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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

植松被告とトランプ大統領

2020年03月19日 | 事件と政治・社会・メディア

    
 相模原事件(2016年7月26日)の植松聡被告(30)に、「死刑判決」が言い渡されました(16日横浜地裁・青沼潔裁判長)。犯行の動機、事件の背景については未解明な点が多く、軽々に論評することはできませんが、限られた情報でも意見を述べることは必要だと考え、以下、限定的な感想を述べます。

 「日本社会の基底に、相模原の事件は太いくいを打ち込むような出来事でした。なぜなら、この時代と社会に静かに組み込まれ、巧妙に隠されてきた優生思想が表出したからです」。作家の辺見庸氏はこう指摘し、その意味で「(植松被告は)『社会的産物』であり、事件は『一人格の問題』ではない」(13日付沖縄タイムス=共同配信)とみます。

 雨宮処凛氏(作家・社会運動家)は、「自己責任」論がまん延する中、「多くの人が『自分の苦しみの原因』がどこにあるのかわからないまま、『敵』を欲しがり、叩きたがる」、そんな日本社会でこの事件は起きたとし、「私自身の『内なる植松』との対話」の必要性を主張します(編著『この国の不寛容の果てに』2019年大月書店)。

 注目されるのは、植松被告が強い影響を受けた人物が、アメリカのトランプ大統領だったことです。

 獄中の被告と何度も面会したジャーナリストの神戸金史氏は、雨宮氏との対談でこう述べています。
 「影響を受けたのはトランプ大統領だと言っていましたね。彼はすごい、と。…タブーとかポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)を恐れず、みんなが内心思っている本音を言うことで社会を変えようとしている、と。自分もそれをやったのだと言っていました」(前掲書)

 植松被告はトランプ氏への「憧れ」を口にするようになり、「金髪にし、黒いスーツや赤いネクタイを身に着けた」(17日付沖縄タイムス=共同)といいます。そして公判でも、「国境に壁をつくるとのトランプ氏の発言に影響を受けたと説明し、こう発言した。『もう言っていいんだと思った。真実を。意思疎通できない方を安楽死させるべきだと』」(同)

 植松被告が「この時代と社会に巧妙に隠されてきた優生思想を表出」させた、言い換えれば露骨な差別思想を公言し行動に移した、その有力な引き金になったのがトランプ大統領の言動だったことは間違いないでしょう。
 「重度障害者を殺害すれば不幸が減る。障害者に使われていた金がほかに使えるようになって世界平和につながる」という被告の主張は、荒唐無稽に聞こえますが、実はトランプ氏の経済第一主義、差別主義と通底するものです。植松被告が「社会的産物」なら、その「社会」をつくっている代表的人物がトランプ氏だと言えるでしょう。

 そして、植松被告は言及していませんが、日本でそうした「社会」をつくっている人物の筆頭が、トランプ氏との親密ぶりを誇示する安倍晋三首相であることは明らかです。朝鮮・韓国や中国への偏見・差別をむきだしにし、福祉を切り捨てて貧富の格差を拡大する安倍氏の思想、新自由主義政策が、この「社会」をつくってきました。

 だからこそ、植松被告にはもっと語ってもらわねばなりません。犯行動機、事件の背景を植松被告とともに徹底的に解明しなければなりません。

 しかし、植松被告は死刑になろうとしています。国家によって抹殺され、事件の背景はうやむやにされようとしています。一方、トランプ氏や安倍氏は引き続き国家の最高権力者として、この「社会」に君臨し続けます。市民が人を殺傷すれば犯罪として処罰されるが、国家が犯す大量殺人(戦争など)は放任され、ときに賞賛さえされる。そんな不条理な構図がここにもあるのではないでしょうか。

 「死刑」は国家による殺人であると同時に、国家の暗部を隠蔽するものです。それは私たちが「内なる植松」を凝視し、「社会」を変えていくことを阻みます。だからこそ「死刑制度」は廃止しなければなりません。


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「相模原事件」の抜け落ちた視点

2020年01月09日 | 事件と政治・社会・メディア

  

 8日に初公判が行われた相模原殺傷事件。被告の特異な言動に目が向けられがちですが、重要なポイントが抜け落ちているように思われます。それは、被告が施設の職員であったことです。

  障害者施設の現場は直接知りませんが、介護施設の現場は、母のグループホームで身近に接しています。短時間、その一端に触れるだけですが、それでも介護の現場がいかに過酷な場所であるかは分かります。

 施設職員にとって入所者は血のつながっていない他人です。その下の世話・処理(たいへんな状況が多い)、夜中のケア、さらに入所者の“わがまま”、ときに“暴言”。実の親子でも我慢できず、思わずきつい言葉を返したり、手を出したりしかねません。それでも限界にきて施設に預ける。それを引き取って24時間ケアしてくれるのが施設の職員です。ほんとうに頭が下がります。まさに聖職といえるのではないでしょうか。

 そんな尊い仕事をしている施設職員に対し、日本社会は、私たちは、正当な敬意を払っているでしょうか。職員は妥当な待遇を受けているでしょうか。逆に社会の片隅に追いやられているのではないでしょうか。なによりも、他の職種にくらべきわめて劣悪な賃金のもとに置かれていることが、施設職員がこの社会でどう見られているかを示しています。

