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イノシシの豚コレラ

2018-09-16 04:02:12 | 自然養鶏

岐阜県で野生のイノシシが、豚コレラで死んでいた。予想されたことではあるが、畜産業の総点検が必要という事だ。日本で養豚場での豚コレラが確認されたのは26年ぶりである。豚コレラは日本は清浄国とされてきた。何故、一度清浄国になった日本で豚コレラが再発したのか、理由は現状ではわからない。想像では自然界のイノシシにはウイルスが残っていて、イノシシから養鶏場の豚に感染したと考えた方がいいと思われる。人間に感染する病気ではないので心配はいらない。感染した豚を間違って食べたからと言って問題はない。イノシシも同様である。養豚業としては、感染するとかなりの豚が死んでしまうので大打撃になる。まずはイノシシの総点検する必要がある。他にもし感染イノシシがいないのだとすれば、何故岐阜の養豚場で感染が起きた理由が、考えにくい。ウイルスが新しい形だとされているので、イノシシにウイルスが残っていたというのも考えにくい。何処から持ち込まれただろう。調査可能だろうか。鳥インフルエンザでも、侵入経路不明が続いた。

長年養鶏業にかかわってきた。鳥インフルエンザでは、その渦中で大変な苦労をした。地域の人から白い目で見られるような、嫌な思いも散々した。家畜の伝染病は不明なことが多いいからだ。人間にすぐにでも感染し、パンデミックが起こるというデマが流れた。これには製薬会社が、人間のインフルエンザワクチンの接種を推進するための策略に見えた。人間のインフルエンザとはそもそも違う。人の感染はあり得ないと何度も主張した。その主張を広めるという事がこのブログの初期の目的にもなった。私の主張通り、世界で鳥インフルエンザからの直接感染など、特異例を除いて起きていない。騒ぎ立てた人たちは少しは反省をしろ。しかし、製薬会社の戦略は成功して、今やインフルエンザワクチンはたいした効果もないのに、接種をしない人はとんでもない人間だぐらいに言われる社会になった。経済は不思議なもので、この無駄なワクチンに莫大なお金が動くようになった。経済効果は高いのだろうか。費用対効果はいかばかりのものか。

動物との暮らし方を日本人は間違ってしまった。日本では放し飼いの猫が批判される。17年前に横浜の方の猫の保護団体から、猫を引き取った。今でも元気なうずらである。その引き取る時の条件が家から出さないという事だった。それなら引き取るべきではないと猛反対だった。猫を去勢した方がいいとは思った。野良猫が増えることは避けたい。しかし、猫の室内飼いという条件はひどすぎる。団体の方はとても熱心な良い方で、家まで見に来てくれた。それで、外に出すことを曖昧に受け入れてくれたようだった。猫放し飼い禁止。一人暮らしの人はダメ。60歳以上の人ダメ。外国人はダメ。こういう条件の保護団体もある。保護団体から猫を貰い、虐待するような人がいないとも限らない。その防ぎ方はまた別問題だ。私にはそんな猫文化は理解が出来ない。猫は自由にあちこちを歩くことが大好きだ。年寄りの一人暮らしなら、保護された年寄り猫を飼えばいいではないか。人間が自由に猫が飼えるようなところに暮らせばいいだけのことだ。人間の暮らし方の方がおかしいのだ。世界中の猫が野外で遊んでいるではないか。日本人の都会での暮らし方が変なのだ。

日本の大規模畜産は新しい病気の温床になりかねない。餌の中に抗生物質を混ぜて与えるようなことをしている。耐性菌が生まれてくる可能性がある。野生のイノシシからの感染がおこるという事で、また豚コレラワクチンの徹底だろう。鶏だって同じだ。野鳥には当たり前に、鳥インフルエンザウイルスは存在する。免疫すらあるから野鳥は居なくならないのだ。イノシシだって同じだ。免疫のあるイノシシが野生に存在していた場合。イノシシは増えるばかりである。野生動物とどのように折り合えばよいのかを考えるべきだろう。いよいよ、豚を薬漬けにするというのか。その豚を我々は食べ続けろと言うのか。豚コレラウイルス酔いも危険な気がする。大規模畜産の在り方がおかしい。このままでは放し飼いの豚の飼い方は禁止という事になりかねない。問題が起こる都度、小規模の農家畜産がやり玉に挙げられる可能性がある。

 

 

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プーチン大統領の平和条約

2018-09-15 03:58:36 | Peace Cafe

ロシアのプーチン大統領が安倍総理に対して、「条件なしに平和条約を締結しよう。」と提案した。大賛成である。全く正しい主張だ。日本は受け入れればよい。日本とロシアが戦争状態が続いているなどという事が、まともなこととは思えない。何故これが受け入れられないかと言えば、北方領土問題である。歯舞、色丹島は返すが、国後、択捉島は返さないという条件である。これを受け入れればいいだけの話だ。野党も一斉に反対を主張している。全く理解しがたい野党だ。安倍氏が即座に拒絶しなかったことを、批判している。安倍氏は自分の意見などそもそもないのだから、しどろもどろで何も言えないのは当たり前のことだ。領土へのこだわりを一切捨てるべきだ。日本がその程度狭くなったからと言って何も困らない。現況よりはましになる。歯舞色丹2島は返還されるのだ。今はそれを喜べばいいのだ。離島というものは経済的負担が大きいものだ。北海道の人口減少が続く、他の離島のことを考えてみればわかる。利尻島。礼文島。補助金を入れなければ成り立たない経済になっている。観光に行くとすれば素晴らしい場所である。日本の中でもずば抜けて美しい島である。北方4島もそういう場所なのだろう。

もし国後、択捉島が日本でなくなったとすれば、どのような不利益があるというのだろう。ロシアはこの4島を維持するために大きな経済的負担を追っていると言われる。あの広いロシアでどうして経済的負担の大きい極東の島を譲らないかと言えば、国家の欲と面子であろう。日本は何よりも平和主義の国である。平和の為であれば、領土を譲ることぐらいできないはずがない。国後、択捉がロシアであり、日本から観光に行ける島であれば、充分ではないか。十分どころかその方がいいくらいだ。日本の主権がないからと言って、どれほど不便であろうか。たぶん、資源とか、漁業権とか、いくらか不利益になるものもないとは言えない。しかし、そもそも主権がない今でもなんとかやっているのだから、それを受け入れればいいだけである。もちろんロシアに対しては、心底怒りがある。いくら何でもシベリア抑留は許しがたい、ジュネーブ条約違反である。捕虜を強制労働させて多数死なせたのだ。こういうことをきちっと主張できないできたことの理由も、北方領土への欲であろう。

