地場・旬・自給

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なんくる農園の畑人日記

2010-11-16 04:22:26 | 自給
農の会の野菜の会を中心で運営しているMさんが 「なんくる農園の‘畑人日記‘」を書いている。この内容が素晴らしい。最近はこのブログに沿って笹村農鶏園の作業を考えている。理解できないところや、質問のあるところは、火曜日に集荷場では会うのでそこで確認する。これは本当にいい勉強になる。先日伺ったのは、タマネギが未熟たい肥を嫌う理由である。タマネギ苗の植え付けのことを読んでいると、タマネギにはたい肥を使わないほうがいいという見解に出会う。しかし、小田原のタマネギ農家は牛フンの堆肥のまさに未熟品を5トンから10トンも入れる。これで密植して大玉のタマネギを大量に収穫する。昨年ジョイファームの有機農家の方から聞いた。そのやり方は実に大胆で、苗の大きさと堆肥の腐熟との兼ね合いを上手くとらえているようだった。専門の農家の人の技術はすごいものである。小田原では市民のタマネギ体験農業がある。

Mさんによるとタマネギバイが問題だ。と言われていた。未熟たい肥の臭いが虫を呼び込み、卵をうみつける。それでタマネギの苗が腐ってしまう。だから完熟たい肥でないといけない。こう教えてくれた。腐植と虫の関係という点が実に面白い。最低でも2週間は間を空けて、もちろん1カ月と期間は長いほどいい。早速今年は教わった通りで進めている。昨年タマネギは相当にやられてしまった。今年こそ、タマネギの自給を達成したい。つまり、365個は必要。400本の苗を作ること。実は今年は苗のトレー蒔きは成功した。400本はあることになる。植え込みのベットはもう整備してあるので、後はタイミングだと思っている。なんくる農園では極わせはすでに植えたようだ。私は保存の効く晩生しか作らないから、今週中がいいかと思っている。畑人日誌を読んでいただけば良く分かると思うが、これほど実践が公開されている情報は、唯一ではないかと思う。

なんくるの名前で分かるように沖縄で勉強されたそうだ。作物の平均レベルのたかさが、まじかで見ているのでよく分かる。実に頭の中が整理されて来ている。野菜をやれる人は頭の整理がいい。それだから、複雑に絡み合った、無数の野菜の播種から苗作り、そして畑の片づけが、可能となる。私は稲と小麦の2つですら、一か所でやると頭の中がパニックになって寝てもいられなくなる。「なんくるなるさ」はケセラセラらしい。出来ないくせに、突き詰めてしまうのがいけないのかもしれない。もう大豆の収穫もある。一人では到底無理だ。稲刈り、脱穀、籾すり。小麦の播種。大豆の収穫。重なってゆく作業が、何とかなるのはグループでやっていて、誰かが指示をしてくれるからっだ。市民的自給にはこの仕組みは案外に重要。そこに、なんくる農園の畑人が要点を指示してくれる。これは実にありがたい。

最新のブログでは豆類の収穫が出ている。さりげなく大豆の会のものは、まだ少し緑が残っているので、収穫はもう少し先と書いてくれている。20日21日が収穫となると連絡が来ていた。昨年より1週遅い。昨年は早く収穫したので、発芽が悪かったのではないかという予測があった。脱豆機の要撃が良くない可能性がある。そこで、一部種にする分は別に保存をする予定。12月に入っての脱豆作業で併せてやればいいかと思う。大豆の後は、Mさんが麦を作ると言われていた、麦、大豆の輪作がどんな結果をもたらすかも、興味がある。このブログには五平餅の作り方が丁寧に載っていたりする。そういうのも、さりげない連絡事項ということなのだろう。

昨日の自給作業:藁の片づけ2時間 累計時間:13時間
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ホロホロ朝市

2010-11-15 04:26:51 | 環境関連
段ボールコンポストの紹介でホロホロ朝市に出た。小田原野球場のある上府中公園である。今月はイベントが多く、毎週どこかに出ているような状態である。段ボールコンポストに対する市民の意識が変わってきていることが良く実感できた。ここ数年の努力がだんだんに実を結んできたことを感じる。段ボールコンポストの名前の浸透は、この1年格段に進んできた。生ごみをたい肥化しているものだという認識は、かなりの人の反応で確認できる。しかし、何故段ボールコンポストでたい肥化をするのかについては、だいぶ認識に差があるようだ。ごみを減量するため、ということは案外に認識されていない。むしろ、家庭でたい肥を作る方法ということを話される皆さんが多い。必ず作物を持って出てきたことも効果があったのかもしれない。ほかほかの土を作りたいという人には感激した。美味しい果物を食べたいから、やるのだという人もいる。

一人止めたというかたと話す事が出来たので、その理由を伺った。臭いが駄目だったそうだ。やっている自分は案外に大丈夫だったのだが、ご主人から、なんだこの臭いはと言われたのだそうだ。臭いについてはアンケートでは90%の人が大丈夫と答えている。しかし、臭いは個人差が大きいから、駄目な人にはだめなものだ。もちろん虫が厭だという話は何度も出た。虫対策をまとめたので、ここにも転記する。

段ボールの隙間から虫が入らないように、ガムテープをきっちりする。
流しの三角コーナーで虫が卵を産む可能性があるので、生ごみは早く入れる。
段ボールの中に入れる洗濯袋方式は、良くかき回せるので虫が発生しにくい。
水分過多にならないように管理する。撹拌を良くする。
粉ダニの場合は、退治が難しい。水アブの類は温度を上げると効果が高い。
60度以上に2日間上げれば、大抵の虫は卵まで死滅する。
「廃油、小麦粉、米ぬか、ごはん、黄粉、納豆等」を入れると温度が上げる。
虫が出たら、潮時と考えて、堆肥にしてしまう、諦めも肝心。
虫が湧いた堆肥は畑で使っても問題はないです。
基材を引き継ぐと虫まで引き継ぐことがあるので、完全交換も必要。
ビニール袋に全体を入れ日光に当てる、地獄袋方式も効果があります。
☆究極の対策は、虫を好きになる事が一番。

今回の出店はどこで間違えたのか、環境政策課というブースになった。それで名札も環境政策課ということで用意してあった。それで一日環境課職員となった。これはいい経験であった。市民の反応が少し違う。普段生ごみサポーターということで、市民ボランティア的に受け止められているののが、仕事で来ているというイメージのようだ。確かにこれは市の職員は大変だと思った。市民の中には市の職員を見ると、この機会に日頃困っていることの、苦情を言いたくなるという人がいる。実は私もそうである。市の職員が縦割りを装う意味が良く分かった。縦割りは最近では個人別になっていて、その担当は私ではないという場合がほとんどで、その人が居ないとまた来て下さいになる。また苦情を言ってしまった。

