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第24回水彩人展今日から始まる

2022-09-10 04:34:51 | 水彩画



 今日から水彩人展が始まる。昨日一日かけて、絵の展示と目録などの準備が終わった。水彩人展はすべてを自分たちで準備しているので、展覧会の開催まで、なかなか準備作業が大変である。特に今年は新しい形で取り組んだので、良い面と大変な両面があった。

 特にすべての流れをパソコン化しようとしているので、前からの方式と二重化していて、整理が必要だった。仕事の流れはほぼ見えてきたので、来年はさらに短時間で作業が終わることになるはずだ。来年は25周年で記念事業を行うだろうから、併せて考える必要があるだろう。

 展覧会で絵を見てもらうという事も重要な目的ではあるのだが、水彩人の参加者が互いに絵の研究をするという事が一番重要なことだ。この一期一会の機械を生かして、何かを学ぶことがやるべきことだ。そうして、24回目の今回の開催になった。

 このやり方が良かったかどうかは24回前の私の絵と今の絵をを比べてもらう以外にない。たいして良くなっていないじゃないかとすれば、水彩人展のやり方がもう一つだったという事になる。少しは良くなったという事であれば、水彩人展が良かったのだ。

 絵は普通50歳過ぎれば下り坂である。多くの作家の作品を見ればすぐにわかることだ。しかし、世に残るような人は年齢とともに絵が良くなる。それは天才がすごい努力をした結果だからだ。普通の絵描きは40歳を過ぎれば下り坂である。

 50歳の下り坂入り口で水彩人展を始めた。このままでは下ってゆくと、周りの絵を描いている人を見て確信した。50歳を過ぎて絵がつまらなくなる人ばかりなのだ。ところが、年功序列の日本の社会では絵が下らなくなって、偉いつもりになる。

 これが嫌だった。才能はないのだが、努力は人一番してせめて平行線くらいではいたいと思った。そして水彩人を始めて24回目である。自分のことは冷静に見えないものだが、始めたころよりはいくらか良くなっている。60過ぎてからの一年一年もわずかづつましになっているのではない。

 否、そんなことはない。以前よりひどいという方がおられたら、是非ともそういう批判をお願いします。と言っても今の状態が状態なだけで、低すぎて、これ以上下りようがないという場合もない訳ではない。最底辺の平行線なら致し方ない。

 水彩人では今年も新しい参加者がいる。8名もいた。こういう状況がつづいていることを見ると、水彩人展を始めたことは間違っていなかった。実にありがたいことだと実感する。良い仲間が増えることは自分の絵に繋がっている。絵は一人で描いているわけではない。いつもそう考えている。

 一般に公募展はメンバーが減少している。老齢化で辞める人が増えている。もちろん死なれる人も多い。どこの公募展もあと10年したら様変わりになるだろう。それは大きな公募展も小さな水彩人も変わらないことだ。変化してゆく中で、水彩人らしい立ち位置を探したいと思う。

 水彩画研究会という姿勢を貫きたい。世間的評価とは関係なく、それぞれの制作者自身が作品を水彩画としてどこまで深めることが出来るかにかかっている。私自身の絵が10年間先でいくらかでも良くなっているかである。年々衰えてゆくようでは、話にならない。

 そして、水彩人展としては新しい作家の育成である。まだ日本の水彩画というものが生まれたとは言い難い。しかし、水彩材料の可能性から言うと、日本人の感性には向いている材料である。もう一息頑張れば日本人らしい水彩画を作ることが出来るのではないかと考えている。
 
 24回展の会場は今まで以上に水彩人展らしいものになっている。それだけ変わったものがなくなったということでもある。落ち着くところにだんだん落ち着いてきているということかもしれないが、よく考えてみなければならないだろう。

 まだ作品をじっくり見ていないので、会場で今日ゆっくり見たいと思う。学びたいと思う。自分の作品も改めてみてみたいと思う。物足りない気もする。進んではいるのだが、情感のような絵を描く喜びのようなものが、足りないような気がした。

 さあー今日から楽しみである。
 
 

 
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