国家というものは人間第一である。日本人がひどい民族になってしまえば、日本という国家もひどい国になる。国は人間次第だ。日本という国土が日本人を育んできた。瑞穂の国である。日本人はこの瑞穂の水土を大切にして生きてきた。美しい稲作の国が日本人と言う存在を作り上げた。仕方がないことだが、日本人は変わり始めている。日本という国の経済の根幹が変わってきているからだ。稲作農家と言っても、瑞穂の国の稲作は失われつつある。日本人を育んだような稲作は失われつつある。新しい日本人はどういう目標で育つことが良いのかが、最も重要な状況に至っている。平和主義ではないだろうか。世界平和の為に日本人は生きるという大きな目標を持つ。世界はトランプ主義のような利己主義が跋扈するようになった。これは人類が滅亡の道を急激に歩んでいるかのように見える。自分の国さえ良ければという考えが、対立を深めている。日本は譲れる国になる。ここから平和が生まれる。国土を欲張る姿は平和主義ではない。見苦しいと思う。立憲民主党はこの所を反省してもらいたい。

中国とは尖閣諸島問題がある。中国と良い関係になるためには尖閣問題を棚上げする必要があった。それが田中角栄の考え方であった。ところがこれを棚から降ろし問題化することを狙った連中がいる。中国をわざわざ刺激し、仮想敵国として仕立てたのだ。習近平中国が覇権主義的であるという事は言える。これはトランプやプーチンを含めて、世界の方角なのだろう。それに日本も乗り遅れまいと、突っ張ってみたところで、どうにもならない。日本は瑞穂の国に戻ればいい。譲る精神である。相手にとっての5分とは、自分にとって3対7あたりが中間なのだ。自分が5分と考えるところを主張すると、相手の目からは7を主張しているように見えるものだ。3分くらいと思うところを主張して、相手の目から5分に見える。ずいぶん譲った気分でも相手は平等だと思うものだ。それで困るどころか上手く行くものだ。損したようで、そうでもないものだ。我欲を主張した人が長い目で見れば損をするものだ。国だって同じだろう。

 

 

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田んぼ水口の浄水池

2018-09-14 04:42:39 | 稲作

大きな葉がクワイである。入水口の池は草でおおわれている。田植えの頃は水面だけで何もない池である。

田んぼの水の取り入れ口には池を作ると良い。大きさは田んぼの大きさの100分の1くらいあれば良い。1反の田んぼならば3坪くらいである。つまり、6畳くらいの池があれば良い。この池は地形に応じてどのような形でも構わない。深さは田んぼより少し深くする。30センチほどの水位があれば良い。田んぼの入水口から入ってきた水は、この池で一度、水を溜ることになる。池の上澄みの水が田んぼに入るようにすると良い。池には3つの目的がある。1、水温を上げることと。2、田んぼで使う水の浄水機能。3、田んぼへの肥料投入。温まった水は水面に近いところに溜まっている。これを田んぼに入れてやる。またこの池に魚を飼っておくのも良い。那須にある、アジア学院では一番上に養豚場や人間の住む家がある。そこから出るすべての水が、下の池に一度溜められる。その池は養魚池になっている。池で一度溜められた水が、さらにその下の田んぼで利用されている。

これはアジア全般の水田地帯にある考え方から来ている。中国では養魚池が入り口にあるのをあちこちで見た。鯉など飼われていると言われていた。アヒルが飼われている池もあった。その池で魚や水鳥が飼われることで、水が富栄養化するのだろう。その水が田んぼに入ることで田んぼの肥料分の補給にもなっている。同時にこれは水の浄化にもなっている。川にはさまざまなものが混入する可能性がある。上流に鉱山などがあれば、どういう重金属が流れてくるかもしれない。川に生活雑排水が混入していることが普通である。こうした様々な水の影響を軽減し避ける意味でも、川からの入水が直接入る場所では浄水池を設け意味があるだろう。又上流部の田んぼの排水が水路に入っているような場所では、農薬や化学肥料の影響も必ずある。これを緩和するために、浄水池を設ける必要がある。実際に入水口付近だけ、除草剤の影響が出たことを経験している。

欠ノ上田んぼには2つの入水口があるが、一つには細長い浄水池が設けられている。池にはクワイが植えられている。この2つの入水口を比べると明らかに池を設けた方では、水口の生育の遅れがない。面積が減少する分を十分な生育で補う事が出来る。突然の大雨が降っても泥水が田んぼに流れ込むという事も避けることが出来ている。田んぼへの肥料の投入池として利用することも可能である。この浄水池のクワイにそばかすを多めに蒔いている。肥料を与える意味なのだが、この肥料が徐々に田んぼに流れるでることになる。直接田んぼに肥料を入れるより、緩和されて安全な感じがする。カキツバタのような花を植えておくのも楽しみなものだ。蓮を植えたことがあるが、これは田んぼの結構奥の方まで芽が出てきて良くなかった。

 

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石垣の川

2018-09-13 04:07:56 | 石垣島

夏の川  石垣島宮良川

石垣島宮良川。上流を見ている。

いつも描く川である。9月のみどりの勢いがすごい。その中を竜のように流れる。同じ場所を描くのだが、何度見ても初めて見るような気がする。自然と人間のかかわり方のようなものが、川の姿に表れている。この自然を耕作するということは怖かっただろう。採取生活から、農耕が生まれるということは大変なことだっただろう。ましてこの川の水を利用した、稲作が誕生するとなると、人間が生きる暮らしというものの意味がこの姿に表れている。その思いを含めて、宮良川を眺めている。宮良川の上流部にはダムがある。山麓にはいくつものダムが作られている。ダムがあるということで、石垣の農業は発展した。水に困るということがない島。お隣の宮古島は平らな島だ。川らしい川がない。風景がまるで違う。人の気質も随分と違う。言葉も違う。見ればわかると言われるほど違う。石垣の風景と宮古の風景の違いは、明らかだ。人の違いは見ればわかると言われても、この違いを写真には取れないだろう。絵はこういう不思議に見えているものを、描いてみようということになる。石垣には石垣の緑がある。この緑をかいてみたい。

下流方向である。あの丘の向こうはサンゴ礁の海だ。その付近が日本人の最初の人骨が多数発見されている。アフリカからここまだはるばるやってきた人類。これほど暮らしやすい場所はなかったのだろうと思う。こちらには田んぼが広がる。古い時代から田んぼはあったに違いない。3000年続いている田んぼかもしれない。石垣にはよその島から出づくりされていた田んぼ後まである。この農業遺構は貴重な存在だと思う。川沿いの踏み分け道が実によい。何万年も人間が歩いた。それが道になった。そんなことまで想像させる道である。どこかで川に降りる道もあったはずだ。踏み分け道が見えるだけで、川が流れるという自然の営みに、寄り添う人間の暮らしが見てくる。石垣が世界中の観光客から評価される理由は、この太古からの人間の暮らしと、現代人の暮らしが融合しているからではないだろうか。私はそう思っている。

 

 

黄色で反応している。川に移る空の色。反射して光る強い輝き。そして水の濁り。雨が降るとこんな色にすぐなる。海までこの水が流出している。サンゴにはよくないことだろうと思う。黄色で描いているのは、緑があまりに強いいからだと思う。この先どう言うことになるのかは少しもわからない。この絵の写真は一日描いて終わったところだ。少しも気に入らない。それでも、向こうにある自然の勢いには負けていない。そこは良かったかもしれない。明るくなったらすぐに描きに行くつもりだ。石垣では朝か夕方が描きやすい。光が真上にあるから、影がなくなるのだ。影がないと物の形が見えない。色だけのことになる。形の確認だけはしたい。朝2時間ほどが一番景色が見やすい。石垣は明るくなるのが、小田原より1時間30分は遅い。これがいつも待ち遠しい時間になる。たぶん、サマータイムが一年中あるということだろう。サマータイムになると人間夜更かしになるようだ。

