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地場・旬・自給

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大豆の会のはじまりまでーー4

2018-06-05 04:42:39 | 自給

あしがら平野の何処に暮らしていても、田んぼをやってみたいという人が、自転車で行けるぐらいの場所に、参加できる田んぼを作ろうと考えた。田んぼをやりたいという人が、少しづつ集まり、年にひとつづつ田んぼが増えていった。当初10か所ぐらいの田んぼが必要だと考えていた。味噌の会は当初は料理の会の中の一つの活動だった。そのころの農の会は面白そうなことは何でもやっていた。当時の料理の会の説明文を読んでみると、ーーー料理の会は「地場の旬の農産物を畑から」の視点で、料理として伝えてゆく会です。味噌づくり、蕎麦打ち、あしがらの郷土料理、麹作り、野菜のフルコース等が行われてきました。2ヵ月に1回の開催。と書かれている。農の会としては味噌の仕込みよりも麹造りの方が先だった。どぶろくづくりの為に、千田さんの指導で福沢のお寺で何度か麹づくりを行った。私は一帆さんの味噌づくりに参加していたので、田んぼの仲間の中で、自分たちでも味噌を作ってみようという事になった。千田さんから大豆を分けてもらって始めたのではなかったかと思う。小田原に来た前後なので、2000年ころかと思う。

しかし、農の会を展開してゆくには、山北では難しいのではないかという事もあって、小田原に移住することになる。それだけでなく他にもいろいろ重なり、小田原久野に移住する。小田原に移るころから、農の会のメンバーも一気に増加してきた。こうしてかかわる農地が増えてゆくうちに、農の会に借りて欲しいという農地も出るようになる。耕作放棄地を管理してゆくという事が、弱いところを作らないという農の会の目的と考えていたので、頼まれた農地は何とか引き受けようと考えた。それが味噌の会で大豆づくりを始めたスタートだったと思う。永塚で大豆を作ったのではなかったか。その後西大友に移る。最初は味噌の会だったものが、ここで大豆の会に名称が変わった。調べると2006年の事のようだ。大豆の会の中心で活動してくれたのは、中原さんである。中原さんは菜根淡というお店をやられていた伊藤シェフの所で働いて居る方だった。卵を菜根譚に卸していたのだ。中原さんと結婚した美保さんが菜根譚で働いていて知りあいになった。

中原さんの登場で大豆の会は変わってゆく。農の会はいつもそうだったのだが、一人の人が現れることで、新しい活動が生まれる。一人の人が去ることで、活動が変わる。中原さんはとても管理能力の高い人だった。いつも冷静で粘り強い人だった。一人で大豆づくりから、味噌づくりまで軽々と担ってくれていた。しかし、味噌の会も大きくなり過ぎたこともあり、山北グループや生産者の人は離れた。それは中原さんの方針でもあった。中原さんは味噌の会を大豆の会という名前に変えることも良くないと言われていた。大豆の会では大きすぎるとよく言われていた。味噌づくりの会場も私の家から、梅の里みのり館で行われるようになった。そして、稲わらが庭に落ちていたという事で、汚した、汚さないのもめ事が起こり、旭ブルベリー園に変わり行うようになる。そして昨年は機械小屋で行った。その大豆の会を一人でまとめ上げた中原さんは今は奈良の方に移住して農業を続けている。

この地域で最初にみんなで作る味噌づくりを始めたのは島田啓介さんである。今も、伊勢原の方で続けている。直接的には農の会の味噌づくりではない。島田さんは有機農産物の引き売りをしていた。島田さんの企画に参加させてもらったのが初めての経験だ。島田さんは一帆という引き売りをしていて、私の卵も販売してくれていた。その一帆の引き売りは「はるのき」というレストランを今されているミホさんが引き継いでやった。味噌づくりもミホさんが引き続き行っていた。場所は南足柄の内山である。家の前の田んぼでやっていた。それに参加させてもらったのがみんなで作る味噌づくりだった。味噌は一人で作るより、みんなで作る方が合理的だという事を経験した。子供の頃の家の味噌づくりを思い出したわけだ。農の会は、地場・旬・自給の考えかたをしていたので、自分で栽培した大豆で味噌づくりをやりたくなった。最初は生産者の大豆を購入した記憶がある。農の会として大豆を栽培するようになる。大豆づくりも様々工夫を重ね、収量も反収200キロは超えるようになった。

