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プラスチックごみは燃やすほか無い

2023-06-27 04:05:11 | 環境関連


 日本は、世界で最も多くのプラスチックごみを非OECD諸国に輸出している。リサイクルに出したはずのプラスチックごみが、他国の環境を汚染している。日本のプラスチックごみ850万トンのうち、材料として国内でリサイクルされるのはたった11.7%。

 プラステックゴミを分別してリサイクルしているという人が大多数だと思う。わがやでも熱心に分別がされている。そのプラステックがどうなっているのかはよく分からない。たぶん何らかの形でリサイクルされているのだろうと想像している。ところが世界はプラステックゴミで溢れている。

 
 2050年までに海の中に存在するプラスチックの重量が魚の重量を超えるかもしれないという話も聞いたことがあるだろう。たぶんそれはないと思う。その前にプラステックを出し続ける人間社会の方が終わっている。人間の体内も細胞の中まで、マイクロプラステックが入り込む。

 この海洋のプラステックゴミの内8割が街から来ている。日本の街は綺麗と思っていても、目を向け始めると街中にはたくさんのゴミが落ちている。街中に散らばるゴミは、ごみ収集の過程できちんと口が結ばれていないゴミ袋から溢れたり、カラスがゴミ袋をつつき破ることで散乱する。ふたのないゴミ箱やいっぱいになった自動販売機の脇にあるゴミ箱から風で飛ばされている。

 海洋に流れ着いたプラスチックは波に打たれ、紫外線にさらされ、少しずつ小さく砕けてゆく。そして5mm以下までの小さな破片に砕けたプラスチックがマイクロプラスチックと呼ばれるものになる。こうなったらもう始末に負えない。海から改修するなどほぼ不可能。
 
 プラスチックそのものにも、すでに難燃剤や紫外線吸収剤など人体に有害な添加剤や生殖機能に影響する内分泌かく乱作用をもつ化学物質が含まれている。そうした物が、細かくなり細胞内まで入り込むようになれば、ガンの多発や遺伝子の変化が起こるはずだ。

 プラスチックに付着した毒素が体内に侵入し、油を含む消化液に溶け出して脂肪などの組織に毒素が蓄積されます。そして蓄積された脂肪をエネルギーとして使うたびに毒素が体を巡り、繁殖や代謝、臓器(腎臓、肝臓)の働きが妨げられるようになる。

 マイクロプラステックを飲み込んだ小魚がより大きな魚に食べられることでマイクロプラスチックの濃度はどんどんと上がっていくことになる。世界のプラスチックの年間生産量は過去50年間で20倍にも拡大している。年間生産量は約3.8億トンで、これは全人類の体重に匹敵する重量になる。

 産業別の生産量では、容器、包装、袋などのパッケージが36%と最も多く、建設(16%)、繊維(14%)と続きます。特にペットボトルやレジ袋、食品トレーやストローなど一度利用されただけで捨てられてしまう「使い捨て用」に使われることの多いパッケージのプラスチック生産が、プラスチックごみの量の増加に大きく影響している。

 プラスチックごみ全体でみると、パッケージングがその約半分を占めている。日本は1人当たりのパッケージ用プラスチックごみの発生量が、アメリカに次いで世界で2番目に多い国です。 ゴミとして回収されたプラスチック類のうち容器包装の割合は全体の67.6%にものぼります。これは世界平均を20%も上回る数字です。  

 大きな塊から小さく砕けていくプラスチックの他に、歯磨き粉や洗顔料や化粧品全般などに使用されている初めから小さい5mm以下のビーズ状のプラスチック原料、マイクロビーズもマイクロプラスチックの中には含まれている。

 田んぼに播かれている肥料にも、マイクロプラステックは含まれている。一発肥料と言われる物は、小さなプラステックのカプセルの中に遅く効くように肥料が仕込まれている。プラステックが数ヶ月後に溶けて穴が空き、肥料が作物に効くように仕込まれている。 
 
  プラステックゴミは分別リサイクルという方向では始末が付かない。人間はダメな物だからだ。それならどうするかと言えば、ゴミとして燃やすほか無い。当面燃やすことも認めて、よりよい焼却炉で焼却する。そうしてプラステック類が、自然界に出て行くことを止めるほか無い。

 燃やすことは良いことではない。燃やせば二酸化炭素が出る。しかし実際の所、焼却炉に助燃剤という形で上手く混在して入れれば、炉内の温度を上げる効果がある。温度が上がれば、ダイオキシンは出ない。それも行けないというのであれば、火力発電所で燃料にすればよい。

 製紙工場などでは燃料として、プラステック類を集めて燃やしているところも実際にある。焼却炉を正しく管理すれば、焼却炉からダイオキシンが出て行くことは防げることだ。むしろ焼却灰の処理をさらに高温の、溶融炉に入れなければ成らないだろう。

 人間はどうしようもないところのある、不完全なだらしのない存在だ。プラステック類の分別など、完全にできる人は少数派だ。そうした人が増えることは有り難いことだが、できない人が多数派だ。海洋ゴミを見れば明らかなことだ。理想を求めるよりも現実的対応が必要なことになっている。

 先ずはそのへんにゴミが散乱しているのは窓から、コンビニで買った食べた後のゴミをポイ捨てしているのだ。昔はコンビニに行けばゴミが捨てられた。公共施設にはゴミ箱もあった。観光客などゴミの捨て場に困っている。困ればレンタカーの窓から投げ捨てるだけだ。
 
 そのゴミの大半は、プラステックゴミで海に流れて行く。それがどうしようもない現実である。いくら道徳に訴えたところでダメな物はダメだ。先ずはまたコンビニにはゴミ箱設置を義務化するところからだ。販売したのだから道義的責任はあるはずだ。岸田内閣の道徳のある資本主義だ。

 製造者には製造者責任で回収が義務づけられている。販売者にはゴミの回収を義務付ければいいわけだ。少なくとも石垣島の観光客ゴミを見れば、石垣島無いのファミマやスーパーにはゴミ箱の設置を義務化しなければならない。そのゴミは分別が大変だろう。焼却炉で燃やすほか無い。

 燃やしてもダイオキシンが出ていないことを、きちっと測定して、周辺住民と取り交わしたという協定書を書き換えてもらうほか無い。このままではゴミの島になってしまう。このままではマイクロプラステックの海になる。そんな海を見に来る人は居なくなるだろう。他人事ではないのだ。

 
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