボクより年上と~♪” や “チューチュー チュレェ~ン ア チャギン ダウン ザトラッ♪” のフレーズは口ずさめるだろう。現代の音楽が忘れてしまったこの “誰でも口ずさめる” 親しみやすさこそがオールディーズ・ポップスの最大の魅力なのであり、半世紀近くたった今でも人気を保っている所以なのだと思う。
 意外なことに元々はオーケストラをバックにシナトラばりのヴォーカルでスタンダード・ソングを歌っていたポール・アンカ(デビュー・アルバムではナット・キング・コールで有名な「ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム」やベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」なんかを歌っててビックリ!)に対し、ブリル・ビルディング直系の “理屈抜きに楽しめるアメリカン・ポップスの申し子” 的存在がこのニール・セダカである。彼の全盛期といわれる1960~62年のヒット曲の数々はキラ星のように輝く申し分のないポップスばかりで、それらを1枚にまとめたのがこの「ニール・セダカ・ベスト」なのだ。
 彼の曲は大きく分けて次の3つのパターンに集約されると思う。
Ⅰ:屈託のない明るい歌声と誰でも口ずさめるような陽気な曲調のナンバー
 いきなり“ア ラッバ ラッバ ラッバ カレンダー ガー”で始まる②「カレンダー・ガール」、空耳で little devil が“リル デブ”に聞こえて仕方がなかった③「リトル・デヴィル(小さい悪魔)」、キャロル・キングに捧げた歌詞をロッカ・ルンバ・リズムに乗せた軽快な⑪「オー・キャロル」、コニー・フランシスに贈った曲のセルフ・カヴァーで絶妙なハンド・クラッピングが楽しい⑮「ステューピッド・キューピッド(間抜けなキューピッド)」と、もう何の説明も不要なぐらいニール・セダカの魅力が全開だ。
Ⅱ:Ⅰの延長線上にある軽快な曲調に印象的なナンセンス・フレーズをまぶしたナンバー
 “カマ カマ ダン ドゥビ ドゥ ダンダン”⑫「悲しき慕情」(カーペンターズのカヴァーも必聴ですね!)、“シャンララララン ランランララ”⑯「ハッピー・バースデイ・スイート・シックスティーン(すてきな16才)」、“ドゥバ パッパー ホウ デュバッシュ ダンダン”⑰「ネクスト・ドア・トゥ・アン・エンジェル(可愛いあの娘)」、“ディンドン ディンドン クリッ クラッ カチャガチャガ”⑱「ゴーイング・ホーム・トゥ・メリー・ルー(恋の一番列車)」と、ドゥー・ワップ直伝のナンセンス・フレーズの多用がもうめちゃくちゃ楽しくてたまらない。これこそ他の誰にも真似のできないニール・セダカ・ポップスの真骨頂だ!
Ⅲ:いわゆるひとつのスロー・バラッド・タイプのナンバー
 リヴァーヴの効いたドラムといかにも古臭いストリングス・アレンジが耳に残る④「ユー・ミーン・エヴリシング・トゥ・ミー(きみこそすべて)」、リトル・アンソニー&インペリアルズの「ティアーズ・オン・マイ・ピロー」(カイリー・ミノーグのカヴァーで有名)をモディファイしたような⑥「ザ・ダイアリー(恋の日記)」など、スローな曲をあのカン高い声で歌い上げている。
 日本独自の大ヒット曲①「恋の片道切符」は彼には珍しいマイナー調のナンバーで、歌詞の中に当時のヒット曲名(「バイ・バイ・ラヴ」「ロンリー・ティアドロップ」「ロンサム・タウン」「ハートブレイク・ホテル」「ア・フール・サッチ・アズ・アイ」)をズラリと並べたセンスが素晴らしい。この曲の良さがわかる日本人に生まれて良かったと思える今日この頃だ。

Neil Sedaka en Vioa "Got a one way ticket to the Blues"

Llllloco-Motion / Little Eva

2009-04-10 | Oldies (50's & 60's)
 プレスリーの時にも書いたが、私にはかつてオールディーズのヒット曲をオリジナル盤の生々しい音で聴きたいなどという無謀なことを考え、海外のオークションでせっせと入札を繰り返していた時期があった。60年代といえば今のようにアルバムを完成させてそこからシングルを切るのではなく、シングル・ヒットが何曲か出たからそれらを元にして1枚のアルバムを作ってしまおうという発想が主体だった。ましてや当時はシングル盤を中心に世界が回っており、LPは高級品でまだあまり普及しているとはいえず、売り上げも70~80年代と比べれば桁違いに少なかったので、そーいったレアな盤を40年以上も経って、しかも日本にいながら手に入れようなどというのは今にして思えばとんでもなく天地真理、じゃなくて甘い考えだったのだ。
 そのような悪条件にもかかわらず、レコードに関しては絶対に後に引かない私は難関といわれるロネッツやクリスタルズらのフィレス勢を皮切りにカスケーズ、エンジェルズ、シフォンズ、リトル・ペギー・マーチ、ディオン、ニール・セダカ、デル・シャノン、サム・クックetc 片っ端からイキまくったのだが、そんな中で意外なほど競争が激しくて苦労したのがマーヴェレッツのタムラ盤、パリス・シスターズのサイドウォーク盤、そしてこのリトル・エヴァのディメンション盤だった。
 リトル・エヴァといえば何はさておき「ロコモーション」である。キャロル・キング家のベビーシッターとして働いていた黒人女性歌手リトル・エヴァの唯一にして超特大ヒットとなったこの曲は、まず62年にエヴァのオリジ・ヴァージョンで全米№1、74年には何とあのグランド・ファンク・レイルロードによる痛快無比なハードロック・カヴァーで再び全米№1に輝き、更に88年にはカイリー・ミノーグによる軽快なダンス・ポップ・カヴァーで全米3位をマークするという、まさに絵に描いたような名曲で、日本では“さぁさぁダンスのニュー・モード...♪”で始まる伊東ゆかりのカヴァーで有名だ。作者はもちろんジェリー・ゴフィンとキャロル・キング夫妻の黄金コンビで、元々はディー・ディー・シャープのために書いたのに彼女に気に入ってもらえず歌うのを拒否されたので、エヴァのヴァージョンをレコード化したら大ヒットしたという、オールディーズの世界ではよくあるサクセス・ストーリー(スプリームズとか、ホリーズとか...)だ。バック・コーラスは、この後ゴフィン=キング作の「チェインズ」(ビートルズがファースト・アルバムでカヴァー)をヒットさせたクッキーズというからブリル・ビルディング・パワー恐るべしである。エヴァのパンチの効いた歌声とバックの快活な演奏はパワー・ポップの源流といっていいほどで、この曲のテナー・サックス・ブロウがあのデイヴ・クラーク・ファイヴに多大な影響を与えたという話は有名だ。
 LPには全13曲入っており、「ロコモーション」以外はオマケみたいなモンだが、ニール・セダカの「悲しき慕情」、クリスタルズの「アップタウン」、シュレルズの「ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ」あたりの有名曲カヴァーがエエ感じ。拾い物は「プリーズ・ミスター・ポストマン」と「マッシュト・ポテト・タイム」を足して2で割ったような「キープ・ユア・ハンズ・オフ・マイ・ベイビー」とゴフィン=キングの隠れ名曲「ヒー・イズ・ザ・ボーイ」で、この2曲は結構気に入っている。それ以外は filler と呼ばれる穴埋め用の退屈な曲で、まぁ売れない頃のクリスタルズみたい、っていえばわかる人にはわかるハズ。
 この後リトル・エヴァはヒットらしいヒットも出せずにフェイド・アウトしてしまったが、彼女は「ロコモーション」一発でオールディーズ・ポップス史に永遠にその名を刻みつけたのだ。

