


沖縄タイムスと琉球新報は1日付で、天皇裕仁が広島原爆投下2日後の45年8月8日に東郷茂徳外相(当時)に語ったという東郷メモの存在を報じました。共同通信の配信です。
その天皇裕仁の発言とは、「原子爆弾があれば水際での戦争も不可能となり、300年もたてば再起可能になるような条件でも仕方がない」というものです。
沖縄タイムス(1面)の見出しは<昭和天皇「再起に300年」 厳しい終戦講和条件覚悟>。琉球新報(2面)の見出しは<昭和天皇、決戦「不可能」「再起に300年」厳しい講和判断>。ほぼ同じなのは、共同通信が付けた見出しに倣ったのでしょう。
これではまるで裕仁が「厳しい講和条件」を覚悟して終戦を決意しかのようで、裕仁の「終戦聖断」を美化する印象を与えかねません。
琉球新報が載せた加藤陽子東大教授のコメント(沖縄タイムスにはありません)の見出しも、<終戦への覚悟伝わる>となっています。
これは上記(8月8日)発言の意味、本質を歪曲するとともに、「国体」=天皇制維持に固執して降伏(敗戦)を先延ばしにした裕仁の責任を隠蔽する報道といえます。
今月4日に徳仁天皇が沖縄を訪れるタイミングで配信(報道)されたと考えられ、その意味でも見過ごすことはできません。
裕仁の発言がアメリカによる原爆投下におののき「終戦」の意向を強く示したことは事実でしよう。しかし、原爆投下について触れる(発言する)なら、何よりもまず、犠牲者への哀悼・謝罪の意思が示されてしかるべきです。しかしそんな言葉は一つもありません。
裕仁は1975年の訪米後の記者会見(75年10月31日)で、自らの戦争責任について問われ、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」と答えました。
その会見では広島への原爆投下についても聞かれました。裕仁はこう答えました。
「この原子爆弾が投下されたことに対しては遺憾には思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」(75年11月1日付朝日新聞)
これが原爆投下、その犠牲に対する裕仁の一貫した認識です。
裕仁が天皇制維持にこだわって終戦(降伏)を引き延ばしたことは、近衛文麿の上奏(45年2月14日)や、梅津美治郎総参謀長の上奏(45年4月2日)を拒否して戦争継続を命じたことなど、数々の歴史的事実で明らかです。
「終始一貫陸海軍の最高司令官として、すべての戦況を完全に知悉していた天皇は、また強力な戦争遂行意思をもって作戦を指導していた。…すでに1944年後半ごろから、岡田啓介や近衛文麿などの重臣が、戦局の前途に見切りをつけて和平の途を考えはじめたとされる。それに比べると…天皇は、戦争遂行になお熱意をもっていた。そして天皇の地位の保全のためにも、連合国の要求する無条件降伏を拒否し、軍の反撃に期待をかけていたのである」(遠山彰『沖縄戦と天皇制』立風書房1987年)
こうした史実の隠ぺい、改ざんは絶対に許されません。
沖縄タイムス、琉球新報は、共同通信の配信を鵜呑みにするのではなく、自らの見識で報道するべきです。その点での弱点は天皇(制)に関する報道でとくに顕著です。(明日に続く)