石垣島の人の多さはすごい。町が若い人であふれている。那覇の国際通りに来たようだ。人がたくさんいるということは、良い空気があふれる。いつも借りるレンタカー屋さんによると、すごい借り手の数で車が足りないと言われていた。選挙の看板が残っている。市議会選の中間派の4人は実は自衛隊基地賛成派だったようだ。公明党の平和主義は終わったようだ。中山市長は自衛隊基地推進を決めたようだ。選択がせっかくの石垣の観光による明るい未来をダメにしないだろうか。中国と友好関係を結ぶことが、石垣市としても行うべき手段だ。中山市長は自ら平和的市民の努力の先頭に立つべきだ。武力で対抗しよう、相手の中国に問題があるのだから。こうした安倍政権の選択に乗せられてしまえば、石垣の観光の未来は危うくなるのではないか。観光産業に武力での対抗は邪魔なだけのはずだ。石垣の平和な暮らしはどこまでも平和外交にあるのだろう。

 

 

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9月の石垣島

2018-09-12 04:12:59 | 石垣島

9月12日朝6時

9月の石垣島は緑が濃い。濃いというか緑が黒い。強い緑色である。こんな黒みどりは初めて見る。この黒い緑を描いてみたいと思う。生命の色。命の湧き上がる色。この緑は石垣の赤い土から生まれたものだろう。石垣の緑は野生の緑を感じるのかもしれない。小田原の緑は作られた制御された緑である。緑化された緑。エネルギーの強さが違うように感じる。この違いが描いてみたい。緑に宿る命を描いてみたいということなのかもしれない。いつも描く場所に行ってみたが、ちょっと手が出ない感じだ。自分のエネルギーが押されている。元気でなければ絵は描けない。元気は十分なつもりだが、石垣島の元気はスサマジイものがある。西表島では到底絵にできない野生の色があると思えた。石垣島はもう少しおとなしい。人間のかかわる自然の原初の姿がある。

眼というものは不思議なもので、こういう緑の違いを見ている。眼は当たり前に、観念を含めた、すべてを見るということに集約させる。絵を描くということはこの観念を含めた緑を描きたい。だから、緑を描いているのにもかかわらず、赤で描かざる得ないというようなおかしなことさえ起こる。これを描こうとすると、描けているのか、描けていないのかさえ分からなくなる。しかし、ただ科学的に分析するように緑を描くことがたとえできたとしても、このエネルギーに満ちた緑を描いたという達成感がない。自分の中の眼が納得できる緑に迫りたい。これは焦りなのだろう。見えているものが絵に描けないという思いが、延々と続いている。見えているものが、描けないということは、描く力量がないのか。見えているという妄想なのか。9俵取れる田んぼは見えるのに、9俵取れる田んぼが描けない。眼は総合と分析を一瞬に行う。しかも自分の希望まで描こうとする。9俵の田んぼではなく10俵の田んぼを描こうとする。

風景に向かい、絵を描くとことができるのは、何も考えなくなるからだ。手がただ反応する機械なる。この機械は見えているに近づく機械だ。理由なく、次から次へと新しい手立てを見つけては試行錯誤する。下手な鉄砲もその内に当たることもある。突然、幸運なことにぶつかる。これを待ち続けるようなもの。確かに見つかったものは、目の前にある風景の何かではあるのだが、実際には目の前にある風景とは別の、新たな画面という世界が生まれたような時なのだ。そういう「絵ができた」という意識が本当のことなのかどうか。このあたりが怪しいところ。この絵を持ち帰り、アトリエで絵に向かい合うと、絵を描く方向が絵を作り出すという方向に傾く。目の前の風景の支配から抜け出し、記憶の中の生命の緑と向き合い描く。写しとるということから、作るということになる。制作することとなると、また意識が変わる。ここには過去の絵画というがんじがらめの巨大な壁が介在してくる。自分が考えてきた絵画世界が反映する。いわば絵はこうあるべきだ的な、絵というものの認識である。当然、過去の学習であり、自分である。これを超えようと制作しているのに、過去に引きずられ自己否定ができなくなる。

石垣島の緑の前に立つと、そうしたちまちました思いが、たちどころに消えてゆく。エネルギーの強さに従う心地よさ。エネルギーに理由はない。自分の方に強いエネルギーがあるのかだけが問題になる。絵を描くということはよほどの元気がなければできない。だから良い絵が描かれたのは、信じがたい老人の仕事である。エネルギーの尽きない老人が恐ろしい絵を描いている。私も死ぬまで少しづつでもよくなるような絵描きでありたい。今はまだまだたいしたことはないが、少しでも前に進めれば、まだ先はある。今回は、インドの水彩紙を使っている。この水彩紙は世界で一番厚みのあるものだろう。実に強い紙だ。紙というのは不思議なもので、やはり人間が作り出す作品である。だから和紙を日本的なものと考えることができる。インドの紙はインドの世界観が反映していると言える。描いていてそう感じる。哲学の国、瞑想の国、そして仏教の生まれた国。この石垣島の黒いみどりは子の紙でなければ描けないような気がしたのだが。

 

 

 

 

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石垣の家

2018-09-11 04:32:01 | 石垣島

石垣の家がだいぶ出来てきた。お隣の家のガジュマルの木のみ隙間から写している。手前におの畑がある。バナナは畑にあるものだ。わずかに見えているトタン屋根は馬小屋である。昔馬で、畑や田んぼを耕していた時代のもので、もうこの小屋一軒だけが残っているだけだそうだ。ここは石垣でも一番古い大切な場所だと言われている。境には古い時代の井戸が残っている。これはお祭りをしなければといわれている。なぜか私の住む場所には、いつも水が湧いている。水に縁があるのだろう。自分がよい気持ちになれる場所を探した結果である。よい気持ちになれる家でなければ、気持ちよく絵が描けない。だから家の入口は少し工夫をした。光の印影ができるようにした。強い光だから、面白い空間になるのではないかと期待している。今のところは予定通りにできた。

 

入口アプローチ付近の様子。入り口はアトリエという気分になれるようにしたい。工事用トイレの向こう側にある建物が、泡盛のクース古酒を作る蔵。この玄関のところだけは少し考えてある。正面の壁は窓を開けて、鳥のブロンズ像。左側には自分で壁画を作る予定。壁画の下図はすでにある。貝殻と砂とサンゴで作る。材料はすでに購入してある。でもすぐにはできないだろう。四角い窓のような穴にはカヨ子さんの作品が置かれる。アプローチの上には、石垣の赤瓦で飾る。その奥にシーサーを置く予定。そのシーサーもこの後作る予定。沖縄の大甕を置いてもいいと思っていた。近所にそういう家があるのだ。沖縄の1メートルある大甕は持っているが小田原から運ぶのがなかなか大変である。そのうち可能ならやりたい。