Little Eva The Locomotion

Elvis' Golden Records / Elvis Presley

2009-04-04 | Oldies (50's & 60's)
 これまで自分が買ったレコードやCDには様々な思い出が染み付いている。いつ頃どこのレコ屋で買ったとか、ネット・オークションで希少盤を何故か無競争で落札できて超オイシイ思いをしたとか、逆に猛追を受けてヒヤヒヤしたとか、その音楽の内容とは別に、ある意味これまでの自分の猟盤人生が詰まっていると言っても過言ではない。たいていは良い思い出なのだが、中にはそのレコードを見るたびに苦い思い出が蘇ってくるものがいくつかある。この「エルヴィスのゴールデン・レコード第1集」もそんな1枚だ。
 80年代以降、音楽メディアは完全にアナログLPからCDへと移行し、私は何の疑いもなく「CDの方がLPよりも音が良い」と信じていた。やがてジャズを聴くようになりオーディオをグレード・アップして“オリジナル(初版)LPの方がCDよりも断然音が良い”(いくつか例外もあったけど...)ことを発見、愛聴CDはオリジナルLPで買い直してその生々しい音を楽しんでいた。ある時ふと「ジャズでこれやったらロックやポップスもエエ音で聴けるんちゃうやろか?」と思いつき、試しにロネッツを獲って聴いてみるとこれがまた凄い音でビックリ(゜o゜)、“真空管アンプ+大型ホーン・スピーカー”というヴィンテージ・システムが60年代のサウンドにベストのマッチングをみせ、迫力満点の豊潤なサウンドが楽しめて私はすっかり有頂天になった(^o^)丿 それからは狂ったように50's 60'sのオールディーズをLPで集め始めた。ジャズでもポップスでも状態の良いオリジナル盤を日本で探すのは至難のワザなので、入手方法はおのずと海外のネット・オークション eBay に限られてくる。最近はご無沙汰だが、2002~2004年頃は多い時で一日に5~6枚のブツが届き、郵便配達のオッチャンが目を丸くしていたものだ(笑)
 そんな或る日、1枚のLPが届いた。差出人を見ると待ちに待ったエルヴィス盤のセラーだ。ついに来たか(^o^)丿 以前に獲ったエディー・コクランのリバティ盤が物凄い音してたので二匹目のドジョウを狙ってエルヴィス盤を獲ったのだ。LPレコードというのはふつうレコード発送専用のブ厚い段ボール箱に梱包して送るのが一般的なのだが、そのブツは薄っぺらいボール紙で包まれてるだけで、私はパッと見ただけで嫌な予感がした。手にとって見ると中から「カラカラ~♪」と音がする(((( ;°Д°)))) ここで私の不安はMAXに!開封してみると中から出てきたのは無残に砕け散ったLPレコードの破片だった...((+_+)) まさに天国から地獄とはこのことだ(>_<) 割れたレコードが届いたのはその時が初めてだったせいもあって私は大ショックを受けた。それからしばらくは会う人会う人に「どないしたんや?具合でも悪いんか?」と聞かれるほど落ち込んでいた。結局そのレコードはセラーに送り返して返金してもらい、別のしっかりしたセラーから改めて獲り直して送ってもらったのだが、嫌な思い出だけが残った。その後も何回か割れたレコードが届いたことはあった(特にRCA盤と初期マーキュリー盤が割れやすい...ビニールの材質の問題かな?)が、エルヴィス盤で免疫が出来ていたせいか、「ああ、またか」という感じでそれほど動揺もしなくなった。しかし今でもこのジャケットを見るとあの「カラカラ~♪」という音が頭の中に響き、中からレコードの破片が出てきそうな気がする(←完全にトラウマやん?)
 中身の音楽についてはもう何も言う必要はないだろう。この盤に封じ込められたプリミティヴなパワー、爆発的なエネルギーの奔流を体験すれば、いみじくもジョン・レノンが言っていた “Before Elvis Presley, there was nothing.” (エルヴィス以前には何もなかった)という言葉の意味を実感できるハズだ。「世界を変えた」のはビートルズだが、そのきっかけを作ったのは紛れもなく“ザ・キング”エルヴィスだったのだ。

Elvis Presley Milton Berle Show 5 Jun 1956: Hound Dog

Celebration / Alma Cogan

2009-03-30 | Oldies (50's & 60's)
 60年代のオールディーズ・ポップスの世界においてイギリス、つまりビートルズ登場以前のブリティッシュ・ミュージック・シーンというのは脆弱で、アメリカ勢にまったく太刀打ちできなかった。そんな中、孤軍奮闘していたのが“大英帝国の誇り”クリフ・リチャードであり、このアルマ・コーガンだった。
 アルマ・コーガンといえば何と言っても61年の「ポケット・トランジスター」である。“3分間ポップスの極み”と言ってもいいくらい小粋でポップなナンバーで、“わたしの持ってるちっちゃなポケット・トランジスタ、毎晩ヒッパレー聞くの~♪”という森山加代子のカヴァーでも有名だ。その前年にヒットした「恋の汽車ポッポ」(アネットとの競作で、これも加代ちゃんがカヴァー)と共に日本ではこの2曲の知名度が際立っているため “オールディーズの一発屋”的なイメージがあるかもしれないが、本国イギリスでは52年にEMI傘下のHMVレーベル(あのCDショップとは無関係)からデビューし、幾多のヒット曲を出している人気シンガーなのだ。私はオールディーズのオムニバスCDで「ポケット・トランジスター」を聴いていっぺんにその愛嬌のあるハスキー・ヴォイスのファンになり、それ以外の曲も聴きたくて彼女のLPやCDを買い漁った。それで分かったのは、ガーシュウィン、コール・ポーター、アーヴィング・バーリンらのアメリカン・スタンダード・ナンバーをジャジーに歌ったアルバム「アイ・ラヴ・トゥ・シング」を出したり、同じEMI傘下のコロムビア・レーベルに移籍してからも同趣向のアルバム「ウィズ・ユー・イン・マインド」を出したりと、初期の音源が結構ジャズジャズしていたことだ。これには正直驚いた。つまり彼女はジャズもポップスも両方こなせる“ホンモノ”のガール・シンガーだったのだ。あのジョン・レノンも彼女に夢中だったというからその実力は折り紙つきだ。やがて60年代に入ると上記のような明るく楽しいポップス路線にシフトしていくのだが、そういった流れといい、“the girl with the laughter in her voice” と言われるほどユニークで元気な歌声といい、まさに“イギリス版江利チエミ”といえるかもしれない。そんなアルマ・コーガンの3枚組ベストCDがこの「セレブレーション:ジ・アルティメット・コレクション」であり、それぞれ“50年代”“60年代”“スタンダード”とテーマ分けされていて非常にわかりやすい構成になっている。
 “50年代”編は江利チエミのカヴァーで有名な「裏町のおてんば娘」やフランキー・ライモンの「恋は曲者」、スインギーな「ブルー・スカイズ」etc実に楽しい曲が目白押しだ。
 “60年代”編ではエキサイターズのカヴァー「テル・ヒム」の日本語ヴァージョン「イッテ・クデス(?)」が必聴。斬新なアレンジの「テネシー・ワルツ」も楽しいし、軽快にスイングする「ジョリー・グッド・カンパニー」は絶対的オススメの隠れ名曲だ。
 “スタンダード”編は大半がジャズのスタンダード・ソングなのだが、大注目は冒頭の「ヘルプ!」「アイ・フィール・ファイン」「エイト・デイズ・ア・ウイーク」「涙の乗車券」というビートルズ・ナンバー4連発だ。そのどれもが実にユニークなアレンジを施されていてめちゃくちゃ面白い。例えば「エイト・デイズ・ア・ウイーク」なんか、意表を突いてスロー・バラッド風で始まり、後半に入ると一転テンポ・アップ、エンディングまで一気に駆け抜けるカッコ良さ(≧▽≦) この4曲は入手困難な音源なので、それだけでもこのCDを買った価値があるというものだ。
 まるで石膏像のような目鼻立ちの整った容姿で人気があったチャーミングな女性シンガー、アルマ・コーガン、彼女は美人薄命の言葉通り66年に癌のため34才の若さで急逝してしまったが、その魅力的な歌声は40年以上たった今でも世界中で愛されているのである。