 介護施設職員が置かれている低待遇(必要な敬意が払われていないことを含め)は、要介護者・高齢者がこの社会でどう見られているかの反映にほかなりません。
 介護施設と障害者施設は同一ではないとしても、この点では共通しているのではないでしょうか。こうした劣悪な実態が、「生きていても役に立たない」という差別意識を増幅させたとしても不思議ではありません。

 もちろん、それが事件の原因だと言っているのではありません。被告の言動・犯罪行為は決して許されるものではありません。劣悪な環境の中でも、多くの(ほとんどの)職員は献身的に働いています。しかし、そのストレスはたいへんなものでしょう。そのストレスは弱い部分から噴出します。時に報じられる「施設における虐待」はその氷山の一角でしょう。

 「人を差別してはいけない」。それを否定する人はまずいないでしょう。しかし、差別は意識だけで生まれるものではありません。障害者、あるいは要介護・高齢者、その家族、施設職員が置かれている劣悪な生活・労働実態は、それ自体が差別であり、差別意識を再生産するものです。そこにメスを入れなければなりません。

 具体的には、自民党政府の低福祉政策を転換し、福祉施設に働く職員の給与を全従業員の平均水準かそれ以上に直ちに引き上げることです。5兆円を超えている軍事費を削減して福祉施設の増設、職員の待遇改善に振り向けるべきです。

 個人・社会の差別意識の克服は、それを生みだしている政治・政策の転換でこそ、その相乗作用でこそ可能なのではないでしょうか。


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ハンセン病家族訴訟は「勝訴」したけれど…

2019年06月29日 | 事件と政治・社会・メディア

     

 28日熊本地裁で下されたハンセン病家族訴訟の原告勝訴判決は、最近の司法のいっそうの反動化(国家権力迎合)の中で、画期的といえるものです。安倍政権は判決に服し、控訴すべきではありません。

  同時に、家族の「人生被害」に対する国の賠償責任を認めた今回の判決を、私たちはただ「良かった」ですませることはできません。なぜなら、裁判で被告になったのは「国」でしたが、家族に「人生被害」を与えた、いや今も与え続けているのは「国」(政府)だけではないからです。「日本の社会」、それを構成している私たち「日本人」もまたその責任が問われているからです。

 裁判で「勝訴」の判決が下りただけではハンセン病患者・元患者・家族に対する差別はなくなりません。それを示す苦い歴史的事実があります。

 18年前、元患者らが初めて国の責任を追及した「らい予防法違憲国家賠償訴訟」は、今回と同じ熊本地裁で「原告全面勝訴」の画期的な判決を勝ち取りました(2001年5月11日)。小泉政権(当時)は控訴を断念し、判決は確定しました。これでハンセン病に対する誤解は解け差別はなくなると期待されました。

 ところがそれから2年後の2003年、熊本県主催の催しのため同県が県内の国立療養所菊池恵楓園の元患者と付き添い22人の宿泊を黒川温泉ホテルに予約(9月)したところ、宿泊が元患者らであることを知ったホテル側が直前になって宿泊を拒否(11月)する事件が起こったのです(いわゆる「ハンセン病元患者宿泊拒否事件」事件)。

 問題はホテル側だけではありませんでした。ホテル側の記者会見が報道されたところ、その責任を問うのではなく逆に元患者や県を批判する「世論」が沸き起こったのです。

 この事件に大きな衝撃を受けた同訴訟弁護団の徳田靖之弁護士(写真右)は、のちに事件を振り返ってこう述べています。

 「自分はハンセン病について知ろうとしてきたのか、知った時どうしようとしたのか、ハンセン病問題にどうかかわろうとしてきたのか、自分は差別の加害者ではなかったのかと、自分に問いかけてほしい」(2019年5月12日放送Eテレ「こころの時代」)

 徳田弁護士は今回の家族訴訟でも弁護団の共同代表を務めています。判決を前に、徳田さんは今回の裁判について、「国に責任を認めさせることが訴訟の第1の意義だ」とし、続けてこう述べていました。

「第2の意義は、家族を差別し、地域から追い出した社会の責任を明らかにすること。私たち一人一人が加害者だということを明らかにしなければ差別はなくならない」(6月27日付沖縄タイムス)

 今回の裁判・判決を私たちは「第三者」としてとらえることは許されません。自分自身の問題として自らに問わねばなりません。

 「自分はハンセン病について、その差別の歴史と現実について、どれだけ知っているのか、知ろうとしてきたのか。自分は差別してこなかったか、差別を黙認してこなかったか。自分は加害者ではないのか」

 


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「オウム7人同時執行」であらためて「死刑制度」を問い直す

2018年07月23日 | 事件と政治・社会・メディア

  

 西日本豪雨災害と重なったことで、それでなくても忘れっぽい日本社会からすでに忘れ去られたようなオウム幹部の「7人同時死刑執行」。あらためて「死刑制度」を問い直す必要があります。

