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地場・旬・自給

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福沢諭吉と安重根

2014-01-24 04:27:18 | 


桂林 桂林に行ったのはもう20年も前になる。一緒に行った春日部先生も、田中さんも亡くなられた。あのときの続きをまだ描いている。それくらい面白い場所であった。絵画の精神性ということが問題になる。




福沢諭吉の学問のすすめは明治のベストセラーである。明治維新を考える上での当時の知識人の考えていた方角が良く示されている。小学の教授本として書いたというぐらいだから、とてもわかりやすく書かれている。そう長いものではないからすぐ読める。特徴的なことはその具体性である。抽象論には間違ってもしないという、明治的実行姿勢があふれている。何故学問のすすめのことを考えたのかと言えば、安倍氏が国会の演説で引用していたからである。これも竹中平蔵氏や弟の岸外務副大臣などの慶応派閥のブレーンから言わされているのではないかと思われる。安倍氏の頭の中を福沢諭吉と結び付けるのは無理がある。明治の実学の代表が福沢諭吉である。ハヤシライスを作った林さんは、福沢諭吉の指導で西洋風の料理を出したということである。日本人の栄養状態にまで関心があったらしい。日本人の暮らしの方向を福沢諭吉は一方で示している。

所が福沢発言をさらに調べてみると、今の時代でいえば、ヘイトスピーチの連中とかわらないような発言を時事新報に繰り返し記載している。福沢氏は自分の主張をひろめるために、時事新報を創刊し、主筆であった。日本を列強の側に立たせる。「文明」側に日本をたたせる。侵略を文明開化の為と正当化する。その姿勢は、安倍政権が強調するアメリカと同盟する、強い日本論。価値観の異なる幻想中国と対峙の構図を思い出す。福沢諭吉は成るほどに、安倍氏が気に入りそうな、発言ばかりである。強い国日本の論拠はここにあったのかと思わせるものがある。競争に勝利し強い国に成り、世界を睥睨しようという発想である。巷のレイシズムやヘイトスピーチと何ら変わらない人に、福沢諭吉が見えてきた。福沢諭吉に明治時代の帝国主義化の限界があるのは仕方がない。が、現職総理大臣安倍氏に強い日本、帝国主義的日本を主張されても困るのだ。

安重根の記念館がハルピンに出来た。伊藤博文氏がハルピン駅で暗殺されたからである。日本は伊藤氏や福沢氏がお札になる国である。記念館設立を、多くの人が中国・朝鮮の暴挙として受け止めたのではないか。見方を朝鮮の位置に変えれば、こういうことは当然に起こりえることなのだ。日本にとっては殺人犯であるとしても、朝鮮にとっては、民族自決の維新の義士なのだ。朝鮮民族の自立と革命の為に命をかけた英雄ということになっている。中国は以前から、韓国政府の安重根の顕彰要望を抑えていた。それは、中国国内の少数民族の独立運動の活発化を畏れているからである。しかし、中国と日本の関係の悪化に伴い、方針を変えたのだ。朴大統領の要請に従い、記念館の設立に進んだ。日本政府の抗議があまりにも遅く、間が抜けている。朴大統領が発言した時に、このブログにも書いたが、あのときが抗議すべき最後のタイミングだ。中国としては、国内に複雑な側面があるので、外交としてはやり方はあった。黙っていて、今になって騒ぎ立てるのは、むしろ政府内に日中関係の悪化を望んでいる勢力がある。と考えなくてはならない。

安重根は明治時代であっても勤皇攘夷の志士と同じなのではないかという議論が、日本でもあったのだ。伊藤博文が暗殺され、これを契機に朝鮮の併合、植民地化が進む。その意味で、安重根の暗殺行為は、失敗だったという主張も韓国にはあるそうだ。いずれにしても、中国は暗殺を行った民族主義者を讃えてしまった。チベットやウイグルで起きている暴動と弾圧。この矛盾は後で棘になって、自己矛盾を増幅して行く可能性がかなりある。中国内の朝鮮族の人々がどう感じるか。中国が、リスクを冒して、そこまで韓国を重視した理由をむしろ知りたい。福沢諭吉を読むということは、明治の帝国主義の本質を知るということになる。福沢諭吉の一面は、経済の合理主義者である。つまり明治のアベノミックスである。そして、一方では国粋主義的な、明治帝国主義者である。安倍氏はこのことを深く理解しなければ、また戦争になりかねない。本の読み方も様々である。
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ダメでもいいじゃん。から、ダメだからいいへ

2013-11-17 04:04:35 | 
悪人正機という考え方を親鸞は法然から受け継ぎ、様々に語っている。とても魅力的な考え方のようではあるが、どう受け止めたらいいか、理解の難しい言葉である。簡単に考えると逆説的な考え方なのかと。悪い人だって成仏できる。良い人ならなおさら極楽に行けるという解釈である。しかし、どうも親鸞は馬鹿まじめに、正面から悪人こそ成仏できると言っているようなのだ。親鸞というのは、こんなヘンチョクリンなことを言うぐらいだから、よほどいい加減な奴なのかと思うと、そうではなくて、日本の宗教人の中では論理性抜群の、知性派である。親鸞の生きた時代、悪人としてしか生きることが出来ないほど、世の中が乱れ困難な時代だった。飢え死にをして行く人を、生きるためには何でもせざる得ない時代を見ながら、悪人正機と考えた。ダメでもいいじゃんは私の口癖である。ごく当たり前に勤勉に、真面目に暮らそうとして、適当にダメだからである。ダメぐらいじゃなけれべやってゆけない時代だ。居直って悪人だという自覚の立場に立てれば、これは楽だろうとは思う。

だからといって、悪人と自覚するほど突き詰めて生きている訳でもない。要するにあいまいで、行ったり来たりで、その日暮しである。人間そんな程度のもので、悪人には到底なりきれないが、善にとは到底言えないのが普通人である。普通が一番なのだが、普通で収まらない時に、ダメでもいいじゃん。と吐息をつく訳だ。最近も又、約束を忘れてしまった。情けなく申し訳ないのだが、こういう頻度が増してきている。その場でやらなくてはならないことが出てくると、ついつい他のことを思い出さなくなった。ひどい状態になっている。目の前のカレンダーに書いてあるのだが、全く意味なくダメだ。色々の約束事に自信が無くなっている。その意味もあって、業としての養鶏を止めることにした。食べ物を作る責任を持てなくなりそうだ。何かとんでもないことをやらかす前に止めなければ怖い。農の会の当番の定例会を忘れたり、水彩人の同人会議も忘れてしまった。アルツハイマーという気もしないのだが、ひどいことになっていることは確かだ。責任のある約束事をともかく減らす。来年一年の自治会長は引き受けた以上やりきるしかないが、怖くなる。