POCKET TRANSISTOR / ALMA COGAN

Connie Francis Greatest Hits

2009-03-03 | Oldies (50's & 60's)
 コニー・フランシス... 誰が何と言おうと彼女こそがアメリカン・オールディーズ・ポップスの象徴である。歌は上手いし、作品にも恵まれ、おまけにキュートでチャーミングとくればヒットしない方がおかしい。58年から62年までの5年間で3曲の全米№1を含む20曲ものトップ20ヒットを放ったのだから、プレスリーが兵役に就いてからビートルズ出現までのアメリカン・ミュージック・シーンを支配していたといっても過言ではないだろう。
 しかし彼女はヒット・チャート成績とか売り上げとかで云々すべき歌手ではない。そういった次元を遥かに超越した存在として、記録よりも記憶に残る偉大なシンガーなのだ。大方の日本人が「オールディーズ」という言葉で頭に浮かべる歌手はコニー・フランシスではないだろうか?もちろん弘田三枝子や森山加代子、中尾ミエらのカヴァー・ポップスの大流行も大きな一因だろうが、オールディーズ・ポップスの持つ明るく健康的でどこか甘酸っぱいイメージと彼女の艶やかな歌声とがオーバーラップするのだろう。因みに3曲の全米№1というのは「エヴリバディーズ・サムバディーズ・フール」「マイ・ハピネス」「泣かせないでね」だが、こんなん誰も知らんやろ(>_<) この辺にも日米の嗜好の違いが浮き彫りになってて面白い。
 彼女のレパートリーは伸びのある高音域を活かして切々と歌い上げるロッカ・バラッド・タイプの曲と、ウキウキした気分にさせてくれるミディアム~アップ・テンポの曲に大別されるが、私は断然後者のコニーが好きなんである。このベスト盤のA①「カラーに口紅」なんかまさにその典型で、軽快なリズムに乗ってコニーは鼻歌で口ずさめそうなシンプルなメロディーをやや抑え気味に歌い切る。決してシャウトしないその抑え方のサジ加減が絶妙なのだ。シャツのカラーについた口紅でウソがばれるという分かりやすい内容の歌詞も面白い。
 そういう意味ではB①「想い出の冬休み」も似通った曲想だが、こちらの方がよりメロディーの起伏に富み、「ウォウ、ウォウ、ウォウ♪」のパートやハンド・クラッピングの挿入、間奏のひしゃげたサックスなど、サウンド・プロダクションにも随所に工夫が見られる。ハンド・クラッピングといえば、ニール・セダカ作のA③「ステューピッド・キューピッド」も忘れられない。思わず踊りだしたくなるような歌と演奏はまさにこれぞオールディーズ!といいたくなるようなポップな衝動に満ち、彼女は低音から高音まで抜群の歌唱力を駆使して変幻自在のヴォーカルを聴かせてくれる。特に「キューピッ♪」と語尾を上げるコミカルな歌い方がたまらない。
 伊東ゆかりのカヴァーで有名なA⑭「大人になりたい」や中尾ミエのカヴァーでおなじみのA⑰「可愛いベイビー」でもA①同様やや抑え気味ながら伸びやかで表情豊かなヴォーカルが堪能できる。ディオンやジョニー・ティロットソンあたりが歌いそうなA⑯「夢のデイト」はイキそうでイカない単調な曲だが、彼女は惜しげもなく「ウォウ、ウォウ、ウォウ♪」を連続投下、甘酸っぱいレトロ感覚に満ちた佳作に仕上げている。B⑬「24,000回のキス」ではイタリア系の血が騒ぐのか、他では聞けないような情熱的なヴォーカルでカンツォーネの名曲を見事に歌いこなしており、このあたりにも彼女のシンガーとしての能力の高さが見て取れる。オールディーズ・ポップスの代名詞と言っていいA⑳「ヴァケイション」では彼女のパンチの効いた歌声がリズミカルな曲調とベスト・マッチで言うことナシだ。
 あの時代、アメリカにはコニーが、そして日本にはミコがいた。同じ時代に太平洋を挟んで二人の天才少女を世に送り出した天に感謝したい。コニー・フランシス... まさにザ・ワン・アンド・オンリーのポップス・クイーンだ。

想い出の冬休み I'm Gonna Be Warm This Winter (Japanese)
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The Best Of Annette

