津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■細川頼春書状

2024-05-23 11:48:45 | オークション

     【模写】頼春 康永元年 南北朝時代 書状 消息 マクリ 細川頼春 花押 

           

 細川家の祖は、足利流・細川義季だとされる。
義季ー俊氏ー公頼ー頼春ー頼有ー頼長ー持有ー教有=常有ー政有=元有ー晴員=細川藤孝と続く。
細川頼春は正安元年(1299)生・正平七年(1352)戦死、54歳(49歳トモ)であるが、この書状の康永元年(興国三年)(1342)では44歳である。
その翌年に四国平定を成し遂げている。四国管領・阿波守護などに任じられた。そんな時期の書状でありその内容が興味深い。

嫡男が細川頼之、足利3代将軍義満を補佐し、天授5年迄管領職を勤めた。弟・頼有が頼春の後を継いでいる。

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■川端康成・藤島泰輔そして今東光

2024-05-23 08:20:31 | 人物

 「酒」と作家たちというエッセイ集がある。「酒」とは、佐々木久子が編集長を務めた雑誌「酒」のことである。
私は今でも、昭和52年発刊の佐々木氏のエッセイ「酒縁歳時記」を大事に書棚に残している。
酒縁の人たちが、佐々木の死後文章を寄せあったエッセイ集が「酒」と作家たちである。
この中に、藤島泰輔氏の「川端康成氏の思い出」という一文がある。(藤島泰輔の内縁の妻とされるのが、世間を騒がせている旧ジャニーズ事務所の故・メリー喜多川氏である)
藤島氏は酒は飲まないが酒席好きという、川端康成の付き添い役を務めていたそうだが、川端先生もミニスカートの女性を侍らせてご満悦だったというからなかなか面白い。
そんな川端のことを、盟友・今東光が気づかい「みみずくは夜寝ているか」と藤島に尋ねたと書いている。
川端が「みみずく」に似ているからと、今がそういっているのだが、まさか本人の前では言わないのだろう。

 私はそんな毒舌家で洒脱な今東光という人が好きで、いろいろ著書に親しんだ。
つい最近も「お吟さま」を読了したところだが、お吟さまが生きた時代の会話というものはこのようなものであったのかと、今先生の力量のすばらしさに感嘆させられるのである。
作家であるとともに、政治の世界にも足を踏み入れられたこともあった。(川端先生も御同様・・)
天台宗の座主に就任され、天台宗大僧正となって法名 春聽を名乗られた。瀬戸内寂聴は法妹であり、寂聴の名は今東光大僧正の法名からきている。
随分以前東光先生は奈良本辰也氏と「南北朝」について対談しているが、その模様がある方のブログ「南北朝についての日記?」で公開されていることを承知していた。
久しぶりにググってみたら健在であった。ここに引用させていただき、御紹介申し上げる。
非常に得るところがある対談である。

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