浄土教でいう悪人というのは、人間すべてをさしているという考え方がある。確かに近代的な解釈論である。このように分析してしまえば、悪人正機説も実に常識論になる。人間はすべからく悪を内在している。その悪に気付くということが大切で、悪の自覚のあるものこそ、極楽浄土の行けるという考え方である。悪を自覚すれば、悪事を侵さないという、常識論である。一つの考え方であるとは思うが、親鸞の言わんとするところとははるかに違う。もう一つあるのが、悪とする価値観の巾である。何を善悪とするかは仏という宇宙の絶対から見れば、皆一緒のことだという視点もある。確かなところはわからないが、どうも親鸞はそういう、まともなことを言ったのではないと直感する。善人もいれば、悪人もいる。そして悪人の方が生きるという真実に迫り、まだ増しだ。こういうとんでもないことを含んでいる、と思われる。ここがややこしいのだと思う。

吉本隆明氏の「今に生きる親鸞」を読むとその辺の分りにくいことがある程度分かるように書かれている。この分りにくいが、一番大切な部分を、少しでも明確にしようと書いている。という方が正しい読み方かもしれない。悪人正機が努力して少しでも良くなろうという、努力を妨げないかということがある。大切なことをすぐ忘れてしまう気休めに使っていてはだめだろう。忘れない方がいいに決まっている。人間自分には甘く、他人には厳しく要求をしてしまう。良いことをすれば、浄土に行けるという、安易な考えだけはするな。自分の感じたままに行動すればいい。行為に善であるというような意識を持てば、自分という人間の奥底に至る為の、障害になる。というように、吉本氏は親鸞を解釈しているようだ。
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寓話としての動物農場

2013-10-12 04:48:15 | 
「動物農場」ジョージ・オーウェルは、独裁に関する寓話である。この寓話はイギリスで1954年にアニメ化もされ、日本ではスタジオジブリによって公開されている。その予告編はUチューブで見ることが出来る。私がこの本から受けた衝撃とはまるで違う印象である。【動物農莊】という名前では中国語字幕入り版があり、これではすべてみることが出来るようだ。動物倉庫は寓話としても良く出来た本だとは思わない。読み始めると結論がすぐ分かってしまう。しかし、養鶏業をしているものとしては、ちょっと重い内容である。支配というものの性格が、動物に置き換えて書かれている。革命によって、支配を払いのけたものが、新たな支配者になる構図。すべての独裁国家というものの姿である。そして支配される一般の国民というものは、変わらず家畜として生き続ける。悲しい姿である。家畜であるから、革命の理念を理解することすらできない。

独裁国家を笑っているというより、能力差別の問題の方が大きい。日本という国にある、経済支配というものをつい連想する。権力というより金力によって、人間が支配されている。支配というものは、オーウェルが書くように、支配されている人は気付かないものである。誰しも、お金に縛られているなど思わないのだが、実はお金が全ての価値観の根底をなす。そのお金の力で人間という存在全体が支配される。給与をくれるので、存在の誇りを捨てて土下座もする。絵描きであれば、売れるということに支配される。これが商業主義絵画時代の実態である。どのようにしてそこから脱するかと言えば、すべてを趣味にするということだ。実益のない趣味にすることだ。アマチアリズムこそ、金権支配からの離脱。私絵画の主張。自給農業の主張。これは学生時代の美術部の先輩の般若さんから学んだものである。オリンピックでもプロ参加が認められ、金権支配が進行した。

日本では、お金にならない分野では、評価もされなければ仕事もない。博士の資格のある人の就職先が極めて少なく、18万人も職に付けないとNHKで報道していた。この傾向は、さらに進むに違いない。韓国では大学卒業者の4人に1人が、サムスンの就職試験を受けるそうだ。これなど、動物農場を髣髴する事象ではないだろうか。一人ひとりの人間の存在をくっきり尊重するというのが、民主主義である。民主主義は効率も悪いし、お金にならない。一人ひとりが自分の正しさをバラバラに主張し、まとまらないまま、少々不満のある結論で進めなければならない。勢いはつかないし、経済競争に民主主義は適合しない。能力差別を行う方が、経済競争には向いている。理想を述べていても、現実の競争に負けるのでは、話にならないというのが、世界市場の競争ということになる。動物農場でも、生産効率を上げるための独裁ということが進む。この話は寓話というより、まるでドキュメントの様である。

この点が、寓話としては物足りない所だ。支配者の豚を独裁者の名前に置き換えるだけで、現実化してしまう。このアニメが中国向けに動物農荘となる所以がそこにある。しかし、アニメというものの限界を感じる。寓話として見た場合、生々し過ぎてどうかと思うものを、デズニーアニメのような動物たちが演ずるとなると、もうこれは寓話とは完全に言えなくなる。猫がネズミを追い回す、デズニ―アニメでは、正義も愛情もほどほどにしか感じられない。やはり、書かれている小説というものの面白さを思う。最近宮沢賢治を読み返している。この人の小説は世界に通用するのではないかと思う。古さというものが全くない。動物農場とは逆で、まるでお話の様に書いているが、寓話なのだと思う。寓話にはとても興味ある。
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どぶっ田の改良

2013-08-23 04:23:45 | 
「どぶっ田の改良」著者岩田俊一(文芸社)田んぼの仲間のまごのりさんのお母さんの実家の祖先のかかわった話である。秦野の大根の耕地整理を中心とした、田んぼの経済にまつわる話である。大根村落幡地区のどぶっ田をどのように改良していったのか重要なことが書かれている。以前武士の家計簿という話が、とても面白かった。家計簿から、武士の本当の暮らしを推察して行くものである。この田んぼの話は、まさに田んぼの家計簿から、百姓の本当の暮らしを浮き上がらせてゆく。厚木生まれの農民小説家和田伝を思い出しながら読んでいた。和田伝はこの地域の百姓の姿を、私小説的に浮かび上がらせた。小説であり、文学としての思い入れで書かれている。長塚節の「土」や吉野せい「洟をたらした神」山下惣一「減反神社」等どれも百姓小説として興味深いのだが、「どぶっ田の改良」にはそれ以上の現実世界という面白さがあった。

江戸時代の田んぼの権利関係はどうなっているのか。どこの誰の、領分になっているのか。支配体制と年貢の違い。落幡地区では何と3つの種類の権利が生じている。幕府直轄の御領地と、旗本成瀬、松平の2家の知行地とがある。直轄のご領地は後に、佐倉藩主堀田家に与えられることになる。落幡村の石高は、1200石。うち74町4反が田んぼ80町4反が畑。農家数が119軒とある。1件当たりの平均面積が、1町歩を越えているから、三反百姓という言葉からすれば、広い方と言える。明治初年の資料では田んぼ84町7畝。畑83町1反。121戸あって、内農家数が103戸とある。収穫高は1反分を1石とみなしている。1石=1,000合(1年に一人が消費する米の量)1年では150キログラムとなる。江戸時代の田んぼの生産性はどうだったか。反収150キロとは、2俵半ということである。私たちの田んぼが、8俵であるから、その3分の一以下である。しかし、一般に1反1石、一人の消費量と言われていたようだ。その貴重なお米の半分が年貢となる。