2009-02-20 | Oldies (50's & 60's)
 アネットは50年代後半から60年代前半にかけてアメリカの“究極のティーン・エイジャー”と呼ばれたアイドルで、その屈託のない健康美はまさに「古き良きアメリカ」を象徴していた。彼女は泣く子も黙るウォルト・ディズニーが直々にスカウトしてウォルト・ディズニー・プロダクション入りし、「ミッキーマウス・クラブ」というテレビ番組のダンス&コーラス担当グループ「マウスケティアーズ」のメンバーとして抜擢されて一躍人気者になった。しばらくして彼女はポール・アンカと恋仲になり、全曲ポール・アンカ作品の「アネット・シングズ・アンカ」というアルバムも作ったりもしたが、“歌のお姉さん”の色恋沙汰はご法度ということでイメージを大切にするウォルト・ディズニーの逆鱗に触れ、二人は別れさせられたたしい。このあたりは極東のどっかの国の某芸能事務所にそっくりだ(笑) 彼女はその後ポップ・アイドルとしてコンスタントにヒットを飛ばし、更にカリフォルニアのサーファーたちの青春を描いたいわゆるビーチ・パーティーもの映画にも数多く出演した。これはそんなアネットの日本特別編集によるベスト盤で、幻のミッキーマウス・レーベル音源を始め、ブエナ・ヴィスタ・レーベルの10枚のオリジナル・アルバムからセレクトされた26曲が収録されている。①「ミッキーマウス・クラブ・クロージング・テーマ」は「ミッキーマウス・マーチ」の超スロー・ヴァージョンで、アネットはマウスケティアーズの24人コーラスの一人として参加している。彼女初の、そして最大のヒットとなった④「トール・ポール」は楽しさ溢れる曲調が耳に残るティーン・アイドルらしいヒット曲。タイトルは当時付き合ってたポール・アンカとは何の関係もないとのこと。ホンマかいな?⑥「ファースト・ネーム・イニシャル」も④同様、絵に描いたような明るいティーン・ポップスで、彼女のちょっと舌っ足らずな歌い方がたまらない。私のようにこの魅力にハマッたオールディーズ・ファンは中々抜け出せないと思う。ポール・アンカ作の名曲⑩「トレイン・オブ・ラヴ(恋の汽車ポッポ)」では、声自体は甘ったるいのだが歌い方は実にキリリと引き締まっており目は笑っていない。そのあたりのサジ加減というかバランスが絶妙で、アネットの歌声とバックの軽快なリズムがベストのマッチングをみせる。イギリスでは「ポケット・トランジスター」のアルマ・コーガンが、日本では「白い蝶のサンバ」の森山加代子がそれぞれカヴァーして、スマッシュ・ヒットさせていた。アネットの代表曲とでもいうべき⑫「パイナップル・プリンセス」ではあのスティール・ギターのイントロが聞こえてきただけで気分はもう完全にハワイアネット(笑)、嫌なことはすべて忘れてウキウキした気分にさせてくれる。これぞまさにアネットの世界である。日本では田代みどりのカヴァーが有名だが、他にも森山加代子、栗田ひろみ、松島トモ子らがカヴァーしていた。⑬「ドリーム・ボーイ」は何かどっかで聴いたメロディーやなぁと思ってたら何のことはない、イタリア民謡の「フニクリ・フニクラ」だった。この曲を聴いてすぐに細野晴臣ヴァージョンが思い浮かんだ私って一体...(>_<) ビーチ・ボーイズとの共演(24)「モンキーズ・アンクル」はアネットのヴォーカルとビーチ・ボーイズのコーラス・ハーモニーの絡みが最高で涙ちょちょぎれる。大好きなアネットの中でもベスト・オブ・ベストと胸を張って言える名曲名演だ。それにしても「ビーチ・ボーイズ」+「アネット」+「ウォルト・ディズニー」って古き良きアメリカの「明」の部分を象徴するような最強の組み合わせやなぁ... (≧▽≦)

The Beach Boys: The Monkey's Uncle

You Are My Lucky Star / Petula Clark

2009-02-17 | Oldies (50's & 60's)
 ぺトゥラ・クラークというと日本では「恋のダウンタウン」のイメージが強い。いわずと知れた65年の全米№1ヒットである。確かに悪い曲ではないが、私に言わせればアレはあくまで平均点のぺトゥラ・クラークである。同時期の作品なら「ドント・スリープ・イン・ザ・サブウェイ」の方が優れていると思うし、「抱きしめたい」や「恋を抱きしめよう」「ヒア・ゼア・アンド・エヴリウェア」といった秀逸なビートルズ・カヴァーをはじめ、他にももっと凄いのはいくらでもゴロゴロしている。しかし残念ながらそれらは日本ではほとんど知られていない。
 彼女のキャリアは案外古くてレコード・デビューは49年、何と78回転SP盤だった。彼女が世界的にヒットを飛ばしてブレイクするのはプロデューサーにトニー・ハッチを迎え、ワーナー・ブラザーズに移籍した64年以降のことだが、私が好きなのはジャズのスタンダードを積極的に取り上げていた50年代後半のニクサ・レーベル時代、そしてフランス語でリトル・ペギー・マーチやニール・セダカ、ビートルズetc のカヴァーを吹きこんでいた60年代初めのヴォーグ・レーベル時代なのだ。そんな中で私がベストと信ずるのが30~40年代のハリウッド映画の主題歌を歌ったファースト・アルバム「ユー・アー・マイ・ラッキー・スター」である。この盤のことはジャズ批評77号の「女性シンガー大百科」で坂田一生氏が絶賛されていたのを見て初めて知った。それまでは私も「ぺトゥラ=ダウンタウン」と思い込んでいたので正直???だったが、「若き日のドリス・デイやジョニー・ソマーズなどにも通ずるそのオチャメでセンチな隣の女の子といった感じのチャーミングな歌声」なんて言われた日にゃあ無関心でいられるわけがない。趣味嗜好が自分と似通っている氏の言葉を信じてUSアマゾンで買ってみたら、コレが大正解\(^o^)/ 何という瑞々しい歌声だろう!特に気に入ったのがスモール・コンボをバックにしたノリノリの③「ジング・ウェント・ザ・ストリング・オブ・マイ・ハート」や⑩「イッツ・ザ・ナチュラル・シング・トゥ・ドゥ」で、瀟洒なブラッシュを中心にピアノ、ヴァイブ、ギターが生み出す軽快なサウンドに乗って弾けるようにスイングするペトゥラが最高だ。ビッグ・バンドをバックに気持ち良さそうにスイングする⑧「スラミング・オン・パーク・アヴェニュー」やタイトル曲⑫「ユー・アー・マイ・ラッキー・スター」は40年代のバンド・シンガーを彷彿とさせるような貫禄で見事なグルーヴ感を醸し出していてウキウキした気分にさせてくれる。ストリングス・オーケストラをバックに切々と歌うスロー・バラッドでは②「ソニー・ボーイ」や⑨「アズ・タイム・ゴーズ・バイ」etcのソフト&メロウな感覚、④「アローン」や「グッドナイト・マイ・ラヴ」で聴かせるしっとり感と、イギリスのトップ女性ヴォーカリストとしての実力を遺憾なく発揮している。それと、C5 Records の復刻CDには⑤「アイ・ヤイ・ヤイ・ヤイ・ヤイ」の別テイク⑬がボーナス・トラックとして入っており、そちらの方が遥かに出来が良いという坂田氏のご指摘に私も激しく同意したい。一般大衆向けによりアップテンポなアレンジに変えて再録音したのだろうか?まぁ何にせよ、このようなテイク違いを聴き比べて楽しめるというのもこのCDのオイシイところ。女性ヴォーカル・ファンはあるうちにゲットしましょう。