小田原の家庭ごみをどのように処理すれば良いか。現在最終報告書が作られている。私も書いているのだが、状況を知れば知るほど、困難なことばかりである。素晴らしい仕組みは全国には沢山存在する。しかし、小田原の財政状況では到底取り組むことが出来ない。実際にやれるのは家庭での現状努力ぐらいである。段ボールコンポストの基材の提供ですら、充分にはできない。理想論を展開すべきか。現実論を煮詰める方がいいのか。とても迷っている。
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植樹 明星登山道

2010-11-14 05:07:25 | 地域
長年の夢の一つが始まった。山に三つ葉つつじを戻してゆくことである。うつくしい久野里地里山協議会の活動である。久野舟原に小田原植木さんの圃場の一つがある。そこで山つつじとミツバツツジの苗を、3000本育ててきた。これを春秋に山に戻してゆくことになっている。もう15年は前になる、まだ久野に越してくる前の山北の山の奥に住んでいたころだ。久野に庭林の会というものが始まった。農の会と同様に、これも山田純さんが企画したものである。久野の里山を自分の庭と考えて行こう。こういう発想の会だった。市民が里山をどのように利用し、かかわって行くかということを模索していた。本来薪を取っていた里の近くの裏山まで、杉檜の植林に変わってしまった。これをどのように自然林の山に戻してゆけるかを模索した。

業としての林業が成り立たないのであれば、市民が山とどうかかわれるか。市民が実践を通して模索する必要があるというのが、発想の原点だった。森林インストラクターをされている方が数名加わっていた。造園をされていた方なども加わり、色々やっては見たが、この時は結局活動は停滞し終わった。舟原に越してきてからは、日々、明星山を眺めて暮らしている。昔はあの山の至る所にミツバツツジがあったらしい。それがただの1本も無くなってしまった。山の植林が進んで無くなってしまった。昭和30年代までは、杉檜の山は豊かな山の象徴ではあった。ただの雑木の山は家庭からかまどが消えて、無駄な山になってしまっていた。プロパンガスの普及である。昭和40年までは山梨の山村では薪生活が普通であった。そのころは山にはつつじは幾らでも生えていた。同じく無くなったのが、じじばばと呼ばれていた春蘭である。いたるところにあったものが、一つもないというのがすごい。

もう一度、子供の頃の山に戻せないか。もう杉檜の山は豊かさではない。都市近郊の豊かな山は自然林の山である。市民が歩いて楽しいと感じるような山に戻してゆく。建築用材は採算の合う一部の地域に限定する。たとえば、川の両岸10メートルは杉檜の植林はやめる。コンクリート護岸にして、川のギリギリまで植林するようなことは、無駄なことである。自然の破壊だけでなく、自然の循環を断つことになっている。自然な渓流をどう確保して行くかを考えれば、川から一定の幅で自然状態を維持することで、山から里から海までの豊かさが格段と変わってくる。防災的にも受容する力が高まるはずである。洪水や土砂崩れにつながる山の荒廃は、植林された山の管理放棄されることに原因する。真っ暗で下草も生えない状態では、山は単一化してしまい生き物も住めないようなところになる。

縁があって舟原に暮らすようになり、明星山麓につつじを戻すことが出来るようになった。第1歩である。昨日は50人ほど集まった。一般からの募集が30名。里地里山のメンバーが20名ほどだった。参加費のほかにつつじを植樹する費用ということで寄付をもらった。寄付はまたつつじを購入して行くことに使わせてもらうことになっている。つつじは100本戻した。小さな子どもも参加してくれた。この子供たちが大きくなるころにはと、一面のつつじ山になることをみんなが口々に話していた。参加者は団塊の世代が多い。30年先、50年先の山の話は自分が見られる山のことではない。でもどこかに転換点があるはずだと思う。こうした活動には問題点もあるだろう。でもみんなの気持ちが一つになり、「山を何とかしたい。」という気持ちが膨らんだはずだ。
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情報流出とネット社会

2010-11-13 04:13:55 | Peace Cafe
尖閣の衝突映像のUチューブ流出。何故この動画を非公開にしなければならないのかが、私には理解できない。中国政府がいうように、動画を見ても何も状況は変わらない。領有権問題の本質とは関係が無い騒ぎになっている。出来る限りの事実を国民共通の認識にする。あたり前のことだ。これを6分だけ一部議員にだけ見せて済ませようという不思議。この程度のことを公開しないことが、どれほど尖閣問題に関与してくるのか。民主党内閣の政治感覚は、感度がひどく悪い。中国への配慮と事実の公開とは違う。ロシア大統領の北方領土訪問の対応など、外務省も東郷氏佐藤氏を辞めさせた後、人材が無いということなのか、てんやわんや。尖閣問題の本質は何故中国船を、追い回したかである。海上保安庁の現場では、いつかはやってやろうと思っていたに違いない。映像流出と同じである。政府は何も指示をしていなかったようだ。この点がまず抜けている。

すべては普天間移転、日米安保の見直しから始まっている。中国の隠れた意図が暴かれたと、大成功だと考えている人間が、山ほどいるだろう。日本人の天国トンボの目を覚ました。と思っているに違いない。Uチューブに投稿した保安官の気持ちの裏には、危機意識から情報公開になった。昔なら、新聞社かテレビ局へビデオ映像を送るぐらいだが、個人が全国民に情報を送れる。一方政治家がネットで自分の意見を述べることが、日本人全体への説明になっている。テレビや大手新聞社が小沢氏を目の敵にしている中、「ニコニコ動画」での小沢氏らしい反論の姿勢である。これはテレビ報道とか、マスコミとか言われるものが、衰退を始めていることでもある。報道機関というものが自分なりの思想哲学を持ち、きちっとした批判精神に基づき、運営されていないからだ。小沢報道にみられる、常軌を逸した偏向した報道の、裏側を想像したくなる。検察審査会の判断が出た今、裁判がおこなわれるのだから、裁判の結果を待つほかないというのが、今の状況だろう。

国会で小沢氏を喚問したところで何も解明はない。政治的駆け引きにしても幼稚。緊迫した日本の未来に対して、何か有意な結果があるというのだろうか。説明責任だけならニコニコ動画と同じこと。報道機関では、まるで映画俳優のスキャンダルと、同じようなスタンスで政治の問題を扱う。もう時代はインターネットに動いたようだ。それでも選挙には相変わらず使わせないようだ。権力を担う者には自分の手の届かない真実が怖いのだ。どんな情報も閉じ込めておくことはできない。大手の通販サイトなどからも、情報が簡単に漏れる。便利とは思うが、カードでのネット利用はためらう。どんなにセキュリティーを考えても、最後は人間である。人間が犯罪を犯す可能性を入れたら、情報というものは集めれば漏れる。痛し痒しであるが、政治もこれで動く。インターネットが戦争を引き起こす可能性もある。いずれネット社会では情報の独占はできないということ。

