会社にとって、派遣社員が使いやすくなる法案が通過した。安部政権の一貫した、企業原理優先処置である。そういうことで、将来企業が良くなるとは思えないが、ともかく、その場限りということでは、企業にとって都合のよい法案ができた。派遣で働いている人が、さらに増加することになるのは間違いがない。生涯、派遣という働き方で暮らす人が増えるのだろう。このことは日本の社会にとっては、良い方向とは到底思えない。その辺を心配しない日本の保守層というものは、経済にゆがめられ日本を見失っている。日本の企業は今回のトヨタの外国人女性常務に対する、豊田社長の会見でもわかるように、社長は父であり、社員は子供であると、説明していた。なるほど日本独特の発想がまだ生きている。おかしいとは思うがそれが日本の企業の強さなのではないかと感じた。トヨタはこの事件で打撃を受けるかもしれないが、単純には切り捨てるようなことはしないと言明したのだ。これは、社会に対してより、トヨタの社員の心にどのように響いたかである。
日本の会社というものは、江戸時代から、そういう身内感覚で成立してきたものだ。今も、そいうものは残っていて、それが日本発の企業の特徴なのではないだろうか。想像でしかわからないが、情に通ずるような人間関係を根底に持てるというところが、日本発企業の競争力のような気がする。もちろん、このままでいいとも言えない、封建主義的な不快なところもあるだろうが、そのあたりをうまく取り込んでいる企業が成功しているように想像していた。それが日本発のローカルでありながら、グローバルであるところなのではないか。ところが、そんな甘いことを言っているどころではない。世界の競争に勝つためには、人間を道具として、使い捨てて行くくらいの厳しさで、世界で戦わなければならない。というのが、安部政権の派遣永続雇用法なのだろう。
派遣社員というのは、当然企業に所属していない。うちのお父さんはトヨタに努めているんだと、誇らしげに子供が思うことができない。そういう腰掛け的な社員が増えてゆくことで、果たして企業というものは、大丈夫なのだろうか。日本の社会は大丈夫なのだろうか。何か目先のことにとらわれ過ぎている気がする。所属意識というものを持ちたくない人もいる。私などどちらかと言えばそういうタイプである。こういう人間はそもそも企業とは関係しない。近所の方から、うちのお父さんはフィルムに努めている、と言われたことがある。あえて、フィルムと呼んで、富士フィルムとまで言わないところに、独特の誇りの感じが伝わってくる。地域社会でフィルムに行っているということは、地域社会を支えているものでもある。そういうものに支えられた社会が、安部政権を支えている、保守層ではなかったのか。
ところが、背に腹は代えられないということなのか。個人が独立して存在し、どこにも所属意識をもたない。まるで私の主張のような事を安部政権が主張している。たぶん安部氏は瑞穂の国とか誰かに書いてもらったのだろうが、日本文化というものがどういうものかなど、考えもしない人のようだ。結果的に美しい日本は消え去ることになる。少子化が進み、結婚する人が減少する。派遣で生涯を送る、ある種の私のようなアナーキーな人が増加するだろう。この新しい派遣制度をうまく利用できるぐらいの能力の高い人ならば、企業は正社員として雇用したほうが、絶対に得なはずだ。だから、そういう能力主義を生き抜ける人の問題ではない。この法律を拡大解釈して、単純労働のような仕事の日雇い労働を、派遣で済まそうという、悪だくみが起こるだろうという不安がある。果たして労働の内容を、どこまで監督できるものか怪しいものだ。ブラック企業の悪用が、実際には一番多くなる可能性が高いのではなかろうか。