 

 お隣の畑.その向こうが石垣の家。お隣が3階建てマンション。マンションが風よけになるだろうと期待している。台風が怖いので、周りに家があり風がさえぎられる場所を探した。壁の色は石垣の土の色にしたい。少し赤土風のものとベージュの耕土。2色にする予定。難しいので今回直接決めるために石垣に来た。下地はもう出来ていて、お願いした通りに進んでいた。9時から塗装の方と打ち合わせる予定。あと電気関係がなかなか難しく、これも今回調整の予定。電化製品を入れてもらうのも、その場にいないで進めるというのは少し難しいところがある。電気屋さんは大きな立派なものがあり、すべてそろっている。価格も特別に高いということはない。引っ越し予定が11月15日なので、その時には、備え付けてなければならない。遠くにいて進めるのはこういうところが難しい。

順調な工事の進行のようだ。石垣設計室というところに施工管理もお願いしていある。会社が歩いてもすぐのところなので、お願いした。遠くからの家づくりは信頼できる関係でないと難しい。その点、安心してお任せできる会社だった。こういうことはなかなかないことで感謝している。

 

 

 

 

 

 

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石垣市市議会議員選挙結果

2018-09-10 07:11:26 | 石垣島

石垣島では9日市議会議員選挙の投開票が行われた。

結果は

自衛隊ミサイル基地反対議員が9名 賛成議員が9名 公明党2名を含めた中間派が4名となった。

石垣市民の複雑な思いが錯綜し、まさに拮抗した結果になった。

 

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金メダルの為に暴力指導

2018-09-10 04:11:04 | 身辺雑記

暴力指導は良くない。当たり前のことだが、暴力指導で強くなるという現実も無視できない。競争から降りれば暴力禁止は簡単なことだ。暴力が直接手を上げるという事だけでなない。何週走れというような暴力的練習法。言葉の暴力の場合もある。現実の場面では境目は極めて難しい。相撲の稽古での可愛がりというようなものは、暴力なのか、稽古なのか判別が不可能だ。昔はみんなそうだった論理は論外であるが、スポーツで強くなるためには一定の強制力が必要。一人で強くなることはできない人もいる。多くの金メダリストがサポートしてくれた人に感謝の言葉をまず述べる。社交辞令だけではない気がする。回りの手助けがなければ金メダルが取れないところまで、スポーツは先鋭化している。見ている私も日本選手が勝てばうれしい。でも私の嬉しいぐらいでは。選手は自分の道を究めたいに違いない。自分というものをやり尽くしたいのだ。その時回りからの暴力が、そう単純なことではないのだろうが手助けになることもある。

自発性の問題だとも良く言われる。暴力指導で引っ張ってもらわなければ弱い人間だからすぐ怠けてしまうので、という暴力を自ら望む人も少なくないだろう。選手の希望であったとしても、指導コーチが暴力を振るう事も行ってはいけないという事になる。もし、暴力を了解事項として金メダルを総なめにするスパルタ国が出てきたらどうするのだろう。スパルタ教育と言われるくらいの暴力教育を行いアテネに勝利する。ギリシャ時代から繰り返されてきた問題なのだ。アマチアスポーツ界でも兵役免除とか、賞金とか、出世とか、そいう直接的恩恵は許されるようになった。古代オリンピックの堕落は優勝者の特別待遇にあった。その為に近代オリンピックでは50年前にはご褒美的なものは一切禁じられていたのだ。その結果共産圏の選手に勝てなくなってしまった。プロスポーツの何がいけないんだ。プロが出ればアマチアには負けないという事が潮流になってしまった。人間性への金の暴力という事なのかもしれない。

強くなるという事は尋常なことではない。きれいごとで勝てるのかという問題は残る。分かりやすい暴力を排除したからと言って、片付いてはいない。繰り返しこういう問題が起こる。スポーツ団体がパワハラ体質になる根源でもある。金メダルをとれれば、どんなパワハラ団体であれ、評価される団体になる。そして、時代に取り残された形で、スポーツ界のパワハラ構造が浮かび上がっているのだろう。女子レスリングは、あの金メダリストを多数輩出した名物コーチがパワハラで止めて、アジア大会で金メダル0である。オリンピックであんなに金メダルをとる女子レスリングがまったく力を出せないのだ。とんでもないようなコーチだからこそ金メダルが取れたという事実はあるとしなければならない。きれいごとではない。そういうものも含めて金メダル至上主義のスポーツの在り方を見直すべきではないか。指導方法の問題以上に、スポーツ界全体の倫理の問題が問われているのだろう。勝ち負けを超えたところに、スポーツはある。道としての倫理が確立していないで、修行をするのは道を誤る。オウム問題と似ている。

果たして企業や政治の世界はどうだろう。出世とか給与とか、いろいろの恩恵で頑張らせ競争させるのだろう。ブラックとか言われていも、競争に負けるわけにはいかないという現実がある。経済の競争においてはスポーツよりも激しく、醜く、汚い競争があるはずだ。社会貢献とか、企業の倫理とか、そういう建前を超えて、ひどい状況になっていると思う。スルガ銀行の組織ぐるみの腐敗はまともとは思えないものだ。安倍一強の自民党の内部の暗闇。当選という金メダルが思想信条を支配している。自動車会社のデーター偽装なども、安全よりも利益優先の競争の結果だろう。暴力指導の背景にあるものは、競争があれば必ず存在するものだ。選手がドーピングするのも自分に対する暴力だろう。直接の暴力だけ目を向けていては、表層だけの話で終わる。東京オリンピックでの金メダルが、すでに選手への暴力の側面があるのだ。この暴力を正邪で判断するのではなく、金メダルとは何かを選手自身がとらえなくてはならないのだろう。何のためのスポーツかである。

 

 

 

 

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アベ3選で決まりの自民総裁選挙

2018-09-09 04:03:49 | Peace Cafe

岸田氏は総裁選挙に立候補せず、安倍支持を表明した。安倍氏が3選で決まり。その次を狙うためには、ここでは安倍支持の方が有利という判断だろう。自民党国会議員の85%を安倍氏が固めたという新聞記事があった。強い者には巻かれろというのが自民党政治家の生き方だから、当然のことになる。野田氏は立候補せず、安倍支持だそうだ。アベ政権の操作術は恐怖さえ感じさせる。スポーツ団体のお殿様による支配が、次々に表面化した。自民党こそアベ殿様のお化け御殿だ。自民党国会議員は弱いものや少数者には実に居丈高である。子供のいないという事が生産性がないという事だと言い切っている議員さえいる。女性の活躍とは子供を産むことだというのが、自民党の生産性の本音のようだ。弱者を差別する国会議員を擁護する政党が政権についているという、国の劣化。そしてこのお化け政党が、呪いのように憲法改定を主張している。自衛隊がかわいそうな存在であってはならないというのが改定理由だそうだ。

