地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

小田原にCAPを広める会

2007-02-26 07:12:37 | Peace Cafe
今度出来た小田原市城北タウンセンターいずみでCAPのワークショップがあった。駐車場も十分あって集まりやすい施設だ。夜も9時30分まで利用できるそうだ。この会を主催されたグループは41名いるそうだ。極めて社会的意識の高いかたがたで、日頃教えられる事が多い。何故CAPと言う活動に関心があるのだろうと不思議だと思っていた。私には子供はいないし、出来るだけ子供を人間としてみるようにしたい、と考えている。横浜から、指導をされる方が3名来てくださり、CAP『子供への暴力防止』システム、そうまさにアメリカ的なシステムの解説があった。4年生に戻ってください。と言われた。子供の頃の記憶には自信がある。嘘だと言われるのだが、ハイハイしていた頃の事も鮮明に覚えている。4年生とたどると、頭の中が混乱、爆発したような、一種の痴呆状態だった。ここに戻ったから大変、良く理解が出来なかったかもしれない。

子供への暴力、特に「いじめ、虐待」が問題になっている。これは最近顕著になったのか、昔からあったのかといえば、明らかに最近起きているものは、以前とは本質が変わってきている。俺の子供の頃は、と言う視点で教師の子供に対する体罰を、今日の目で取り上げれば、まさに日々が暴力的であったわけだが、これを現代の観点で捉えるのでは、その本質が見えない。アメリカにおける暴力の問題と、日本における暴力の問題では、状況が相当に違う。草野さんといわれる講師の方の話では、今子供に起きている暴力が原因での子供の死は2,3日に一人。と言う最悪の状態だそうだ。これは交通事故死と同じ数だそうだ。親に虐待される子供の報道ほど痛ましいことなない。辛くて聞いていられない。こうした犯罪は極めて社会的でありながら、実は個別的であること。この個別性に踏み込まない限り解決などできない。

三つの問題点を感じた。
まず、システムで人間に対すると言う事が、生理的に耐えられない。人間は極めて個別的。同じように見えて、むしろその違いを知る事が大切。一つのシステムで、解決できるのは全部ではない。問題が起きるのは、何時も全体に入らない部分だ。

次に、アメリカのCAPでは『安心・自信・自由』が子供の三つの権利として考える。この人権と言う正義が危うい事は、イスラム圏で充分証明されている。北朝鮮では将軍様に頂いた。安心・自信・自由と言うものが存在する。日本には日本の歴史、文化と、社会状況がある。叫び声は、「O-」がいいと世界共通で対応する発想は無理。いざと言う時に出る声で叫べばいい。

さらに、暴力を子供というように限定して考えるのは間違い。実に暴力的な社会になっている。学校を会社とか役所とか、かえるだけで状況は同じ。人間が疎外されていると言う事が、問題の核心。昔は体罰と言う暴力が横行した。これは軍隊の影響。富国強兵で、国民を奮い立たせようと言う、間違った国のありようの反映。

子どもへの暴力防止はどうすればいいいか。
地域を回復させる事。地域社会が子どもを育てられるような、環境を作ること。
国家が暴力を捨てること。国家が暴力で、問題を解決しようという姿勢では、子どもへの暴力も増えるだろう。アメリカを見ればよく分かる。
親がまず、子供の人権を守る事。全ての大人が先ず自分の人権を守る事、その姿が子どもの人権を守る事になる。
コメント (6)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お茶作りの会 | トップ | 田んぼのおもしろさ »

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (佐々木ナオミ)
2007-02-26 10:04:23
昨日は、ご参加ありがとうございました。

「親がまず、子供の人権を守る事。全ての大人が先ず自分の人権を守る事、その姿が子どもの人権を守る事になる。」

私たちの会は、そのために活動しています。大人が人権を知らない日本で、人権を伝えることの難しさをいつも感じながら皆で悩みつつ、でも、この活動で、一人でも子どもが救えるようにと願って活動しています。

アメリカ型だと言われますが、私はむしろ、アメリカという資本優先、自由競争社会の中で女性達からこうしたプログラムが作られたということがとても意義があるのではと思います。自己主張と権利の国でさえも、女性達は声をあげることが出来ず、自分の被害を語ることが長い間出来なかったという事実。フェミニズムの運動がそうした女性達の声を後押ししていって、このプログラムが出来たこと。日本では、女性や子どもの被害に声をあげられるようになったのはここ10年ではないでしょうか。それまでの永い間、女性達は人としてみなされず、声をあげることも出来なかった。レイプやDV、性的嫌がらせ、ストーカーなどが暴力だと認識されたこと。これは、日本のこれまでの歴史になかったことではないでしょうか。

プログラムでアンケートをいただくと、男性の方は大体が批判的なことを書きます。しかし女性の方は、「涙が止まらなかった」「自分の子どものときにCAPに出会いたかった」「私は悪くなかったんだと癒された」という感想をいただきます。ただの偶然かもしれませんが、日本はまだまだ男性社会なんだなー、と思います。

