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地場・旬・自給

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田んぼの畔草管理

2016-08-16 04:10:46 | 稲作

畔の状態、ここは狭い場所。左の株一列が6月末の捕植の株で遅れている。

田んぼの畔は広いところでは80センチくらいとっている。普通より広い。棚田の管理では畔が狭いとモグラに壊されたり、滑って落ちたりで、みんなでやる田んぼは畔は広くなければならない。また、畔をのんびり歩けるというだけで、田んぼに行きたくなるものだ。畔から田んぼの中を観察しながら歩くのは、田んぼの醍醐味の一つだ。畔を広くするという事は確かにもったいないことなのだが、必要なら田んぼを広く借りればいいことである。この時代、田んぼを確実に管理して、放棄しないことの方が重要である。頭を切り替えて、畔は思い切って広くする。問題は広い畔の草刈りという事になる。欠ノ上田んぼ3反の畔の草刈りは、年間5回は必要である。一回に5時間弱かかる。総計25時間。年間で1反10時間かかるという事は大変なことだ。1反のコロガシが出来るくらいの時間である。1反の手植えの田植えが20時間。稲刈り10時間。苗作り10時間。そのほか日常の水管理という事になる。

大雑把に言って、田んぼ作業全体で1反100時間ぐらいかかるとみている。毎日1時間やれば、一人でもできる時間となる。みんなでやれば時間短縮効果は3分の1くらいになるだろう。3反だから3倍という事ではなく。200時間ぐらいになる。稲作の10%が畔の草刈りである。草取りが20%。田植えが20%。種まきから苗作りで20%。稲刈りから脱穀までで20%。あとがその他の管理。おおよそそのくらいに見ておけばいいだろう。ただし、これは熟達度で全く違う。不慣れの場合は、この倍はかかるだろうし、収量は半分とみなければならない。水管理に一番時間をかけているが、これは田んぼ作業とは言えない。散歩であり、絵を描きに田んぼに行くこともよくあるからだ。田んぼで麦茶づくりをやったり、収穫祭をやったりもする。ともかく田んぼに行くという事が大事だ。

広い畔に大豆を作るという事があるが、畔の草管理との兼ね合いであろう。大豆の管理となると結構草刈りで失敗が出る。来年は少しやってみようかとは思う。畔草刈りは早朝の水回りの時に少しづつやることが合理性がある。水回りは楽しい。絵を描きにゆくことも多いので、ついでにできる作業という事で、畔草刈り担当をかって出ている。早朝に草刈りをするのは、草がしゃきっとしていて刈りやすいという事がある。午後だと草がゲンナリしていて、刈りにくい。草刈りで一番重要なことは刈払機の調子である。一番使う気かなのだが、結構調子の維持が難しい。自分で管理できないようでは、田んぼは出来ないと思った方が良い。

田んぼの畔草刈りは、まず、苗床を作る前の4月中旬に1回目だ。そして田植え前の5月後半に2回目。そして、6月末に3回目。8月初めが4回目。この辺は草がすごくて、やらざる得ないのでやる。田んぼ巡りがあればその前にやるようにしている。10月初めの稲刈りの前に5回目をやる。何かの作業の前にはやるようにしている。5回くらいはどうしてもやらなければならない。気候によってはもう一回必要になる年もある。8月初めの草刈りのタイミングは重要で、カメムシの発生と移動を考えて、8月初めに出穂の様子を見ながら行う。草刈りは草の根際でやる。刈払機の刃はすぐ消耗するが、構わない。一番安いやつで十分である。100枚の刃を5年間で使ってしまった。人にもあげたが、いま最後の1枚を使っている。昨日30枚まとめて購入したが。1枚400円だった。特に、4月から9月までの半年は、毎日でもどこかで草を刈っている。

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毎日オリンピック観戦

2016-08-15 04:15:25 | 身辺雑記

日本選手の活躍に嬉しい毎日である。なぜ日本選手が活躍すると嬉しくなるのだろうと、そう思うほど、日本選手を応援したくなる。仲間意識だろう。当たり前のことだが、これは日本人の歴史なのだろうと思う。5万年日本列島で暮らしながら日本人という塊が出来たのだろう。その血筋のような共同観がオリンピックでは湧き上がってくる。しかし、この共同観も江戸時代と今では違うだろうし、またこの先100年もしたら、そいう国家意識は様変わりしていると思う。江戸時代は日本という塊の前に、藩という塊がお国意識としてあった。その藩の中のの暮らしが何より暮らしを支えていた。仲良田節という八重山最高の唄がある。柳田国男氏はトラバァーマを臨終の場では流してほしいと言ったそうだが、私は仲良田節が良い。余りの美しさに身も震える。仲良田節に感動してしまうのは、日本人と育ち田んぼが好きになった感性なのかと思う。

アメリカ人、あるいは台湾の人がこの唄を聞いて、それぞれにどう感じるのだろうかなどと思う。日本選手に励まされる。私も頑張ろうと思う人は多いいことだろう。体操競技の内村選手の演技には、やりつくした人間の姿というものが見えた。生きるという事をやりつくすという意味では、全ての人の生きるが千日回峰行のようなものだ。それが田んぼであれ、体操競技であれ、変わるものではない。そういう生きるに直面した毎日を送れるという事の素晴らしさであろう。そうした自分もそうありたい、という気持ちが内村選手の体操が自分を包んでくれた。それは、2位になったウクライナの選手だって同じことなのだが、何故か内村選手の感情移入にしてしまう。それでもウクライナの選手に、失敗しろとは思わなかった。以前は失敗すれば勝てるという時に相手のミスを願う自分が確かにいた。感情移入までは出来ないが、見事に演じたうえで、競技してほしいとは思った。

見ていて、失敗するのではないかとか、負けるのではないかという不安で、落ち着いてみているという事が出来ない。サッカーは予選敗退であった。しかし、私は大満足であった。素晴らしい試合をしたと思う。初戦のナイジェリア戦に負けたことが、予選敗退に繋がったが、自分たちの力は十分に出した良い戦いをした。負けはしたが私は大満足であった。良いチームを作った手倉森監督はすごいものである。ベガルタ仙台監督でもある、手倉森誠氏は素晴らしい監督だと思う。オリンピック出場すら難しいと言われたチームをアジア予選を全勝で切り抜けたのである。ベガルタ仙台をJ2からJ1に昇格させた監督でもある。それだけではない、何と昨年は準優勝まで達成したのである。ベガルタ仙台は特別の補強をして強くなったのではなく、監督が選手を育てて強くしたチームなのだ。日本人監督にも素晴らしい人がいるではないか。何故、日本代表チームはお雇い外国人監督なのだろうか。

柔道は武道だ。道という言葉がついている。自分というものの生きるを極める為の手段である。強いとか、弱いとかいう事を超えたものがある。柔道の試合の判定もスポーツになってずいぶん洗練されたが、勝っても見事でない人も居れば、負けても見事だった人も居る。勝敗では勝った人が金メダルだが、人生ではそう簡単ではない。柔道の試合を見ていると、そうした姿が垣間見える。世田谷学園で教師をしていた頃、金メダルを取った人を何人も近くに見た。また強いにもかかわらずオリンピックに行けなかった人も見た。勝つためだけに武道はあるのでないという事に触れた気がする。オリンピックの柔道を見ると、世界に広がった柔道の中に、日本人の考えた「道」というものが残っていることを感じる。勝負に生きるものこそ、勝負というものを超越する。そういう名人伝のような世界が、オリンピック柔道に残っている気がした。