江戸時代は米以外の農作物に力が入る。秦野大根村では、葉たばこは江戸時代から作られていた。国の経済が、つまり税金の大半が、米からである。それは明治時代には地租という形に変わり農地すべてから、農民はさらにきびしく吸い上げられることになる。大正期に入って、田んぼの面積が85町、畑が84町である。明治6年の記録でも田んぼは反収150キロを切っているから、本当に生産性の悪い田んぼだったのだろう。江戸時代の豊作の記録で、反収八俵480キロというのが限界と書かれたものを読んだことがある。このほんではこのどぶっ田を良田にしてゆく、耕地整理と河川改修がテーマである。ここにの普請と現代の公共事業との違いをみる。つまり、江戸時代の普請はたいていの場合、自己負担であり、の共同事業ということになる。河川の改修すら、その地域に暮らす人たちが、改修して行かなければならなかった。当然、藩を挙げての大干拓事業なら別であるが、一般には暮らしている者の責任とされた。

江戸時代は自己責任の時代のようだ。お上は下々の者の暮らしの面倒までは見てくれない。農地を改善する水土普請事業は自己責任の中で、どのように進められたのか。相談事はどのように行われるのか。地域というものが間違いなく、重要な枠組みであったのだろう。どぶっ田がまず耕地整理される。田んぼの耕地整理は明治政府の重要な政策であった。1割程度の補助金が出る政策が行われる。1反を一区画として、道路と水路が直接接するようにする。田んぼは河川を中心にして出来上がるため、常に洪水などで位置が変わる。そのために、関東地方の田んぼは権利関係も複雑化し、不整形化したところが多かった。明治に入地租に変わり地主や自作農は、土地所有権を持つが、その地租は重く、耕地整理を行うのは、政府、地主、そして小作農すべてにとって、行わざる得ないこととなる。この本が提起していることが、あまりに面白くて、一気に読んだだけだが、もう一度じっくり読みこんでみたい。
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シートン自叙伝

2013-07-23 04:42:53 | 
イノシシが今年も出没している。秋になって田んぼはとても心配だ。以前も一度書いたが、猪が捕まらないのは、子供のころシートン動物記を読まなかったからだと、自然農法の石綿さんに言われた。たぶん、シートンについては、相当に読んでいるはずである。シートンはそもそも若いころ絵描きで身を立てようと考えたようだ。子供のころから絵を描くのは上手だった。子供のころから動物も好きだったらしいが、絵描きなら食べられると考え、動物学大学には進学せず美術学校で学ぶ。確かカナダのトロントである。卒業後、イギリスのロイヤルアカデミィーに入学している。ところがアカデミーはすぐ辞めて、帰国する。そして、兄について入植者になる。そこで直接自然を見ることを通して動物学を始める。つまり、大学で書物を読んで学ぶというようなやり方ではなく、自然を自分の目で見ることからシートンの動物学ははじまる。

シートンがそれまでの動物学者を凌駕して行く事が出来たのは、書物を捨てたところにある。学問をするというと、過去の書物から学ぶということに、依存しがちである。シートンは動物学者になりたいと考えて、大学のような学問の世界に入らず、自然の中に暮らすことを選択する。自分の目を信じて自然に起きていることを直接見ようとした。この自分の目で「見る」ということの意味を大切にしたところが、それまでの動物学を一変させることになる。ノーベル賞動物学者のローレンツもシートンを高く評価している。動物学を一歩前進することが出来たのは、出来上がった書物的動物学に入らなかったところが重要である。自分の目というものを育てるには、自分が自然の中で暮らす以外にない。書物をいくら読んでも、自然というものの本当の姿を知ることはできない。このように考えたわけだ。私が山の中で暮らすことで、自分の絵を建て直そうと考えたことも、同じように学んだことだ。絵をかくということが自分の内なる真実を出し尽すこととするなら、自分を暮らしの中から育てる以外にないと考えた。私は自分の食べるものを自分の手で作ってみようと考えた。

発酵利用の養鶏も、全く私の体験を書いたものだ。養鶏学を学んだことはない。大学で畜産を学んだ訳でもない。鶏とともに暮らし、自分の目を育て、鶏の見方を少しづつ知った結果である。誰かに教わるということは性に合わない。その意味で、稲作、小麦、大豆、野菜、すべてやってみて、その結果を見ながら知った方法である。もちろん、大豆栽培なら、土中緑化法は稲葉さんの発想したものである。そこはなるほどと学んだが、後は、自分で繰り返し栽培しながら、進めていることだ。あくまで自分の目というものがなければ、本で学んだところで、作物の栽培など出来るものではない。相手が、自然というものであれば、千変万化である。自分なりの見方を育てない限り、どうにもならない。

昨日は昔の絵を大量に捨てた、ケイトラ山積みで3台である。恐ろしいことであった。この後自分が絵を描くためのことである。過去の自分から抜け出て、いまだかつてない自分になって絵を描きたい。シートン自伝を読んだ感想でもある。内なる自分に従うという意味は、深い行動的観察に基づく。ただ座して動物を見ていた訳ではない。動物に出会えないとしても、足跡には出合える。足跡を何日も追い続けながら、動物と対話する。昨日何を食べて、どこで寝たのか。さっそく今年出てきたイノシシの荒らした後をよく観察した。すると川から、どうも2か所上がってきている場所があるようだ。コンクリートの河岸なのだが、川に降りるためか、わざわざ、高くしてあるところがある。ここを上がれないようにすることが、対策の第一だろう。大きな石なのだが、これを崩して低くすることを先ずしてみよう。これがシートン自叙伝を読んだ結果である。
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いのちの満足

2013-04-30 04:23:43 | 
くだかけ生活舎の和田重良さんから、「いのちの満足」という本が送られてきた。高杉という山の中に暮らして30年目ということで、出されたものだそうだ。と言って山暮らしが書かれているわけではない。30年前には、まだ重正さんというお父さんがいて、一緒に暮らし始めたということだろう。今は、息子さんと一緒にくらしているということだ。重正さんはさらにそのお父さんの八重造さんという方と暮らしたようだ。その頃にすでに、「一誠寮」というものがあったらしいから、親子4代にわたって、寄宿寮のような、教育組織をやってきたことになる。こういう何か思想運動のような、塾というような活動には、私にはちょっと避けたいという気分がある。しかし、和田重良さんは平和運動にも参加されるので、この点で共感している。重良さんから、時々送られてくる文章にはさすがというような実にうまいことが書かれている。

上手いといえば語弊があるが、他にもっと適切な言葉が捜しにくい。いいことというか、なるほどということが書いてある。とても鍛えられた言葉だ。読めばどこの部分も、そうだよなー、うまく言葉にするなあーと思ってしまう。まあ、たとえ話が上手だ。上手というのは怪しいということでもあるのだが、重良さんはお会いすると、実に言葉どうりの率直で、実直な方だ。必ず、なにかしらいただけるものがある方だ。私などは、批判ばかりしていて、根性が曲がっているから、時々お会いして気付かなければいけない方なのだろう。そういう方だから、やはりお会いするのは少し勇気がいる。偉そうにしないし、当たり前にしてくれるのだから、恐れることはないのだが、やはり立派な人に会うのは少し気が引ける。その点本はいい。気が向いたときに読めばいい。読めばどこかは納得がいく。教えていただける。

