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百万塔陀羅尼を見に行く。

2024-12-23 04:16:03 | 水彩画




 「百万塔陀羅尼経」現存する世界最古の印刷物と書かれている。印刷年代が明確になっているものとしては、世界最古の印刷物とされている。奈良時代中期に100万の木造の塔を作りその中に、陀羅尼経を木板か、銅板で紙に印刷した。小さな塔の中に収めたものである。

 この文字に衝撃を受けた。素晴らしく強い文字である。写真の2つのものは印刷博物館にあるものと、国立博物館にあるものである。同じ版だと思われるが、国立博物館のものの方がいい。これが100万部刷られたのだ。一枚の版木で1万部ぐらいは刷ったのだろうか。仏教信仰の強さを感じる。

 現存する世界最古の印刷物説は少し疑問を感じる。そもそも紙は紀元前2000年頃にエジプトで生まれた。パピルスによる紙の一種である。パピルスの茎を裂いて縦横に隙間なく貼り合わせ、板状に薄く伸ばしてつくった紙のようなものである。

  その紙にアラビアゴムと墨の粉を混ぜたもので、文字を書き付けている。人の顔なども描かれている。ピラミッドから出土している。それが世界最古の水彩画と言われているものである。水彩画の保存性は桁外れによいものなのだ。しかし、パピルス紙には耐久性と細かな描写に問題があった。

 植物を繊維に戻してすき直すということがされていない紙である。その後ヨーロッパでは、緻密な表現が出来る、羊の皮を石灰水でなめして平滑に仕上げた羊皮紙が用いられるようになる。細密描写までできるようになるが、定着のために乾性油が使われるようになる。


 一方中国で「紙」が発明されたのは、中国の後漢時代105年とされている。木の皮や麻などの植物繊維を砕いて抄いた今の手漉き和紙と同じ物になる。書写のための画期的な材料であることが認められ普及する。現代につながる製紙技法である。現代の紙とほぼ同じである。

 陀羅尼経にはその紙が使われることになる。文字には奈良時代の人間の強さが籠っている。手書きの文字よりも版にされた文字の魅力が詰まっている。作られた思いは鎮魂である。称徳天皇が道鏡を重用したことを不満に思った藤原仲麻呂が、排斥を要求するクーデター(恵美押勝の乱)を引き起こす。双方に大勢の死者が出た。

 これを悼んだ称徳天皇が770年に、供養と平和祈願のために勅願し製作したものが百万塔。6年の歳月をかけて高さ20㎝足らずの小さな三重の塔を、ろくろ回しで、百万基もつくり中に陀羅尼経を納める。地元・奈良のお寺を含む近畿地方の国分寺(10大寺)に、それぞれ10万基ずつ奉納したものが百万塔陀羅尼経である。

 「百万塔陀羅尼経」は、その木造の小さな塔のなかに収められていた教文である。残念なことに、現在残っている塔は法隆寺に安置された分だけである。それでも4万5千基以上あり、陀羅尼経も約2千巻が確認されている。この2千を比較すれば、版木の疑問は解くことができるはずだ。幅5.4㎝ほどの小さな巻紙である。

 陀羅尼経の経文は自心印、根本、相輪、六度の各陀羅尼経がある。そのうち最も長いのは根本陀羅尼経で長さ51.5㎝、最も短い六度陀羅尼経でも長さは27.2㎝ある。そこに1列5文字の経文が整然と印刷されている。これを100万作ったというのだから、天皇が心から国の平安と死んだ人々の追悼の念を抱いていたことが分かる。

 用紙の材料としては麻、黄麻、殻(かじ)の3種類を使っていたと考えられている。問題は版の材質が未確定な点だ。当時の技術レベルから木版を使用していたと考えるのが自然だと思うし、文字を見るとその調子から銅板ではないと見えた。しかし、再現のビデオを見て成るほど銅板なのかとも思えた。