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6月の自給作業

2018-06-01 04:08:56 | 自給

田植えが終わり、一段落である。

分かりにくいが、これは2本植の苗である。苗は根付きわずかづつ成長を再開した。葉先に露が光っている。

撒いたソバカスが何時までも表面を覆っている田んぼがある。これ排水口の工夫である。表面からの排水でなくて、少し下から排水している。そうすると表面は流れ出ない。そばかすを撒いて4日目までこの状態が続き、徐々に沈んだ。

苗が徐々に立ち上がり、列が整然としてきた。水もうまく回るように調整がおわった。この田んぼは上手く行けば、一番上の入水口の田んぼから、下の14番の田んぼまで、田んぼの中を水を流れてゆくことができる。途中水路から取り入れることのできる所が、一か所だったのだが今回2か所から水を入れられるようにした。これで大分水回りの状態が良くなった。

ソバカスが固まり浮遊している。

6月8日には麦刈りをする予定である。雨が降りそうだが何とかなるだろうか。毎年麦刈りは梅雨に入り気をもむ。麦は今年は畑を変えていつもより良くできている。面積は狭くなったが、この調子ならいつもより取れるのではなかろうか。結局冬の作物は肥料を必要とするようだ。タマネギでも、麦でもそんな感じがする。

今年はソラマメが良くできた。ソラマメは畑の隅に種をまいて、それを移植した。移植したらよくできないという人がいたが、全くそんなことはない。一本が6本ぐらいには根元から分げつして、一本に5つはついているから、大豊作である。毎日空豆食べ放題で、ドンブリ1杯は食べ続けているが、延々と続いている。あと5回分はあるだろう。一部を残して来年のタネにするつもりだ。この空豆は自家採種3年目のものだ。この畑になじんだという事もあるのだろうか。草取りもしないから、草に埋もれている。ソラマメは草取りをしないで良い作物だ。そういえば、今年はニンニクもよくできた。売られている物より少し小ぶりとは言えるが、どの株もそれなりにできた。早速ニンニク醤油を作ってある。まだまだ、山ほど干してある。

今畑にはトオモロコシがある。これもあまり草取りはしない。目立つと、すぐタヌキにやられてしまう。ジャガイモはそこそこできたようだ。タマネギは種から作り一応できたのは初めてのことだ。タマネギは今年の極端な寒さと風で大分痛めつけられたようだ。ハウスのトマトはすでに色づいてきた。今年は早い。諏訪の原圃場でもトマト、ナス、ピーマンが実をつけ始めた。この調子なら、何とか実りそうだ。10日には3回目の畑の会の活動がある。ジャガイモの食べ比べをしてみたいと考えている。何しろ10種類もジャガイモがあるそうだ。これを比較して食べてみるのは面白いと思う。9日には大豆の畑の準備がある。そばかすを撒いて耕運をするというところまで進めばと思っている。

 

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有機農業市民塾 畑の会

2018-05-14 04:27:20 | 自給

トマトなどの苗の植え付けの様子。南側から見た所。左右にジャガイモがある。

私の植え付けたナス(千両2号)と、ピーマン(京波)、トマト(レッドオーレ)雨に打たれたが翌朝は元気だった。この左に、サトイモ(地場産の弥一芋)がある。そして最後にキャベツ(YR優緑)と、レタス。右側にはこかぶ、ホウレンソウ。