こういう内容を寓話として表現できないものだろうか。「あそぶ心地よさ」というのが第一章にある。思い出すのは、中学校の入学試験の面接で、と言っても曹洞宗の中学校であるが。「何が好きですか。」こういう質問をされた。本当のことを言わなければならないと思い、グーと考えて、遊ぶことです。と答えた。面接をされていた方は、びっくりしたようだったが、正直である方が大事だと思ったので答えた。次の章には、「雑巾がけのここちよさ」という、一灯園のような言葉もあるから、この遊ぶは油断ならない遊ぶにちがいない。そういう寓話を作れないかと思う。三年寝太郎である。寝ていて良かったというような寓話の方が重良さんの言葉は生かされるような気がする。そういえば、茂吉という俳号のようなものを持たれていて、時々句のようなものを書かれる。文学者でもあるつもりのようだ。寓話が向いているような気がしてならない。上手い話良い話が、面白い物語のお話として書かれていた方が、重良さんらしいと思うのだが、余計なことだろう。

三〇年間山の中で暮らしている人の、暮らしというものに興味がある。円空はおなかが減ると、掘り上げた仏像を川に投げ込んだそうだ。そうすると流れ着いたふもとの村に住む村のものが、やれやれ、和尚はおなかが減ったらしいと、食糧を持って出かけた。このやり取りはとてもいい。寓話だ。誰が拾うかわからない川に投げ入れられる仏様。流れて海に出てしまってもそれはそれでよい。拾い上げた村の者が、食糧を持って出かけるのもなかなか面白い。人間のやることはほとんど、意味がないという話。山の中で30年無意味に、仏像でも彫って暮らせれば、すごい。無意味で平気ということはすごいことだし、生きる目的なような気もする。重良さんが、山から川に投げ込んだ仏さんが、「いのちの満足」であるということは確かだろう。仏像を見つけれるかは偶然である。食料を担いで、山まで行くかは村人の判断である。
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「免疫の話」

2013-01-13 04:42:17 | 
西村尚子さんという方の書いた、「知っているようで知らない免疫の話」を読んだ。(技術評論社1580円)ーーヒトの免疫はミミズの免疫とどう違うーーこういう副題が付いている。医学ミステリーのような本だ。「外科の夜明け」を読んで引き込まれたことを思い出した。記号の羅列のようで面倒で、ちょっと厄介なページもあったが、それで、それで、と一気に終わりまで読んでしまった。そして、ミミズの話がないことに気付いた。しかし、そのことがそれぞれに判断できるように書かれている。読者にゆだねると言う、価値のある本だ。しかし、この本での、西村氏の考え方も私の読み方も、あくまで免疫というものの一つの切り口であり、あくまで参考である。今でも免疫の仕組みに関する疑いの気持ちは山ほどある。当然結論が書かれている訳でもない。これは一つの免疫に対する哲学なのだと思う。微生物の話と、免疫の話は、とても関連していて知のジャングルである。

免疫を考える上で重要なことは、生命という連なりに対する哲学ではないだろうか。命というものが50億年という長い年月を掛けて、継続してきた摂理のようなものを背景にして免疫はある。生命の歴史学。まずここを把握しなければ、免疫の各論に入り込み、何のための学問かを見失う。免疫学では、北里柴三郎氏や、利根川進博士のように、日本の学者が大活躍をしている分野である。今も日本には、多くの優秀な免疫学者が存在する。基礎学問に予算のない日本の悪条件の中、驚異的な成果が展開されている。想像だが、日本人的思考法が、免疫の哲学に有用なのではないかと思う。日本人の自然観である。里地里山を作り出した、自然に対する手入れの思想である。曖昧なまま、全体を受け入れる思想。アニミズムの哲学。西欧的な科学原理主義では、踏み込みにくい所が免疫学にはあるのではないだろうか。

生物には、未知の化学合成物質にも、抗体反応を持って防ぐ仕組みがある。命には、単細胞生物でも、補体と呼ばれるような仕組みがあり、異物を見分け防ぐ仕組みを持っている。だからこそ、今存在する生物は生きながらえてきた。この防御システムを解明するのが、免疫学である。ワクチンで作られる免疫システムは、特定のウイルスに対するものだ。ところが、自然免疫では多様な手法で、幅を持って対応する。免疫を司る細胞があり、幾つもの異る、重層する方法によって異物を見分け、対抗する。そもそもウイルスの変異にまで対応して行く能力が存在する。それがないとすれば、生命は継続できなかったはずである。この自然免疫でも、仕組みは多様で複雑で、解明されたとは言い切れない。実に複雑に巧みに、組み合されながら生命が守られている。ここが一番研究の最先端のようだ。これらの仕組みに、マイクロバイオームのような微生物群が影響している可能性もある。

免疫力の強化ということは、大いにあり得ることだ。ワクチンによる免疫は、有効ではあるが、限定的である。自然免疫力を弱体化する可能性もある。少なくとも自然免疫力を育てることを、阻害しかねない可能性がある。人工的なワクチンには一定の幅でしかウイルスの変異に対応できない。蔓延した鳥インフルエンザウイルスが、何故人間への感染爆発を起こさないでいるか。豚の中に入り変異を遂げた、ウイルスは簡単に人間に感染を広げる。いずれにしても巨大畜産施設での、感染の連鎖はとても恐ろしいことだ。感染し新しい個体にウイルスが入ると言う事により、ウイルスが変異する可能性は格段に高まる。病気というものはすべて、広い意味のストレスから起こる。ストレス対して対応を間違う、ストレスでないものをストレスとして認識するのが、アレルギーである。ストレスに負けるのが、病気である。それではどうしたら、自然免疫力を高められるか。改めてこの事は書きたい。
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有機農業研究会の報告書

2012-06-29 04:31:24 | 
有機農研の久保田さんから、報告書2冊が送られてきた。有機農産物の市場調査、流通の実情調査の取りまとめである。その中で放射能問題がかなりのウエートで取り上げられている。その前段として、全原子力発電の停止要求をしていることが示されている。有機農研の誠実さが出ている。有機農産物にかかわる組織として、深刻なことだと思う。関東東北の有機農産物の生産者は、普通の農業者以上の打撃を受けている。この問題は死活問題である。どうしてもそうした観点からこの報告書も読んでしまう。例えば、有機農研が切り開いてきた、「提携」はこの問題に対し、どういう答えを見つけようとしているかである。現在、この報告書は他の生産者に回したので手元にはないが、消費者と生産者の関係を考える上で、とても良い指摘もあると思う。ここで執筆されている、久保田さんや吉野さんや斎藤文子さんを交えて、話し合いを持てると有意義ではないだろうか。

しかし、残念ながら、この問題をどのように解決して行けるのか。ここに回答が示されている訳ではない。いくつかの事例が出ているか、事例の聞き取りが報告されているという状態。私が感じているような深刻な状況の、印象はない。廃業したり、移転したりした人を聞いているので、もう少し深刻な気がするが。前向きに考えて、乗り切っている人の事例ということか。有機農業の技術的な問題として、どうやって汚染された土壌とかかわって行くのか。まだ除染の問題や、農産物への移行低減法につても、深くは言及されてはいない。これも、趣旨が違うと言えばそうだ。内部被ばくの問題には、触れていない。これもこの報告書の趣旨からいって当然であるが、一番知りたいのは、そのあたりである。さらに言えば、有機農業での放射能の基準値というものはあり得ないのだろうか。JAS有機基準では、放射能汚染に触れていないが、このままでいいのだろうか。こういう深刻な問題にも触れないと、今有機農産物の流通を考えるうえでは、片手落ちのような気がする。