 紙の製法は610年に高句麗を通して日本にも伝えられた。陀羅尼経の紙は日本で作られた紙ではなく、中国か朝鮮から来た紙の可能性が高い。現在ある和紙は、この中国紙を改良したものだ。紙というものは伝わりながら、その民族の感性を反映するものだ。

 西方へは、重要な東西交易路だったシルクロードを通って伝搬してゆき、モロッコを経て、12世紀の中頃にヨーロッパ本土に入りスペイン、フランス、イタリア、さらに15世紀になってドイツ、イギリスまで製法が伝わる。ヨーロッパが紙を知るのは随分遅かったのだ。
 
 中国では墨を塗った仏像に紙を乗せて摺る擦仏という方法を生む。木版印刷の始まりでした。8~9世紀頃(唐代)に、仏の姿が生き生きと描かれている「金剛経」(868年)がつくられているのをはじめ、数多くの仏教経典の作成にこの印刷術が盛んに活用された。

 古いものが残っていないとしても中国で最古の印刷物が出来たのは間違いないことだろう。朝鮮では銅板活字による印刷が生まれ、大量の経典が印刷されている。日本の百万塔陀羅尼はそれを真似て作ったと考えた方が良い。朝鮮の人が招聘されて作った可能性もある。これも印刷博物館に展示されている。

 凸版印刷にある、印刷博物館に行き百万塔陀羅尼経を見せて頂いた。江戸川橋の地下鉄の駅から、10分ほど歩いた。風が冷たかった。なかなか立派な博物館だったが、驚いたことは70歳以上は無料ということだった。500円が無料になるということで、年を取るとありがたいこともある。

 ミュージアムショップもあり、陀羅尼経の写真を写したものが、あるかと思ったがなかった。たくさんのコレクションに関する冊子は出ているにもかかわらず、そこにも一切掲載もされていない。この博物館の学芸員が、興味がないということなのだろう。あぁーわかっちゃない、残念。

 どうしたらいいかと思っていたら、写真撮影は自由ですから、写してくださいということだった。ただ当然暗いし、光線も撮影には不味い角度だった。それでも何もないよりはいいと思い、あれこれ写させてもらった。ともかく私には興味深いものなのだ。

 展示とともに、想定される版の作り方のビデオが見れるようになっている。まず木版を作り、それを砂型で型取りをする。真鍮での鋳造とある。確かに木版をさらに砂型で型を取るところで、2次的なものがさらに複製になり、それが面白い字を作り出している可能性があるか。

 しかもこの場合、木版の版木自体が、印刷物を模したものであるから、何重にも複製である。この複製を繰り返してゆくことで文字が独特なものになり、人為を離れた面白いものになってる可能性がある。筆で描くことで、人の意図の強いものだったものが、何度も繰り返し複製することで、別次元のものに変わってゆく。それが強さになった。注目に値する。

 しかし、のちの世に作られた経文の版木で刷られたものはまるで面白くない。いかにも筆文字をなぞったという所が詰まらないのだ。やはり奈良時代の素朴な文化を反映した、アルカイックスマイルのような魅力が、百万塔陀羅尼文にはある。これがやはりいいのだ。工芸的ではあるが、民藝の魅力に近いものだ。

 実用の美である。100万部印刷するための実用の美が、文化とまだ結びついた時代が飛鳥や奈良と古い時代にはあったということなのだろう。素朴であるが、絶対的信仰心が存在している。奈良の大仏を作ろうとした情熱。同時に百万の教文を収めようという情熱。日本人の信仰心を考えさせるものだ。

 芸術というものの根底にはこうした、絶対的信念のようなものがなければならないのだろう。近代芸術は疑いから入る。悩みから入る。信ずることから入るものの強さを思い出す必要がある。もう一度芸術の原点を考える必要がある。

 百万塔陀羅尼教文からは学ぶところは大きかった。信じて書かなければあの文字は生まれない。悩みはない。ただ立派なものを作り、仏に使えようとしただけだ。そのことがこんないいものを生み出すのだ。間違いなく100万部刷られたのだから、これは目を見張るものだ。

 
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