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自給農業の記録

2016-08-14 04:21:50 | 自給

欠ノ上2番田んぼ

日々のことを記録するつもりでこのブログを書いている。過去の記録がなければ、農作業はどうにもならない。続けている間に少しづつ、「自給農業の記録」が貯まってきた。自給農業は平和な暮らしの実践だと考えている。自給生活については繰り返し書くことで分かることがある。思い込みが多いい。間違いもかなりある。昨年と今年では逆のことを書いて居たりする。しかし、その矛盾していることこそ、自給生活の実践というものではないかという気がする。そこにはまとめて整理してしまうと消えてしまう、自給の実践記録は意味が有ると考えている。ほとんど同じことを羅列するつもりが、案外にそうでもないという事を、自分なりに読み返してわかったところである。100人いればさらに100様という事になる。この乱雑多様極まりない中にこそ自給の暮らしが見つかると思う。

自給生活の日々の記録をホームページ化しようと考えた。稲の苗作りと言っても、自給的に行う場合、普通の農家のやり方とは違うものになる。味噌づくりが味噌屋さんとはまるで違うのは、当たり前のことだ。また、一人でやる場合と、みんなでやる場合もずいぶん違う。このあたりを試行錯誤してきた記録である。いつか本にまとめようと考えている。描いている絵を含めて自給生活が絵本のように出来上がればいいと漠然と思っている。これは死ぬまでには何とかやりたいことの一つだ。もし、作る前に死んでしまったら、意味が有ると考える誰かにまとめてもらうための材料だけでも残したい。実用的に考えれば本よりホームページにすれば、希望の内容にたどりつきやすい。レモンと調べれば、私のやったレモンの栽培から、加工法まで出ているといい。レモンの方が、みかんより難しそうだと思っていないだろうか。やってみればレモンは簡単な作物だ。そのような実践記録のホームページである。

自給生活全体を分かりやすくまとめれば、どのようなことをやってきたのかが見えて、私自身が次に進む参考にもなる。呼んでくれる人の参考という以上に、私の参考になると考えている。失敗の方が参考になることが多いいに違いないのだが、案外に失敗は書いていない。この点は格好をつけているという事だろう。もう少し失敗も書かなければならないと気づいた。今年、3人で並んでジャガイモを作った。並んで作ったら、私のジャガイモだけなかなか芽が出なかった。たぶん植える前の処理の違いが出たのではないか。他の2人とは違う生育をした。私は深植だ。深植にして余り土寄せをしないで済まそうとしてきた。土寄せをしないのは手抜きでもあるが、それなりに理由はあったのだが、聞いてみると皆さん私の4倍も収穫をしている。有機農業で1キロのジャガイモで15キロになる人が、田んぼの仲間に居て驚いてしまった。土寄せの意味も考え直さなくてはならない。土寄せを土壌の攪乱のように考えていた。

暮らしを豊かにするためには、音楽に触れるとか、絵を描くことも必要だと考えている。農的な暮らしの心は、創造性豊かなものだと思う。それは上手であるとか、下手であるとかという事と関係がない。より深く自分であるという事と自分の暮らしは離れがたいものだ。生きるという事全てが自分というものの表れである。先日、一緒に山北で暮らしていた甥が、盛岡の城址公園の前でジェラート屋を始めたというので訪ねた。その店が、全く説明のない店なのだ。看板もはっきりしない。何の店なのかは入ってもわからない。値段もわからない。近所に宮沢賢治が住んでいたという井戸があった。宮沢賢治風に、説明のないジェラート屋さんのような気がした。その店は説明がないというところにこそ、その人間が表現されていた。彼はジェラートの味だけを主張したいらしい。説明をしないでも来てくれる人に食べてもらいたいようだ。もちろんそんなことも言葉にはしなかった。

 

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大豆畑の草刈り

2016-08-13 04:50:24 | 自給

大豆は暑い盛りに成長する。畑はすぐ草だらけになる。家の大豆畑はハトに食べられてしまい。追い蒔きをしたのにそれも全部食べられた。半分も残っていない。それでも今年は最後まであきらめないつもりだ。草も2度刈ったのだが草刈りが追い付かない。それでも何とかおくれ遅れで草刈りをしている。昨年家の畑の大豆は草を刈らないで出来があまりに悪かったからだ。やはり叢生栽培の大豆畑ではどうにもならないようだ。舟原田んぼ下の大豆畑は、岩本さんが徹底して管理されていて、見事に管理ができている。間を管理機が通れるように80センチの畝幅にしている。草はないし、土寄せが繰り返されている。肝心の山の畑の大豆畑でも雑草が結構伸びてきた。これは14日にみんなで草取りする予定だが、その前に刈り払い機で一通り草刈りをするつもりだ。それでないと作業が進められないほど草が伸びている。ヒユ菜が多いい。

今年は3つの畑で大豆を作っているので、比較ができて面白い。舟原田んぼ下の大豆は田んぼから水が時々漏ってくる、水の一番ある畑だ。種まきの後はしばらく水浸しになっていたほどだ。ここの大豆が良い。大豆はどの段階でも水はあっても大丈夫だ。田んぼの畔で作るくらいだから、当然のことだと思っていた。先日、大豆は小さい内はあまり濡れた畑だとだめだという意見も聞いた。私の経験では水はないよりはある方が良いに決まっていると思っていたのだが。いずれにしても乾いた山の畑はどうも生育が悪い。今年は雨が少ない。畑は砂ぼこりが舞い上がっている。これが山の畑の大豆の生育を悪くしているように見える。種の発芽も悪かった。家の畑は地下水位が高いのか何とか大豆が育っているように見える。これから、花が咲いてくれば、ますます水の影響が強くなるだろう。草の生え方も種類も3つの畑で違う。土壌の状態も違う。この後実が良くつくのはどんな状態なのかを観察を続けたい。

8日の早朝に1時間半草刈りをした。4分の1だけ刈れた。草刈り機でゆっくりと刈る。朝の涼しい内の1時間半が限度である。1時間45分前後というのが、私の草刈り機の満タンの作業時間である。その後毎朝草刈りをしているのだが、5日間やっても草刈りが終わらない。失敗して大豆を何本かかってしまった。そうなると慎重になって作業は進まない。今日もこの後草刈りに行くつもりだ、それで何とか草刈りは今日で終わりにしたい。草刈り機は基本的にタンクにガソリンを残さないでつか切る方が良い。その方がタンクからダイアフラム(ゴムの振動弁)に圧力がかからないからだ。圧力がかけられたままだと、ダイアフラムの劣化が早まると言われた。このダイヤフラムの交換は時々やらなければならない消耗品である。私でもできる交換作業だから適合するものを常備している。それで使い切るだけタンクにガソリンを詰める。今日は満タンでやらなければ終わらないだろう。

