岐阜県で野生のイノシシが、豚コレラで死んでいた。予想されたことではあるが、畜産業の総点検が必要という事だ。日本で養豚場での豚コレラが確認されたのは26年ぶりである。豚コレラは日本は清浄国とされてきた。何故、一度清浄国になった日本で豚コレラが再発したのか、理由は現状ではわからない。想像では自然界のイノシシにはウイルスが残っていて、イノシシから養鶏場の豚に感染したと考えた方がいいと思われる。人間に感染する病気ではないので心配はいらない。感染した豚を間違って食べたからと言って問題はない。イノシシも同様である。養豚業としては、感染するとかなりの豚が死んでしまうので大打撃になる。まずはイノシシの総点検する必要がある。他にもし感染イノシシがいないのだとすれば、何故岐阜の養豚場で感染が起きた理由が、考えにくい。ウイルスが新しい形だとされているので、イノシシにウイルスが残っていたというのも考えにくい。何処から持ち込まれただろう。調査可能だろうか。鳥インフルエンザでも、侵入経路不明が続いた。
長年養鶏業にかかわってきた。鳥インフルエンザでは、その渦中で大変な苦労をした。地域の人から白い目で見られるような、嫌な思いも散々した。家畜の伝染病は不明なことが多いいからだ。人間にすぐにでも感染し、パンデミックが起こるというデマが流れた。これには製薬会社が、人間のインフルエンザワクチンの接種を推進するための策略に見えた。人間のインフルエンザとはそもそも違う。人の感染はあり得ないと何度も主張した。その主張を広めるという事がこのブログの初期の目的にもなった。私の主張通り、世界で鳥インフルエンザからの直接感染など、特異例を除いて起きていない。騒ぎ立てた人たちは少しは反省をしろ。しかし、製薬会社の戦略は成功して、今やインフルエンザワクチンはたいした効果もないのに、接種をしない人はとんでもない人間だぐらいに言われる社会になった。経済は不思議なもので、この無駄なワクチンに莫大なお金が動くようになった。経済効果は高いのだろうか。費用対効果はいかばかりのものか。
動物との暮らし方を日本人は間違ってしまった。日本では放し飼いの猫が批判される。17年前に横浜の方の猫の保護団体から、猫を引き取った。今でも元気なうずらである。その引き取る時の条件が家から出さないという事だった。それなら引き取るべきではないと猛反対だった。猫を去勢した方がいいとは思った。野良猫が増えることは避けたい。しかし、猫の室内飼いという条件はひどすぎる。団体の方はとても熱心な良い方で、家まで見に来てくれた。それで、外に出すことを曖昧に受け入れてくれたようだった。猫放し飼い禁止。一人暮らしの人はダメ。60歳以上の人ダメ。外国人はダメ。こういう条件の保護団体もある。保護団体から猫を貰い、虐待するような人がいないとも限らない。その防ぎ方はまた別問題だ。私にはそんな猫文化は理解が出来ない。猫は自由にあちこちを歩くことが大好きだ。年寄りの一人暮らしなら、保護された年寄り猫を飼えばいいではないか。人間が自由に猫が飼えるようなところに暮らせばいいだけのことだ。人間の暮らし方の方がおかしいのだ。世界中の猫が野外で遊んでいるではないか。日本人の都会での暮らし方が変なのだ。
日本の大規模畜産は新しい病気の温床になりかねない。餌の中に抗生物質を混ぜて与えるようなことをしている。耐性菌が生まれてくる可能性がある。野生のイノシシからの感染がおこるという事で、また豚コレラワクチンの徹底だろう。鶏だって同じだ。野鳥には当たり前に、鳥インフルエンザウイルスは存在する。免疫すらあるから野鳥は居なくならないのだ。イノシシだって同じだ。免疫のあるイノシシが野生に存在していた場合。イノシシは増えるばかりである。野生動物とどのように折り合えばよいのかを考えるべきだろう。いよいよ、豚を薬漬けにするというのか。その豚を我々は食べ続けろと言うのか。豚コレラウイルス酔いも危険な気がする。大規模畜産の在り方がおかしい。このままでは放し飼いの豚の飼い方は禁止という事になりかねない。問題が起こる都度、小規模の農家畜産がやり玉に挙げられる可能性がある。