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少子化対策

2023-01-24 05:27:08 | Peace Cafe


 岸田首相は施政方針演説の中で、今世界は時代の転換点にあると延べた。同感である。気候変動やコロナパンディミック、そしてロシアのウクライナ侵攻。世界が破綻に向かって進んでいると思わざる得ないほど、手に負えない状況にある。

 そして多くの国が少子化に向かっている。これは人類の種としての危機感が、起している反応と考えざる得ないだろう。未来にこれほどの不安を抱えていて、どうして、人口が増えるだろうか。人口増加自体が危機のおおきな要因なのだ。

 出生数の減少を踏まえ、「従来とは次元の異なる少子化対策を実現したい」と強調。 昨年の出生数は80万人を割り込むと見込まれるとし、「社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際と呼ぶべき状況に置かれている」という強い危機感を示した。

 総理大臣が呼びかけたとしても、少子化は続くだろう。少子化は政府が予算的に手厚く対応するというレベルでは、変わるようなことだとは思われない。子供が3人居れば働かないでも食べていけるくらいの、手当が支給されるのであれば、少しは変わるだろうが、そこまで思い切ったことは出来るとは思えない。

 社会的機能が維持できないというのはどういうことなのだろうか。子供が減ってゆくことで、年寄を切り捨てるほか無いと言うことだろう。仕方がないことだ。そういう厳しい状況が待っているのは、子供が爆発的に増えた恩恵の裏返しなのだ。

 高度成長期はそうし他人口増加に支えられ生まれた。なぜ、日本の戦後社会で人口爆発が起きたかと言えば、社会に希望があったからだ。誰もに自由を感じて、努力すれば報われる社会が来ると思えたからだ。実際に日に日に生活が良くなってゆくという実感が持てた。

 そうした時代の空気が、いつか社会は良くなる。きっと何とかなるという気持ちがしたのだ。もっと自由に生きることの出来る社会が来る。努力すれば、やりたいことが出来る社会が待っていると思えた。だから、次の社会に希望を持ち、子供は増えていったのだ。

 今子供が増えるはずがないと言う空気が社会に蔓延している。この先さらに悪くなるに違いないと、総理大臣自体が、このままでは社会機能が失われるとはっきりと言っているのだ。そんな状況でなぜ、子供が増えるだろうか。子供にかかる費用のすべてを社会で持ってくれるとしても、ダメだろう。

 希望のない社会に子供を送ることは出来ないだろう。日本や韓国や中国で少子化問題が深刻化している。一方でインドやアフリカでは人口爆発が起きている。むしろ人口増加で人類の未来を不安にしている。インドやアフリカでは昨日よりも今日、今日よりも明日の方が、暮らしが良くなると感じているのだ。

 経済の問題は確かに少子化に影響を与える。経済の未来が暗いから、少子化になる。経済がおかしくなっている原因は資本主義の行き詰まりだろう。これも岸田氏の持論であると言う、新しい資本主義。倫理のある資本主義の構築と言うことになるのだろう。

 つまり、岸田氏が拝金主義である現実の資本主義を、倫理のある資本主義に変えることが出来れば、少子化は終わるだろう。同じ施政方針演説のも一つの柱が、賃上げであった。岸田氏が本気であれば、賃上げの可能性はある。なにしろ、賃金は物価高に追いつかない状況が続いている。

 持続的に賃金が上がる構造とは、まさに子供の頃経験した高度成長期の状態である。10年間で所得倍増と総理大臣が呼びかけて、7年間で実現したのだ。この生活が良くなる実感が必要なのだ。物価上昇程度の賃上げではないのだ。

 企業は企業を守ることに命がけである。世界での競争に勝たなければ、企業は衰退する。世界には日本よりも条件の良い、様々な国や地域がある。そうした競争に勝たなければ、賃金は上がらないわけだ。例えば、半導体のように、一時は日本が世界の生産の中心であったにもかかわらず、今は台湾である。

 日本は競争に敗れたのだ。日本が新しい産業が生まれない理由も様々あるのだろう。日本の高度成長期は世界と比べて見れば安い労賃であるが、極めて高い品質の製品を作れる、労働者がいたからだ。しかもその労働者を宝として、世界に無いような製品を作り出そうとした、有能な経営者がいた。

 それだけ日本人が勤勉で、学習努力をした。それが出来たのは社会の空気である。どれほど大変でもここを切り抜ければ、実際に良くなると言うことがあった。それは農村にもおよび、出稼ぎでも、三ちゃん農業でもやりながら、豊かな暮らしを実現しようとした。

 背景には江戸時代の農村での日本人の暮らしがある。日本人の大半が百姓である。百姓が蔑称とされた時もあるが、素晴らしい人間という意味でもある。万能の生活人という意味だ。何でも出来るたくましさがあり、自然と共に生きるのが百姓である。

 百姓は自然と折り合いを付けながら、日々の観察を怠らない。そして、地域部落で、共同して働くと言うことが必要な仕事である。農家からで稼ぎに来る労働者の質は極めて高い。中卒で地方から都会に出て、勤める若者は金の卵と呼ばれたのだ。

 岸田氏が倫理のある資本主義に、この末期的な日本の資本主義を変えられると思う人は少ないだろう。だから、少子化は続くとしか思えない。岸田氏が実際にやるべきことは、少子化であったとしても、社会の機能が維持できるような危機対策である。

 現在の社会保障制度のままであれば、老人の医療や福祉の負担で若者の暮らしが潰されるのは確かであろう。と言って、老後が厳しいとなれば、誰もがお金を使わないことになる。今や老人が一番の貯蓄者なのだ。老人は若者から切り捨てられるだろう、社会は面倒を見てくれないと考えている。

 老人が安心できないから消費は増加しない。ため込むばかりで経済が回らない。ここに政治がやるべきことがある。老人のお金を利用して、老人の安心な老後を用意することだ。そうすれば老人が貯め込んだお金が動き出す。これは政治にしか出来ないことだろう。

 
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