このような感じで一人の畑が決まっている。ここは上野さんの場所だ。上野さんはいつも管理が丁寧だ。東京から見えている歯医者さんだそうだ。

5月13日 午前中、農の会の畑の会というか、有機農業塾の2回目が行われた。午後か雨になることが分かっていたので、雨が降る前に苗の植え付けを終わらせたいと思っていた。1時少し前頃に片づけまで終わった。手際よく、充実した作業になった。みんなが気持ちを併せて、一生懸命にやるのは素晴らしいことだ。とても充実した作業になった。今回の作業で畑の90%くらいは作物が植えられたことになる。現在畑にあるものは、ジャガイモ、こかぶ、赤カブ、ナス、ピーマン、中球トマト、レタス、キャベツ。の8種類。一人5メートル幅で、長さが25mほどが一人分の畑になる。この面積で家族の野菜は作れるはずだ。今回のやり方は家庭菜園の省力的な方法として、整理できればいいと思っている。月に1回、みんなでやる作業があり、その間にそれぞれが収穫や、草取りなどを適時行う。耕運の様な全体作業は、まとめてやってしまう。前日國原さんという苗屋さんにみんなで苗を取りに行って、いろいろ苗のことを教わることができた。苗の植え付けについても襲われたので、それを生かして植え付けてみた。

4時ごろの畑はもうザンザンブリの雨で、今度は苗が可愛そうな気がするほどだった。苗は国原さんで購入したものと、自分たちで作ったものとを使った。丸種種苗のキャベツYR優緑は発芽が難しかった。よくできた人でも16中、4つほどしか苗にならなかった。一つも出なかった人もかなりいた。温度が足りなかったという事があるかと思う。また水やりの加減が難しい種のようだ。過失は良くないようだ。丸種によると、30度で、播種時に水をやり、新聞紙などで覆い、3日間ほどで発芽させる。その間は水はやらないという事であった。家庭でこの環境はなかなかできない。土の水はけの微妙な具合もあるように見えた。苗土が悪かったという事もあるのかもしれない。もう一度挑戦することになった。燻炭を増やして排水を良くしてみた。又覆土はかなり細かいものにした。

畑の絵をずいぶん描いてきたので、私なりに美しい畑という思いがある。畑は良く耕作されるて美しくなる。しかも、長年耕作が続けられることで、その土地に応じたものになっている。美しい畑でなければ気持ちの良い作業が出来ない。何が美しいかはそれぞれのことだと思うが、多くの貸農園は美しくない。雑然としていて、いかにも個人主義が満ちている印象である。農家の畑には美しいものもたまにはある。しかし、それは美しいとしても独唱のようなもので、あくまで一人の世界の様な閉じた感がある。本来であれば、全体で調和していることが大切なのだと思う。現代人というものは大勢になると、個性を発揮しすぎてしまい、大体はおかしなことになる。これがオーケストラのような、一人よりみんなだから美しい畑だというようなものになればいいのだが。これが江戸時代の農村の姿だったのだと思う。農業塾の畑も一人でありながら、全体が調和してさらに美しいものになるというような姿が理想なのではないだろうか。

有機農業市民塾は良い集まりになった。やりたい人がやる。やれる人がやる。それぞれが自分の力量に応じて、精一杯にやる。この形が良いのだと思う。やらされるとか、面倒を見るというような関係は良い空気にならない。この農の快適な良い空気の意味はなかなか人には伝わらない。農の会が広がり継続されているのは、この心地よい空気なのだと思う。経済とは離れた関係。これが現代社会では失われている。何時間働いたから、いくら欲しいというような、関係では農業は続かない。そうした資本主義経済の枠から離れた所でなければ、成立しない。農の会の生産者が徐々に活動から離れたのは、当然の結果である。

 

 

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大豆の会のできるまでーー3

2018-05-08 04:22:21 | 自給

味噌は自給生活の基本品目である。いつまでも大豆を購入しての味噌づくりでは、自給の農の会らしくない。そこで大豆を作ることになる。大豆を田んぼの畔に種を蒔いてみたらよくできた。この昔からのやり方には合理性があることが分かった。昔は1反の田んぼがあれば、一軒分のお米と麦と、そして味噌醤油が確保できたという話を聞いた。田んぼというものがいかに日本人の暮らしを支えたのかが分かった。田んぼで大豆を作れば、自給自足の基本が確保される。田んぼの畔は大豆栽培の良い環境だったのだ。やってみると、そういう事が分かった。大豆と田んぼの組み合わせは実によくできたものだった。こうして徐々に自給ができるという事が分かった。そのころは養鶏も軌道に乗りそうなので、いよいよ世田谷学園は辞めて、自給自足の生活に入ることにする。絵の方も画商に絵を売ってもらって生きてゆく道は諦めることができる。ここで自分のやりたいこととしての絵を描いて行ける安心が出来た。そのころ、一緒に塩沢で田んぼをやらないかという話がCLCAの和田さんからくる。