夏は早朝作業をするしかない。炎天下では仕事が雑になる。気持ちを集中させて大豆を切らないように作業ができるのは、夜明けとともにやるのが良い。暑い昼間昼寝をして置けばいいのだ。問題は人家が近いと、うるさいので気を使う。それで家の畑は草だらけになる。田んぼはそれほど人家が近くないので、申し訳ないが早朝にさせてもらっている。その点山の大豆畑は家から500メートルは離れているので、騒音の気遣いはいらない。また、日が当たってくると、草が見にくくなる。見えずらいとつい大豆を切ってしまうので、日陰の内にやりたいのだ。これが書き終わったらすぐに大豆畑に行くつもりだ。5時過ぎれば、もう草刈りが出来る明るさになっている。

14日7時から11時まで、8人で除草と土寄せを行った。

 

 

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尖閣諸島問題

2016-08-12 04:34:27 | Peace Cafe

尖閣諸島の領海に中国船が繰り返し侵入する。この問題は日本が国際司法裁判所に提訴すべき問題である。この島を理由に日中関係が悪くなることは、両国の未来に禍根を残す。現在日本政府は尖閣諸島を実効支配している。実効支配している側から、領有権問題を提訴し解決することが大切である。中国政府が断るとは思われるが、まず日本が提訴することだ。日本政府がそれをしないという事は、国際司法裁判所の判断を畏れているからである。日本の領有権が認められないのではないかという、不安があるからだろう。正しい判断が必ずなされるとは言えないが、それでも判断を任せた方が良い。政府は公式見解として、日本の島をわざわざ問題にする必要がないという立場をとっている。しかし、中国はこの島を中国に領有権があるという理由で、軍事的行動すら辞さないだろう。竹島が韓国が領有権を主張し、軍隊が実効支配していることとよく似ている。これを日本政府は国際司法裁判所に提訴しようとするが、韓国が認めないという状態である。韓国も間違いなく領土だと考えているから、裁判など不要とする姿勢である。

こうした中で、南シナ海の島々の領有権問題が勃発した。中国が埋め立てをして、軍事基地の建設を始めたのだ。これは石原慎太郎グループが尖閣に施設を作れと主張していたところとよく似ている。力の論理で基地を作ってしまえば、国土として確保できるという発想である。実に愚かな武力主義である。中国はせっかく国力を高め、国際社会でも一定の評価を受ける国家になったにもかかわらず、こうした強引な武力的態度で、世界から浮き上がってきた。こんな対立的な態度をとらずとも、国家としての実力を高めて行けば、当然影響力は黙っていても高まる。中国が軍国主義的姿勢を強める態度の中に、むしろこの国の不安定さを感じざる得ないことになる。過去のロシアはそうであった。東ドイツや、ロシアが国家ぐるみのドーピングをしていたことが明らかになった。オリンピックで力を示すこと以外に、国家の力を示せる場がなかったのだ。それは国家としてゆがんだことだと誰にでもわかる。

中国は歴史上なかったほどに、短期間に高度成長をした。それは日本の高度成長期の倍以上の早さである。弥生時代の暮らしをしていた人が、高層ビルの中に紛れ込んだような状態である。誰もが不安定な心理状態にいる。社会的な歪みも、極端に広がっている。山積する社会的問題が高度成長の中で、巻き込まれ、混乱の渦の中に流れ込んでゆく。成長してゆくという力が矛盾をやっと抑え込んでいる。その最中にあるのが、現在の中国である。社会的矛盾を押し流すために、無理やりの成長の継続と、近隣諸国に対しての武力的な圧力を高めることになる。正常に、静かに物を考えることが出来なくなっていると見た方が良い。しかし、中国が世界の経済大国になることだけは確かだ。世界経済はそういう仕組みで出来ている。日本の一部には中国崩壊と喜び騒ぐ人たちがいるが、紆余曲折はあっても、中国は成長してゆく事だけは確かだ。このブログを書き始めた頃に書いた記憶があるのだが、日本は中国を中心とした、アジア経済圏を作ることだ。日本が中心にならない大東亜共栄圏である。

日本政府は、尖閣諸島を一日も早く、国際司法裁判所に提訴し、両国の間にあるとげを抜くべきだ。アベ政権はどこかに中国との対立を待っているところがある。日本の再軍備を計り、憲法改定を目論んでいる。武力主義の人間にとって、また、国際社会を競争だけでとらえる人間にとって、武力を持たない状況が不安過ぎるのだ。それはべ政権だけでなく、日本人にそうした空気が広がってきている。戦争の悲惨さを伝える大切さがあるが、そうならないためには武装しなければという感覚が産まれている。日本が再軍備したところで知れたものだ。それが核武装できない日本の宿命である。どのように戦争に進まないかは、日本独自の平和主義を打ち出すことが大切である。まず、平和主義を示す意味でも、尖閣問題を国際司法再場所に提訴すべきだ。

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象徴天皇を考える。

2016-08-11 04:02:28 | Peace Cafe

天皇がビデオで象徴天皇に関しての自らの考えを表明した。憲法で決められた天皇を象徴とする意味をこれほど深く真剣に考えられていたのかと、自分のうかつさを思った。憲法をまっすぐに受け止め、憲法の考え方に沿って、平和主義日本における象徴としての天皇として、何ができるかを行動で示す生き方であったのかと感動すら覚えた。日本人はすべからく、天皇のように真摯に日本国憲法と向かい合うべきだったのだ。特にアベ政権のように、憲法を曲解するのは恥ずべきことである。憲法で示された象徴としての天皇の意味を正面から受け止めれば、生前退位が必要だという考えに至ったようだ。責任の大きさを考えれば、死ぬまでやり続けることは出来ない。

象徴天皇とはどういうものか。日本人としての伝統を体現する存在が象徴天皇の意味としている。そして、日本の隅々に暮らす市井の人をまんべんなく尋ねる、国民と共にある存在として行動してきた。その根底にある思想は瑞穂の国、美しい日本の天皇という水土の象徴であると、考えればいいのではないか。天皇の暮らしは伝統的日本人の暮らしである。芸術、学問に高い見識のある文化人である。稲作にかかわる神官としての日常である。天皇はむしろ静かに、自分の象徴としての役割を明確にしただけである。

天皇の日々の行動から、国民は認識しているべきことであった。天皇の戦地慰霊の訪問を天皇個人の資質として見ていたことはうかつだった。今までこれほど明確に象徴の意味が示されたことはなかったと思う。子供の頃象徴天皇とは何かという議論が起きたことを記憶している。しかし、象徴の意味が抽象的なとらえ方で、具体的にどういう行動であるべきという事はなかった。日本にとって、日本国憲法にとって、天皇の存在は象徴という意味は、憲法冒頭の重要事項である。その象徴の意味と役割は天皇自身が行動によって、明確にしてきたものであった。象徴という役割をこのように考えるとすれば、確かに天皇が80歳を超えて天皇の象徴としての公務を行うという事は無理だとは誰にでも理解できることだ。おのずと生前退位以外の選択はない。そう急に法律の整備を行ってもらいたいものだ。しかし、天皇がこのような発言をするまで、何も対応できなかったことは、国民全体が反省する必要がある。アベ政権は象徴を元首に変えようなどと、言葉を操る前に、すべきことがあったのだ。

