津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

熊本弁

2006-02-22 21:19:04 | 熊本
 細川護貞氏は司馬遼太郎氏との会談の中で、「細川家は肥後弁を使っていた」と語っておられる。時折「古語辞典」に出てくるような言葉が存在することに気付く。熊本弁はどのようにして形成されたのか・・・言葉も「音」と同じように、音源(京都)から波のように地方へ伝わったとされる。音源に近い所では新たな音が度々伝えられ、言葉も新陳代謝されるが、遠い所では波が伝わらなかったりして、古い音(言葉)が残されたと考えられている。戦国期、熊本にはいろいろな地方から人が集まった。加藤時代には名古屋弁だったろうし、細川の時代には丹後、丹波、若狭その他地元の言葉も混じり、いろんな言葉が飛び交ったのだろう。熊本と八代では、随分言葉やイントネーションが違うけれど、松井家の侍衆の関係もあるのだろうか。バッテン荒川に代表される熊本弁は、「新町言葉」などと言われるが、熊本中があんなではない。祖母たちが話していた熊本弁を、今一度きいてみたい。
コメント (3)
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