まだ、話は味噌づくりになかなか進まない。共同の田んぼを初めてやったのは不老山の塩沢という谷筋の田んぼである。塩沢の集落から、30分も歩いてゆく山の中の田んぼだ。この山の中にCLCAの和田さんのお姉さんが谷峨のお寺に嫁いだ方で、その紹介で田んぼを借りることができた。ここで5年ほど田んぼをやった。岩越さんや内山の瀬戸琢治さんとはこの田んぼで知り合う事になる。CLCAの子供たちも来ていたが、罰として田んぼに来させられたという事を知って、CLCAとのかかわりを止めることになる。塩沢では遠すぎると小田原の田んぼを借りられることになる。久野の坊所で共同の田んぼをやることになる。それは今は農の会の顧問である、石綿敏久さんの紹介である。これが23年前のことになる。その田んぼの奥にあった山に戻っていたお茶畑を復活させたことが、今のお茶の会に繋がっている。

農の会の立ち上げを主張したのは山田純さんである。山北のごみ処理場の活動に継続して酒匂川グリンフォーラムを始めた。反対運動をして、運動が成功したとしても、弱いところにまた迷惑施設の計画が立てられる。地域に根差した活動を広げてゆき、地域を強くすることが重要だという主張の活動だった。その中でもとくに弱いところにこそ農業の活動も必要ではないかというのが私の主張だった。その農業の活動は自給でしか成り立たないというのが、当時からの考え方だった。農業は大規模化と、自給型に分かれると考えていた。それが今の農の会の活動に繋がる。1998年の10月に山田さんの家で、風の谷という名称で10名が集まりを行っている。すでに始めていた、山北有機農業研究会を足柄地域一帯に広げてゆくことが目的だった。後に小田原市長になった加藤さんがその名前を使っていたので、その組織に入れてもらうという形なら、加藤さんも参加してくれる可能性があるという戦略だった。小田原出身の新規就農者を取り込まなくてはならないと考えた。

こうした構想力に優れた山田純さんがコーディネートしてくれたのだと思う。足柄平野の農業は経営としてはこれからは不可能になる。市民が農地を管理する活動だけが生き残れると考えていた。経営のできない農業では、ご先祖から引き継いだ資産としての農地も、世代が変わり、資産意識が変わり、徐々に放棄されてゆく。山北で出来た、山北有機農業研究会を農の会として、あしがら平野一体に広げて行こうと考えた。酒匂川グリンフォーラムの中の一部門という形に変更して、農の会が始まる。私としては山北有機農業研究会の展開と考えていた。その頃、有機農産物の宅配を仕事にされていた、内山の石井美帆さんが味噌づくりをやっていて、時々参加していた。冬の田んぼ真ん中で、たき火をしながらの味噌づくりである。味噌づくりというより、音楽イベントの様な盛り上がりだった。

この後は、4回目と続く。いよいよ農の会の大豆づくりが始まる。

 

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5月の自給作業

2018-05-01 04:44:35 | 自給

田んぼの準備が進んでいる。

5月は田植え。田植えを目指してすべてを準備整えてゆく。田植えの予定日が26日(土)27日(日)の2日間。今年は、3度代かきの田んぼの実験を行っている。民間稲作研究所方式のトロトロ層の作り方の再現である。疑いつつやっている訳だ。私はやってみないことは一切信じない。どれほど良いといわれても、この田んぼに合わない事には始まらない。しかし、良いといわれることはできる限り実証実験してきたつもりだ。1,2,12番はすでに代かきをして水を張っている。この田んぼがほかの田んぼとどれだけ違ってくるか楽しみである。また緑肥の刈り時の実験もしている。を早く刈ってしまう田んぼと、代掻き直前に刈る田んぼとを分けた。この2つの田んぼがどのように違ってくるのかも、確かめてみようと考えている。今まで草は直前に漉き込むほど、草が抑えられると感じてきた。私のやる田んぼではそうだったのだ。もう一つのやり方として、1か月前の刈り取りという方式がある。これは暖かい地域のやり方ではないかと思っている。久野では田植え一ヵ月前の時期では十分に緑肥が伸びていない。このあたりの問題もあるのだが、ともかく比較をすることにした。