注視しておかなければならない点は、この機会に天皇に関する憲法の規定をを変えようという動きが出ないようにすることである。また同時に女性天皇の問題も取り上げるなどという事をしないほうがいい。生前退位一点に絞り、一日も早い生前退位を実現することが、国民の役目である。あってはならないことは、天皇の政治利用である。政治利用すれば省庁の意味と価値が減じることになる。その意味では天皇は京都に戻る方が良い。東京を離れ、政治的権力とは全くの別物であることを明確にした方が良い。日本に天皇という存在があったことは幸いなことである。それは全く政治的なものではないという江戸時代の在り方に戻るべきなのだ。さらに古い時代の天皇家は、水土技術の先端技術を支配する存在であった。稲作を技術的にも、思想的にも熟成させ、瑞穂の国を武力的にではなく、思想的に、文化的に誘導した存在ではないかと考えている。日本の象徴という意味はそういう、日本文化の根本に戻るという事ではないか。

天皇の暮らし全体が、修学院離宮を形成した時代に戻るべきである。1655年江戸幕府の予算で、後水尾上皇が自ら指揮を執り作ったものとされている。そこにある思想は、日本の理想郷が表現されていると考えられる。水を中心とした庭園であるが、その池にため池であり、下の田んぼの用水である。日本の文化を形として表現したものだと思う。

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子の神田んぼの様子

2016-08-10 04:06:17 | 稲作

岡本さんの田んぼ 田植えが6月末で一番遅かった。今になって急激に生育している。緑肥の効果がここにきて出現したのかもしれない。色がどんどん濃くなり、株が開帳型に展開している。どこまで追いつくのかが興味がある。株の状態は悪くない。昨年より株に勢いがある。

井関さんの田んぼ ずいぶんきれいに管理されている。今までとはどこか違う。想像だが、熱心な方が新規加入されたのではないかと想像しているのだが。

吉宮さんの田んぼ あしがら平野で一番美しい田んぼかもしれない。例年素晴らしい出来の田んぼである。悪い条件にもかかわらず、畝取りまでしている。どうも上のもち米の田んぼにいもち病が出たというメールがあった。確かに、イモチの出やすい冷えのたまる場所なのだが、今年の天候で出るだろうか。見に行ってみなければ。畔には大豆が植えてある。家族で取り組み田んぼの一つの事例ではなかろうか。息子さんが田んぼに来る。これはたぶん、現代の農家では考えられないことだろう。

道路から見渡した子の神田んぼ全景。左から2枚が岡本さん。中心が井関さんで、その上の隠れている2枚半が吉宮さん。こんもりした山が、子の神神社のある場所。この神社の下には、坊所という山向こうのから、山の下を刳り抜いた水道がある。その水道は川の上を渡り、欠ノ上集落の田んぼを潤している。欠ノ上では、水が少なく、舟原地域にいくつものため池を作り管理してきた。江戸時代の田んぼに向けられた並々ならぬ情熱を感じる。

子の神田んぼは3人の人が一定の面積を管理している。家族でやられる吉宮家のようなところもあれば、友人とやられている岡本さんの田んぼもある。そして井関さんが中心に成りグループを形成してやられているところもある。並んで全体で1反5畝ほどの田んぼを管理している。それぞれ形も違えば、異なる管理をしている。成長の様子を見るのがなかなか面白い。家から欠ノ上田んぼまでゆく途中なので、毎日3回は見ていることになる。道路からよく見えるので、作業の経過が手に取るようにわかる。今年は三者三様ながら、とても管理が丁寧で、大いに期待できるところである。子の神田んぼの地形は冷気が溜まるような川沿いの谷地形である。日照が少なく、条件が良い田んぼとは言えない。それなのにどの田んぼもなかなかの出来で、熱心さが伝わってくる。大いに励みになる。

 

 

 

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リオオリンピック

2016-08-09 03:23:00 | 暮らし

オリンピック観戦が毎日楽しみだ。前回オリンピックを見た時に、何とかあと4年生きて次のオリンピックを見なければと思ったほどオリンピックにはまってしまう。無事4年が経過していよいよリオオリンピックが来た。オリンピック4連覇のかかる女子レスリングの吉田選手、伊調選手はどうだろか。力を出せるだろうか。力を出し尽くす姿を見たい。勝つところが見たいというだけではない。人間が限界を超えたような努力を重ね、その力をオリンピックという唯一無二の場で出し尽くすことができるか。その貫徹する力を見たいと思う。勝負は時の運もある。全力を尽くしたからと言って、勝てるとは限らない。強いものが勝つとも限らない。勝者が居れば敗者もいる。日本選手が勝てば、どこかの国の人が負けている。勝つために全力を尽くし戦う姿が素晴らしいと思う。スポーツのすばらしさは、人間が本気になる姿を目の当りにできるところだ。

柔道では2日続けて男女とも力を出し切れず決勝まで行けなかった。力を出し切るという事がいかに難しいものであるかがわかる。どの選手も精一杯戦った。その上で、全力で激突する。強い選手でも意外な、一瞬のもろさで負けることがある。負けた姿にも真実がある。残念だけれども素晴らしかったと思う。これを書き終えた頃、柔道出しで大野選手が優勝した。大野選手は一番強いものが金メダルを取るなら、自分ではないだろう。それでも自分は金メダルを取る人間だと宣言していたそうだ。スポーツに全力になることが素晴らしいのであって、勝って驕らず、負けて潔く。スポーツは生きることの一断面である。日本の選手に素晴らしい選手が沢山いて驚くほどだ。日本人がどんどん変化してゆく中で、素晴らしい形で力量を発揮する精神を獲得している。その姿は崇高である。絵を描いたり、田んぼをやるときにも、学ぶところが次々に出てくる。体操のチームとか、水泳のリレーなどはチームとして力を合わせる見事さがある。チームになった時にいつも以上の力が発揮できることが現実として目の前にある。

日本の球技ははなかなか厳しい状況である。ボールゲームで出場できたのは男女のラクビ―。女子バレーボール。男子サッカー。女子ホッケー。力を出し尽くす、最高の試合を見たい。オリンピックに出場したという事がすごいことだと思う。残念ながら、サッカー男子はしょせん敗れてしまった。負けたけれど力を出した良い試合を見せてもらった。2戦目は引き分けた。引き分けたが力はこれこそ出し尽くした。力を出し尽くしても勝てないこともある。次のスエーデン戦、予選を勝ち抜くために最後の力を出し尽くしてほしい。チームゲームではナショナルチームを組むことが難しくなっている。各所属チームの縛りがある。サッカーではスイスチームの事情で、オリンピックに出ない選手がいた。一方ゴルフなどは優秀選手が出場辞退を申し出た。賞金がなければやる気になれないという事か。果たして東京オリンピック前にはナショナルチームが作れるだろうか。チームを組んで2年くらいはやらなければ、とてもオリンピックで勝てるようなチームにはならないはずだ。