私は養鶏のJAS基準の件で退会してしまったので、実情は全く知らない。有機農研も生産者と消費者の両者が存在する組織である。意見は二分していると思う。より安心安全なものを食べたいという思いの消費者の力が、設立には大きな力になった。藤沢のSさんなどは今回の状況をどうとらえているのだろうか。2分していないのであれば、この問題を避けているとしか言えない。安心、安全な農産物の提供という事が、主題であるように見えた団体が、この困難な課題をどのように乗り切るのかは、学びたい所である。私の個人的な考え方としては、農産物の放射能の許容ラインを引くことだと考えている。例えば、一般の基準が100ベクレルなら、有機基準では50ベクレル。子供には、さらに半分の25ベクレル。というようなラインを引く。その基準以内であれば、喜んで生産者を支えて行く。この関係の構築に両者が努力する。と言っても、根拠は全くない。このあたりが困る。困るがそうしなければ共倒れである。

あしがら農の会は、「地場・旬・自給」が基本理念である。循環する地域の構築が目標である。小田原の農業が危機的な状況に進んでいるのは、放射能の為というより、老齢化による後継者不足ということが一番大きいだろう。その危機的な状況を乗り切るために、有機農業も利用して行こうと考えてきた。しかし、お茶の汚染問題以来、こうして触れることすら止めてくれよ。というくらい、辛い状況である。放射能の問題以来、後継者が育つ可能性は、ますます低くなっている。また、小田原から他に移住する農の会の仲間がいる位だから、小田原で農業をやろうという人も、減少している気がする。有機農研の報告書の中に何か打開のヒントはないか、そう考えてもう一度読んでみよう。

昨日の自給作業:コロガシ2時間 累計時間:72時間
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新藤兼人氏の訃報

2012-06-05 04:04:56 | 
新藤兼人監督が亡くなられた。100歳の現役映画監督である。『祭りの声 あるアメリカ移民の足跡』『いのちのレッスン』には感銘を受けた。考え方に筋が通っている。シナリオでも思想がある。当たり前のことだが、大半の映画監督に明確な思想はない。面白いとか、美しいとか表層的なことを撮影している場合が普通だ。言いたいことがあり、その言いたい事を伝えるために映画がある。この順序が明確な作家だ。だから、映画も著作もくっきりしている。しかも、100歳でまだ映画を撮ろうという意欲があるというのだから、並みの思想家ではない。日本の芸術骨格をなしていたような人が、失われた。この所はやりの軽い調子の映画も、悪いという訳ではないが、正面から問題を突き詰めるというような、新藤監督の姿勢は芸術としては、間違っても失ってはならないと思う。

吉田秀和氏の訃報がテレビに流れた。98歳だったという事だ。学生時代にモーツアルトが好きになって、吉田氏の「モーツアルト」を読んだ。モーツアルトを聞いて耐えていた時期がある。辛い時の為に、モーツアルトの曲に慣れないようにとって置いて、どうしようもない時に大切に聞いた。聞きなれて、効果が減るのを恐れた。それは長い間、モーツアルトからも、クラシック音楽自体にも、吉田氏のことも忘れていた。つまり、つらい時がなかったということだろう。有難いことのようでもあるし、情けないことのようでもある。クラッシックファーンの年齢層が若いと、海外からの演奏家はびっくりすると。当時聞いた。今もそうなのだろうか。モーツアルトがどれほどの天才なのか、吉田氏の本を読んで知った。

吉本隆明氏も88歳で亡くなった。学生の頃はやり過ぎていて、いつも気にしながらあえて読まなかった人である。通俗と思う位話題に出た。大方が注目するような思想に対して、ひねくれて受け止めるという性格なのだ。遠回りに、この人の詩を読んだ。全く気にいらない詩だった。今再読しても、評価できない。何故こんな詩が歴程賞なのか選考者の感性を疑う。言葉の選び方が鈍いと思った。学生のころ、そんなことでよく友人と議論をしたものだった。その背景にあったのは、花田清輝氏との論争である。私は花田清輝氏を評価していたから、吉本氏がなんだという気分だったのだろう。大切なことを言うときは、何気ないほどいいと感じる。大げさで力んだようなものは、嘘っぽいと感じていた。その後読んだ、「共同幻想論」もピンとこなかった。そう言えば、オウム教の浅原彰晃を評価していた。親鸞についても書いているものは読んだことがある。気掛かりな人ではあるが、この人の全体は良く分からない。

掛川の学園花の村の、宮城正雄氏も亡くなられた。2月7日のことだったらしい。95歳ということである。学園花の村の活動は、あしがら農の会と同時期に始まった。全国にあるる農地の維持活動の一つである。市民が農地を有効利用する仕組みづくりである。農の会としても問題になっていた、住宅のことで、どうやって農地に家を立てるのかを聞きに行った。実際に、コンテナを作る会社が移動式の箱型住宅を作り、置いてあるという形であった。しかし、行政サイドの許認可に関して言えば、なかなか難しいという事を教えられた。もう10年以上経つと思う。その後、宮城さんは小田原にも見えて、お元気な姿を拝見していたので、100までは大丈夫だと勝手に思っていた。そのくらい90過ぎても年齢を感じさせない方であった。私が考える偉人の一人である。

多くの方が無くなる。でも長生きの人はやり尽くした感がある。吉田氏も最晩年中断していた、出筆を再開している。宮城氏も手掛けた仕事としては中途であるが、宮城氏がやれることはやり尽くしていると感じられる。そう思えば、すべてはこれからのことである。今年の田植えもまだ大丈夫そうである。なにしろ、原発事故以来溜息ばかりで、弱音がつい口にだしてしまう。一年が過ぎ、弱音だけは口にしないことにした。口に出していると周りの聞かせられる人も迷惑だろう。出来ないやせ我慢でもしない訳にはゆかない。田植えで身体は付かれているが、むしろ前向きな気分になってきている。頭と心が疲れきってしまった時、残っている身体を動かし始めて、何かが変わり始めるという事があるようだ。頭の中で繰り返し、田植えまでのイメージトレーニングをしている。シュミュレーションである。頭がフル回転しているので、余計なことはいつの間にか忘れている。

昨日の自給作業:2時間 代かき 累計時間:23時間
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「海辺のカフカ」「ノルウェーの森」村上春樹

2012-04-03 04:53:49 | 
このところ読書中毒である。小説をというか、新しい活字を山ほどブックオフで買わないではいられない。1冊105円、一回に2300円位を4回ぐらい買った事になる。1日1冊のペースで読む。村上春樹氏も、一チョ読んでみるかと買ってみた。長年、抵抗があった。気取ったベストセラー作家にみえたので敬遠していた。でもイスラエル文学賞記念講演のガザ攻撃批判で、少しどんな人なのかと思っていた。1949年、同じ年生まれのようだ。「海辺のカフカ」はなかなかの作品なので驚いた。15歳の人間がどう生きるべきかを考えるには、うってつけである。日本文学の伝統通りの、父親的存在の否定と和解。母性的なものによる救済。「カラスという少年」が何10辺も出てきて読みづらい、抵抗ある文体を乗り越えるのに相当苦労した。文体や活字や体裁を操作しようという辺りが、チャラチャラしている。10代の人はこういう感じだろう。