播種5日目で芽生えた稲の様子。この時に太いしっかりとした芽が出なければならない。その為に、3週間川で浸種して、冷蔵庫保存2週間5度で保存をした。試行錯誤しながらこれが一番良いという結果である。一方に3日水に浸けて播種した種籾と違いが出るのか、較べている。今のところそれほど違いがあるようでもないが、もう少し様子を見たいと思っている。ただ、欠ノ上の種籾の芽の出方は悪くない。ぐぎっとしている。みょきっとしている。悪いが他所の田んぼの芽は毛羽のようだ。自家採種を続けてきた種籾が良いのではないかと思っている。

 

水を張った田んぼには、民間稲作研究所の肥料を入れてある。こうして、1か月水を浅く張り、2度目の代掻きをする。最後に仕上げの代掻きをする。これで雑草が出ないという事である。今年は暖かいせいもあり、すでにミジンコが出ている。雑草はまだない。この後どんな変化が出てくるか楽しみである。

大麦である。美しいものだ。何とか後一ヵ月で実ってくれれば収穫できる。たぶん無理だろうと思っている。残念だが仕方がない。

畑では、ソラマメが実を膨らませ始めた。ジャガイモは早くも花を咲かせている。季節のテンポが速すぎる。ニンニクは結構よい球を付けている。もうひと頑張りしてくれれば、大粒といえるものになりそうだ。玉ねぎはまだ球が小さい。草がひど過ぎてどうにもならない。草取りを熱心にしているのだが、すぐスギナが出てきてしまう。この畑は当分どうにもならない。玉ねぎは草がこんなに出る畑では良いものは出来ない。タマネギはほかの植物の根が嫌いなのだと思う。他の植物の根に出会うともうそこからは根を張らない。それが他のタマネギであれば、気にならないようだから特殊な作物である。植物というのはどれもこれもその特殊性を秘めている。その特殊に応じた栽培を感じ取れるかどうかなのだろう。そこが面白い。叢生栽培だとか、百羽ひとからげで作物を見るというのは、どうも気に食わない。

 

 

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自給自足の暮らし

2018-04-25 04:12:24 | 自給

生きるという事を味わうためには、日々の暮らしを大切にしなければならない。自分の絵にたどり着くためには暮らしから始めるしかなかった。絵をよくするという事はとても難しいことだ。絵という事物があるという事は幸いなことだ。絵は年々上手になりながら、徐々に悪くなってゆく。悪くなることを上手さで補おうとしているのかもしれない。よほどの覚悟がなければ、上手くならないでいられないものだ。工芸であれば、上手いほど良いのだろう。ここが難しいところだ。絵画は工芸品ではなく自分という人間そのものだ。絵を描くことは感覚に動かされる側面が大きい。人間は若いうちの方が感性が優れているのが普通だ。だから、20過ぎたらただの人ではないが、よほどの人だけが感性というものを超えて、だんだん良くなってゆくもののようだ。この時代でもわずかの人だけが、年齢を重ねるに従って絵がすごくなる人がいる。そういう人の生き方を学ぼうと考えた。すると、絵の描き方というより、暮らしというものが違う。日々の暮らしのことを考えざる得なかった。