チームスポーツの魅力は、チームを組んで戦う事にある。素晴らしいチームが出来上がる喜びだ。高校野球の教育的効果とは、そういうもののはずだ。甲子園の土を踏めなかったとしても、信頼できる仲間が出来たという人は多いはずである。人の為に頑張れる人間になれるかもしれない。これは一つの生きる目標ではないだろうか。自分のために頑張るは、完成した人のことだ。それは素晴らしいことだが、選ばれた人の生き方だ。人の為になるという事で自分を鼓舞できるものだ。人の為が自分の為でもあるという形が、チームスポーツではないだろうか。この心の持ちようは日本人は苦手になってきている。お上の為、お国のため、を取り払ったことは良いことだが、地域で暮らすために協働する精神は不可欠である。かつてはそれが瑞穂の国の国柄であった。地域という経済関係が失われたなかで、何かで人間の助け合う精神を培う必要はある。

 

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沖縄本

2016-08-08 04:22:55 | 



蔵王 10号



沖縄から戻り、沖縄の本を読んでいる。「グスク文化を考える」新人物往来社 今帰仁教育員会編。「紅型」サントリー美術館。「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」集英社新書 比嘉康雄 著。「古琉球」岩波文庫 伊波普謙猷 著。「沖縄文化論」 岡本太郎 著。「琉球の風」講談社文庫 陳舜臣 著。「沖縄学」新潮文庫 仲村清司 著。行ってみてから読むとなかなか面白い。特に、「グスク文化を考える」は面白い。今帰仁村というところに興味が出てきた。これはシンポジュームをまとめた本だ。こんなシンポジュームを開いた村ということがすごい。これは世界史的な視点に基づいている本だ。沖縄のことを考えると、日本という国がアジアの中でどのような位置づけの国であるかが見えてくる。閉じていない日本があるということを知る。交易ということもあるが、縄文的日本人というものが、何故、南北の沖縄やアイヌ文化の中にあるのかというようなことだ。

日本人の血液やDNAを調べてゆくと、何故か、沖縄の人とアイヌの人は似ていることがあるらしい。ゲノム解析によると、現代日本列島人は、縄文人の系統と、弥生系渡来人の系統の混血であるという解析になるらしい。アイヌ人から見ると琉球人が遺伝的に最も近縁となる。私の頭の中にあるイメージでは、3万年前後ぐらいに、東南アジアの海洋民族が、日本列島に移り住んできた最初の日本人である。その最初の地点が八重山諸島。そして、日本列島全体には朝鮮半島からの渡来。樺太経由の渡来。徐々に日本人が誕生する。それが縄文日本人として1万6000年ごろに成立する。そのご、中国から稲作文化をもった、弥生人が移り住んでくる。そして徐々に混血をしながら、新しい日本人が形成される。それは九州や関西を中心に広がってゆく。しかし、南北に分かれたアイヌの人と、沖縄の人たちは混血することが少なく、縄文人的体質を残して存在を維持できたのではないか。縄文人的な両者の資質こそ、これからの日本を考える上で、一つの大切な要素になる気がしている。

この上の文章を書き始めたのは、もう3年以上前のことだ。絵を掲載しているのでわかる。その後、沖縄関係の本が山積みになった。音楽関係の本が一番多いい。八重山の唄の文化に興味が尽きない。人間が豊かに生きるという本当の意味がみえる。八重山合衆国という本がある。八重山に様々な人が移り住んで、様々な文化が融合しながら、一つの国が出来たという事を分析した本である。そのことは八重山の唄に表れている。中国からの文化、日本からの文化。そいうものを受け入れながら、自分たちのものに育て上げてゆく。その力と自信にあふれている八重山の文化。一つにはその場所がマラリヤで厳しい環境ではあったが、人が暮らすには楽園のように豊かな場所だったのだ。そこに出来上がった稲作文化の魅力は尽きることがない。稲作こそ中国から八重山に伝わり、また、日本から洗練された技術と共に逆輸入される。いろいろ読んでみるが、八重山の稲作については、まだ不明なところが多いようだ。

2万年前の石器時代の人骨が八重山からは出土する。日本最古である。アフリカに発生した現生人類が、徐々に生息域を広げ、日本にまでくる。この人たちは北京原人などの旧人類とは違う。台湾ルートは八重山への冒険的航海の壁。朝鮮半島ルート、北海道ルートと3つの方向から、日本列島にたどり着く。日本列島がこの人の流れの終点。その数万年前の日本列島は人間が渦を巻き、異種の文化がぶつかり、流され、よどみを作り、徐々に日本人を作り出し始める。縄文人と稲作文化を持った弥生人との関係は、かなり融合的なものと最近はされている。日本列島には、引き続き様々な文化を携えた新たな人間が流入を続けていたのだろう。それを、受け入れたり、拒絶したりしながら、日本列島で、日本という塊を徐々に形成する。その典型が八重山であり、いまだにその香りが残っているようにみえる。

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走り穂の出た田んぼ

2016-08-07 04:24:00 | 稲作

 

走り穂の最初の1本が10番田んぼの一番下に出た。8月6日の早朝である。走り穂が出ると、どうかもう少し待ってくれと、つい思ってしまう。稲株全体がもっと充実をしてから、穂に出て欲しいと願う。1本植が20本の穂をつけるという事は、まだ分げつして成育の遅れている株があるという事になりがちである。おくれた株からは大きい穂は出来ない。全体が充実してから穂が出始めてくれればと願う。今年は昨年より5日ほど走り穂が遅い。良い傾向ではないかと期待している。株間を29センチに広げ、開帳型に生育した結果ではないか。早く穂が出るというのは、株の生育にばらつきが大きい状態と言えるのではないか。穂揃いまでばらつくという事になる。

走り穂 :最初に穂が出たのを発見した日。ーー例年サトジマンでは8月初めとなる。

出穂期 :全茎数の40~50%が出穂した日。ーー半分穂が出た様子を記憶しておく。例年8月20日前後これは私の誕生日前日であり、私の名前は出であるので記憶した。

穂揃期 :全茎数の80~90%が出穂した日。ーーこれは遅れ分げつの遅れ穂をのぞいてという感じで良い。8月25日前後

11番、10番、9番、10番の右隅に最初の走り穂

苗床だった3番田んぼ上の色の黄色い田んぼがお隣の慣行農法の田んぼ。

稲刈りが10月8,9,10あたりの予定。いよいよ、あと2ヵ月の田んぼである。昨年は8月後半がほとんど日照のないという天候のせいで9月に病気が出てしまった。今年はそうならないで欲しいと祈る気持ちである。稲の状態は畝取りした一昨年並みであるが、何しろ株数が少ないから、収量はまだわからない。株の様子では8俵行くかなとみているが、どうだろうか。昨年は病気が出て、7,7俵であった。株間を29センチに広げた効果は確かに出ている。何しろ作業が楽になった。特に田植えは楽だった。コロガシで株を傷める確率は下がった。株の姿が開帳型になった。来年を考えると、苗作りもだいぶ楽になる。だから、収量が同じであるなら、29センチで行きたいと考えている。但し草はいくらかで安くなった気がする。分げつを期待して、浅水にした為もある。