Petula Clark - don't sleep in the subway

The Concert In Central Park / Simon & Garfunkel

2009-02-16 | Oldies (50's & 60's)
 サイモン&ガーファンクルには苦い思い出がある。彼らは81年にセントラル・パークでの再結成コンサートで大成功を収め、翌82年にその勢いをかって来日した。当時大学生だった私は喜び勇んで大阪球場公演のチケットを買い求め、何とか外野席(内野席との境界付近の、ちょうどライト・ポールの下あたり)を確保した。いよいよ待ちに待ったコンサート当日、球場入りして自分の席に着き、ステージの方を見た私は愕然とした。私の位置からはセカンド・ベース後方付近にホームベース方向に向けて設置されたステージをちょうど右真横から見ることになり、見えるのは高く積み上げられたアンプやスピーカー群のみ... 何じゃいコレは!!!!! そんな私の気持ちを逆撫でするようにコンサートは始まった。ポールもアートも全然見えない(>_<) 見えるのはインフィールドのかぶりつき特等席で狂喜乱舞しながらノリまくるオーディエンスの姿のみ... 何やねん、この落差は!まるで大金払って大阪球場くんだりまでのこのこ出かけて行って巨大スピーカーでライヴ盤レコードを聴かされてるようなモンやんけ!瞬間湯沸かし器の異名を取る私もブチギレたが、私の周りにいた聴衆も当然怒っていた。こういった状況に置かれた時の大阪人の怒りは凄まじい。1曲目が終わる頃にはコンサートそっちのけで「見えへんぞぉ~!」「金返せ!」コールが沸き起こり、不穏な空気があたり一帯を支配、ネットによじ登る者やケンカを始める者など、暴動寸前モードに突入、とても音楽を聴くような雰囲気ではない。とりあえずフーリガンみたいな連中の巻き添えを食わないように安全な場所へ移動しながら、プロモーターの事務所に爆弾でも放り込んでやりたい気分だった。
 そんな忌まわしい出来事も25年以上の時が経った今となっては過去の思い出になってしまったが、この「セントラル・パーク・コンサート」を聴くと当時の興奮がそんな思い出と共に蘇ってくる。①「ミセス・ロビンソン」ではまだ手探り状態だったものが②「ホームワード・バウンド」、③「アメリカ」で調子を掴み、私の大好きな④「僕とフリオと校庭で」に突入。このギターのリズム・カッティングは快感の一言!疾走するようなスピード感もたまらない(≧▽≦) ⑤「スカボロー・フェア」や⑥「四月になれば彼女は」、エヴァリー・ブラザーズの⑦「起きろよスージー」を経て二人のソロ・ナンバー6連発へとなだれ込むのだが、この中ではダントツに⑨「アメリカの歌」が気に入っている。S&G時代の「アメリカ」とごっちゃになりそうな紛らわしいタイトルだが、個人的にはこっちの方が好きだ。「ライヴ・ライミン」でのポールの独唱も捨てがたいがやはり二人のハモリで聴くと感無量だ。⑩「追憶の夜」ではスティーヴ・ガッドの神業のようなドラミングに息を呑む。この人、ホンマに巧いねぇ。「アィガラ ナァ~イコーン(ニコンのことね)キャァメラ♪」のフレーズにシビレる⑬「僕のコダクローム」でもピッタリ息の合ったハーモニーを聴かせてくれてやっぱりこの二人は最強デュオやなぁと実感。リチャード・ティーのゴスペルっぽいピアノがぴったりハマッた⑭「明日に架ける橋」、アタマの部分でポールがミスるのも何のその、万感胸に迫る⑯「ボクサー」と大名曲が続き、いよいよクライマックスの⑱「フィーリン・グルーヴィー」~⑲「サウンド・オブ・サイレンス」でコンサートは幕。もちろんセントラル・パークには行けなかったし、大阪球場では暴動の一歩手前(笑)だったけれど、この世紀の一大イベントをリアルタイムで体験できただけで幸せだ。

Paul Simon & Art Garfunkel 3 - Kodachrome/Maybellene

Great Balls Of Fire! / Jerry Lee Lewis

2009-02-15 | Oldies (50's & 60's)
 ロックンロールの花形楽器といえばギターであり、それをベースとドラムがバックに廻って支えるというのがお約束の基本パターンだ。ピアノが主役を張るなんて考えられなかった... この男が現れるまでは。ジェリー・リー・ルイス、「ザ・キラー」の異名を取るロックンロール界の偉大なる奇人である。元来クラシックの楽器であるピアノには指先だけでパラパラ綺麗に弾くというイメージがあるが、ニュー・オーリンズ生まれのラグタイムから派生したブギウギ・ピアノはクラシックとは無縁のダンス音楽としてアメリカ南部を中心に根付いていった。ジェリー・リーはそんなブギウギ・ピアノの伝統の上に立ちながらも新時代の音楽であるロックンロールに合わせてよりワイルドにモディファイし、三連を主体にしながら叩きつけるようにピアノを弾く彼独自の奏法、いわゆる「パンピン・ピアノ・スタイル」を編み出した。その後、エルヴィスをRCAに引き抜かれたサン・レコードからデビュー、「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」や「火の玉ロック」で大ヒットを飛ばし一躍スターダムにのし上がった。彼のステージ・パフォーマンスは強烈で、金髪を振り乱しながら震えるような声でシャウトし、ガンガン叩きつけるようにピアノを弾きながら、ノッてくるとイスを後方に蹴飛ばして立ち上がり、挙句の果てにはピアノの上に登って弾いたりピアノに火を放ったりともうやりたい放題。ジミヘンがギターを燃やすより10年も前に、よりにもよってピアノを燃やす奴がおったとは... 世の中、上には上がいるものだ(笑) これはそんな彼の自伝映画「グレート・ボールズ・オブ・ファイア」のサントラ盤で、ジェリー・リー本人の再録ヴァージョンが8曲、「火の玉ロック」のオリジ・ヴァージョン、そして映画に使われた他のアーティストの曲が3曲収録されている。これまでの経験から言って、過去の名曲名演のセルフ・リメイクによる再録というのは期待ハズレに終わることが多かったが、このジェリー・リー・ルイスという男、全盛期から約30年も経っているというのに全く衰えを知らないワイルドでエネルギッシュな歌声を聴かせてくれるのだ。ありえへん...(>_<) それどころか録音技術の進歩によって音が遥かに良くなった分だけパワー・アップしたかのような感すらある。その自由奔放に弾きまくるダイナミックなパフォーマンスは圧巻だ。特に①「グレート・ボールズ・オブ・ファイア」、②「ハイスクール・コンフィデンシャル」、④「アイム・オン・ファイア」、⑥「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」、⑧「ブレスレス」、⑩「ワイルド・ワン」といったアップ・テンポの曲で聴かせるパワフルなパンピン・ピアノが生み出すノリの凄まじさ... 50'sロックンロール特有の炸裂せんばかりのヤケクソ感が圧倒的に素晴らしい。それ以外のトラックではヴァレリー・ウェリントンの⑦「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」がめちゃくちゃカッコイイ。ジェリー・リーの同曲⑥と連続して入っているが、ノリノリで疾走感溢れるジェリー・リー版に対し、腹の底からグツグツと沸き上がってくるソウルをグルーヴィーに歌い上げたウェリントン版という感じで両者甲乙付けがたい。それにしても同じ曲でも料理の仕方でこれほどまでに感じが違うとは...これだから音楽は面白い(^o^)丿 映画の方も音楽好きならきっと楽しめるような内容なので、特にオールディーズ・ファンの方は一見の価値アリだと思う。