情報は中途半端が一番いけない。6分間だけ見せるなどバカバカしいにもほどがある。見せるなら一部始終だ。裁判証拠が編集されているというのにも驚いた。那覇地検はしっかりしなければいけない。それは個人情報でも同じことである。私はこのブログのように、すべてをあからさまにすることにした。隠すことはもう出来ないと覚悟をしている。実は隠すほどのことは何もない。恥ずかしい情けないことも山ほどある。山ほどあるが、仕方が無い。そういうことはまだしも、安全の問題がある。たとえばこのブログを読んで、腹を立てた人間が押しかけて来るとかいうことである。そういうことを教えてくれる人がいる。しかし、隠したところで同じことだと思っている。探す人間は探すし、情報を隠してどうなるというものでもない。このブログをきっかけに、農の会に関心を持ってくれる人もいる。それで十分である。

昨日の自給作業:機械整備3時間 累計時間:11時間
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生(いき)ごみたい肥実証圃場

2010-11-12 04:01:24 | 地域
久野の峰線に実証圃場を作った。小田原市が作ったということにはなるが、実際には生ごみクラブで作った。生ごみクラブとは小田原で生ごみのたい肥化の推進協力をしてゆく組織である。実証圃場は6つの区画に分かれている。一区画が3㎡である。A区画が報徳小学校の生ごみ処理機の乾燥生ごみ。1反換算で10トン。実際には30キロ。B区画が報徳小学校の堆肥1反換算で5トン。実際には15キロ。C区画が報徳小学校の堆肥一反換算で3トンで9キロ。D区画が農協で普通に売られている。牛フンたい肥を一反換算で5トン。実際には15キロ(湿気ているので換算上20キロ)。E区画が段ボールコンポスト、一反換算で5トン。実際には15キロ。以上が堆肥投入区。5トン納入が3種類となる。そして、比較のためにF区画が無肥料区画となる。

ここまでの手順を記録しておくと。10月18日に畑をユンボを使っての開墾。畑の状態は建設残土に近い状態。コンクリート片や大きな石、ガラスや瓦やタイルが相当量混入の状態。20日にトラックタ―で耕運。やはり大量の石が出る。25日に堆肥を投入し、管理機で耕し混ぜる。相変らす大きな石が出てくる。11月9日に菜花を植え付ける。菜花の苗は田中さんが準備してくれる。写真は11日に撮影したもの。基本的な土壌は無肥料状態の残土と考えていい。普通なら畑にはしない土壌である。堆肥を投入し、2週間置いて、菜花の苗の植え付けを行った。土壌はある程度の湿り気があった。植え付け後は水を与え、藁で根もとを覆った。

すでに状態の差が出てきている。苗植え付け時点でも土の状態はかなり違い、堆肥の入れ過ぎの感があった。A区画は乾燥が進んで苗は萎れてきている。BC区画はそれほどでもないが、土が乾き、苗も萎れてきている。D区画は農協の牛フンたい肥区で、一番元気な状態である。堆肥がかなり水っぽかったためかと思われる。次に元気なのがF区の無肥料区画。そしてほぼ同じ程度なのが、E区画の段ボールコンポスト区。

実証圃場の奥には、家庭菜園コーナーがある。ここは生ごみ堆肥を使って家庭菜園をやりたい人にお貸しする。1坪程度で年間1000円の指導料をいただく。場所は久野の丘の上で、フラワーガーデンからもそう遠くない。堆肥が出来るが、使う場所が無いという人に是非利用してもらいたい。

今月の28日には、小田原市の諏訪の原にあるフラワーガーデンで、生ごみフェスティバルが開催されます。ここでは、生ごみたい肥を使ったキャベツとブロッコリーの、展示を行います。生ごみたい肥がいかに素晴らしいたい肥であるかを見てもらおうと考えています。参加は作物は市で配布した、キャベツとブロッコリーの苗が中心です。ただし、生ごみ堆肥を利用した作物であれば何でも構いません。写真参加もあります。参加賞には素晴らしい間伐材で出来た、プランターカバーが出ます。優秀な作物には市長から表彰があります。

昨日の自給作業:小麦の播種3時間 菜花の植え付け 累計時間:8時間
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小麦の播種

2010-11-11 04:13:43 | 自給
予定通り、今日11月11日に小麦を播種することになった。品種は農協にお願いした「あやひかり」である。播種機も杉本さんからお借りすることが出来た。もし上手く蒔けるようなら、来年は購入するつもりだ。小麦をやるということが徐々に伝わって、やりたいという人が何人か集まった。それなら、農の会の全体の中で募集した方がいいと言うことになり、皆さんにお伝えした。現在、9名ということになっている。有難いことだ。これで一軒1畝の麦畑ということになる。30キロくらいということになるか。自給にはちょうどこの位がいい。みんなでやるなら、大した手間もかからない。手間のかかるのは、麦刈ぐらいだろう。それも9人も集まれば、大した手間にはならない。機械も使うのだから、田んぼの会と同じように、農の会に会費は払う必要があるだろう。後は「草取り、麦踏」と、やれる時に各自にやってもらえばいい。田んぼが終わり、麦の播種。そろそろ大豆の刈り取りも入る。良い順番になりそうだ。

農の会では小麦をやっている人は結構いる。すでにグループでやっている人達もあるようだ。パンを家で作るというところから、小麦を栽培してみたい。ということに繋がっているようだ。私としては「おほうとう」に関心があるので、まずは麺用小麦を作ってみたい。多分参加者の気持ちはパンを作りたいということに傾いているだろう。もちろんそれもいい。来年は考えた方がいいかもしれない。いずれにしても最初は作りやすいものを作ってみるのがいい。みんなでやる一年目だから、全体を通して流れを確認する。今まで自分で作ったのは、2畝までである。手刈りでやれる範囲である。これで自家用でやるには十分だった。これをみんなでやることでだいぶ楽になるはずだ。小麦の会の仕組みづくりを考えて見たい。