29センチ角植えにした一番の要因は、土づくりが進んできたと考えたからである。土づくりは時間がかかる。ここは江戸時代田んぼであったところだ。それを50年ほど前から、みかん畑にしていた。荒れ地や、植木置き場もあった。それを、元気回復事業で田んぼに戻し、農の会が管理を引き受けたのが7年前。それから土づくりに専念してここまで来た。土づくりと言ってもそれ自体が手探りの末、5年目についに畝取りを達成した。分からないなり、藁をたい肥化して戻す。緑肥の栽培を行う。7年間土づくりをしてきた。そろそろ29センチ角でも大丈夫な土になった来たかと考え、決断した。

2番田んぼ。手前の生育が遅れた。理由がよく分からないが昨年もそうだった。

ここの左端に走り穂が1本だけあった。全体で間違いなくこの1本だけである。あとから捕植した株である。走り穂が出るのは決していいことではない。捕植の遅れた株が何らかの原因で、一本早く穂を出したように見える。いよいよ穂が出て、花が咲く時期は水を沢山欲しがる時期である。それでも土を固めないと倒伏になる。ここに矛盾した心境が産まれる。必ず1度や2度豪雨や台風が来るものだ。土壌がグズグズではすぐに倒れる。ここで一度水を止めて土を固めて、また水を入れることにしたいと思う。毎日迷いながらも、決断しなくてはならない。結局さっき田んぼに行き、迷いながら水を止めなかった。

10番田んぼ、一番手前に最初の走り穂があった。このあたりから11番への水が流れている。

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暮らしの手帳:とと姉ちゃん

2016-08-06 04:42:55 | 暮らし

朝の連続テレビ小説「とと姉ちゃん」は暮らしの手帳を作った、大橋鎭子さんと花森安治さんの話である。暮らしの手帳の考え方は、私の発想とよく似ているので嬉しくなった。残念ながら、暮らしの手帳を読んだことはない。読んだことはないが、こうして自給生活を模索してきたなかで、話の手帳が商品テストを繰り返すように、自分なりの試行錯誤を行ってきたわけだ。実はやってみたところで全てが分かる訳ではなかった。自分のやり方にたどり着くという、万が一の事例である。その事例を集めることで、自給の暮らしがわかるのだろうと思ってきた。田んぼが100枚あれば、100通りのやり方がある。例えば、いつも迷う田んぼの干しのことだが、干す人が97%くらいいて、干しはやらないという人が3%くらはいる。両者はやるかやらないかの逆の結論なのだが、その理由は両者ともに正しくある。それが、自給の暮らしというものだと思う。自分に合ったものを見つけるという事が暮らしなのではないだろうか。

花森氏は戦争をしない世の中を作りたいという思いを、暮らしの手帳で表現し続けた。読んだことはないが、あの表紙だけはよく覚えている。表紙のすべてを描き続けたのが花森氏だ。あの絵は暮らしの絵であり、平和の絵だ。平和の空気を伝えることで、戦争のない世界を提案している。絵というものの役割を良く表している。絵も100人100通りのもので、自分と違っているからと言って否定する必要もない。自分の絵を描けばいい。花森氏の作品はデザインで在って絵ではないという人も居るだろう。それは絵というものの意味を狭く考えすぎている。良い表現をしているものと悪い表現のものがあるだ。目的があろうがあるまいが、画面で自分の何物かを伝えているものが良い絵である。そして花森氏の絵が、暮らしの場から平和を語ろうという事を私が感じるという事が、絵の役割なのだろう。

政治家が農業の経験もないのに、「国際競争力のある稲作」などと発言しているのを聞くと、実のない空論を掲げていると感じてしまう。政治は暮らしの場の実感を反映していなければならない。経験だけが、暮らしには役立つのだ。経験というのは、実に多様で一人一人違う事になる。違うから間違いなのではなく、真実だから違ってくるのだ。政治はその100通りある中で、多数決で一つの道を選ばなければならない。だから政治は必ず自分の願いとは少しづつ違ってくる。しかし、100通りの暮らしの願いの緩やかな方角はおぼろげながらある。このおぼろげながら見える方角を整理して、指し示すのが政治なのだろう。その方角を戦争の方に向けてはならないというのが、花森氏の願いだった。それは戦争協力をしてしまった人の反省であり、その後の生き方だったようだ。

日本人の暮らしを変えようとした、ととねーちゃんと花森安治氏、良い暮らしの提案をすることで、平和な日本を作ろうとした雑誌があった。その思いはあの表紙絵に漂っている。絵というものはやはりすごいものだ。私のように暮らしの手帳を一度も読んだこともない人間に、暮らしの、ひとかけらを大切にして生きて行こう。この思いは十分に伝わっていた。私にできることなど小さい、ささやかなものではあるが、志は同じだと思う。自給の暮らしのかけらを記録し、残して置きたい。そして、その自給の思いを絵にしておきたい。それは自分が自給の暮らしをどこまで深く自覚できるかにかかっている。日々の暮らしを大切にして、そのことに深く入ってゆきたい。

 

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フクシマ凍土壁失敗らしい

2016-08-05 04:02:14 | Peace Cafe

凍土壁は不可能だと素人ながらの予測を以前このブログに書いた。こんな泥縄方式で地下水の流入を止められるとは到底思えなかったからだ。水・土は生半可なものではない。福島原発事故は泥縄方式の末、膨大な無駄金を使い続けている。むしろ無駄使いのし放題をいいことに、税金を食い物にしているともいえるのではなかろうか。東電は国に資金援助を要請した。環境除染もそうだ。家の周りだけの除染がどういう意味が有るのだろう。すぐそばの野山で子供が遊べないような環境で、除染が終わったから帰宅しなさいは、さすがに人間の暮らしをないがしろにしている。政府の主張に、3つの嘘がある。1、チェルノブイリの10分の1しか放射能は出ていない。すでにチェルノブイリを超えていると思われる。今も外部に漏れ続けている。2、除染が済んだ地域に帰還を進める。除染の終わった地域などまだない。壊れて直しようもない原発のそばに戻れはひど過ぎないか。3、原子力発電は安い電力だ。この嘘今では誰にでもわかる。

凍土壁の失敗費用まで電気代に含まれるのだから、原子力発電はいかに高いコストの電力であるかがわかる。政府と東電はそういう費用を発電コストに含めて計算しようとしない。そして原子力発電が一番安いと言い切る。これは詐欺行為ではなかろうか。もし、本気で原子力を継続したいなら、堂々と正直にコスト計算を公表すべきだ。そして誰にでもわかるように説明すべきだ。敏感でない報道機関にもあきれる。原発はチェルノブイリと同じく、最初から石棺方式以外に道はない。どれほどの取り返しのつかない失敗をしてしまったのか。そしてその失敗に対してどこのだれも責任を取ろうとしないのが、この日本の政治である。政府は金に目がくらみ腐りきってしまった。凍土壁でも何百億円のムダ金になるが、その責任はこの馬鹿げた方式を安上がりだとした、愚か者が責任を取るべきだ。原発に巣くう連中は原発を食い物にできれば、事故処理を生涯の仕事にしてぼろもうけすればいいと考えているとしか言いようがない。