そこで、一度絵を離れて暮らしを立て直そうと30代後半に考えた。暮らしを変えなければ、自分の絵どころではないと思えたのだ。私の場合、若いころ感性が良かったわけでもない。要するに頭を使い、絵に関する情報をまとめあげて、上手くでっちあげようとしただけだ。そういう情報を工夫して絵をでっちあげるようなやり方が、何もならないのは当然のことだった。絵の世界が衰退したことが、その結論なのだろう。音楽と較べればよく分かる。この50年は絵画の社会的な意味が失われてゆく過程だったようだ。絵画の芸術としての社会的意味は失われてゆくのに、何故絵が好きなのだろう。何故、絵を見て感動するのだろう。何故、絵が描きたくなるのだろうと。あれこれ試行錯誤を続けた様な気がする。そして、徐々に私絵画というものに至った。人間を楽しませるとか、人間に影響を与えるとか、絵画は社会的な意味は失ったが、私自身には重要な絵を描くという行為が残った。この自分と切り離すことのできない、絵を描くという行為を突き詰めてみたいと思うようになった。

日々の暮らしというものを見つめ直すほかなかった。何を食べたかという事と、どんな絵になるのかという事は、密接なものだ。絵を描いている間に昼飯をどうするか。コーヒーは飲むのか。どうもこういう事が、その時に描いている絵に直接的に影響する。満腹で眠くなれば、どういう絵になるかというような生理的なことだ。絵を描くという事は、無意識化しているものを引き出すというそこ面が大きく占める。自分の肉体をどのような状態に置く必要があるか。これから絵を描き行くときに、帰りに牛乳を買ってきてくれと言われただけで、忘れてはいけないという心理で、一日絵が描けなくなったりする。自分を作り出す方法。自分を引き出す方法。坊さんの修行のための暮らし。座禅を組むのに、面倒くさい条件を設定する。朝の明けてくる時間。夕の日の暮れてゆく時間。この時が良いという。気が向いた時ではだめなのだ。しかもそれを習慣化する。日々の暮らしの中に織り込むという事が大切なようだ。

自分が出来ているのは食べ物だ。自給生活をしてみようと考えたのは、そこにあった。物存在としての自分が出来ているのは食べ物によってである。この食べるものを自分の手で作るという事が、自分に至る方法の一つではないかと思った。超スローフードである。それは心地よい暮らしではない。良いものを買って来て食べるというような、甘めの暮らしの方角ではない。まあ、そう思い詰めたわけだ。もちろん正解などない。自分という一度の命をこうして突き詰めることにしたのだ。あれから30年が経った。自分というものが30年で少しは進んだであろうか。それは絵が示している。絵を見ると進んだとは言い切れないと思う。ただ言えることは絵があるおかげで、大したことはない自分というものの前にいる。大したことのない自分の自覚ができた。がっかりさせられるが、まだ諦めていない。わずか進んでいるように思えることもある。進んでいると言えるほどではないが、間違った方向ではなさそうなのだ。ずうーと下って、自分に向ってはいる。わずかとはいえ進められているとすれば、まだ期待はできる。

 

 

 

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諏訪の原圃場が始まった。

2018-04-09 04:08:21 | 自給

諏訪の原の畑の会が始まった。諏訪の原の圃場は全体で2反5畝ある。そのうち1反を根守さんが使う事になった。残りの1反5畝の内おおよそ1反程度を、畑の会で使う。メンバーは1、杉山さん 2、上野さん 3、浜田さん4、豊島さん5、太田さん6、石井さん7、江崎さん8、久保田さん9、渡部さん10、笹村の10人という事で始まった。根守さん、岩本さん、吉宮さんの3人が協力をしてくれるという形である。

初日は諏訪の原のフラワーガーデンでこれからのことの相談というか、今までの経過などの説明を行った。所が会場を借りてあるはずの所が何の間違いなのか、借りてないとう行き違いで、どうもうまく連絡が取れていない。1時間半ほどで、圃場に移動した。圃場はフラワーガーデンのすぐ傍なので、トイレや駐車場という意味では、良い場所である。初日の作業はまず、苗作りである。苗土を混合して、種をまくところからである。苗土は、まず土ぼかしを仕込んであった。良く発酵が進んでいていいい状態である。この良い状態という匂いを覚えてもらいたかった。発酵は匂いでこれは体験してみないとなかなかわからない。それと普通の山土。それから、燻炭。この3つを1:1:1で混ぜてよく攪拌して苗土にした。

