


沖縄の平和祈念の象徴と言われることが多い「平和の礎」(糸満市摩文仁)。26日には今年新たに追加された342人の名を刻んだ刻銘板が設置されました(写真左=沖縄タイムスから)。これで刻銘者総数は24万2567人となりました。「6・23」(「沖縄慰霊の日」)などには県内外から多くの人が訪れます。
ところが、この「平和の礎」に重大な問題があることを、林博史・関東学院大名誉教授の近著『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書25年4月)で知りました。問題は2つあります。
第1に、24万2567人の刻銘者の中に、朝鮮半島から強制連行された日本軍「慰安婦」(戦時性奴隷)が1人もいないことです。
「おそらく少なくとも数百人の朝鮮女性が慰安婦として沖縄に連れてこられ亡くなったと見られるが、「平和の礎」にはひとりも刻銘されていない」(林博史氏、前掲書267㌻)
「平和の礎」は1995年に建立。「敵・味方や軍人・民間人、加害者・被害者、人種、国籍を区別することなく、すべての戦没者を追悼する画期的な記念碑」(『沖縄戦を知る事典』吉川弘文館2019年)とされています。朝鮮半島出身者は、韓国381人、朝鮮民主主義人民共和国82人、計463人が刻銘されています(2024年6月23日現在)。
にもかかわらず「慰安婦」が1人も刻銘されていないのはなぜなのか。
「朝鮮半島出身者の場合、ほとんどが創氏改名によって強制された日本人名しか確認できないため、遺族の了解が得られたもののみ実名に戻して刻銘している」(同『事典』)といいますから、「慰安婦」遺族の了解が得られなかったのかもしれません。
もしそうだとすれば、それは亡くなってもなお残る「慰安婦」の悲惨な歴史、その制度をつくった帝国日本の重い責任を改めて示すものです。
実際に遺族に了解を求めたのか? 日本人名しか確認できなかったとしても、何の刻銘もないより日本人名でも刻銘した方がいいのではないか? など再調査・再検討する必要があります。
第2の問題は、沖縄県が刻銘者の情報を公開していないことです。
「平和の礎の刻銘者について、かつて沖縄県が公開していたデータを基に集計したところ、戦没場所がわからない人が約8割、戦没時期が不明の人が過半数を占めていた(平和の礎が建立されてからしばらくの間は、朝鮮人も含めて刻銘者の生年月日、戦没日、戦没場所などの情報が公開されていたが現在は公開されていない)。また平和の礎に刻銘するにあたって遺族の了解を得ているはずなので、当然、もっとくわしい情報があるはずである。日本軍によって動員された朝鮮人の実態をあきらかにするために、沖縄県はこうした情報を隠すのではなく公開すべきである。これでは朝鮮人強制連行強制労働の実態を隠そうとしている日本政府と違いがないと批判されても仕方がないのではないか」(林博史氏前掲書263㌻、太字は私)
沖縄県はいつから、なぜ刻銘者の情報公開をやめたのか。その経過を明らかにする必要があります。
沖縄戦をめぐる歴史改ざん(歴史否定)の動きが強まっているいま、沖縄戦の実態を明確にするためにも、朝鮮人戦没者を含め、「平和の礎」刻銘者に関する情報を公開することは急務です。