津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■加賀山興長と後藤又兵衛

2016-12-25 08:00:45 | 歴史

 後藤又兵衛の男・又一郎と、切支丹故に誅罰された細川家家臣・小笠原玄也とは共に加賀山興長の女を娶り相婿の関係にある。
小笠原玄也はガラシャ夫人に殉死した小笠原少斎の男である。切支丹棄教をかたくなに拒み、家族や奉公人ともども誅罰された。
後藤又一郎がどういう経緯で加賀山興長女りゆを娶ったのかが疑問であったが、過日購入した行橋市歴史資料館の「後藤又兵衛の出奔と細川忠興」展の図録に、「後藤又兵衛が加賀山興長妹を娶っていた」事を示す略系図が掲載されていた。
これは福田千鶴氏著「後藤又兵衛」から引用されているということで、一昨日Amazonに購入予約を入れた。

こんなことは諸兄にはすでにご存じの事かとは思うが一応略系図としてみた。
 

              小笠原少斎-----+---備前・長基(6,000石) 室・忠興姪吉田二位女・たね
                      |
                      +---宮内・長良(600石) 室藤孝女・千
                      |
                      +---与三郎・玄也
                          ‖---------源八郎他八人
           +---加賀山隼人興長---+-----みや
           |          |
           |           +-----りゆ
           +--------         ‖  
                 ‖         ‖
              後藤又兵衛-----------又一郎 

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1 コメント

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8年前、長崎で列福 (A.AKECHI)
2016-12-26 15:10:34
 以前こブログにも書かれましたので、皆様ご存知と思いますが、小笠原玄也と加賀山隼人は細川藩の重臣でした。
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/49641c395db2e6f46ff4e54e3cba64d1

 来年2月に大阪で列福される高山右近に先立つこと8年余の2008年11月24日、長崎で列福された日本での殉教者・188名の中に、加賀山隼人、加賀山みや、小笠原玄也、玄也とみやの子供たち9名が含まれています。
 小笠原玄也一家が1936年に熊本で殉教した折の一家の遺書が残っていて、現代のキリシタン(?)にも(特に子供たちのものが)広く感動を呼び続けています。
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