小麦の栽培で一番の障害は、安い小麦が存在することだ。輸入小麦が安いのは当然であるにしても、国産小麦も安い。安いことは悪いことではないのだが、補助金で安い。補助金をもらえない人間には、関税障壁と同じことだ。それで小麦粉を販売すると高いと言われてしまう。これは戸別補償でも同じことである。高いといわれるほど高く売る訳ではない。販売するとなれば小さい農家には小麦粉キロ1000円以下では生産できない。手間暇考えればそうなる。これが小麦が広がらない、価格的障害になっている。これからは戸別補償とも、対決しなければならない。戸別補償は我々のような新規就農者の、しかも独自販売を開拓してきたものには、受け取ることのできない仕組みだ。しかし、自給となればその点は構わない。価格というのはあってないようなもの。将来的には日本の農業は、自立できない状況になるだろう。価格的には今の補助金くらいの補てんでは誰もやれなくなる。その時にこそ、自給的農業はいよいよ意味が出てくる。

理屈はともかく、みんなで麦がやれることがうれしい。大豆の会が始まったのも、農の会の借りていた農地が突然空いてしまって、さてどうするかということから始まった。それが今では会の中心の一つの大きなグループに成長した。自給の家もそうだった。家作りに挑戦したい思いだけで、提案したことが、今最小限の家として存在する。小麦畑もやれなくなった農地をどうしたらいいか、ということから始まりそうである。農の会の素晴らしいことは、「小麦をやりたい人いますか。」というような呼びかけで、1週間足らずで、9人も集まるところだ。誰かが、やってみたいということを提案する。一人では難しいことが、何とか形作られる。それがもしかしたら、農の会の新しいグループに成長する可能性もある。
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小田原城址公園樹木伐採

2010-11-10 04:51:16 | 地域
先日、親戚の法事で柏の先の豊四季というところに行った。その席で「小田原では、お城の木を切るというので大変らしいね。」という話が出た。わざわざ心配だけどどうなっているのという電話まであった。最近街の方の話は聞こえないことにしている。すべてがちぐはぐで証文の出し遅れの気がするからだ。以前のホールの問題でも、結局話が蒸し返され、後になって覆った。奇妙奇天烈な市民ホールなど困るというのは、市民共通の思いだ。が、何故この案が出て了解されたとき、このことが問題にならなかったのか。後になって尻馬に乗って反対した市会議員の各位は、当時は何も気づかなかったでは情けない。今回の伐採の問題は、だいぶ前に決まったはずだ。樹木伐採についても、反対発言した議員は居たのだろうか。もう5,6年たつのではないか。それを今更というのが、堪らない。やたらに樹を切らないほうがいいのは当たり前のことである。とんでもない話だと主張したが、盛り上がらなかった当時のことを思い出す。市民が気がつかない問題を、取り上げ知らせるのが、市会議員の役割だろう。

今回のこともそうだ。いざ実行が始まってから問題化する。情けないことだ。だから、樹を切るうんぬんに問題が矮小化されてしまう。問題は「小田原城址公園」をどうするかだ。現状は城跡にある公園である。それなら街中の自然林の山だって悪くない。あの城を小田原城とは思いたくない。あれはレプリカでもない。私が思うに熱海城と同じ観光用の展望台である。あれを持って、世界規模の城下町サミットまで、企画したのだから驚くべき曲解だ。小田原城址を遺跡として保全するなら、まずあのお城ではだめだ。市民として誇りが持てない。城跡で象のウメ子さんが閉じ込められていたのだ。そういう場所なのだ。見上げて立派だとも思わない。恥ずかしい気分になる。1号線沿いにある、薬屋さんの天守閣と変わらない。真がいものは一番いけない。もし史跡だというなら、あの天守閣を壊してもらいたい。いつの日かレプリカを再建してもらいたい。

城址公園をどうして行くかについては、事が問題化する前に市民が決めるべきことだった。市民自治というのは、そういうことではないだろうか。樹木は切られることになっているのに、いままで黙っていたのだ。江戸末期の状態に近付けるということに決まっている。小田原城であっても、室町期の状態の方が、北条を尊重する気風からすれば、まっとうになる。聞くところによると縄文の遺跡の可能性もある。江戸末期の状態に戻す発想がどこから出たのか分からないが、何故お城だけそういう発想になるのだろうか。小田原は尊徳のでた町である。江戸時代の用水の再現、水車の再現、農家の再現。そして江戸時代の暮らしの再現。やるべきことは幾らでもある。そこまで全体を統一して行くというのならまだ分かる。宿場町としての小田原の再現という発想もある。そうしたことが、市民の間で十分に議論されるような、シンポジュームすら開かれたことはない。お城が観光資源として、価値があるという程度の事なら、熱海城と同じだ。私にはどうでもいい。

いずれにしても、市民の中からそうした動きが必要だったのは、もう10年も前のことになる。そうした市民参加が無いまま、議会でも十二分の議論が無いまま、すでに話が進むことになっている。ここに市民と市行政の協働の精神はかけらもない。お上任せにして置いて、事が行われる段になって文句だけは言う。これが厭だ。筋道から言っても、白紙撤回を求めるのはおかしい。国からの予算ももらい、公のお金で整備を行っている。市長は一市民の時代から、この反対の流れは充分に知っていたはずだ。しかし、市長になって樹木が切られるまで、手を打たないでいた。これは明らかに失敗である。沢山の市民を加えた検討委員会を作った。その中に城址公園の整備検討委員会を何故作らなかったのか。今の事態を見通せなかったからだろう。少々事なかれになってきたというのでなければいいが。
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TPPと農業補助金

2010-11-09 05:20:37 | Peace Cafe
TPPに日本が加わると、農業には3兆円の補助金が必要になると、農水省は試算を発表した。半分はお米だそうだ。もしその試算が正しいなら、国民全体の合意は得られるのだろうか。今経済が苦しい。乗り遅れまいとTPPに加わるだろう。問題は日本という国をどうしようと考えているのかだ。併せて農業分野の根本的な改革を行うと言っている。6月までのその方針を立てるそうだ。いかにも泥縄である。本来、まともな政府なら、今この時点でその方針が立っていなければならない。しかも、その方針たるや、今行われている農家の戸別補償の延長線上という意見が出ている。この方針では日本の意欲的農家は壊滅的打撃を受けることになる。国際競争力のある農業を目指すなら、戸別補償は止めた方がいい。戸別補償は基本的には弱い小さい農家を存続させるための政策である。しかもその弱い小さい農家は、我々のような新規就農者ではない。