自分の影だからカラス、カフカは黒いカラスではないようだ。まるで窪川君と16歳の時河原ガラスのことで、議論になった事を思い出した。小田急が多摩川を渡るときの河原に、名前の分からない鳥が居たのだ。私はカワカラスだと主張して、窪川君はあんな小さいカラスはいないと主張した。カワガラスはカラスではなくスズメだ。そう言う知識で相手をやりこめるのが好きな子供だった。ただ自動車のウンチクなど、この人なんだろうと思うが、少年たちにはうけると思っているのかもしれない。それこそカフカを読む子供だった、私としては、15歳の時に読んでみたかった。62歳の今となっては、少々遅すぎた。大人になって失う前に読んでいれば。昨日、まだ小さいサトちゃんに、目の前に咲き乱れる桜が美しいか聞いてみた。実感はなく美しいと答えたようだ。私が桜を美しいという概念で始めてみたのは、6歳の入学の春である。たしかに、その年齢でしか見えないものを見ていた。

大抵の本がスタートは苦労するが。乗ってしまえば、一気に読めるものだ。この本は東京行きの小田急の中で2日かけて読んだ。嫌味ではあるが、したたかな本だと思う。二つの閉口する物語を、描き分けながら、巧みに行き来させる。読者の鼻ずらを引き回そうという魂胆。子供じみているのだが、なかなかの構図を確保している。15のカフカ少年の成長を描いていると言ってしまえば、実に単純なことになるが、この少年を支配する世界が、結構奥深いことが見え始める。さすがカフカを気取るだけのことはある。ケンタッキーのカーネルサンダースさんや、ジョニーウォーカーさんが出て来るのだから、お笑いの様相をしながら、深淵に切りこむ。生きるという事を、死の側から眺めているともいえる。多くの登場人物が殺され、死んでゆく。猫など切り裂かれて食べられてしまう。怖ろしい話だ。狂気が動物殺しから始まる。すべては生きるという事明確にしようと、仕組まれている。

「ノルウェーの森」はビートルズの曲名だそうだ。こちらの方は、狂気についての本だ。人間が病の中にいる時代らしい、恋愛小説。こちらにはそう感心しなかった。持って歩いているだけで、ファッションになると言われていた本とは思えない。こんな本を読んでいる事を知られたら、普通恥ずかしいだろう。庄司薫氏を思い出した。少年向き小説ということ、猫語がでてくること、音楽のウンチク。福田章二氏に戻ってから、今はどうしているのだろう。庄司氏の本は学生時代、その上手さにハマった。少年が書いたように見せかけようという、やり口にびっくりさせられた。その後書かないようだが、中村弘子氏が自分のピアノをバックミュージックに酒を飲んでいるんだからと語っていた。それが許される位の人だと思う。そう言えば、中村弘子氏の代筆をしているという噂があったが、どうなんだろう。

昨日の自給作業:苗土運び2時間 累計時間:2時間
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「空海の空」

2012-02-21 04:00:43 | 
最近小説本にはまり、50冊以上の本を買ってしまった。それでも1カ月位で読んでしまう。ブックオフで1冊105円で買う本である。東京には3冊100円の古本屋があるのだが。お風呂の中でも読んだりする。読み終わった所から破り捨てる。書物に対して不謹慎な読み方をしている。こんな読み方なので図書館の本と言う訳に行かない。読んでない本がある安心。中学生の頃、試験の前になると本にはまりこむ。夜中まで読んでいて怒られるので、布団の中に明りを入れて布団を燃やしたことがある。テレビのがん保険のコマーシャルが刷り込まれた気がする。がんと診断されて、本を買い込んだというくだりである。好きな時に好きなだけ本を読みたかった。本を読む楽しさは他の何にも代えがたいものである。中学生3年間で図書館で一番本を借りた人で、賞状をもらった位である。その頃から変わらないのだが、中国ものが好きだった。毛沢東でも、三国志でも構わなかった。

「空海の空」は司馬遼太郎にしては読みにくい本である。空海をめぐる感想文と言う方がいい。密教の世界のことなど、予備知識のないものに分かる訳がない。現代でも空海研究会と言うのがある位だ。正密と雑密があると言われても、小乗仏教と大乗仏教と言うような、雑の方を蔑んでいる感じなのか。雑と言うのは修験道的な、仏教以前の呪術的土俗を言うのか。インドでの宗教としての発生の違いというようなことが書かれている。インド世界のことになると、仏教のような巨大な思想哲学を完成して置きながら、いつの間にか、ヒンズー教という一地方の宗教に変わってしまう不思議。それを受け入れ育て上げた7世紀中国の唐と言う時代の大きさ。そして、日本から仏教を学びに行く、天才中の天才。空海はサンスクリットを半年ほどでマスターする。中国で失われてゆく密教の継承者として、宇宙的で壮大な密教を体系化をする。そのご日本で1300年間、宗教として成立させた空海。御大師様として、身近なお坊さんであり、弘法水は全国いたるところにある。

だいたいに中国ものは読みにくいと決まっている。読めない漢字の名前が山ほど出て来る。探偵ものが好きなのだが、名前がカタカナだと厭だと言う人が居た。わたしは名前を覚えられないので、適当である。105円の本には、名前がメモったりしてある位だ。前半は空海の自分像が手探りである。明確に出来ないでいる。唐時代の様子が面白い。作者が頭の中で、勝手に思い込んで吐き出せないようなもどかしさがある。密教の内容が分からないレベルの読者を求めてません。と言われてしまうようだ。古代の日本社会の感触、唐時代の中国の感触、これが徐々に紡ぎだされるあたりは、さすが司馬小説である。外郭から迫り、中盤あたりで空海の天才性がくっきりし始める。このあたりから名前も呑み込めて、ハマり始める。あくまで小説である。

お大師様の日本の民衆の受け止め方は興味が深い。我が家にも水が湧いている。この水と言う財産は私有しにくい。弘法の水と名付けたい心理がある。水には厄介な利権がある。利権があれば不安がある。大師様におすがりしたくなる。田村さんは諏訪の原の少し下で、湧水を見つけて養蜂場にまでひいてくれたそうだ。水の管理は天皇家である。それは国家権力といえる。そこで大師様で対抗する民衆的な知恵。大師様の杖の先に水が湧きだすリ有難さ。技術と言うものを秘儀として位置付ける密教を感じるがどうだろうか。天皇家も空海の密教も同根ではないか。民衆は技術と言うものを、信仰の対象にまつりあげながら、ムラ、地域公共の財産として管理運用して行く知恵。水神信仰による、管理。古代中国の開かれた精神。唐時代の特殊性。海外からの外交団を優遇する姿。遣唐使の話をもっと読みたくなった。
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2冊の本のこと