何故自然エネルギーへ日本は転換しようとしないのか、あるいは出来ないのか。原発事故はその大きなチャンスでもある。原発事故という不幸を、あの時引き返してよかったという、不幸中の幸いの転換するしかないのだ。それを止めているのは、原発に巣食う利権集団である。その利権集団と安倍政権は結託している。そのために、どれほどいのインチキで、世論を誘導しているか。あのオリンピック誘致の時のアベ氏のプレゼンテーションは、原発がコントロールされているであった。どいう狂気であったのか。その総理大臣が結構人気がある、日本人の過半数が支持するという事態に陥っている。もう日本はダメなのだと思うしかない。残念である。悔しい。しかし、それがこの国の実態であり、判断なのだから、諦めるほかない。かかわらないことだ。

凍土壁の失敗という事は、汚染水の海洋流出という事である。タンクに溜め込んではいるが、それがすべての訳がない。地下水として海に流出している。むしろそれを望んでいる気がする。すべてを水に流そうという計画。いや、無計画。アメリカも原発実験で大量の放射能を太平洋にまき散らした。お互い様だから文句も言えない同盟国である。久野でも原爆実験の放射能は検出される。チェルノブイリ由来のものもあるだろう。仏の顔も3度なのだから、そろそろ地球汚染も限界にきているかもしれない。放射能の人体への影響には閾値がないという意味は、100万分の1のリスクであれば、100万人に一人には影響があるという事だ。他の汚染物質と違う薄まらない性格が困るのだ。だから平均寿命には影響を与えないが、不運な人はどこかにいる。人間の暮らしは自然循環に収まらなくなった。自然のサイクルをゆがめてしまうようなものにまで肥大化した。原子力はその最たるものである。文明としての、失敗が原子力利用である。人類が拡大再生産を目指す以上、人類は滅びるしかない。

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外交官の沖縄基地分析

2016-08-04 04:12:20 | Peace Cafe

日本戦略フォーラムの藤崎一郎という元外交官が辺野古移設以外にないという理由を以下のように書いている。論理が通っているつもりで解説をしてくれている。政府が辺野古を唯一として説明をしないのだから、これは参考になる。日本の外交の論理レベルがわかるので、長いがあげてみる。

一は、普天間をこのまま放置することである。 ヘリ基地が人家に囲まれており、2003年に視察したラムズフェルド元国防長官が世界で最も危険な基地と呼んだ。その1年後、幸い人身事故に至らなかったが沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。もし大きな事故が起きたら安保体制そのものを揺るがせることになる。危険性除去が急務とされるゆえんであり、このオプションはない。

二は、嘉手納統合である。得失を見てみよう。嘉手納を管理する空軍が受け入れないとの議論もあったが、より本質的には一基地に集中させてしまうため、抗堪性が減少するし、嘉手納基地周辺住民の納得を得るのが困難と考えられたのだと考える。

三は、県外移転である。 鳩山由紀夫内閣が、いろいろ試したが受け入れる県はなかったのは記憶に新しい。国内をまとめられないのに尻を米国に持ち込む形になり反発を買った。

四は、代替基地を設けず単に普天間廃止をする案である。中国が領海、接続水域に入り、北朝鮮がミサイルで挑発を続けている中で誤ったメッセージを送ってしまうことになる惧れが大である。

五は辺野古移設である。そうであれば美しい辺野古を埋め立てるのは忍びないが、ギリギリ五の移設案しかないことになる。

もっともらしく述べているが、実に根拠に乏しく。外交の専門家の判断とは到底思えない。人間が欠落しているところが特徴である。このような論理レベルの人たちが日本の外交を担ってきたのだ。まず、普天間基地の役割の分析が弱い。基地には沖縄になければならない要素と、沖縄以外でも構わない機能がある。兵士の訓練など、アメリカでやってもらえばいい。普天間基地が辺野古ではなく、中国や北朝鮮に近い、無人の離島に存在した方が、中国、北朝鮮へのメッセージ性がさらに強くなるだろう。奄美列島の無人島でもよい。また、県外移設を受け入れるところがないにもかかわらず、日本の防衛に米軍が必要とされるのであれば、むしろ他の県の説得を出来ない政府の無能を問題にすべきだ。沖縄の米軍集中を進めてきたのは安易な政治による差別である。差別を政府が是正せず温存するこは、人権的に許されることではない。南の無人島で嫌だというのはアメリカ軍なのだろう。この重要な点に触れていないのは、気が付かないのか、意図的に隠しているのか。

それでもどうしても、アメリカに沖縄の辺野古に居て欲しいと、日本政府が考えているなら、正直にそう述べる必要がある。そしてそれだけの負担を強いるのであるから、それにふさわしい代替措置を明確にして、沖縄県や、地元住民と交渉すればいいのだ。例えば沖縄は無税にするのでお許し願いたいというのもある。他の県がどうしても受け入れないというものを、理由を明確にしないで沖縄に辺野古移設以外にないと押し付けるのでは、アベ政権と沖縄以外の日本人の不誠実である。沖縄差別意識を持っている日本とみられても仕方がない。辺野古を唯一とするずる賢いアベ政権という事なのだろう。いずれにしても沖縄だけに負担を押し付けている、背景の論理はこの程度のものという事だ。アベ政権は沖縄県に対して又訴訟を起こした。アメリカの圧力に屈している。アメリカは日本の再軍備を期待しているのだ。アベ政権も、憲法を改定して再軍備がしたいのだ。

八重山にも自衛隊の配備を進めている。自衛隊基地という形で、米軍に基地を供与することになる。これはまさにトランプの言う、自己負担の新しい形である。日米安保条約がある以上。米軍が自衛隊基地を共同使用するのは、当然のこととなる。アベ政権は軍国主義なのだ。軍事力に頼る力の外交以外ないと考えている。平和的手段による外交など、無駄だと考えやろうともしない。それは、元外交官の分析にも良く表れている。平和外交による、基地縮小など念頭にもない。憲法を無視した政権なのだ。自民党憲法をつくり、大企業の国際競争力を手助けしたいというのが本音である。現行の憲法をやりにくい迷惑なものだとしか考えていないのだ。

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白鵬時代の終わり

2016-08-03 04:16:33 | 身辺雑記

白鵬は白鵬という人間であるように見えるが、白鵬という役割の姿。横綱というものはそういうものではないか。行司さんはどなたであるにしろ、木村正之助なり、式守伊之助である。白鵬は相撲舞台の横綱役なのだ。後の先の相撲を取った双葉山を理想として、そこを目指すと常々公言していた姿はその横綱の台詞である。しかし、最近は後の先の相撲どころか、先の先の相撲を取っている。立ち合いのやり直し注意が相次いでいる。かちあげで脳震盪でよろけて土俵を割った相手をダメ押しまでする。何故、このようになったのかは、勝ち負けにこだわりすぎる結果である。実は1年ほど前に白鵬は急激に衰えたのだ。今は衰え焦った結果、なりふり構わず勝相撲に徹する道を選んだ。横綱役を捨てたのだ。そしてまた優勝をするようになった。この選択を見ると白鵬がモンゴル人らしい世界観に生きていると感ずる。砂漠の民の、厳しい世界観である。人間白鵬は1番の強者を貫けば、自分が評価されるはずだと信じているようだ。