戸別補償の平均額が、北海道では200万円を超える、と民主党の議員が自慢げに言っている映像をテレビは放映していた。北海道では、平成22年産水稲の作付面積は11万4,600ha。北海道の農業は、少なくとも神奈川県と同じに考えても始まらない。戸別補償は地域的な配慮というものはない。農業に置いて、北海道と神奈川県で同じ政策がとられた場合。どちらかが不利益となり、辞めざる得ない結果になる。地域の特性に配慮した、きめ細かな対策が必要なことは誰の目にも明らかである。ところが、農業では神奈川県は不要な地域だ。いつも追い込まれて、その場しのぎの対策だけが出て来るから、結局大きな農業の方向性は失われている。このままの流れで畑作農家にも戸別補償が出るらしい。畑作と言っても特定作物のようだ。となると、我々はいよいよ不利になる。そうした補助金をもらっている農家と、競争してやってゆかなければならない。

何故、政府は補助金ももらわない。小さいといえ、この社会の中で競争力も存在していて、永続している、我々のような弱小の新規就農者を潰してしまう政策を行うのだろう。農業の最大の問題は、農業者の減少である。何度も書いていることだが、耕地面積の減少、農業者の老齢化、すでに限界産業である。政策として一番取り組まなければならないのは、農業を全国民的に行うことである。どうすれば、日本の食糧が確保できるかである。このことは、国の根幹であり、TPP交渉以前の大問題である。そのめどが立たない状況のまま崩壊にに向かっているのは、政治の責任である。仕事が無くても、農業には向かわない。戸別補償など幾らやっても、農業人口は減少する。農業を新しく始めたくなるような、希望の持てる状況を政府は提示すべきだ。戸別補償は既存農家が当面をしのぐ為の効果に限定されている。

今苦しくとも、将来頑張れば道が開ける。そういう思いでご先祖は農地を開き、営々と農業を行ってきた。日本の国土はそうして、作られてきた箱庭のようなものだ。それを放棄し、荒れ放題にしてしまうようなことでは、苦労して国土を作り上げたご先祖に、申し訳の立たないことである。子供の私だって坊が峰のサツマイモ畑の開墾にリヤーカーを押した。今は荒れ地になっている。そうした無念は全国いたるところに充満している。どうすればいいかは、このブログで何度も書いているが、『地場・旬・自給』の考え方である。日本人が生き方を変える以外ない。TPPはその意味では、チャンスとなるかもしれない。多分政府は何の手を打てないまま加わるだろう。そうして場当たり的な対策を打ち出すだろう。農業はますます衰退する。転げ落ちる石は止められない。
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水彩人展終わる

2010-11-08 05:20:23 | 水彩画
水彩人12回展が終わった。何度も東京に出掛け、絵のことを考え話し、夜中まで酒を飲んだ。得るものが大きかった1週間である。今回の一番の収穫は、農の会の記録映画を撮られている、岡田監督の一言である。「見えているのだから、そこまでは描きたい。」と話したら、「笹村さん、見えているものを撮影することだって難しいですよ。」こう言われた。目から鱗である。「笹村さんを撮影しても見えている笹村さんとは限らないのですよ。」なるほど。映像的とか簡単に言ってしまうが、網膜に映る映像というものも見たいように見ているということか。見えているということが、実は意志的なものなのかと、言われて見て納得のいく話だった。だとすると素晴らしいと感じている舟原の景色も、実は素晴らしく見たいという思いが、頭の中に素晴らしい景色を作り出している。それを美しいものとして、画面に再現しようとしている。

絵というものの一面が開けて来るような気がした。絵は田んぼをやっている時や、畑をやっている時に出てくる。鍬で地面をざっくりと耕しているときに、急に地面をこうやりたいなとか思う。畑の草取りでぼーと無新の時に突如、描きたいものにきずいたりする。さー絵を描くぞ、というように絵を描くことはない。田んぼ仕事する。そうしたときに絵にすべきものが溜まってくる。どうやるという手順はないのだが、散歩をしながら、だんだん頭の中に絵が出来上がってゆく。そうした何枚かの絵が、実は今も頭の中にある。まだ煮詰まらないものが何枚かある。何枚かというのは、一枚になるのか、2枚になるのか。そういうことも明確ではない感じだ。ただあの空とか、あの林とか、あの道とか、細部が溜まってきている。それが、畑で腰を伸ばした時に、まとまって具体的になったりする。やってみるか。ということになる。

画面に実際に色を置きだせば、2時間ほどのことだ。それは現場でやる時もあるが、アトリエの時もある。わざわざ現場に行くが、その景色が実際に見えるところでないところで描くこともある。こうしたことがいいやり方がどうであるとかいうことも、いいのである。ただそうやっているなと、改めて思ったのである。それが見えているもに一番近付くやり方だと思っているからである。2時間ほどで出来上がる訳でもない。一応は終わるのだが、それをいつでも見える状態で、眺めている。眺めているうちに、それは違うと思うこともあるし、こうだとわかって新しくもう一枚描くこともある。だから現実に絵かが期欠けの絵が、数枚並んでいて、頭の中にも数枚になりそうな絵が並んでいる状態である。それでやっているのは、日日の農作業である。だから、農作業を繰り返している時、漠然と絵のことを考えているのだろう。だから自分にとっては、ずーと絵を描いているようでもあり、すーと農作業をしているような感じでもある。

水彩人展には多くの人に来てもらえた。2220人とか言われていた。12回展での作品評を書いた。それは全員のものである。ここにそのすべてを乗せてもいいのだが、やはり、良くない評価のものを載せる訳にもいかない。良かったものだけを載せておく。
○磯貝 雅子
筆触に変化が起きている。鋭く痕跡が残って、早くなった。ためらいがなくなった。物を描く線と、空間を描く線が、同じになった。その為もあって、線描と面を塗る方法の関係が若干崩れている。そこで、どうしても消す作業が多く入るのではないだろうか。制作の核心に近づいたのかもしれない。ただの心地のよい絵ではなくなっている。その分絵にあった、ある種の雰囲気で醸し出されていた世界が喪失した。悪いことではなく、自分の絵画に向かったのではないだろうか。定型的な静物的構成を越えて欲しい気もする。絵画であるという常識も越えて、新たな展開が胎動しているのかもしれない。だめになったりおかしくなったりすることを恐れず、突き進んでもらいたいと願う。
○疋田 利江
 とてもいい作品である。疋田絵画の集大成ともいえる作品ではないか。よくここまで来たと感銘し励まされた。この絵の良さは難解である。普通の絵画世界を超えて、疋田さんの絵である。こびない精神が毅然としている。もうほとんどの人には理解もされないだろう。評価も偏在する。そういたことにも恐れがない。見栄えとか、評価とか、そうしたものから離れている。決然と自立したところがいい。白の絵具と、白の紙の表現と、その渾然たるハーモニーには、全く水彩の新しい発見があるとすら思う。学ぶところがあり、深く感謝しています。
○松田 憲一
 油では定評があった、松田流のマチュエールが水彩でも完成してきた。そのことから新たな、素晴らしい世界が出てきた。今回の作品は水彩表現の一方向を示している。その昔小笠原さんが小品ではあらわしていたものを思い出した。それをこれだけの大きさの中で実現し、ただならぬ世界を現出している。この重い暗いものはなんだろう。死後の世界のような沈んだものか。絶望が漂う。寂しい魂が宿っているような沼だ。油でのサービス精神が水彩には一つもない。このさっぱりとして、充分なものこそ、水彩絵画の一つの在り方だと感じた。硬質な平面表現が、薄い水彩の描法にこもっているすごさ。水彩の新しい可能性を感じた。
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小田原市行政労働組合