2012-01-05 04:35:56 | 
本が送られてきた。このブログを読んだと言うだけの方からである。最近気持ちが落ち込んでいるので、とてもうれしかった。今も机の上に並べてある。「八木重吉詩集」創元社発行の昭和23年のものだ。私の生まれる前年の戦後の苦しい時代に出版されている。もう一冊が「自然農の野菜作り」である。これは伊豆の高橋さんが書かれたものだ。本にある写真を見て高橋さんの元気そうな笑い顔で、そうだったといろいろ思い出した。本を送ってくれたのは、fukusimaさんと言う方だ。お会いしたことは無い。八木重吉詩集のことなど書いてあるのを読まれたらしい。それでこの本を送って頂いた。私が生まれる前年に作られたもの。この本は草野新平氏がまとめたもので、没後20年と言うことである。二人の遺児は夭折し、現在とみ子未亡人は吉野秀雄氏方に假寓とある。ここにも物語はさまざまある。開いてみるととても大切にされていた本のようだ。愛読者カードまで入っている。

大分背表紙が弱くなっているので、恐るおそる開いてみた。どの言葉も、詩と呼ぶより呟きのようなものだ。そのつぶやきが、ただのつぶやきでなく胸に迫ってくる。小石を見れば小石に、雨には一段と心が打たれたようだ。雨の詩が沢山ある。

「雨」
雨のおとがきこえる
雨がふつていたのだ

あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでゆこう


詩と呼んでいいのか、ことの葉と言うのか、心から直接こぼれ出て来る声。沁み出ている。ほんとうの詩人と言うのは、人間の極限のような貴重で大変なものだと思う。

高橋さんの「自然農の野菜づくり」創森社刊は、正直そのものである。監修の川口さんもそうなのだが、不思議な宗教的臭いはあるが、とても正直である。やっていることをそのまま書いている。出来ないことは書いていない。大抵の野菜作りの本は、誰にでも出来るように、脚色して簡単に書いてあるものが多い。正直な高橋さんには、自分の場合はこうですよと、本当のことはしか書けない。普遍化は出来ない。普遍化できるとしたら、その裏側にある自然を見る目の方だとおもう。ところがこちらの方は、読み手の側に読み取る能力が必要となる。川口さんの「妙なる畑」ではその見る目の方だけが書いてあるから、どんな稲作をやっている具体的な所は分からないものになっている。それが信者さんには有難味であり、部外者には眉唾になる。それを払しょくしているのが、この高橋さんの本だ。摩訶不思議な所がない自然農のあたりまえの姿。

あるかないかの一つの夢ですが、いつか1冊の本がまとめることが出来るとすれば、絵本のような、詩集のような、自給の暮らしの技術書がいい。例えば、白いページに筆触で、てんてんてん、と点が打ってあり、こんな風に種をまいてゆく、と書いてある本。ただ線の練習のように横に線が並んでいる。畝は呼吸に従い作り出し、紐で真っすぐになどしない。と言うような役には立たないことが書いてある。そんな技術書がいい。美しい鶏の作出法は一項目必要になる。どうでもいいことに満ちた、しかし、繋げなければいけない暮らしの本である。畑は画面である。それは毎年繰り返されながら、痕跡を消してゆく。潔い画面である。潔すぎて本当のところが伝わりにくいものである。雨土は絶えざる経を読む。八木重吉はその読経の意味を感じていたのだろう。
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大江戸リサイクル事情

2011-12-24 04:24:00 | 
「大江戸リサイクル事情」石川英輔著講談社文庫を再読した。気軽な本ではあるが、内容は重い。江戸時代に戻れば、今の人間には耐え難い貧困生活が待っているのだが、それでも戻るしかない。と言うような内容である。それは本音であるのかどうかは怪しいのだが、江戸時代に戻れば大丈夫という本である。その江戸の社会がどんな社会であったのか。その想像を絶するようなリサイクルシステムを細かく分析している。江戸のことだから、講釈師行って来たような嘘をつき。と言うきらいもあるのだが、ともかく面白い。すでに通例に成っているが、糞尿のリサイクルから始まる。たぶん、糞尿が相当に高価な生産物であったという、もっとも話を普及した本である。なにしろ、長屋の大家さんは糞尿の上りで生活が出来た。これを一人何グラム生産するから。ウンヌント細かく説明がしてある。こういう話を得意にする人はいるものだ。力んで無から有を生む説得力がありすぎる。

後は、もうすべてものがリサイクルに繰り込まれていたことは当然である。かまどの灰まで持って行きやがれ!ということに成る。ついつい江戸礼讃に成りがちなところを、繰り返し江戸の暮らしは最悪の貧乏社会で、耐え難いことであるの断り書きが入るが、それはあくまで批判を予測して先手で、機先を制しているにすぎない。本当はこの人は江戸の方が好きなのだ。そう言えば誰も聞いてくれないので、必死に現代人であることを強調している。私ははっきり江戸の水飲み百姓で結構である。もうそういう覚悟である。便所を花見に担いでゆき、ただで糞尿を頂いてしまうような、かしこい百姓が良い。次々便所に入る人たちを見ながら、花見を一緒にしている大儲けが好きだ。バカバカしいような工夫に満ちた社会。ネパールで道路に麦を置いて、通る車に脱穀させているような、気の遠くなるような姿が良い。裏の田んぼに行って、稲刈りをしてご飯を炊くような社会が好ましい。

自然エネルギーだけの社会はそこまで来ている。来させなければ人類は困る。とても困る。その時に、大半の人の心配は今の生活と同じ、浪費的暮らしを望んでいることである。夏は風鈴でなく冷房である。そうしないと、熱中症で死んでしまうことになっている。江戸時代は、夏涼しく過ごすために、江戸の町を石畳にしなかったと書いてある。コンクリートの住宅等とんでもないことだ。家は夏向きで、冬が寒い。きっと今の人なら、冬凍死することになっているのだろう。わたしは暖房を使わないが、今も寒いが耐えられないほどではない。結局死ぬということがもっと身近で、どういうことかが明らかになっていた。無常憑[たの]み難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん。ということで、覚悟が良い。命にも執着しない潔さが江戸ッ子の粋の世界。武士道の方もそう言うことのようだ。寿命も短い。到底、現代人には耐え難い世界だということはわかる。

それを覚悟しない限り、今度は巨大太陽光発電で自然エネルギー生活と言うことになるだけだ。人間が生きる喜びと言うものがどのあたりにあるのか。このあたりを再確認の必要がある。自給で食べ手入れば、へんてこなキュウリを生で食べても、どんな料亭の料理にも勝るものがある。江戸時代の耐え難いことは、身分制度である。油川の本家に行くと、我々下っ取りは上がれない部屋があった。広間の方は、当然上がれないが、その広間も3段になっている。油川の家だって百姓である。それは、百姓はその中で身分を作り、その全体が、士農工商である。これが無くなっただけでも、今の社会の方が確かにましである。その増しがいつの間にか、金権主義によっておかしくなっている。金持ちは散財しなければ粋ではない。粋な金持ちになるのは大仕事のようだ。お金より大切なものがあった時代。
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何でも薪に!