今度はアベ殿様は働き方改革第2段で、生涯現役だそうだ。死ぬまで働けるという事なのか、働けという方だろう。経済の国際競争力の為に、日本人は生きているわけではない。ひとり一人が自分の人生を十分に生きるために生きている。その生き方こそ様々な考えがなくてはならない。そしてそのさまざまな生き方が万人から尊重されなければならない。その尊重されるべき個人の生き方や考え方を生産性で判断されることがおかしいのだろう。オウム死刑囚が処刑される前日、法務大臣が赤坂自民亭の女将をやっていた。総理大臣が主賓であり、首相3選の取り巻きが怪気炎を上げていたのだ。まさか祝杯ではないだろうが、こういう人たちのぬけぬけとした神経は、人間としての感情を失っているとしか思えない。そうではなく酒でも飲んで気を紛らわそうとしたという事か。ともかく自民党総裁選の票固めの為に、西日本豪雨災害への対応すら遅らせてしまった。総理3選の忖度が忙しくて、豪雨災害どころではなかったのだろう。批判を受けたとなると急に防災に熱心な姿を見せている。避難所などの、でたらめな現状を変えるのが政治の役割のはずだ。誰の演出なのかひどいことにになっている。

唯一の対抗馬である軍国主義丸出しの石破氏は40名の支持とある。石破氏は自民党憲法草案があるのに、憲法9条2項を残す、安倍晋三氏ではだめだという平和憲法を明確に否定する人だ。複雑なことだが、安倍氏は実は石破氏以上の明治回帰主義者である。本人がそう考えているというより、安倍氏を支え、木偶人形にしている人たちが、そういう人たちなのだ。2項を残すという建前で、後は憲法解釈で広げれば同じことだというずる賢さだけが目立つソフト独裁。国民も安倍氏の方が、石破氏よりはソフトだというイメージを持つだろうが、実はアベ一座の方が、心底恐ろしい忖度独裁を目指している。忖度独裁の実態とは、利権主義である。忖度を積み重ねながら、特権階級を形成しようという人たちである。お偉いさんの固定化である。その方が効率的で、国際競争力的には有利という事だろう。国民の方もなんとなくお偉いさん任せの方が間違いないというような、弱さから出る甘えが広がっているのだろう。

利権主義の一番の表れが、原子力利権を捨てられない姿に出ている。本来であれば、フクシマ事故の後原子力発電から、再生可能エネルギーに転換することが、日本の進むべき道であった。こう考える人が多いいのではないだろうか。ところがその転換は計れなかった。利権ががんじがらめで社会の方角を変えることが出来なくなっている。こんな調子で憲法が改定されてもおかしくないような不安がある。中国の大国化。トランプアメリカの一国主義。トランプ化するアベ。方角を失った日本が荒波の中、平和主義の強い精神を持てなくなっているのだろう。日本が平和主義を捨てるときは、世界が希望を失う時だ。武力にすがるなど、無駄な抵抗であることに気付かねばならなぬ。核武装が出来ない日本としては、平和主義を力にして世界に日本という立場を作り上げる勇気が必要である。これほど、嫌らしい独善主義が世界に広がる中、むしろ日本の尊厳を高め、日本らしい立脚点が作りうるはずだ。なまじの武力を持つよりも安心な国づくりができるはずだ。

 

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水彩人展出品作

2018-09-08 04:06:05 | 水彩画

 

水彩人展には3点出品する予定だ。石垣島で描いた絵。2枚が名蔵湾の絵。そして1枚が田んぼの絵。名蔵湾の絵2枚のうち一枚を絵ハガキにした。一枚が画集の為に撮影が終わっている。見ていればいろいろ出てくるのだが、一応見ているだけにして絵に手は入れない。名蔵湾の絵は夕方に描いた絵が一枚と、夜明けに描いた絵が一枚。描いた時にはどちらも納得度の高い絵であったはずだ。今見るとどうなのかなと思うが。もう一枚の出品予定の田んぼの絵だけがもう少し描いても良いという絵だ。これがまた手が出せない。自分の絵に手が出せない状態というのもおかしなことななるが、やるべきことは沢山ありそうだ。それが明確にならない。明確にならないことには手を付けない。この状態で3枚並べて数週間眺めている。辛い。20日が搬入日なので、それまで向かい合うしかない。何もしないかもしれない。できないのかもしれない。それでもこの絵と向かい合うエネルギーの高まりこそ絵を描くという事だと思っている。

結局のところ自分が何をしたいのかという事に立ち至る。描いている現場に立つと、描くべきことが見えている気がしている。何を描くべきかすっかり分かった気になりひたすら描く。問題はそこから始まる。家に持って帰ってから描き継ぐべきことの方にある。見て描くという事と、絵とだけ向かい合って描くという事は全く違う行為になる。だから写生派の人もいれば、アトリエ派の人もいる。アトリエ派と言ってもモチーフを目の前にして描くという人は、写生派と大きくは違わない。アトリエで何も見る訳でなく、絵と向かい合うだけ。自分の絵と対峙するように制作する人がいる。写生派が中川一政なら、アトリエ制作派がマチスだろう。梅原龍三郎は景色の見える部屋から、障子を開けたり閉めたりしながら描いたという。それぞれの制作だからどのやり方が優れているなどという事はない。自分の制作法を見つける以外にない。私は現場で写生をして、後はアトリエで眺めている派だろう。

私絵画は自分の為の絵である。さすがにもう人の評価は気にならなくなった。自分の何物かであるかが、この絵のどこかに現れているのか。という問いかけである。この絵が自分であるのかという確認。自分なんだから一番簡単なはずなのだが、なかなか自分が分からない。そこで自分が見ているということに戻る。見ているという自分が自分の確認の始まり。見ているという事は描くという事より、さらに奥深い。何故見るという事にこんなに喜びが籠るのだろうか。夕空を見るという事は夕空という情報を含めて見ているのだろう。夕空を描いた過去の絵の記憶情報にも観るという事自体に染められているのではないか。こういう気持ちが沸き上がる。学んだものや、いつの間にかしみ込んだものは自分でないのだろうか。たぶんそれも自分ではある。ただ、そうした雑多なものの底のような奥に、自分というものの世界があるような気がしてしまう。例えば中川一政やマチスの絵を見ていると、絵にはそういう個人の純化されたような世界があるというように見えてくる。思い込みなのか。絵の世界とは別のことなのかもしれない。

この自分に近づくような、遠ざかるような感じが絵を描いているという世界であるかのような。あるような気がするから絵を描く。絵には全く客観的な価値はない。装飾画、実用絵画、投機用絵画には社会的価値はある。居間のの壁にある。便所の壁にある。玄関にある。それはその場を埋めるためではなく、自分が自分に気付くために置いてある。思わぬ通りがかりにすべてがわかることがある。忘れているようでも絵のことばかりである。田んぼの恐ろしさという事に気づいた。生命というものの勢いの恐怖だ。押し寄せてくるみどり。田んぼは実に怖い。この怖さは命のエネルギーなのだろう。このエネルギーの満ち溢れる姿を絵になければおかしいと思っている。あのエネルギーに取り込まれた感じ。こちらにエネルギーがなければ到底対応できない恐ろしさ。暖かく、何でもない静かな田んぼなのだが、実はすごく恐ろしい場所なのだ。命がけの美しさである。自然というものはすべて命がけなんだと痛感した。自分の甘さの自覚である。