2010-11-07 04:12:18 | 地域
 小田原市職員には労働組合がない、これは市民にとって幸か、不幸か。たぶん今の時代の風潮では、無くてよかった、というのが普通の市民の反応なのだろう。今更作ろうなんてとんでもない。職員数の削減。給与の引き下げ。こうした声が、市民の主流となっているといえる。労働組合は憲法で保障された労働者の権利である。にもかかわらず、市民意識とのかい離がある。地方公務員はストライキによるような、団体交渉権はないが、人事院勧告による給与の保証がある。8月に今年の横ばいの勧告が出た。市民の生活の現状がひっ迫しているから、当然のごとく世知辛くなっている。民間の平均給与が435万円程度で下がり続けている。小田原市の職員の平均給与は749万円の高値横ばい。自分の仕事が危うい時に、こう言ってしまうと身も蓋もないのだが、給与のためだけの労働組合結成であれば、市民の賛同は得られないだろう。

 一方、市の特に現業職員の中には、首切り、臨時雇用、賃金カット、こういう不安が渦巻いていることだろう。そうなると、泡を食って労働組合の結成がすすんでゆく可能性もある。困ったときの組合頼み。組合結成はそういうところから起こるのが、ごく普通であろう。労働者の権利。労働条件の団体交渉による確保。ところが、これだけは市民との関係では不幸なことになる。市民社会が権利という形で、確立されてはいない。

 労働組合とは何であろうか。地方公務員の労働組合はどうあるべきか。当然、権利擁護だけが目的ではない。このところを市民に分かるように示さなければ、組合が出来たところで、首切りも賃金カットも防ぐことはできないだろう。現に企業系労組は、資本と対立ではなく、資本の財務状態に従い、企業あっての労働組合を受け入れている。労働組合が市民にとって必要かつ有意義なものでなければならない。労働組合は本来的にはそういうものである。組合員が安心して勤務できる環境の確保は、市民の利益でもある。それは組合員の暮らしが安定して確保されれば、資質を向上し、ふさわしい仕事をこなしてくれる。という意味である。

 行政職員の労働組合は、行政職員間活発かつ自由な議論を踏まえ、行政の役割を模索研究し、新たな人材を育てる役割を担うのでなければならない。市職員は何をするべき存在か。このことが今見えにくくなっている。地方分権が進む時代の中で、市民のためといっても、職務の方向は変化してきている。一言に、市の行政職員としての専門職的創造的業務を担い、市民の暮らしを支えてゆく。雑務的事務的職務から、頭脳的創造的職務への変化が求められている。新しい時代の行政職員は、自由で活発な議論の中から生まれる。そうした職員間の信頼に基づいた、自己研修の場が、職員自身が作り出す労働組合こそ作り出せるはずである。

 具体的に農業分野をあげれば、国の複雑な農業政策を把握し、補助金の体系を熟知する専門性。加えて日本農業の方向性を理解しなければならない。小田原という地域性と歴史的風土を肌感覚で持っている。そのうえで、どのような農業政策をリードして行けばいいかを、具体的に各農家に情報提案して行く役割が市の職員である。そのような高い構想力をはぐくむ、土壌として労働組合はならなくてはならない。

 市民のための行政職員の労働組合を目指す。権利確保のため傾斜した組合では無く、何が行政の義務かを模索する組合。行政の役割を本当の意味で高めるためには、市職員の職場が、自由で、活発な議論が出来る環境が必要である。労働条件によって働くのではない。仕事の目的が各自の生き方と直結しているからやりがいがある。そうした仕事に対する、役割の保証がされてこそ、行政職員の任務が見えてくるのではないだろうか。

昨日の自給作業:タマネギの苗植え付け準備2時間 累計時間:4時間
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水土の再生6

2010-11-06 04:38:25 | 自給
農地法で農家は保護されているかのごとく言われてきた。農地法は農家保護に見えて、実は農家の崩壊を導く法律となったいた。農家には簡単になれない歯止めの法律として入り口を塞いでいる。一方で、農業から工業へと労働人口を一方通行に移行させてきたのだ。農家を減少させながらも、食糧生産は確保されるように、大規模化が目的とされている。結局のところ農家の意識を生産基盤としての農地から、不動産としての農地というものに変えさせる結果となった。農家が財産管理として、農地の維持をはかる。食料の生産を採算を度外視して運用してくれる。それが日本の食糧基盤になる。その上、そこから優秀な労働力が無尽蔵に湧いて出て来るとしたら、これほど都合のいい仕組みはない。これが、明治以降の日本のやり方であった。優秀な人材は農村から出て都会に集まってゆく。農村に残るものは、競争に乗り遅れた人間である。この構図を農地解放があったにもかかわらず、戦後も永続させたのが、今の農地法の存在である。しかし、いよいよ終わりが近づいている。

地価の上昇が続いた時代は、岩手の山奥であっても案外土地価格は高くなった。利用価値とは別に上昇した。岩手を例としてあげたのは、兄がそこで農政の役人をしていたので、事情を聴いているからだ。北海道の原野商法でも同じである。しかし、不動産神話が通用しなくなり始めている。近代的な農業としては、いわば合理化でない農地は、補助金が加わり植林をした。その上で放棄されている現状がある。経済的に見合わない農地は、荒れ地になり始めている。限界どころか、放棄集落が全国いたるところに存在している。こうした状況では、農地法はなし崩しの運用にならざる得ない。根本の法律改正でなく、運用的に、かなりの範囲で農家になれるように変わった。となると、今まで農家を農地を維持してきた、価値観はどこに行くのだろう。財産管理意識が無くなれば、いよいよ農業の崩壊につながる。家というものの崩壊でもある。国としての食糧生産を根本から見直さざる得ない、状況に来ている。

