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中国で考えた2つの事

2007-06-12 04:50:09 | 自給
中国は、短期間ではあったが、刺激的だった。少し落ち着いてきた。日本を、世界を考えて見る、いい機会だった。第1が食糧危機の事。10年後は食糧危機になっている。そう確信するようになった。食料は今の石油と同じような物に成っている。観念的にそう考えたのでなく、肌でそう感じたので、農地を購入する事にした。借りているのは難しくなるかもしれない。温暖化の一番の危機。環境破壊からくる、砂漠化。雨量の偏在。工業優先の思想も含めて、農業への水資源が枯渇。バイオエネルギーが、食糧生産を縮小。WTOの考える。自由貿易思想の崩壊。経済力のない国、食糧を自給しない国は、食料がなくなる。食べ物が安全保障の根幹になる。個人としては農地の確保。農業から、自給農業への転換。自給農業の厚みが国力に成るだろう。人口の減少は福音。

第2が鳥インフルエンザは、現在のWHOの考えているような病気とは違うと言う確認。たぶんインドネシアでは、鳥インフルエンザに対して、全く対応がとられていない状態のようだ。2003年以来、感染実験してきた結果になっている。それで何が起きたか。鳥類が死滅したわけでもない。人間が死んだわけでもない。確かにわずかに人も死んでいる。これは、特殊なアレルギー反応のようなものと考えたほうがいい。1000万人に一人とか言う、特殊な資質を保有する人が、鳥インフルエンザに対して過敏反応をすると考えたほうがいい。もちろん現在のところだ。早急に、大規模畜産をやめることだ。それ以外、こうした新しい感染症の発生を、食い止める方法はない。大規模な養殖漁業も止めなければ、同じことが予想される。中国の無数に存在する、養殖池も水汚染。と抗生物質の使用を考えると、新たな感染症の発生源になる危機が、迫っている。

大規模化が効率化という幻想を捨てることだ。大規模化はそれがもたらす大きなつけを、自らが払わないで済ませているから、経済性として成り立つ考え方だ。発生責任で、鳥インフルエンザにかかっている費用を、世界の養鶏業から、捻出したとすれば、小さな養鶏の方が、経済効率がいい事が分かる。地球温暖化のつけを、工業分野が払うとすれば、今の大規模工業が決して効率的でないことがわかる。地球を破壊すると言う大きなつけに対して、自己責任を問わないで計算する結果。大規模化即効率的であるという、まちがったGNP計算が行われた。負の生産をどう計算に入れるかが、重要な転換。

暮らしを変える。暮らしを地に足の着いたものにする。自らの食料は自ら生産する。自給の思想に戻る。食料の売買は、自給の余剰分を交換する程度にする。そうした暮らしに戻る以外、人間の生存は保障されない。自らの労働で、食糧生産することを、喜びとして感じられる。そうした方法論の確立が重要。人一人が生きるには、100坪の土地と、1日2時間の労働が必要。そしてその2時間の労働が、どれほどの充足感に満ちた物であるか。人が生きる、むき出しの喜び、これに勝る物はない。10年後には、今書いていることが、それほど突飛なことでなくなっているだろう。もし、10年後でもこの考えが、当たり前でないとすれば、その時は日本の迷走は、危機的な状況に違いない。2時間の肉体労働を喜びと出来ない人間であるとすれば、それは人間と言うもののそもそもの成り立ちを逸脱している。
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