 

 

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北海道震度7の地震

2018-09-07 04:28:34 | Peace Cafe

北海道で震度7の大地震が起きた。報道される写真を見ると、何ともすさまじい姿である。遭遇されてしまった方々の驚きがただものでないことが伝わってくる。まさかという激しい地震である。あの山並みの崩壊した姿を見ると、あり得ないことが起きたとしか思えない。命を落とされた方も多数おられる。今も行方不明の方の捜索が必死に続けられているようだ。この事態を見て思うのは、早急に自衛隊を国土防衛隊に戻すべきということだ。外国が攻めてくる以上に日本の国土は手強い難敵である。次々の災害を繰り返している。日本列島のある場所が地震多発地帯だという事を痛感する。そしてまた、太平洋から押し寄せる年々強まる台風からも逃げ場のない場所である。日本人の命を守るという意味では、ミサイルより優先順位として防災対策であろう。21号台風では関西空港が水没した。全くお粗末なことだ。この程度のことすら想定できていない。今度は地震で北海道全体が1週間も停電である。一つの発電所が停止したら、対応がないようなお粗末である。こうしたお粗末に対して、誰も責任がない体制。

徹底して自然災害に対する想定外を無くす努力をしなければ、日本では安心して暮らすことができない。福島原発事故の教訓が生かされていない。日本人の命はアベ政権の妄想競争の為に、犠牲にされていると言わざる得ない。中国が日本をミサイル攻撃をする可能性の大きさよりも、明らかに次の大地震で日本人が犠牲になる可能性の方が高い。確かに自然災害が起きれば、その対応を政府は懸命にやってはいる。その点では国民は捨てられているわけでもない。しかし、起きるだろう災害の予防的対応についてはあまりにお粗末である。地震が起きて病院が受け入れ停止になるなどあってはならないことだ。関西空港はどうも地盤沈下があり、高潮の危険は以前から指摘されていたという。嵩上げ工事もされた。しかし、想定外の台風の為に、水没事故が起きたという事になる。また海上空港のアクセス道路のもろさも露呈した。毎年の台風に対して何時になったら十分の対応がなされるのか。自衛隊の強化よりも明らかに優先順位が高い施設の改善問題が山積みである。

北海道の停電は震源地に近い火力発電所の一つが停止したことが始まりのようだ。この一つの発電所に偏り過ぎていたのだ。何故、こういう偏りが起きたかと言えば、停止している原発に踏ん切りがつかないからだ。泊原発が稼働していたらという想定がある。これが日本が前に進めない、行き詰まった姿だ。原発利権を手放すことができない人たちがいるのだ。こうした見えない利権集団が安倍政権を作り出している。国防を考えた時に、一つの火力発電所を爆撃すれば、全体が停電する状態であれば、実にもろい、危うい状態である。起きてみれば国民全体が知ることになる。政府の誰が事前にこういう事態を想像していたのだろう。また福島原発事故のように、想定外で誰も想像が出来なかったのだろうか。身近なところで言えば、舟原のハザードマップの土砂災害想定は根拠がないに等しい。現実にどういう事が起こるか、専門家的な調査がなされていない。何度も県の担当に抗議をしたが無視されて終わりである。このブログのコメントでは住んでいるお前が悪いなどという暴言すら頂いた。日本人はこの日本列島に住んでいるのが悪いという事になりそうだ。

自衛隊を国土防衛隊に戻すことだ。そして災害対策を軍事的防衛対策とを同じに考えてもらう。日本人の命を守るという観点から、研究し対応する。日本人の命の安全という思想を確立すべきだ。敵国からの攻撃よりも、防ぐことすらできない自然災害が連発しているのだ。抑止力という意味でもあまりにもろい日本の社会インフラである。地震は活発期に入っている。遠からず南海地震も起きる。小田原も大地震が起こるに違いない。明日起きたからと言って以外ではない状態なのだ。この状況なのに対応策が示されていないというところに、日本人の安心がない。1万人の人が住んでいる久野地区で、避難所は久野小学校1箇所であり、歩いて避難する想定が、遠いい地域からでは8キロはある。たぶん日本中がこういう状態なのだろう。他に方法がないから仕方がない。この空気が事前の避難をしないという選択になる。自衛隊を国土防衛隊にすれば、国土防衛隊は愛されるものになるだろう。そうすれば憲法に記載するかどうかなどどうでも良い話になる。国土防衛隊が地域に来てくれることはみんなが感謝するだろう。オスプレイだって受け入れてくれるだろう。

 

 

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水彩人展に作品の出品を

2018-09-06 04:39:11 | 水彩画

 

水彩人展(ホームページへのリンク、ここで出品要項はダウンロードできます。)では上野の東京都美術館で毎年1回本展を行っている。今年は20回展になる。水彩人は10回展までは何があっても必ずやろうという事で始まった。その頃は他の会に出している人ばかりだった。水彩画の研究が行われていないという事で集まった。研究が主目的のグループ展であった。それは水彩紙や水彩絵の具の研究に始まり、水彩の表現は、他の絵画材料と何が違うのかというような、回答のないような問題を繰り返し議論していた。銀座の地下のレストランで月一回集まり多い日話に花を咲かせていた。そうした場がなかったので必要で作った。この点では10回展まではかなり徹底した研究主目的の会だった。10回で一度解散して、新しい会として再開したという形をとった。つまり、公募展化するという方針に賛同するものがもう一度集まり、11回展以降再結成したのだと思う。それからの10回である。さらに10回繰り返すうちに東京都美術館で定期開催する公募展になっていた。研究会が公募展に変わったことは、良かったともいえるし、失敗だったともいえる。

今のところかろうじて初期の水彩画を研究するという目的は残っているのではないかと思う。そんな意識はすでに一部のものになってしまったのかもしれない。最近出品を始めた人にすれば、普通の水彩画の公募展だと考えて当然のことだ。水彩画の公募展というものは3つあるが、その中では唯一アクリル画の出品を認めていない公募展である。又サイズは8号から出品できる。これはむしろ当然の考え方で、水彩画の展覧会だからだ。水彩画の展覧会にアクリル画があるのがおかしい。私は以前の会でも同じことを主張していたのだが、アクリル画の方が多くなっている状態ではどうにもならなかった。アクリル画が良くないものだというのではない。アクリル画はアクリル画であり、水溶性とは言え完成したものは油彩画に近くなる素材だ。また水彩画は大きいものよりも小さな絵に水彩画らしい特徴が出ることが多いい。これも大きいものがいけないという訳ではないが、小さいものも同等に認めあうという考え方である。私はこのところ、中判全紙(20号大)しか出していない。10号の作品の出品の同人もいる。