工業立国である以上、農業保護では永続できない。関税の撤廃は世界貿易の方角である。全く違う観点から、この状況を逆手に取らなくてはならない。日本のどこに住むにしても暮らせる社会にして行く。むしろ都市の中に暮らすより、充実して地方で暮らせる状況を作り出すこと。その方向を作らないことには、この行き詰まりは解消できないだろう。田中角栄氏は田舎にはキャバレーもパチンコ屋も無いから、若者は都会に出て行く。このように言っていた。そんな風に見えた時代もあったが、今はそういうものが無いから、田舎で暮らそうという人が出てきている。人間には様々な人がいる。その様々な暮らしの選択を可能にすることである。農地法はそれを阻止するために今までは運用されてきた。

今の時代の憧れは、むしろ自然の中の暮らしである。それだけ人間が疲労している。自然の中で暮らせる条件を社会として作り出すことだ。人間一人は100坪の土地で食糧の自給は出来る。時間は1時間である。家族4人なら、400坪の土地に家を建てて、食糧の自給は日曜みんなで働けばそれだけで、可能である。小さな家ではあるが、100万円で家はセルフビルドできる。これが可能になる条件を、法律的な条件を整備するのが国の役割である。そうすれば、人口は地方分散する。都市一極集中が解消できる。衛星利用のITの整備が進めば、情報的には都市と地方の格差は無くなる。医療とか教育であっても、何でも病院や学校を頼りにする必要はない。予防医学や教育の自給を徹底することで、都市に劣らないどころか、都市とは比べ物にならない人間的な生活環境が構築できる。
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水土の再生5

2010-11-05 04:19:23 | 自給
農業者は減少の一途である。平均年齢は65歳を越えてしまった。平成に入ってからでも農家数は半減した。すでに産業としては危険水域である。農業をやるものがいなくなれば、日本という国は滅びる。農業者のいない国になっても、人間は生きてはいるだろうが、日本人とは言い難い人間集団になっているに違いない。つまり、日本という国の存在の危機が、農業の消滅ということに繋がっている。若い失業者が溢れるほど存在するのに、農業分野には入ってこない。「汚い・危険・きつい」その上儲からない仕事をやりたがらないのは、当たり前のことだ。国の農業政策は工業的農業によって国際競争力を高めようとする、建前の方針だけの為、新規就農者はいよいよ減少するだろう。農業の悪印象は農業を知らないがために、持ってしまっている先入観である。農業は身体を使う仕事ではあるが、女性でも十分できる仕事である。実際の労働人口は、女性の比率が相当に高い職場である。久野ではむしろ女性の占める比率の方が高い。身体も使う作業もあるが、むしろ、根気よく繰り返さねければならない作業で女性に向いている仕事である。

農業者の減少の根本要因は、生活が出来そうにないということである。よほどの資産があれば別だが、親として子供にやらせたくない職業になっている。農業法人に就業補助金を出し、雇用を促す政策が昨年度行われた。雇用労働者としては多くの就職希望者が存在することが良く分かった。しかし、農業法人自体が、補助金なしに雇用を継続することは難しい。農業は生産性を上げるとか、品質を上げるとか、経営改善の成果は3年5年かかることは珍しくない仕事だ。競争力を高めて、収益性を高めるためには長期展望でなければならない。就業補償を行うなら、5年間くらいのスパンで見なければならない。そうでないと、緊急援助的な支援になってしまい、農業法人の体質まで変える事にはなりにくい。体質を変える方向が、日本の水土と適合していることが大切である。個々の農業法人から、長期的な運営目標、経営計画を出してもらい、援助するに値する法人を育てる支援して行くのでなければ、問題を混乱させる結果になる。

有意な農業法人を育てるのは、一つの方法だが、個人の就農者がどうすれば増えるかを真剣に検討しなければならない。個人の新規就農にはいくつもの困難が存在する。具体的方策を2であげた。1、農業技術を学ぶ場所を確保する。2、農業者用の住宅を確保する。3、農地の斡旋の仕組みを作る。4、農業機械の貸し出しのシステムを作る。5、自給的生産を行うものに、農地の利用を可能にする。6、基本作物の穀物を作る場合の保証制度を確立する。政策としては、農家の里親制度を作る。農業技術の伝承が切れている。基本的な水土技術が伝えられる仕組みが無い。これは地域の農家間で行うべきことだ。地域の農業は地域の人間が一番知っている。地域に農業者里親制度を作る。里親は新しい農業者を育てる役割を担う。里親会を作り情報交換を緊密に行う。その中で地域社会で暮らしてゆく、すべてを学んでゆく。私の周辺には10軒を超える新規就農者が存在する。私自身はその里親のつもりでいる。本来な、地域の農業者が里親になってくれるのが一番である。

新規就農時の個人的な体験で整理してみると、農地の確保が出来ない事が一番大きかった。農地を貸したり、売ったりしてくれる農家の側に立てば、地域社会を混乱させる、あるいは競争を激化させる可能性がある、新規の同業者を簡単に受け入れがたいというのは当然のことである。農業生産物の販売のシステムを、国全体として別枠に考える必要がある。農産物が他の商品とは、異なる性格があることを、国民的合意を作ることが重要である。お米が取れ過ぎれば価格が下がる。この仕組みでは農業は成立しない。国が目的とする方向の稲作をしてくれたら、それにふさわしい価格を補償する仕組みを作る。自由貿易と言っても食糧は別枠で考えなければならない。日本の国土の維持のために必要は補助は行わなければならない。食糧が国民生活の基盤であることを考える必要がある。

昨日の自給作業:種まき等亀戸大根、ミヤマ小カブ、盛岡山東菜、下仁田ネギ、ソラマメ、エンドウ、三浦大根、など2時間 累計時間:2時間
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水土の再生4

2010-11-04 04:10:16 | 自給
水土を再生するために一番必要なものは、水土の技術である。その技術は共に働くことによって伝わリ続けてきた人間的技術である。工業技術のように、気温が何度なら、田んぼの水位は何センチ。というような図式的には出来ないのが、水土の技術である。有機農業に適した土壌を作り出すには、水田なら最低でも5年はかかる。畑なら10年かかると見なければならない。それは腐食というものが土壌の重要要素になっているからである。腐食は作物の作り方によって、失われても行くものである。自然界では1センチの腐食土壌の形成に100年の年月がかかるといわれる。これを速めて作り出すのが、有機農業技術である。本来有機農業技術は江戸時代に一つの完成を見ていた。そして、消えてしまった。それを現代に再現しようと似たような耕作法を、昔と同じ場所で行っても虫が多発したり、病気の蔓延を繰り返すことになる。それは、里地里山の自然環境が失われたからである。隣が住宅のような、環境では有機農業は極めて困難なことになる。