 今回のことで死刑制度とそれを許している「日本人」を痛烈に批判したのは作家の辺見庸氏でした。

  「この国は尋常なのだろうか。人間の『生体』を、法の名のもとに、強いて『死体』化させるのが、なにゆえゆるされるのだろうか。7人の生体を一気に死体化した日の夜に、家族でディナーを楽しみ、美しい詩を語り、お笑い番組でゲラゲラ笑うことに、ひととして気が差さないものか。死刑制度を廃止した国ないし死刑の執行を凍結した諸国が100カ国をこえるのに、なぜ日本は死刑を手放さないのか。…
 日本はみょうに晴れやかに危うい一線をこえたのだ。わたしたちの内面はいま、ますます収縮の度をくわえてはいないだろうか」(7月19日付琉球新報)

  死刑の残虐性、それに無頓着な「日本人」の思想性への根源的な批判です。

  世界で死刑制度を廃止したか執行をやめた国は140カ国といわれます(2016年現在。「アムネスティ・ニュースレター」2016年5・6月号)。欧州は全ての国がそうです。

  例えばフランスでは1980年代、「廃止反対」の世論が多数の中、ミッテラン大統領が強力なリーダーシップで廃止しました。「人権が大事にされる国で暮らす。無実の人が自分たち(「国家」―引用者)の名の下に殺されることがない。それがどんなに素晴らしいことか、市民はきっとわかってくれると信じて。実際、その通りになりました。死刑廃止後、世論は180度ひっくりかえりました」(同上「アムネスティ・ニュースレター」)

  死刑制度の存廃はまさに「人権が大事にされる国」かどうかの試金石と言えるでしょう。

  そう確信する一方、注目されたのは里見繁・関西大教授(元テレビディレクター)の論考です。

  「7人のうち6人は、再審請求中での死刑執行だった…平成が終わる前に決着をつける、という国家の強固な決意をひしひしと感じる」と指摘する里見氏は、これまで元死刑囚らに直接会ってきた経験からも、「死刑という制度に恐怖を感じた」としながら、「それでも私は、制度廃止の立場に立っていない」と言います。なぜか。

  「今回、死刑執行を受け、『一区切り付いた』とか『ほっとした』と語った遺族や被害者がいる。その気持ちを想像するにつけ、死刑という制度には、被害を受けた側の心情を落ち着かせる、一定の力があることを認めざるを得ない。それが制度を維持する唯一の意味だと、私は考える。
 そのことは、こんな究極の問いにも通じる。もし自分の家族が殺されても、報復の感情を乗り越えて『犯人の処刑は望まない』と言い切れるだろうか?」(7月13日付中国新聞)

  おそらくこれは、「頭」では死刑制度を否定しながら「心」がその立場に立ち切れない人の代表的な意見ではないでしょうか。これに反論することはたやすくありません。なぜなら、里見氏の「究極の問い」にきっぱり「望まない」と言い切れるかどうか、自分でもわからないからです。

  しかし、そう言い切った被害者の遺族はいます。

 1997年3月、最愛の長女・彩花(あやか)さん(当時10歳)を「神戸少年事件」で亡くした山下京子さんは、事件の約8カ月後にこう記しています。 

 「加害者を憎むのは当たり前の気持ちです。でも、人を憎むだけではこちらが前へ進めなくなり、疲れ果ててしまうはずです。さりとて、『運命だからあきらめよう』というあきらめの思想でも、私たちは悲しみの現場に置き去りにされてしまいます。生きる勇気を奪われてしまいます。
 憎しみとあきらめを乗り越えて、私たちは前に進むしかないのです。新しい生き方を切り開いて、すべてを『価値』に変えていくしかないのです。…
 人と人を分断し、人間を卑小なものにおとしめ、心を閉ざさせていく思想に、そろそろ私たちは終止符を打たないといけません。人と人を結び合い、人間への尊厳を勝ち取り、人々の心を大きく開かせていく思想をつくり出さないといけません」(『彩花へ 「生きる力」をありがとう』河出文庫)

  さらに7年後、加害者が成人に達したとき、山下さんは新聞に次のような「手記」を寄せました。

 「彩花の死を無駄にしないためにも、生きて絶望的な場所から蘇生してほしい。彩花への謝罪とは、私たちが生涯背負っていかなければならない重い荷物の片側を持ちながら、自分の罪と向き合い、悪戦苦闘している私たちの痛みを共有することしかありません。
 どうすれば痛みを共有できるのか…だからこそ、彼の中の『善』を引き出せる人たちと出会ってほしいです」(2004年12月15日付朝日新聞夕刊)

  死刑制度は、国家が加害者という歴史の生き証人を抹殺することです。それによって国家は、事件から学び記録されるべき教訓を闇に葬ることができます。
 それは国家権力にとっては好都合(死刑制度温存の理由)でしょうが、私たちは事件(歴史的出来事)から何も学ばないまま同じ生活を続けることになります。
 それは私たちが「人と人を結び合い、人間への尊厳を勝ち取り」、新たな社会をつくるための思想を形成することを妨げることになる。山下さんの言葉を今あらためて振り返って、そう思います。


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