公募展になって1番よかったのは新しい仲間が増えたことだ。しかもその仲間が多様なのだ。だから水彩人展は開催のたびに過去最高の展覧会になっている。年に2回は必ず展覧会をやってきたので、半年ごとに展覧会がある。その都度過去最高になるという展覧会はめったにないだろう。自画自賛だろうと思われるかもしれないが、客観的に見て間違いのない。言ってみれば20年前の始まりがだいぶ低かったのだ。私にはそういう自覚がある。水彩人の特徴は多様であることと、いわゆる公募展的な絵が少ないという事だ。絵には不思議な公募展絵画というジャンルがあって、こういう絵が嫌で公募展というものを見なくなった。水彩画を描いている人であれば、ぜひとも水彩人に出品してみてもらいたい。水彩人は公募展ではあるあ、公募展的な絵ではない。特にひとりで描いているというような人の参加を期待している。昔会津の牧師さんで、亡くなられたら大量の水彩画が出てきたという人の展覧会を見た。生涯一度も発表をしなかったそうだ。発表するつもりもなく、人に見られるのが嫌だから、夜こっそり街に出て絵を描いていたそうだ。私はその方の水彩画を一枚持っている。たき火を囲んでいる人の絵だ。これこそ水彩画だと思える絵だ。

そういう人と仲間になりたい。水彩人は上手だから良いなどという公募展ではない。大きいからすごいなどという展覧会では増してない。本当の水彩画を求めている会だ。その牧師さんに生きている内に会いたいものだった。仲間がいるという事は凄いことだと思う。水彩人には私のような発達障害的人間もいる。お前が居られるような水彩人だからすごいと言われたことがある。絵を語る会が行われている。生きていて、他に一人でもやろうという人がある間は続ける。ここにも参加してもらえる。すべてのメンバーの絵の批評会が開かれている。初めて出した人の絵も、誰にでも意見を聞くことができる。水彩人を自分の絵を深める場にしようという人間は年々減少してきてはいるのかもしれない。私のような人間は少数派になったのだろう。少数でも水彩人に私のような原則人間がまだ存在する。私が追い出されないで、好きなことをやらせてもらっているというところが、水彩人の良さではないだろうか。出品を待っています。

 

 

 

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田んぼはいつ水を切るべきなのか。

2018-09-05 04:42:21 | 稲作

止め葉の先がわずかオレンジ色になってくるのが、根が枯れてきた合図とみる。

田んぼの最後の仕上げが稲刈りまでの水管理である。稲の根を最後まで枯らさない。徐々に水が引いてゆくような水管理が重要になる。稲の根は水がなくなれば枯れる。土壌に水が含まれていれば、水たまりがないくらいでも稲の根は枯れない。根が枯れれば、穂の膨らみはそこで終わる。だから、出穂から1か月は水を切るなと言われている。8月10日が出穂であれば9月10日までは水を入れて置くという事になる。しかし、有機農業の1本植は出穂のばらつきが大きい。8月10日ではまだ穂が出ていない脇から出た孫分げつがあある。この孫分げつまでしっかりした大きな粒の穂にしたい。となると出穂ではなく、穂揃いから4週間の間は水を入れ続けると考えた方が分かりやすい。この4週間の水管理は土壌を固めながらの、浅い流し水管理を行う。川の岸辺のイネが、水位の増減を繰り返しながら乾いてゆくイメージである。状態によっては2日ほど入水を止める。穂揃いが8月18日だったのだから、9月15日が水を切る日になる。この日にはすべての穂が黄金色に色付いているだろう。止葉はまだ緑を残してほしい。稲刈りがその2週間後9月末になる。2週間あれば、雨さえ降らなければ乾くだろう。

有機農業では穂が黄色くなってきても止葉は緑を濃く残している。ここの葉の緑の色が濃いのは穂肥が上手く効果を上げたからである。今年の場合、止葉の色は一度黄色っぽく葉色を落とした。気象庁は6~8月の夏の天候まとめを発表した。東日本は平年より1・7度高く、1946年の統計開始以降、最も高くなったという。こんな極端な気象の状態では、例年のやり方が通用しなかった。イネは予想外の状態になった。久野でも熱さに稲が疲れてくるというような現象が見られた。高温が続き早く土壌が消耗した。例年よりも全体に葉の色が早く黄色くなった。肥料切れで穂が充分に大きくならない可能性がでた。穂肥の与え方が重要になった。浅い流し水管理で、田んぼを乾かさず、田んぼを冷やすことにした。矛盾しているが同時に土壌を固めるようにした。稲の背の高さが過去にない120㎝越えになった。これは稲の田植え以降の生育期に一気に土壌の肥料分がイネに集中したのだと思われる。それが早い肥切れになった。

台風通過後の田んぼの様子 9月5日朝5時30分

問題はこの背丈が極端に伸びたこととへの対応である。土壌を固めなければ当然倒れる。土壌は固めたい。水は切りたくないの矛盾。水を切れば穂が育たない。そこでギリギリまで水を入れて、土壌はぬれた状態にしておく。水きりの日には川からの取り入れ口も閉じる。田んぼの水路自体に水が流れないように入水箇所を塞ぐ。田んぼでは畔切りを行う。畔から排水が進むように何か所でもいいので田んぼの畔を切り開く。どうしても水が溜まる田んぼでは、水を抜く溝を田んぼの中にも掘る。ここからは出来る限り田んぼの土壌の乾燥を行う。イネの葉先が枯れ始めないくらいに土壌を乾かす。確かに例年より少し早く、葉先がオレンジ色になってきた株が見られる。しかし全体を見るとまだ、葉が枯れ始めた株はほんの少しだけだ。水が湧く場所は水がたっぷりあるという状態が続いている。この水の湧きの改善がこの冬の大きな課題になる。かなり乾かし気味の管理にしてきた。15日まであと10日間。イネには最後の頑張りである。葉色が緑のままでは、お米の味が落ちると言われている。しかし、そういう経験をしたことはない。最後の最後までお米が膨らんでゆく管理が良い。

9月4日に台風が関西から北陸を通過した。幸い小田原は台風から離れていた。それでも雨風もそれなりのものだった。いくらかイネは傾いた。まだ根に活力もあるから、回復する範囲だと思う。

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多様性の認め合い

2018-09-04 04:11:06 | 身辺雑記

少数派の人間として生きてきたのだろう。これからも寛容な社会であり、少数者の場所が確保された社会であってほしい。人間を自分の正しさで峻別するようなことだけはやめて欲しい。正しすぎることには何か因縁を付けたくなる性分である。そうかな、違うかもしれないとつい考える癖がある。おかしいと考えたことは自分でやってみることにしている。大抵のことは自分の思い付きがおかしいかったという結果になる。実践は失敗の山である。それでも懲りずにまず疑う事にしている。稲作をやっていれば、正反対のことが両方とも正しいという事を経験する。田んぼの雑草など取ればとるほどいいと思うだろうが、草をとらない方がいいという人もいる。結局は農業というのは生き方なのだと思うしかない。生き方だから迷う訳なのだが、この迷いに迷い、生きているという事が日々の暮らし。こうして迷いながら生きて死んでゆく。このゆらぎのなか、もしかしたらという試みの中に生きる。これが現実の日々の面白さのような気がする。