豊かな自然環境の中に溶け込むように耕作地が存在することが、基本的な成立要件として重要である。農の会のお茶畑は、川沿いの竹やぶと、自然林に囲まれた15アールだ。この畑も借りて初期の段階ではダニが出ることが多かった。今でも炭疽病と言われる病気は出るが、いくらかの葉が枯れる程度で、広く蔓延するようなことはない。10年を越えたあたりから、木の勢いは以前よりとても良くなってきた。虫も、病気もあるのだろうが、大きな被害になるようなことはない。肥料についても鶏糞たい肥を年500キロ入れているだけだが、充分な生育をしている。自然環境に溶け込むような、茶畑になっているからだと思われる。それは田んぼでも同じで、田んぼだけが広がるような、単一作物の環境の中で、有機農業を行うことは極めて困難である。住宅地の中に点在するような田んぼでは、なおさら有機農業は成立しがたいだろう。

有機農業の技術は自然に寄り添いながら成立している。自然を深く見る技術である。土地が変われば、その土地に従う技術を見つけなければならない。気候の変化にも大きく影響される技術である。5年目の土地と10年目の土地では、同じ訳に行かないのである。雨が24時間で5ミリ降るとしても、それがどんな季節で、それまでの天候、この後の天候、そして作っている作物によって、どう対応すれば適切であるかは、変わってくる。これが自然農法のように人為を出来る限り控える農法となれば、その耕作地の何十年という蓄積が必要になる。そうした自然に従う技術とは、自然を見る目を養うということになる。それは一子相伝のような、名人から名人に伝わるような技術ともいえる。だから地域には地域の農の名人が存在し、今年の小麦はもう蒔く方がいいだろうかと尋ねたものだった。今年の山の色では、舟原の日陰の田んぼじゃまだ早いようだ。でも次郎爺さんがもう蒔いたからなあー。というように地域の農業は耕作されていた。

この有機農業の技術を伝えることが出来るのが、農家の研修制度である。新規就農者の里親制度が必要だと考えている。国や県の農業研修施設では、有機農業は指導していない。出来ないことになっているからだ。出来ないは、技術的に出来ないということもある。加えて、経営が出来ないということになっている。有機農業と工業的農業が共存しにくい、ということも原因している。国の大規模工業的農業の方針からすると、ある意味邪魔な存在である。それらの為に有機農業技術は特殊な、奇特な人の農業技術になっている。これが水土の再生にとっての大きな障害になっている。これから少しづつ具体的に水土技術を、自然の見方を書いて置きたいと考えている。それは絵を描くことととても似ている。肉眼で見るのだが、肉眼を越えたものを見ている。その得も言われぬ「あるもの」の見方こそすべての根源である。この言葉にしにくい技術を再現可能な技術として出来る限りたどってみたいと思う。
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仏教経済学

2010-11-03 04:11:21 | 
本の中に入れたが、仏教経済学を提唱している安原和雄氏のホームページである。以前から時々読ませてもらっている。なるほど自分の考えが、仏教から来ているのかということが、確認できる。何でも都合良く仏教と結びつけてはいる傾向もあるが、おおむね納得がいく。日本人に仏教が全面的に受け入れられたのは、仏教伝来以前の日本人の原始的な信仰が、仏教の考え方と通ずるところがあったところによる。「一切衆生悉有仏性」などという言葉は、そのままに原始日本人が抱いていただろう、自然観である。但し、インドやミャンマーの仏教はだいぶ違うようだから、仏教を日本人らしく、上手く取り入れたということでもある。仏教経済学の考え方でなければ、地球は生き延びることが出来ないと安原氏は書いているが、そうまでも思わない。それは、現実社会の仏教が、利他主義を強調する仏教の教義の中で、利己主義が蔓延したかの方に興味がある。

坊主丸儲けなどという言葉があるように、大多数の坊さんはいかに儲けるかに専念している。この点では、商売人以上に熱心である。戒名は院号がつけば、100万円いただきます。どういう情けのないことが宗教であろうか。死者というものを人質に、金儲けに専念しているのが、大半の寺院である。儒教が中国で生まれたように、宗教は逆説的な側面がある。賄賂や悪徳が蔓延しやすい社会であるがゆえに、孔子は儒教の教えを導き出した。仏教が本当のその教えを失ったのは、檀家制度と葬式仏教にある。江戸時代の最大の失敗である。鎖国の中で、宗教をコントロールする難しさがある。氏神様とお寺さんの共存。多分この神仏混合の経過で、思想としての仏教は変貌した。本来の仏教ということになれば、むしろ、ブータンやネパールに学んだ方がいいのではないか。実は仏教の悪いところから、書いてみたのは普通はお寺や仏教の経済となれば、そういうものと見ていると思うからだ。

ブータンの幸福社会論は、まさに仏教から来ている。東郷氏の連載に詳しい。世界が学ぶべき知恵が溢れている。そこに暮らす大多数が幸せと感じている、経済後進国、国民総生産的には貧困な国。豊かで不幸な国、日本では管内閣によって「最小不幸社会」という意味不明の標語が掲げられている。管氏には幸福ということの本当の意味が分からないのだろう。現代経済学では、表面を飾り立てた「虚飾」でしかないような貪欲、浪費、無駄を追求させる。それが資本主義経済の拡大再生産の本質である。物を排除することで本質に近付いてゆく暮らし。寒いから暖房ではなく、寒いならそれを味わう喜び。一枚多く着ることでしのぐ暮らし。小田原の冬なら、やればできるのである。もちろん暖房があればその時は快適である。しかし、寒くても、暑くても、自然に即して、きりっとしてしのいで暮らす喜びもある。

安原和雄氏が構想する仏教経済学の八つのキーワード ―「 いのちの尊重、非暴力(=平和)、知足、共生、簡素、利他、多様性、持続性」となっている。私なりに解釈すれば、仏教経済学の原点は自給自足ということになる。そしてそのように暮らしを変えてきた。道元の時代の仏教は葬式とは関係が無い。自給自足を基本としている。布施は業である。いただいている命の意味を知るためである。仏教が我関せずで、自分のへそを眺めている間に、社会の方が崩壊している。僧侶である自覚はしている。しかし自己探求、自立本願どころでないというのが、あさましい衆生の焦る気持ちである。自分の悟りなどどうでもいいから、崩壊して行く日本をどうにか食い止めたい。その考えた時、安原氏の考え方は、とても参考になる。
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水彩人展始まる

2010-11-02 07:44:44 | 水彩画
「月光海」
水彩人展が始まりました。
会場は「シンワアート・ミュージアム」10時より6時まで。

笹村は3点出品しています。
ギャラリートークがあります。
水曜日と金曜日の午後に会場におります。
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