Great balls of fire! jerry lee lewis

The Best Of Sam Cooke

2009-02-14 | Oldies (50's & 60's)
 “ローリング・ストーンズはサム・クックと会うことを熱望し、ビートルズはサム・クックと話がしたくてたまらなかった。ロッド・スチュワートはサム・クックになりたかった” ... これは5年前にリリースされたサム・クックのドキュメンタリーDVDのキャッチ・コピーである。ロッドのサム・クック崇拝は知っていたがストーンズやビートルズまでもがサム・クックのファンだとは知らなかった。しかしよくよく考えてみると彼らはみなイギリスで悶々としながらアメリカの黒人音楽であるロックンロールやリズム&ブルースを聴いて十代を過ごしたのだから当然といえば当然だ。そーいえば80年代に活躍したポール・ヤングやヒューイ・ルイスらもサム・クックの大ファンを公言していた。とにかく近代ソウル・ミュージックの始祖とも言われる伝説のシンガー、サム・クックを敬愛するミュージシャンは数多い。ソウルという狭いジャンルにとどまらず、ロック、ポップ、ゴスペル、ジャズと、時代やジャンルを超越したシンガー、それがサム・クックなのだ。
 私のサム・クック体験は遅かった。黄金の80年代が終わり、90年代に入ってアメリカン・チャートが急速にその魅力を失いつつあった頃、既に音楽なしには生きていけない身体になっていた私は当時のヒット曲を追うのを止め、50~60年代のオールディーズに深~く、深~くハマリ込んでいった。そんな折、何かのガイド本で絶賛されていたサム・クックに興味を持ち、買ってみたのがこのベスト盤。早速聴いてみて、そのソフトな歌声で切々と歌い上げるスタイルにすっかり魅了されてしまった。全曲素晴らしいのだが、特に1曲となるとやはり⑤「ワンダフル・ワールド」だろう。私はこの曲を聴くといつも映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」の中のワン・シーン... カーラジオから流れてくるこの曲をバックにハリソン・フォードがアーミッシュの女性レイチェルと踊る姿が目に浮かぶ。映画の中で使われたのはグレッグ・チャップマンによるカヴァー・ヴァージョンだったが、それにしても何という見事な演出だろう!ポップスがこれほど上手く映画に使われた例を私は他に知らない。今ふと思ったのだが彼の軽快なヴォーカルはデジタル・リマスターしてハイ・ファイ・オーディオ・システムで聴くよりもさりげなくラジオから流れてくる方がよく似合うのではないか。その絶妙なる軽さが自由な空気を運んできて、「音楽ってエエなぁ...」と実感させてくれるのだ。ロッドが「グレイト・アメリカン・ソングブック」シリーズでチャカ・カーンとデュエットしていた①「ユー・センド・ミー」はサム・クックの代表曲で、②「オンリー・シックスティーン」でも聴ける彼の人間的な温かさがにじみ出るようなヴォーカルは1度ハマッたら抜け出せない。ビロードのような甘い歌声が感動的な④「センチメンタル・リーズン」は彼独特の歌いまわしが心の琴線に触れまくって胸キュン状態だ。ガーシュウィンの大スタンダード⑥「サマータイム」もサム・クックのソウルフルな歌声にかかると彼のオリジナル・ソングのように響く。手拍子入りでノリノリ状態の⑨「ツイストで踊り明かそう」は楽しい雰囲気がダイレクトに伝わってきて何度も何度も繰り返し聴いてしまう(^o^)丿 聴けば聴くほど好きになる、まさに本物のエヴァーグリーン!サム・クックってホンマにエエわぁ... (≧▽≦)

What a wonderful world this would be (Harrison Ford)

From A Distance - The Event - / Cliff Richard

2009-02-08 | Oldies (50's & 60's)
 ビートルズ登場以前の50年代後半から60年代初めにかけて「ヤング・ワンズ」「サマー・ホリデイ」「リヴィング・ドール」といったヒット曲を連発してイギリスのミュージック・シーンを席巻していたポップ・スターがクリフ・リチャードである。やがてビートルズを始めとするバンド・ブームが来てその人気はやや下火になったものの、イギリス国内では根強い人気を誇り、79年には「恋はこれっきり」が全英№1になるなど「イギリスの国民的ポップ歌手」といってもいいほどのシンガーだ。彼のアルバムでは「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」や「ワン・ファイン・デイ」、「ホームワード・バウンド」etcが入った「ドント・ストップ・ミー・ナウ」(67年)が好きで、良質の懐メロ・オールディーズとしてよく聴いていた。
 90年の冬のこと、全英ヒット・チャートに彼の「セイヴィヤーズ・デイ」が登場、あっという間に№1になった。それはポール・マッカートニーの「マル・オヴ・キンタイア」を彷彿とさせるコテコテの純イギリス風バラッドで、聴けば聴くほど心に染み入る必殺のメロディーに溢れていた。寒風吹きすさぶ中、何かこう心にポッと暖かい灯がともり、しみじみと人生の幸せを感じさせるようなこの曲は、当時ヒットしていたベット・ミドラーの「フロム・ア・ディスタンス」やポイズンの「サムシング・トゥ・ビリーヴ・イン」etcと共に私的ヘヴィー・ローテーションとなり何度も何度も聴きまくった。もう「過去の人」と思っていたクリフに一本取られた格好だ。ちょうど時を同じくしてウェンブリー・スタジアムでのライヴ盤がリリースされたので即購入、まず曲目を見て驚いたのは収録時間の約1/5をロックンロール・メドレーが占めていたこと。まず①「メドレー1」では「ホール・ロッタ・シェイキン」、「バード・ドッグ」、「イッツ・マイ・パーティー」、「カモン・エヴリバディー」といったオールディーズ・ロックンロールの名曲たちが次々と現れる。彼のちょっと鼻にかかったソフトな歌声はミディアム・テンポの単調な曲ではやや甘すぎてハッキリ言って退屈なのだが、ノリの良いロックンロールやスキッフルを歌うと甘さが中和されてちょうど良い具合になる。そこにキャリア30年の円熟味も加わって言うことなしの楽しさ溢れるロックンロール・ショーが展開されるのだ。そのノリは②「ジング・ウェント・ザ・ストリング・オブ・マイ・ハート」から⑥「ガール・キャント・ヘルプ・イット」、⑦「シー・クルーズ」へと引き継がれ、前半の最大の聴き所⑧「メドレー2」がやってくる。「ブック・オブ・ラヴ」、「ブルー・ムーン」、「ドゥー・ユー・ウォナ・ダンス」、「シャンティリー・レース」、「アット・ザ・ホップ」、そして「ロックンロール・イズ・ヒア・トゥ・ステイ」と、オールディーズ・ファンには堪えられない展開だ。メドレーの最後を「I just wanna be your teddy bear ~♪」でシメるところなんかもうたまりません(≧▽≦) まさにプロ中のプロですな。そしてトドメの一撃がクリフ一世一代の名唱⑮「ヤング・ワンズ」... バックのシャドウズが例のイントロを弾き始めただけで胸をかきむしりたくなるような切なさに涙ちょちょぎれる。こういうのをエヴァーグリーンっていうのだろう。去勢された郷ひろみみたいな風貌とは似ても似つかぬエネルギッシュなステージを見せつけたこのライブの時でちょうど50才、ということは来年でクリフも70才か... 何か思いっ切り時の流れを感じてしまうなぁ(>_<)

