津々堂のたわごと日録

わたしの正論は果たして世の中で通用するのか?

■土佐人の肥後訪問とその対応

2020-10-25 10:50:36 | 歴史

 坂本龍馬の友人だという土佐人・樋口真吉という人物の 文久元年十月六日~慶応三年二月十六日に至る「倦遣録-愚菴筆記」という日記がある。
(国立国会図書館サーチでは「遣倦録-愚菴筆記」と紹介している。「遣」「倦 」が天地さかさまになっている)

この日記の「章3」は、三条公から熊本藩主への直書を携行しての熊本への旅が記されている。正使は谷守部、真吉は副使とある。谷守部とは後に熊本鎮台司令官となり、明治10年の西南役で熊本城を死守した谷干城のことである。このころから熊本との縁があった。
原文を読みたいと思うが情報にありつかない。ただ「薪情報・木の駅ひだか」というサイトに「釈文+解説文」が紹介してある。日記本文だけをたどりたいと思うが、それには少々難儀する構成となっている。
又、カテゴリーに独立していないので見つけ出すのに一苦労した。「章11」を検索しても出てこないから「章10」が最後だと思われる。

 出発当日、目明し文吉が殺されたという情報を得ているが、時代背景は誠に混とんとしている。
文章を読む限り二人の使者に対する熊本藩の対応は決して良いものではなかったようだが、熊本勤皇派の面々が接していることが判る。

 

 

   倦遣録/梗概(日記:樋口真吉/訳解説:南寿吉)

   倦遣録の章1

   倦遣録の章2  

   倦遣録の章3

   倦遣録の章4

   倦遣録の章5

   倦遣録の章6

   倦遣録の章7

   倦遣録の章8

   倦遣録の章9

   倦遣録の章10

   

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