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最小限の家

2007-08-03 05:34:56 | 最小限の家
ついに、建築許可が出たと思った。役所から、ほぼ整ったので、印鑑を持ってきてください。こういう電話があった。何故か、良く分からないのだが、これで、建築許可が出せる前提が出来ました。こう言っている。どう言う事なのか疑問。「この後建築確認申請するにはとても専門家でなければ出来ませんので、お知り合いの設計士さんにお願いするようにしてください。」話が完全に違う。どうなっているんだ。ともかく役所に行ってみた。今回許可が出たのは、「43条第1項ただし書きの規定に基づき、許可しました。」こう言う事らしい。つまり、この土地で建築申請が出来る前提が出来たと言う事だった。すでに、13回役所に通ったことになる。どうもこの先は素人には無理だ。10度は繰り返した。しょうがないので「農家が自分の畑に、作業小屋を自分で作れないなどと言う事はあってはならないことです。出来なければそこで終わりにするので、了解してください。」と宣言する。

そこまで分からんチンならしょうがないと言う事で、SさんからYさんに担当が交替する。担当も3人目だ。又最初から説明が始まる。素人では無理だから、出来れば設計士さんにお願いしてとコンコンと言われる。又しょうがないので、同じことを力強く宣言する。確かにお役所としては迷惑な話だろう。人が減らされぎりぎりでやっているのに、訳のわからん奴に基本から説明しなければならない。さらに、本当に迷惑なのは、後ろに並んで待っている設計事務所の人だろう。その前で長々と、建築許可申請の講義が始まる。しかし案外に、前回の43条の申請で勉強したことの繰り返しが多い。たいしたことはなさそうだ。前の書類に付け加える程度で、充分いけそうだ。気力が復活する。

現時点で新たに分かった事が2つ。一つは土台は布基礎でなくてもかまわない。自然石の塚石でもしっかりしたものなら大丈夫と言う事になる。これも当然最初は、駄目に決まっているでしょう。こうSさんは言い張る。前も駄目だといわれていたが、もう一度言って見たのだ。奥からもう少し偉そうな人が出てきて、2人で20分あれこれ法律書を持ち出して、研究を始める。ついに、「いけないという根拠になる条項が見つからない為。」結局いいという事に成る。もう一つが新たに、防腐剤。これを使えという。厭だというと、それでは駄目というのだ。何でこんな馬鹿げたことが、農家の倉庫にまで、適用されるのか。地面から、1メートルは駄目という。それなら、地面から、1メートル立ち上げればいいのかというと、そうすれば良いという。意地でも何とか考えたい。

次にいきりたってしまったのが、防火構造問題。隣地から、3メートル離れていないと壁は防火構造でないといけない。勝手に1メートルしか敷地を取れないようにしておいて、何をおっしゃる。空地はいくらでもあるのだ、敷地を3メートルに変更する。こういうとそれはその後の検討材料ということになる。それで、Sさんが戻ってきたので、文句を言うと、あっさりSさんがYさんを説得してくれる。何のことやら。これで木材でいい事になる。更に、筋交いが居るという。板倉構造3坪の家でやるのだから、いらないといってもどうしても駄目。これは今後の課題。それにしても提出書類の中の、構造詳細図というのが厄介そうだ。なんか、例の耐震偽装のアネハを思い出した。早く書類をそろえて行きたいが、なかなか時間が取れないのが困る。
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2 コメント

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小田原市の混乱 (笹村 出)
2007-08-07 16:44:27
小田原市の建築指導課は「混乱」そのものです。
6月22日から変更になったとかいって、書類もないので、インターネットからダウンロードして欲しいなど、言っています。
結局こうした、お役所仕事の結果。無届の小屋が当たり前に成っている。舟原にもたぶん戸数分は無届小屋があるだろう。
この辺に知恵を働かせないと、結局は行政の管理能力の無さが、不法建築へのつながる。舟原には、はっきりとした、違法建築物も多数あります。
と言って何も出来ないのが、現実。やったもの勝ち。
これは良くない。
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建築確認制度の崩壊 (松本茂)
2007-08-04 08:28:55
この「事件」ぜひ、記録に残して「日経アーキテクチャー」などに投稿していただけませんか。アネハさん以後、基準法がまたいじられて、次第に醜悪、混迷な制度になってきています。1950年の建築基準法制定は、戦後民主主義の中で、戦前の内務行政を脱したかなり「民主的法律」として始まったのですが、建築主の無知、建築士の職責放棄、施工者のどん欲、そして市町村行政庁の怠惰、法制定者の怠慢、こんな「美しいロンド」によって、町は醜悪で危険な建物だらけになってしまいました。
笹村さんのご苦労と悲憤は、人の暮らしのすべてを「産業行為」に取り込んでしまうことを積極推進してきた、「建築職能人」に対する痛烈なパンチです。今は、「専門家」が落とし穴でもがいています。
(日経アーキテクチュア6月25日号)「新・建築確認制度が始まる 改正作業の遅れと周知不足のままの施行で混乱は必至」
なんて記事がでているそうです。小田原市建築指導課も、「混乱」中なんでしょうか。
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