白鵬は確かに強い横綱である。歴史上最強の一人である。横綱朝青竜を思い起こすような悪役横綱になってきている。これは残念なことだ。荒っぽい本性を抑制してここまで来たなかなかの役者だったのに、残念なことだ。稀勢の里はいざという時に負けてしまう。私はそれでいいのだと思う。勝つだけが相撲ではない。どれほど一生懸命でも、いざとなると緊張で力が出なくなるというのも、人間らしくて良いではないか。日本人横綱が居なくなって久しいもので、つい日本人横綱を待ち望む声は当然ではある。もう少し相撲を味わい楽しむ空気で、横綱に見事に挑戦し続ける大関役稀勢の里として、立派な力士として評価しておくのがいい。素晴らしい横綱挑戦を何度でも見せてくれることに満足したい。一番の強者だけでは相撲は出来ない。それではひとり相撲だ。

大相撲はそもそも、神事に始まるもので、自然神に感謝し奉納するものであった。勝ちとか、負けとかはそもそも意味をなさない行事の意味が根底にある。江戸時代興行として、発展し、芸能勝負という事が登場した。神事に基づく相撲全体を楽しむものとして完成したものである。お伊勢参りや富士講が江戸の庶民の夢だったことと同じで、神様を忘れずに掲げて置いて、別個に楽しむという遊興である。だから、それぞれの役を忘れてもらっては、見るものとして困るのだ。負けても潔い横綱を素晴らしいとついこの前まで見ていたのだ。確かに、今の日本はそういう風潮は薄れたのかもしれない。大鵬、柏戸の時代、勝てない柏戸の評価も、大鵬以上に立派だと結構評価が高かった。柏戸の土俵態度が負けても潔く立派だというのだ。それもあって、勝ち続ける強い横綱大鵬と、同等に評価されたのだと思う。もう負け方が見事だなどという空気は日本から失われたのかもしれない。散る桜を愛でる日本人。

白鵬は先の先で生きるだろう。そうせざる得ない精神状態の中に生きている。それでも勝てなくなってやめる時は来る。どれほど強い人間でも、終わりは来る。そして今までより長い人生が待っている。何を日本の相撲を通して学んだかである。オリンピックが始まる。世界中のスポーツ選手が一堂に競う。その見事さを見れるだけでも幸せである。日本選手の活躍を思うと今からドキドキする。スポーツというものは人間の極限へ向かうすばらしさが表現される。そこへ、ロシア選手の国ぐるみのドーピングという話が出てくると、何とも情けない。一番だけを求める醜さが浮き上がる。日本でも金メダリスト候補が、賭博でオリンピックに出られなかった現実を忘れない方が良い。ああした事件が、オリンピックの興味を減じている。スポーツで人間の道を突き詰める姿がみれれば、金メダルでなくても充分に素晴らしいことだ。

追記、横綱白鵬のことのように書いたが、実は総理大臣安倍晋三氏の話である。

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温暖化の限界

2016-08-02 04:35:46 | 環境関連

田んぼ夏空

温暖化対策が出来なければ、人類は滅亡する。これは正確な未来予測である。これは危機を煽るデマではない。人類が滅亡してまた地球は新たな生命を育み始めて、再度知的生命が誕生するのだろうか。その時人類が残した遺跡を発見してどのように思う事であろうか。火を手に入れて、人類が化石燃料を燃やし続けることは、抑精神の乏しい、貪欲な生き物として必然なことなのかもしれない。資本主義を人類が続ける以上、温暖化の阻止は出来ないことだろう。温暖化など、直視しようとしないことだろう。様々な屁理屈を並び立て、金儲けできる道を見つけ、出し抜こうとすることだろう。むしろ当面は気象変動を喜び、競争相手がこぼれ落ちるのを期待する国もある。ある国家は温暖化阻止に向うことは出来るかもしれないが、地球規模で言えば不可能であろう。

温暖化は一人一人の暮らし方なのだ。人間が暮らしの豊かさをどこに見出すかだ。資本主義は消費を良いものとして、大量消費を奨励している。今年の夏は暑いので、クーラーが売れて景気が良くなると、テレビでは電気屋さんが喜んでいた。温暖化万歳の企業が存在し、温暖化を推進していることだって大いにありうる。人類の滅亡よりも目先の儲けを求めるのが、資本主義の原理だ。競争に負ければ元も子もない。商売をやっていれば、クーラーの販売員が夏暑いことを喜ぶのは当たり前のことだ。山背が来て不安になっている岩手の農家とは違う意識になる。私も、早く梅雨明けしてもらいたいと考えていた。長雨で稲が病気にならないか不安だからだ。こういう時近代農法では殺菌剤を散布するのだろう。昨年、8月後半の雨続きで小黒菌核病らしきもので大打撃を受けた。ストチュウでも用意しておこうかと思っている。病気が出たとしても、そこそこ通り抜けるしかない。それが里山暮らしの手入れというものだろう。

稲の病気を畏れ、化学薬品で予防まですれば新たな問題が出現する。効果が高いものには、予防効果だけではない自然環境に与える影響も大きくなる。そして遺伝子組み換え作物まで進んでゆく。そうして自然を破壊しても、自分の農園だけが利益の出る農法に向かう事になる。遺伝子組み換え作物以外の農家のことなど、潰れればいいと考えている。それが競争の原理である。遺伝子組み換え作物の殺虫植物が自然界に広がった場合どのような影響が出るかは、未解明である。未解明であろうが、自分の利益が出るのであれば気にしていれば出し抜かれる。それが資本主義の現実である。こうして人類は競争をしながら拝金主義に染まった。相手が良くなることは、自分が良くなれないことという仕組み。唯一人類が生き残るためには、共存である。自分の暮らしを深めるることが回りに迷惑をかけない生き方。それを実践していたのが江戸時代のの暮らしである。封建的で因習にとらわれ、不愉快な社会ではあるが、共存するしかない社会である。

共によくなる以外によくなる道がないという社会を目指すべきだ。それは期待したところで、不可能に近い。何度も人類はばかばかしい戦争を繰り返す。相手に勝たなければ、自分が生き残れないと思い込んでいるのだ。その現実が避けられないとするなら、せめて自分の暮らしだけでも自然の循環にそいたい。すごい遠回りになる道だが、温暖化を食い止めるには、一人一人が金権主義を抜けるしかない。たぶんできないだろう。70年ごろ学生闘争が起きたのは、その危機感が根底にあった。このままでは人類は滅亡すると予測された。しかし、世界はその警告を無視した。そして、50年無謀にも突き進み、後戻りできないところまで来ているのだろう。私は全体のことを忘れるようにして、あえて見ないようにして自分勝手に自給自足に生きようとしてきた。しかし、時間は確実に悪い方向のまま過ぎ、展望はさらに暗くなっている。次世代に示せるものは、もう逃避方法だけかもしれない。

 

 

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