津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「旦夕覺書」--風・25

2014-11-17 18:09:02 | 史料

                        一、歩の使番勤申時分芝御屋敷に被成御座候小屋近く湯屋有之候故毎度入申候 晝より晩方は大形御手廻
                          御駕の者共入申候 右の仕合故毎度々々出合御駕の者の内に與右衛門と申候て就中慮外に見へ申候へ
                          とも歩の御使番望出申候 本より知行取中小姓は晝より内に入り申筈にて候 晩方に成右の通に候 然る處
                          に御駕奉行に無程成申候彼與右衛門も心に慮外仕たる事身に覺候哉事の外別の者共より拙者へいん
                          きんに仕候 拙者も若く有之三十か一かの時被仰付候 其時分拙者存候心はいや々々拙者唯今に舊悪を
                          思ふは扨々道に背たる事にて候 歩の使番の時なれは何れも輕く存慮外したる事さのみ咎にてなく候
                          其時堪忍して唯今拙者心まゝなる時に憎む心はさもしき心と神以たしなみ居申候 其後に頭と大勢く
                          し仕熊本御奉行所に不残村井拙者両人召れ可罷出との事にて不残召れ即座に御ゆるし其内四人は直
                          に牢舎被仰付後には四人は追放被仰付候 與右衛門にて候 拙者は神そ々々如斯に存候て心をみかき候
                          又其時分も侍預りたる衆にも依怙贔負(屓)多数組の内に御側に縁有之は或は小姓組なれは新組に成り候
                          様に取成し拙者度々御供にて合出能く存候 後にて江戸被召仕外様に御出し被成候者色々有之候 御結
                          構成る殿様にて左様成は人により手前より病氣なとゝ御断申様に被仰付候 歩の御使番にても金津権
                          八と申は唯今十次郎か伯父にて候 右の通譯有る者にて御断申五人扶持被下候 元田古八右衛門右の通
                          の咄拙者に被申聞候 古八右衛門は古十次郎と譯有之咄に候つる頭に被仰付候てたとへ足輕にても不
                          及是非心底天道明らか成事 太守様思召事心底恥ケ敷事に候 各は能々了簡可有候 右の通拙者輕き勤
                          仕心遣書置申候 拙者よりは各若き時より結構成勤にて候 心に末々の者にも能と存候は随分々々取立
                          銘々氣に入候とて少にても是は御為と私慾と工夫可有候 天の見る所はケ様の所にて可有之候恐れ可
                          被申候 

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■K家文書から・4 「志水九左衛門」のこと

2014-11-17 07:04:13 | 先祖附

 松井右近太夫と連名で記されている志水九左衛門、右近太夫とは相役であろうがどのような役職であるのかは知る術がない。
この九左衛門は幽齋の歌道の弟子でもあった志水清久の嫡男である。有名な日下部与助(元五)は次弟である。
志水家は大いに枝葉を拡げ細川家には七家が藩士として明治に至っている。この様な一族の繁栄ぶりは稀有な存在である。

父・清久(伯耆・宗加)は細川興元とのいざこざで兄忠興の不興をかい京都に閉居した。
弟・元五(日下部与助)は加藤清正に仕えた。九左衛門も同様の行動であったと思われる。
後ゆるされて三人共帰参した。慶長五年であろうと思われるが八年とする資料も見受けられる。 

           志水伯耆京都閉居のわけ

                                        +---九郎左衛門・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→京都・九郎左衛門家
     宗加                                                                |
 ---+--志水清久---+--九左衛門---次郎兵衛(九兵衛)---+==久馬・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→凍家(1,200石)
   |          |
   |          |日下部与助          新之丞克重
   |          +--元五---+==恵重---+---吉之允・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→新九郎家(1,000石)

   |          |       |      |        ∥
   |          |       |      |  圓光院(筑紫重門・細川幸隆女兼夫婦の女)
   |          |       |      |
   |          |       |      +---権之助・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→隼太家(300石)
   |          |       |      |
   |          |       |      +---四郎兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→源九郎家(250石)

   |          |       |
   |          |       +--久馬(九兵衛為養子)
   |          |       |
   |          |       +--菊 (庄林隼人・一心室)
   |          |
   |          |  雅楽      牛之介       
   |          +--恵之---+--元茂--+--新九郎(不満・若年絶家)
   |          |       |      |
   |          |       |      +--●蝶(兄・新九郎跡目相続300石)
   |          |       |          ∥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→長瀬三七郎家
   |          |       |        長瀬助之允

   |          |       |
   |          |       +--恵重(元五為養子)
   |          |     
   |          +--要善院日富 志水家菩提寺・真浄寺創建
   |          |
   |          +--加兵衛・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→ 一太家(300石)
   |                                                                     → 三弥家(250石)
   |     
   |                  
   +--悪兵衛清秀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→八代松井家家臣・志水家
                  

 

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■熊本県立図書館蔵資料「雑撰録」--10(巻71~85)

2014-11-17 07:02:51 | 史料

     「雑撰録 巻71」

1 軍事合策 横田勘左衛門房郷覚書

2 軍事合策 横田吉左衛門氏連覚書 
3 軍事合策 興津才右衛門覚書
4 軍事合策 立允様御人数立記録
5 軍事合策 堀平太左衛門御軍役調
6 軍事合策 明和六年寛政五年御軍役御達書附
7 軍事合策 御家中武具等之儀二付被相渡候書付
8 軍事合策 文化四年七月十三日御軍役之儀二付御達二相成候書付

     「雑撰録 巻72」・・欠

     「雑撰録 巻73」

1 薦野家譜 上

     「雑撰録 巻74」

1 薦野家譜 下

     「雑撰録 巻75」

1 藤公偉業記
2 閑暇雑書 (一名浅川伝右衛門覚書)

     「雑撰録 巻76」

1 長曽我部元親記
2 伊達政宗日記

     「雑撰録 巻77」

1 明恵上人伝
2 文覚上人消息
3 頼朝公佐々木へ被下御書
4 北条泰時消息
5 水戸光國公示賜群臣條々
6 宇佐美恵助上書
7 栗山大膳記
8 貝原篤信諌書

     「雑撰録 巻78」

1 承久記
2 桜井之書

     「雑撰録 巻79」・・欠

     「雑撰録 巻80」

1 寝覚草

     「雑撰録 巻81」・・欠

     「雑撰録 巻82」

1 嶋津家朝鮮征伐聞書 上

     「雑撰録 巻83」

1 嶋津家朝鮮征伐聞書 下

     「雑撰録 巻84」・・欠

     「雑撰録 巻85」

1 蒲生氏郷記 巻之上
2 蒲生氏郷記 巻之中
3 蒲生氏郷記 巻之下


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