政府の地方創生施策に関する2016年度予算編成の指針となる基本方針の素案が11日、明らかになった。東京圏など大都市から地方への高齢者の移住推進を明記し、受け入れ拠点の整備に向けたモデル事業を16年度に始めるとした。閣僚や有識者による「まち・ひと・しごと創生会議」で12日議論し、今月下旬に正式決定する。(東京新聞)
高齢者の地方移住を政府も方針に入れた。良い方向に進んでいると考える。地方創成会議の提言と連動しているのだろう。問題は地方にとって良いことになるようにできるかが難しい。地方に働けなくなった老人を押しつけるということになれば、状況は悪化することになる。私自身の事でも、どこか地方の施設に行くことが必要と考えている。地方の心配は、高齢者の介護を地方に押し付けるのかという反発であろう。もっともな不安だ。高齢者の介護移住を産業として成り立つものとしなくてはならない。年寄りが来たので仕事もできたし、経済も良くなった。こういう結果が無ければ、地方の心配するとおりの、高齢者の押し付けという事になる。政府の方針ではモデルケースを行うと言うぐらいで、まだ具体的な地方への補助をどういう形にするかまでは示されていない。働ける内に地方に行くようになどと、書いてもあるのを読むと、地方に押し付けて済まそうということかと思いたくなる。
農業分野のモデルケース事業では成果を上げているものは少ない。ただモデル事業をやったという事で、それが他に広がると言う事は起きていない。困難な分野でのモデル事業は、よほどのアイデアがなければ成り立たない。補助金をもらえる間はやると言う事になる。一つのモデル事業が終わるころに次のモデル事業が出てくるから、それに乗り換えるくらいの事になる。本当に動き出すためには、経済の循環の中に、介護移住が取り込めるかであろう。高齢者の介護施設を調べて見ると、都市部と地方では入居費用が大きく違う。当然東京にある施設は高額になる。高額所得者対象という事もあるのだろうが、似たような施設でも、ほぼ地方の倍額ぐらいになるようだ。それなら、地方がいいという事になるが、そう簡単ではない。安い上に、安心な経営でなければ困るし。介護の質が悪くて、ひどい目に合うのでは怖い。
政府は元気なうちに地方に移住して、いくらか地方の役に立って、受け入れてもらうようにという事の様だが、現実離れしたお役人的な甘い考えである。こんな表面的なことを主張するのは自分の事として、切実に考えていない証拠である。地方を軽視している証拠である。地方を維持する地方の人材は今やギリギリである。要するに経済である。年寄りが移住してきて、税金が増えるならいいが。仕事が増えるならいいが。年寄りは病気をするし、労働力にもならない。例外はあるだろうが、基本若い人の負担になる存在である。甘い方針を建てる前に、地方に年寄りが移住できる社会的インフラ計画を発表するべきだ。年寄りを受け入れることを表明した地域には、国立病院を作る。老人介護施設を作る。交通網の整備をする。社会インフラを整える。
移住を繰り返してきたものとして、地域社会の動いている感触を、切実に受け止めている。変わらない所と、変わり始めているところがある。地方は閉鎖的で、外部の人間を受け入れないと言うような状態は、終わったといっていい。それ以上に地方の暮らしが切羽詰まってきている。地域消滅の寸前である。地域のつながりは都会同様に失われてきている。地方社会も都会的な生活感になってきた。地域に根づいた農業的生活というものがなくなったということが大きい。地方であってもくらしの経済は、地域循環ではなくなっている。生まれた山梨の山村で話を聞くと、かなり深刻である。といって、何百年もそこに暮らしてきた人と、10年ほどそこで暮らそうと言う人と同じ訳が無い。だから、10年ほどそこで暮らすという仕組みを、地方の経済が潤う形で作るべきだ。