田んぼではすべての判断が、決めかねるようなものだ。正しさのない面白さがある。作物を作るという事は、上手な人に教われば上手になる。しかし、結果を覚えるというのでは、無限に起こる新しい事態に対応する能力が育たない。未知の不確定のことが日々起こるのが稲作である。だから、自ら観察して、予測して実践してみる。という探求する姿勢の方を大切にしてきた。上手く行かない、収穫が少ないとしてもそのことで気づくことが出来れば、この上なく楽しい。生産物を目的に耕作しているはずが、むしろここから自然の摂理を探る面白さに広がる。有機農業で自給する主たる目的は自然というものを知るという事ではないか。生きるという事を充実させるという事であれば、何もその時々によくできるとかできないなどという事は小さなことなのではなかろうか。自給農業を通して宇宙の摂理のようなものを感じることこそ大切なのではないっだろうか。宇宙の摂理は正しいなどという価値基準で出来ていないようだ。

出来る限り人には教えない。教えられて学ぶという事もあるとは思うが、その人が発見することが一番大切なことだ。教えられなければわからない人には、有機農業は出来ない。農業でわずかな成功をした人は自分の経験的な発見を誰にでも共通の正しさとして伝えたがるものだ。大いに反省をしなければならない。確かに、そうだったでしょう。でも、その正しさは私の正しさで、あなたの正しさではない。害虫と呼ばれる虫が表れたのは近代農法が出来てからだそうだ。江戸時代はどんな虫も害虫とは呼ばなかったそうだ。その場では問題ある虫が、長い目で見たら、役立っているという事もある。害虫と呼び名にある、了見の狭さが気になる。総合性から生まれる自然の摂理に至る道を探す。虫に対して殺虫剤を使わないという前提で考えるだけで、新しい耕作法が生まれる。虫の多様性である。どうにも迷惑なだけだというようなことは、自然界にはあり得ない訳だ。

絵は正しさなど関係がないから、面白いのだ。ところが絵画でさえ正しい絵が存在するかの風潮がある。間違えの少ないような冒険のない絵が増えている気がする。本来の絵は、道の世界を切り開くものだったはずなのに。自分の世界を探し求めるものだったはずなのに。これも芸術を商品化している結果だ。弱まりを抱えている日本では、反論すら許さないような正しさが登場している。多様さを嫌う原因は不安である。人と違うという事の不安。だから少数派を切り捨てたくなるのだ。仮想敵国が日本を攻め滅ぼすだろうという、不安を政府は振りまいている。不安を広げておくことが目的で、不安を解決するどころか、不安を増幅させようとしている。アベ流の明治日本への回帰は、未来社会への展望が持てないからだ。日本人の滅びの姿だ。何か殺虫剤的な特効薬を探すことになる。その焦りが、カジノ法案である。外国人労働者のでたらめな受け入れである。教育の国際競争力化である。農産物の国際競争力である。いま日本が目指さなければならないのは、ここに暮らす人それぞれの、自由で安心できる生き方の確立だと思う。

 

 

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石垣、小田原の二地域居住

2018-09-03 04:03:01 | 石垣島

私は70歳からは石垣島での暮らしを中心にするつもりでいる。70歳からは絵に専念しようと考えているからだ。石垣島が田んぼの絵を描くには最高の場所だと考えている。それなら石垣を中心に暮らした方が良いと思うようになった。しかし、あしがら平野で行ってきた農の会の活動はどうなるのだろうかと思う。それもあって小田原の家はそのまま何とか維持しようと考えている。あしがら農の会にとってうまく利用できる可能性があるのではないかと思う。30年間自給農業とあしがら農の会のことをやってきた。農の会という形が、未来社会の受け皿の自給農になればと思うからだ。自給農は日本の安全保障になる。世界の方角は競争主義が広がり、差別と、格差と、独善が広がる。その中で個人の生き方の自由の確立するためには、自立するほかない。食べ物さえ自分で確保できれば、ある程度自由に生きることができる。人一人は100坪の土地と、一日1時間の労働で、食糧自給が出来る。この実践をなんとか未来社会に残したい。

世界が独善的資本主義に進み始めている。世の中は競争主義が徹底してきた。競争から外れれば敗者という扱いになる。そんなつまらない価値観から飛躍するために農の会の形に可能性があるのではないか。それぞれが個性ある自分の人生を自由にしかも豊かに生きるための、自給農という生き方があると提案したい。格差がより強くなる社会の中で、心の通じ合う仲間を見つけられる場が必要だ。自立して生きようと考える人はどちらかと言えば、社会性に乏しい。だから共同で農業を行うという事が難しい。一人でやりたいという人間が普通である。能力が高く一人で出来る人はそれでよい。しかし、一人ではできない人の為に、手を貸す生き方があっても良い。それが農の会なのではないかと思っている。技術もそうだ。体力もそうだ。機械についてもそうだ。協働が可能なら、自給農に取り組める人が増える。その為に小田原の家は使えないかと考えている。これは欲なのだろう。私が死ねば私はそれで終わりであることは分かっている。後のことまで期待するのは欲なのだろう。

幸い農の会のこれまでの活動は、未来につながる可能性を見せていると思う。70歳からの自分が、農の会の今後の活動の遠くから支援が出来ればと考えている。先ずはその為に今住んでいる小田原の家を、来年からは農の会の家にしようと考えている。割合広い家である。人が集まることも可能だ。私の部屋を一室だけ作りたいと考えている。一部屋が小田原にあれば、石垣から戻った時に使う事が出来る。ギャラリーやその他の部屋はそのまま利用できるだろう。問題はこの家の管理をどのようにできるかである。太陽光発電をシステムを併設している。この設置した費用は2020年で回収できる。毎月10万前後の収入がある。壊れるまではこの収入をこの家の管理資金に利用してもらえればと考えている。機械小屋を家の方に移動することになる。機械小屋と宿泊施設と集会場と駐車場があれば、つぎに自給農業に興味を持ち集まる人たちで、新しい活動を繋げてくれる可能になるのではないだろうか。この家に住んで、農の会の活動を繋げてみたいという人は居ないものだろうか。

石垣の家は11月にはできる。11月7日が引っ越しの日だ。石垣設計からの報告では順調に進んでいるという事だ。今度の家はアトリエだけの家だ。石垣で絵を描く暮らしに徹することも楽しみである。石垣と小田原間の交通費は時期を選ばなければ1万円である。4時間である。それほどの負担なく、行き来するつもりである。自分が動ける間は農の会の活動の手助けが出来ればと考えている。水彩人のことでも、東京に出ることは年5,6回はあるだろう。絵を語る会は続けてゆきたいと考えている。これは小田原にいる今と変えないつもりだ。今年も地方展が名古屋であるが、名古屋に行くのであれば、石垣も小田原も変わらない。田植えとか稲刈りには小田原に戻りたい。欠ノ上田んぼの準会員ぐらいのかかわりが維持できれば、と考えている。イメージとしては都会に出た息子が農繁期に手伝いに戻ってくるような感じではないだろうか。と言っても息子ではなく、老人である。あくまで農作業に役立つうちのことだろう。この間に何とか新しい農の会の活動が定着してくれれば、本望だと思う。

 

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