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インフルエンザを乗り切って

2019-01-25 04:59:22 | 暮らし

インフルエンザが流行している。風邪を押して通勤しようとした女性が線路に落下して亡くなられた。風邪薬を飲んでふらついていたのかもしれない。新しいインフルエンザの治療薬「ゾフルーザ」を使った患者から、治療薬に耐性をもつ変異ウイルスが検出された。薬には限界がある。

1月9日に石垣から小田原にきた。忽ちに風邪を引いた。めったに風邪を引いたことがなかったので少しがっかりした。体力の衰えはないつもりだった。ついに風邪を引いたという気がする。石垣では毎日散歩をして、身体を整えていた。フィットビットではついに66まで運動能力が向上した。有酸素運動能力とかいうものなのだが、意味はよく理解していない。石垣に行って健康的に暮らしていて、64だったものが、66に上昇した。身体の状態は良くなったと考えていた。にもかかわらず羽田に降りた時から、なんとなく怪しかった。10日の午前中になって、風邪らしいなと思った。食糧をまずたくさん買い込んだ。一人暮らしだから、しばらく買い物に行けなくなるだろうと、思ったからだ。甘酒のショウガ入りというものを2リットル買った。そのほか食べられそうなものはなんでも買い込んだ。ご飯を炊けなくなった時の為に、サトウのご飯も6個買った。のど飴を二袋。パウンドケーキも。ともかく食欲がなくても食べられそうなものを買い揃えた。みかんは浜松の北村さんから送ってもらったものが、10キロあった。

10日の夜になって熱が上がり始めた。11日、12日と3日間熱が出た。何故か、いくらでも寝て居られた。熱があるが、苦しいとか頭が痛いというようなことはなかった。薬は飲まない。病院には行かない。病気になったことには理由がある。原因を考えるべきで、薬で結論だけ変えて済ますというのはどうも、私の流儀ではない。最近のインフルエンザ対策では病院に行かない怪しい患者は、迷惑のように思われる点が困る。3日間寝ていながら、状況を味わっていた。ただ寝ていた。布団の中は暖かいのだが、ともかく部屋が寒い。今の室温が6度である。部屋には暖房はない。エアコンはあるのだが、暖房で使ったことはなかったが、一応付けてみた。暖かくなったのだが掃除をしていないエアコンで肺の状態がさらに悪化したようだった。いまさらエアコン掃除をする体力もないので、ただ布団の中で眠って耐えることにした。

2地域居住の課題が早速に見えた。寒さにに身体が付いて行けないという事だ。冬に小田原に来るという事は、かなり難しい。11月から、4月までの半年は石垣暮らしの方が望ましい。普通に冬寒いので、避寒に暖かいところで暮らすというのが、当たり前の話だ。寒い最中に小田原に来る計画がそもそも馬鹿げていた。自分の身体の能力を過大評価していた。この気温差に対応できる能力が身体になかった。高度順応ではないが、慎重に寒さになれるようにすべきだった。肺が寒い空気に対応できなかったようだ。肺の能力が一気に下がったような感じがした。その上に風呂の給湯器が壊れていた。灯油のものなのだが、しばらく使わないでいると調子が悪くなる。直せばまたなんとかなるのだが、体調の悪い中そんなことをしていたらさらに悪くなりそうなので、風呂は諦めた。13日の夜に無理をして、風呂屋に行くことにした。熱があるのに風呂に行って、サウナに入り、水風呂に入った。私としてはこれですっきりと治った。と思っている。食べ物もひったすら食べたのだが、体重は52キロまで減っていた。

このあと、16日には税務申告の準備。17日にはネット業者の変更。19日、20日と麹の仕込み。21日はいすみ市の見学。22日は東京での新年会にも出かけた。24日が水彩人の総会。忙しいがしく動いているが、もう大丈夫だ。身体がやっと寒さに順応してきたようだ。寒さが悪い訳ではない。今も寒い中、厚着をして布団をかぶって、ブログを書いている。手はかじかんで冷たい。身体もこわばる。それでもこれはこれでいいと思っている。久しぶりに風邪をひいたことには意味があったし、いろいろ学ぶところもあった。ただ寝ていれば治るという事がわかった。病院に行かないで済んでよかった。風邪をひいてから人とは合わなかったので、人に感染するようなこともなかっただろう。

 

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