Cliff Richard - Medley oldies
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Glad All Over Again / Dave Clark Five

2009-02-01 | Oldies (50's & 60's)
 今から十数年前に東京へジャズのレコード買い付けに出かけた時のこと、吉祥寺の「ディスク・オーツカ」でエサ箱を漁っていると突然ラウドで骨太なドラムの乱打が聞こえてきた。おぉ、これはもしや... と思ってレジの NOW PLAYING を見るとそこにはこの「グラッド・オール・オーバー・アゲイン」のCDが...(゜o゜) もういてもたってもいられずに「こ、これ下さいッ!」... CD1枚買うのに何をコーフンしてんねん、とレジの兄ちゃんに怪訝そうな顔をされたのを覚えている。当時の私はまだアマゾンもHMVオンラインも知らずに足を使って欲しい盤を探す原始的な猟盤スタイルで、しかもデイヴ・クラーク・ファイヴは版権の問題で復刻CDが出回っておらずFMでエアチェックした数曲のテープ音源で我慢していたので、これは本当に嬉しかった。帰りの新幹線の中で早く聴きたくてウズウズしながらCD解説を読み耽ったっけ。
 彼らはビートルズが巻き起こしたいわゆる「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の波に乗ってブレイクしたバンドで、当時のブリティッシュ・ビート・グループとしてはサックスやオルガンを含む編成が非常にユニークだった。彼らの魅力は一にも二にもそのごっついサウンドにあり、細かいテクニック云々よりもとにかく力強いビートとノリを重視し、パワーと勢いで押し切ってしまう潔い姿勢はロックンロールそのもので、巨大な音の塊りが押し寄せてくるその様はまるでラオウの天将奔烈、北斗剛掌波のような凄まじさ。ベースに加えてワイルドなキック・ドラムとサックスが一致団結してサウンドの低音部分に厚みを与え、しっかりと腰の座ったサウンドを構築しているのだからもうコワイモノなしだ。①「グラッド・オール・オーバー」のイントロの衝撃、②「ドゥー・ユー・ラヴ・ミー」のはちきれんばかりのエネルギー、③「ビッツ&ピーセズ」のスネア連打が生み出すプリミティヴなパワー、④「キャント・ユー・シー・ザット・シーズ・マイン」のスピード感溢れるグルーヴィーなノリ、⑤「ドント・レット・ミー・ダウン」(ビートルズのとは同名異曲)の疾走感と、怒涛の攻撃とはまさにこのことだ。そしてあのキッスも嬉々としてカヴァーしていた⑦「エニウェイ・ユー・ウォント・イット」... これこそまさに究極のDC5サウンドではないか。この音の厚み、逆巻くエコー... まるでフィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドをロックンロール・スタイルのコンボ演奏で何倍にもパワーアップして再現したかのようなサウンド・プロダクションだ。更に指パッチンが楽しい⑧「キャッチ・アス・イフ・ユー・キャン」、レノン=マッカートニー・レベルの名曲⑩「ビコーズ」、ポップな作風で彼ら唯一の全米№1になった⑫「オーバー・アンド・オーバー」と、名曲名演の波状攻撃はまだまだ続く。⑰「トライ・トゥー・ハード」は初期のヒット曲群のノリはそのままに、荒削りだった部分を洗練させたようなめちゃくちゃカッコイイ曲。こういうのを隠れ名曲というのだろう。彼らもホリーズやハーマンズ・ハーミッツと同様にシングル盤中心のバンドだったため60年代後半のニュー・ロックの時代に対応することが出来ず結局70年に解散してしまったが、ステイタス・クォーの「アニヴァーサリー・ワルツ」の元ネタと思われる⑲「グッド・オールド・ロックンロール」、初期のサディスティック・ミカ・バンドを思い起こさせる⑳「ヒア・カムズ・サマー」など、後進のバンドへの影響の大きさがよくわかる。これはラウドなロックンロールを武器に60年代を駆け抜けたデイヴ・クラーク・ファイヴの魅力がギッシリ詰まった躍動感溢れるアルバムだ。

Dave Clark Five - Anyway You Want It (Shindig) 1964

The Essential Collection / The Hollies

2009-01-09 | Oldies (50's & 60's)
 60's半ばに活躍したブリティッシュ・ビート・バンドの中でサウンド的に初期ビートルズ路線を継承していたのがマンチェスター出身のホリーズだった。ホリーズと聞いてまず頭に浮かぶのは⑭「バス・ストップ」だろう。この曲は元々ハーマンズ・ハーミッツの為に書かれたものだが彼らがシングル化を蹴ったためにホリーズに廻ってきてそれが大ヒットになったという曰く付きのレコード。歴史が作られる時というのは得てしてそーゆーモンである。胸に突き刺さるような必殺のメロディーを奏でるギターのイントロからドラムの連打と共に "Bus stop, wet day, she's there, I say, please share my umbrella... Bus stop, bus goes, she stays, love grows, under my umbrella" と、中学生でも分かりそうな易しい英語でリズミカルにたたみかける導入部。もうこれだけで名曲の殿堂入りは決まったようなものだ。ある青年がバスを待ってる女の子に傘を貸して恋が芽生えやがて結婚するという、ただそれだけのストーリーを切ないマイナー調のメロディーに乗せ、間奏部に哀愁舞い散るギター・ソロを挟み、彼らお得意のシャープなコーラスを絡ませながら実に魅力的な3分間ポップスに昇華させている。もう見事という他ない。ここまで書くと彼らは「バス・ストップ」だけのグループのように思われるかもしれないし、私もこのCDを聴くまではそう思っていた。しかしそれは完全な誤解で、他にも魅力的な曲が一杯入っている。私が⑭に次いで好きなのが③「ステイ」で、モーリス・ウイリアムズ&ザ・ゾディアックスの60年のヒット曲をカヴァーしたもの。私はジャクソン・ブラウンの「孤独のランナー」でメドレー処理されてたこの曲を初めて聴いた時何ていいメロディーなんだと感激していたのだが、ホリーズは思いっ切り高速化してノリノリの演奏を聴かせてくれる。ヴォーカルには「ハード・デイズ・ナイト」の頃のジョン・レノンが乗り移ったかのようで、明るく楽しいバック・コーラスのハモリ具合いもビートルズを彷彿とさせる気持ちよさ(^o^)丿 ⑤「ジャスト・ワン・ルック」と⑬「アイ・キャント・レット・ゴー」は共にリンダ・ロンシュタットがカヴァーしたヴァージョンを愛聴していたのだが、ホリーズのヴァージョンの方は荒削りだが躍動感に溢れている。⑦「タイム・フォー・ラヴ」はキャッチーなメロディーが耳に残る、まさに隠れた名曲の名にふさわしい曲。ラヴ・ミー・ドゥーなハーモニカもエエ感じだ。ビーチ・ボーイズが憑依したかのような⑰「キャリー・アン」はバーバラ・アンがカリフォルニア・ガールズと共に夢のハワイでファン・ファン・ファンしてるサーフィン・サファリなサウンドに唖然とさせられる。ホリーズとビーチ・ボーイズって何か接点あったっけ?まぁビートルズとは違ってその不器用さゆえに時代の変化にうまく適応できず失速していった感なきにしもあらずのホリーズだが、エヴェリー・ブラザーズ直系という意味においてもビートルズの弟バンド的存在の愛すべきグループなのだ。