2011-11-16 04:10:41 | 
現代農業の12月号は、燃料自給「何でも薪に!」となっている。現代農業らしからぬ、タイムリーな企画である。この冬も電力不足が宣伝されている。本当かどうかは分からないが、ともかく暖房に電気を使うなど、田舎暮らしの人間には許されないことである。小田原の状況なら、いくらでも暖房の薪程度は手に入る。と言ってもさてどこからと言うことが実際の問題になる。二宮金次郎は、薪を取りに箱根の東山麓にまで、栢山から矢住芝の上の方まで歩いて行ったらしい。1時間30分くらいだろうか。金次郎はその体験を生かして、薪山を買い付ける講を作り入札で買い取り、利益を上げたらしい。この時代、山には木が捨てられているが、薪にするからと言って勝手に持って来る訳にもいかない。入会権とか、学校林とか、村山とか、山を生かした仕組みは実際は機能していないのではないだろうか。

薪ストーブもピンからキリまでで、良いストーブは良い鋳物で出来ている。中の構造も実に工夫されている。それだけのことはあるが高い。特に煙突が高くてなかなか手が出ないほどの価格になる。そこで、自家製で蒔きストーブが作れないかと言うことになる。色々やっては見たが、余り成功したことはなかった。今回ロケットストーブに出会って、なるほどと言う構造を理解できた。工夫はこれからだが、アイデアはある。今回の現代農業では、当然のごとく、ロケットストーブも出ている。ロケットストーブの実証実験をやってみて、いくつかの特徴があることに気付いた。炊事用のコンロに向いているということ。ペール缶を使ったタイプで、練炭コンロぐらいの能力である。排熱で床暖房を行うにはいいことが出来る。欠点と言うかこれも特徴なのだろうが、短時間に一気に高温でという目的には向かない。ゆっくり長く温めると言うにはとてもいい。ヒートライザーと言われる、高温燃焼部分の構造によるのではないか。

もちろん家庭用ガスコンロ程度の熱量なら問題はない。中華料理のような火炎放射機のような火にはならない。室内で使うためには、焚口の工夫が居る。中に火を引きこむ力がうまく機能無くなった途端に、煙が逆流することになる。昔の農家の台所なら問題ないが、今の密閉の良い家では問題があるだろう。いずれも炊き方の工夫であり、慣れれば、つまり技術があるなら、クリアーできる問題であり、昔のお竈が、薪を節約するには、なかなか技術が行ったのと同じ、ちょっとした心使いが必要になる。そう言えば私は火遊びが好きなので、おねしょをするといつも言われていた。おねしょは治ったが、火遊びは今でも好きである。たき火は文化で、これを禁止するのは文化の弾圧であると考えている。それはいいのだが、私は暖房を使わない。寒ければそれだけ着込む。今も、寒いので懐に猫が居る。るるである。充分に暖かい。さっきからうずらが来て、わりこもうと邪魔をしている。

現在考えているのは、プロパンガスボンベを使ったロケットストーブである。肉厚で良さそうな素材である。長い廃材が入るストーブは作られている。半分位のサイズにして、ペール缶燃焼部を覆う蓄熱部分にする。加えて燃焼部分の拡大にも使う。「何でも薪」に出来るのは確かだが、入手法である。例えば、山で間伐材は捨てられている。これを自分で持ってゆくなら、無料であるという仕組みは出来ないのだろうか。山が片付くだけでもいいと思うのだが。まだ植林をした記憶のある方が、生きている内は良い。あと10年もすれば、植林した世代が居なくなり、山への愛着がどんどん薄れるだろう。薪や落ち葉が集められるような里地里山。そう考えて、やはりしばらくは放射能で駄目だと思う。諦める訳にはゆかないが、がっかりである。
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杉浦日向子さんのこと

2011-10-22 04:25:21 | 
こんな大災害が起きてしまうと、江戸時代のことがどうしても思い起こされる。江戸時代にも大きな津波もあったし、大火災が繰り返しあった。その都度日本は振り出しに戻された。今回の原発事故も、振り出しに戻るのであれば、一つのきっかけだと思う。災い転じて福となす。問題は政府がまるで頼りにならないということだろう。しかし、いつの時代も政府などたいして役には立たなかったはずだ。庶民はどこっこい生きてきたのだ。誰かにお願いして、何とかしてもらうということに、慣れてしまったのが、最近の日本だった。わが身を生きることが他人任せでなかった江戸時代。飢餓と農民一揆の時代と言われてきた時代が。むしろ、今より幸福な時代であったこと。江戸時代に戻る気になれば、何とかなる。

杉浦日向子さんの本を再読した。何度目でも面白い。隠居という言葉を使いだしたのも、杉浦さんの影響である。確か杉浦さんは漫画家としてスタートして、早々と30代で隠居してしまった。そして46歳で杉浦さん流に言えば、あの人は粋だった。とおさらばされてしまった。私が杉浦さんを知ったのは、すでに漫画家を引退して、隠居に成って、「お江戸でござる」に出演されていたからだ。江戸についてのウンチクを楽しそうに語っていた時だ。その頃、山北の山の中で暮らし始めていた。多分教師を辞めようか、辞めたかの頃だから、江戸の若隠居の考えに影響されただろう。江戸時代の金魚飼いには、毎日ボウフラを探しあるいて、一生終わった人さえいる。そう言う人が粋だったねぇ―といわれる世界。江戸は世界最大の都市であり。自給自足の農業地域である。というような話をテレビでしゃべっていた。まるで江戸時代を見てきたように話していた。

江戸時代というものを見て行くと、その豊かさと惨状が混在していている。惨状の方は学校教育でさんざん聞かされたから、豊かさの方に驚いた訳だ。拡大再生産しない社会。自給自足をとことん推し進めた時に、生産できる食料の量だけ人間が暮らしていることに成る。だから、増えすぎれば姥捨てとか、間引きとか、怖ろしいことが行われる。しかし、そのバランスさえ取れていれば、安定した豊かさが見つかる。盆栽、金魚、日本鶏。退屈文化の爛熟である。どうでもいいことである。どうでもいいことに熱中する。絵画でいえば浮世絵。桃山期の宗達光琳から思えば、随分衰退する訳だが。独特の価値の世界という意味では、一時代である。現代の文化貧困から思えば、はるかに深いと言わざる得ない。リアルという意味。現実をカメラで写したようなものを、現実と思うリアルさは目の貧困を表している。目というものが、猫と犬では違うように、目に映るという奥にある姿こそ、表すべき思想。

杉浦さんから、田中優子さん、石川英輔さん、と進んだのだが、実に面白い世界が広がった。人間それでもいいのか。裃を脱げたというか、建前を捨てられた。せっかく生まれてきたのだから、好きなことをやり切ってみよう。「杉浦日向子の江戸塾」という本は対談で読みやすい。鬱々とした気分が吹き飛ぶ。肩の荷が下りる。江戸学というものは、資本主義が行き詰まったときには、必ず役に立つ循環型のやり方の宝庫である。まず自分の足元を固める以外ないという、江戸庶民の発想の工夫こそ次の暮らしの明かりである。鶏でいえば、100万羽まとめて飼う経済性と、1家庭の生ごみ処理と、タンパク質の補給に飼われている合理性は、対抗できるはずだ。江戸時代の素晴らしい交配技術は、現代を越えているのだ。

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