津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

星の王子様と熊本

2006-02-05 12:44:58 | 熊本
「星の王子様」の翻訳者であり、「シューベルトの子守唄」の訳詞者として知られる内藤濯(あろう)の父親が、横井小楠の弟子であったことを30年程前(?)の新聞で知った記憶がある。二三年前「ブックオフ」で、小島直記の「一燈を提げた男たち」という文庫本を見つけ購入した。小島直記は純文学を志向した人だが、石原慎太郎と同時期芥川賞の候補に上り、石原が受賞すると憤慨して(?)、純文学の道を断った。反骨の人である。
内藤濯の父親泰吉について、「一燈を提げた男たち」の「六十年」という一文に紹介されている。内容は泰吉の師小楠についてである。泰吉は、小楠の許を訪ねた坂本竜馬と小楠の会話を聞き伝えている。後オランダ医学の勉強をし医者となり、熊本の西洋医学の魁となった。
 反骨の人小島の論調はなかなか激しい。藩主家の浪費に食いつき、時習館の教育方針を叩き儒者を幇間とまで酷評する。実学派擁護論者らしい。私の家等は典型的な学校党だから、なんとも気が晴れない論調だ。曽祖父などは「士は二君に見えず」を通し、生涯を村夫子として生きた。護美公の御側にあった時期もあり、中央への斡旋も有ったらしいがこれも辞退した。肥後もっこすの典型である。そんな曽祖父の血は確実に受け継がれている。古里に身をおき、より良き故郷になることを願っている。
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恕斎日録抄

2006-02-05 09:46:45 | 熊本
 地元熊本日日新聞の夕刊に週一回掲載される、熊本大学教授吉村豊雄氏の「恕斎日録抄」が150回を迎えた。肥後藩士中村恕斎は、弘化二年から明治三年まで、延べ35年に渡る克明な日記を残した。関係者のご努力で「中村恕斎日録・第一巻」が発刊され、我々を楽しませ、且驚きの世界に誘ってくれた。当時の政治・経済・教育、又風俗や庶民の生活等々その内容は詳細を極めていた。熊本の幕末史の再考が必要とも考えられる。吉村教授の「日録抄」の解説を伺い、この「日録」の重要性を改めて感じざるを得ない。ご子孫の中村勝氏は肥後金春流の十三代目、吉村教授と共に「中村恕斎日録」の発刊に尽力された。不思議なご縁でご厚誼をいただいているが、多方面に渡り大変精力的に走り回っておられる。昨日は吉村教授の「恕斎日録抄」の書籍化について電話でお願いをした。単なる新聞の連載で終わるのが残念に思われたからだ。なかなか難しい話なのだが・・・「何か出来ないか・・」思いはつのる。

 中村恕斎の先祖を遡ると中村一氏に至る。田辺城に篭城した中村甚左衛門は一氏の子。歌舞伎の名優中村勘三郎氏も一氏の血を引いている。「功名が辻」にその一氏がいよいよ登場、久し振りに真剣に見る大河ドラマ、さてどのような展開になるのか楽しみである。
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