Hollies - Bus Stop

悲しき少年兵 / ジョニー・ディアフィールド

2008-12-31 | Oldies (50's & 60's)
 ワン・ヒット・ワンダーズ... 特大のヒットをかっ飛ばしたにもかかわらず、不思議なことにそのヒット1曲だけを残してヒット・チャートから忽然と姿を消してしまったアーティストたち、いわゆる一発屋のことである。私はそんな一発屋が大好きで、一発屋との出会いこそポップス・ファンの醍醐味だと思っている。特に世の中がシングル盤中心に動いていた50's後半から60's前半のオールディーズ・ヒットにこのような一発屋が多い。ペンギンズ、エレガンツ、ダニーとジュニアーズ、リトル・エヴァ、エディ・ホッジズ、ジョニー・シンバル... 挙げていけばキリがない。けど、忘れちゃならないのはいくら一発屋とはいえ、少なくともその一発は衝撃度、完成度、ポップ度など、様々な面で間違いなくドデカイ1発だったということ。「あの人は今...」状態とはいえ、ある時代のある瞬間の空気を確実に音溝に刻み込んでいる素敵なレコードたちだ。そんな1枚が61年春に何故か日本だけで大ヒットしたというジョニー・ディアフィールドの「悲しき少年兵」である。当時のカヴァー・ポップスの邦題はどうゆうわけかハンで押したように「悲しき...」で始まるモノが多いが、この歌はホントに悲しい物語で、ジョニーの甘く切ない歌声が心に染みるロッカ・バラッドになっている。「17才になったばかりの少年が海軍から徴兵され、恋人に別れを告げ、船着き場へと向かう。見送りの群集の中から『さようなら、愛しい人』という微かな声が聞こえる。沖に出た彼の心をよぎるのは『彼女は自分を待っていてくれるかな?』という思い。手に持った彼女の写真をじっと見つめ、涙する。彼女の『さようなら、愛しい人』という囁きが耳から離れない。やがて彼は任務を終えて港に戻ってくる。大勢の出迎えの人々の中に探すのは愛しいあの娘の顔... しかし彼女の姿はない。彼はうなだれて故郷へと帰っていく。」という内容だが、わずか2分35秒の中に起承転結が見事に描かれたストーリー性のある歌詞が素晴らしい。マーチ風のドラムやビギン調のギターも雰囲気を盛り上げているし、何と言ってもサビの部分の哀愁舞い散る女性コーラス「ラッラッラァ~♪」「グッバァ~イ・マイダーリン・グッバァ~イ♪」がたまらない。この曲はぜひ歌詞の内容を頭の中でイメージしながら聴いてみて下さい。やっぱりオールディーズはエエなぁ... (≧▽≦)

JOHNNY DEERFIELD --LONELY SOLDIER BOY--CAPITOL 4399
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Diana Ross and the Supremes Greatest Hits

2008-12-13 | Oldies (50's & 60's)
 ここ数年で見た映画の中で一番良かったのが「ドリーム・ガールズ」だった。歌唱力よりもルックスが優先されるメディア、ビッグビジネスの裏で動く金、成功の陰で複雑に入り乱れる人間模様、といった音楽業界の裏話が随所に散りばめられた「アメリカ版スター誕生」の物語だが、そんな「ドリーム・ガールズ」のモデルになったのが、60年代にわずか5年余りで12曲の全米№1ヒット(これはビートルズの20曲に次ぐ記録!)を放ちモータウン・サウンドを確立したスプリームズなのだ。
 彼女らはデビュー当初、歌唱力抜群のフローレンス・バラードをリーダーとしてシングルを数枚出したが全くヒットせず、「ノー・ヒット・スプリームズ(ヒット曲のない最高の者たち)」とからかわれていた。そして64年、ホランド=ドジャー=ホランドという3人組ソングライター・チームがマーベレッツのために作ったが拒否されたという「愛はどこへ行ったの」が彼女らに回ってきて運命は劇的なまでに転換する。映画の中でビヨンセが演じていたダイアナ・ロスがリード・ヴォーカルを取ったこの曲が№1に輝いたのを皮切りに彼女らの怒涛の快進撃が始まったのだ。「ベイビー・ラヴ」、「カム・シー・アバウト・ミー」、「ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ」、「涙のお願い」と5曲連続№1だ。
Come See About Me

THE SUPREMES - "STOP IN THE NAME OF LOVE" 1965

BACK IN MY ARMS AGAIN

 彼女らが凄いのは、黒人差別がまだ相当酷かった60年代に白人の聴衆に受け入れられたことだろう。弾むようなベース・ライン、タンバリンで強調されたビート、強烈なパーカッションとピアノ、古典的ゴスペル・スタイルのコール&チャントを髣髴とさせる女性バック・コーラス... つまり高度に洗練されたR&Bであるモータウン・サウンドに乗って歌うダイアナ・ロスの軽やかでキュートな歌声の魅力の前に、人種の壁も崩壊してしまったというわけだ。
 その後も「ひとりぼっちのシンフォニー」、「恋はあせらず」、「ユー・キープ・ミー・ハンギング・オン」、「恋ははかなく」、「恋にご用心」と№1ヒットを連発、ビートルズを除けばまさに向かうところ敵なし状態だった。しかし「ドリーム・ガールズ」でジェニファー・ハドソンが演じたエフィのように、バック・コーラスに甘んじていた元リーダー・フローレンスの不満が爆発、結局彼女は脱退しグループは崩壊への道を突き進むことになる。
♪ You Can't Hurry Love 1966

 1967年に出されたこのベスト・アルバムは上記の№1以外にも「恋のキラキラ星」、「二人だけの世界」、「リフレクションズ」などの名曲のオンパレードで、60年代アメリカン・ポップスの象徴ともいえる1枚だ。
Diana Ross & The Supremes- When The Lovelight Starts Through His Eyes-

The Supremes - My World is Empty Without You