被害にあったとき。本当に被害にあったときは声が出ないのです。「自分は悪くない」というゆるぎない思いとそれが後押しする勇気があってはじめて声が出せるのです。それがとっさにでるためには、日ごろから「自分は大切にされる存在なんだ」と確信していなくてはなりません。この日本で自己肯定感のない人のなんと多いことか。その日本だからこそ、「基本的人権」をきちんと伝えることが大事なのではと思っています。

返信する
Unknown (笹村 出)
2007-02-27 13:53:21
小田原のCAPの方々が、日本に、足柄の状況に相応しい子供の人権の守り方を、探求する事が大切だ感じました。それが三つの疑問点です。
アンケートでは自由な感想を書いてくださいとあり、じっくり書きたいと思い、ブログで書くとメモしておきました。ですから、これはアンケートでもあります。
もし「大体の男性が批判的なことを書く」とすれば、女性差別が原因と決め付けて考えてしまうのでは惜しい。
価値ある指摘がその裏にあるのかもしれません。そう考えるのでなければ、アンケートをとる必要はありませんし、男性に呼びかける必要も無いでしょう。
返信する
子どもに受けさせたい (hoy)
2007-02-27 20:18:32
私(40代男性)も同じ大人向けのCAPプログラムを受講しました。

自分も子どもの頃に受けたかった、今の子どもたちにも受講させたいと思いました。これで全ての暴力から守れるわけではないでしょうが、CAPが役に立つケースは大いにあると思います。

警官が小学校に行って、子どもの不安を煽る防犯指導をしていることとは対照的な、まじめに考えられた内容だと思います。(参考:「子どもが出会う犯罪と暴力」 森田ゆり NHK出版)

また、大人の人権も大いに侵害されているので、CAPの考え方を大人にも転用できれば良いと思いました。

「地域の回復」「国家が暴力を捨てること」
これらは正しい指摘だと思いますが、簡単なことではありません。取り組んでいる間に、今、目の前にいる子どもは成人してしまうのではないでしょうか。

CAPに意義があるかどうかは、CAPによって子どもへの暴力が減らせるか否かにあると思います。日本でも成果があるのであれば、米国式のシステムかどうかはどうでもよいことです。
返信する
Unknown (笹村 出)
2007-02-28 05:12:14
hoyさん、ご意見ありがとうございます。
CAPを否定している訳ではありません。完全な物などありません。もっといい活動になってほしいだけです。その為に問題点を指摘したわけです。出来れば、私の指摘した問題点に対し、何らかの意見がもらえると、私の考え方、感じ方の問題点も気付くことが出来ます。

足柄にも、先月のピースカフェで特集しましたが、沢山の子供に対するプログラムがあります。
それらの多様な活動に、参加してきた体験から、良い子供の人権を守る活動が様々あることを知っています。あしがら農の会の活動も人権を育てる活動の一つだと思っています。
返信する
Unknown (sae)
2007-02-28 18:38:10
CAPは、決して万能薬ではありません。どちらかといえば、予防接種みたいなものなのでしょう。本来自然に身につけるはずの倫理、人権という概念は、それこそ「自然」という環境の中においては、自ずから身につくものだと思います。自然と共生し、大地に根ざして生きる力を身につけられれば、CAPなどという人工的でシステマティックなプログラムを受ける必要もないでしょう。かつて、日本の村社会では、子ども達は通過儀礼を通して、生きることや、掟を学び、大人になっていきました。(しかし、村八分や差別、女性の不浄というものがあったことも事実で、決して昔が良かったという単純なものではありませんが。)その古来の在り方が失われて久しく、しかも「美しい日本」に回帰しそうもない現代日本において、その多様な価値観のなかで、CAPは選択肢の一つとして、有効であろうと言う程度です。
良いものは取り入れ、より良い形に変えていく、柔軟性を持って捉えていきたいものです。が、このCAP、勝手に変えられないところが曲者なんですよね。それも「権利」というヤツなのでしょう・・・
返信する
Unknown (miki)
2007-03-01 00:29:10
貴重なご意見、よませていただきました。
大人がCAPのワークを受ける目的は、
一人でも多く子どもの話を聴いてくれるひとを増やすことにあります。

様々な感想はこれまで活動を続ける中で受け取ってきましたが、大人の意見はどうあれ、目の前で訴える子どもの声を信じてほしい、
聴いてあげてほしい、そして「あなたの話を信じる」と言ってほしいと思います。

人権意識というのは、一人ではなかなか育ちません。
自分がいかに周りに大切に思われていると感じる環境があってこそと思います。
私自身も「自分が大事な存在とおもっていいんだ」と一皮
むけたようなショックを受けた覚えがあります。CAPを受けるまで具象的に自覚できていなかった自分にショック!だったのかも。

たとえだれであってもあなたの心と体を傷つけるひとには
NOといっていい、といわれてどんなに救われる子どもたちが多いか、というのは国や時代を問わないと思います。

弱く、大人に従属するばかりでなく、あなたも一人の
力をもった素敵な人間です、というメッセージを送りつづけることがCAPの魅力であり、それを自分の言葉で地域で、コミュニティーで生かしていくのが大切と思います。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Peace Cafe」カテゴリの最新記事