36穴のセルトレーでキャベツとレタスのの種をまく。キャベツは深さ1センチくらいという事で、穴を空けながら、小さな種を丁寧に撒いた。そしてレタスは特に覆土なし。そして静かに水やり。後は各人が持ち帰って、水やり管理。誰がどういう管理だとうまく行くか。試したい。10人10色で、同じような管理でも苗の出来は変わるものだ。よくできた人の水やりや、置き場などを聞いてどういう苗管理が良いか、検証する。

次に、金町小かぶとホウレンソウミラージュの種まき。まず畑に、二見さんから頂いた、健やか堆肥を1m×70mに2袋撒く。こちらはホウレンソウの播種。金町こかぶには何も入れないで播種する。ホウレンソウと種は比較的大きい。こかぶは小さい。だから、播種器ゴンベイも2種類を使う。糸を張り70mが出来るだけまっすぐになるように巻く。

そして、ジャガイモの草取り、土寄せ。先日ジャガイモを植えこんだ人は、ジャガイモが発芽してきているので、土寄せと草取りを行った。

畑は例えば、ホウレンソウだと一人が5m×2畝が受け持ちの区画になる。区画が5つあるとすれあ、25㎡が一人の面積になる。5mが10名という事なので、50mという事で、10mは余裕があるので、あと2名の参加が可能な状態である。興味のある方にはまだ参加してもらえる。もし居ないようなら、一人7mで、35㎡が一人分という事でもいいのかと思う。

この畑の会が小田原でやることの最後のことになるのかと思っている。ともかくスタートをした。どのようになるか。興味深い限りである。

 

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4月の自給作業

2018-04-01 04:35:56 | 自給

苗床になる3番田んぼのからし菜。

4月には田んぼが始まる。欠ノ上公民館の桜はすでに花吹雪である。種籾は川のなかで発芽に備えている。春分の日に籾洗いをした。昨日の水温が10,4度だった。今日で11日目である。予測では7日辺りに種籾は鳩胸状態になるだろう。鳩胸を過ぎた頃に冷蔵庫に保存をする。寒さを味わってもらう。7日が舟原の水路掃除。これで舟原田んぼは水にはいつでも入れることができるようになる。苗代を14日に作る。苗代の代掻きの準備をしなければならない。丁寧なアラオコシを何度か行う。今菜の花が咲いている。ここが日当りも良い。菜の花の様子では土壌の様子はまずまずのようだ。他の田んぼより菜の花は茂っている。菜の花が出てからそばかすを撒いてもいる。この田んぼは水の取り入れの都合が良い。アラオコシをやっている間に、畔も秋に切った部分を積み直して置かなければならない。そしてできれば、ここで水を入れ始める。そして14日に代掻きが出来るようにしておかなければならない。

4田んぼから、3番を見上げてその角度のまま、桜である。この日には欠ノ上田んぼの水路の泥上げも行う。苗代をやる3番の田んぼの畔の直しも行い、水漏れを無くしておく。田んぼにそばかすも撒く。黄色くなっていない田んぼは、大麦を蒔いた田んぼである。大麦は今年もよくできなかった。苗代の下の田んぼは、稲刈り後雨でぬかっていて、耕運も出来ず、緑肥を蒔けなかった。その為か、レンゲが自然に再生してきている。どの程度広がるのか楽しみにしている。久野の田んぼでレンゲが自然に再生したことはなかった。出てもところどころ程度である。ところがここ数年少しづつ再生するようになった。理由は2つ考えられる。温暖化。冬の寒さ。こうした気候の変化がある。そして何となく期待している側面が、土壌が良くなってきたため。微生物の活動が盛んになり、地温が高くなった可能性も考えられる。

一番下の光っている田んぼが冬季湛水。上の黄色い筋になっている田んぼが苗代になる3番田んぼ。

欠ノ上のタマネギの様子、生育は遅れているが、徐々に回復してきている。私の部分が比較的よいのは、そばかすコーティングが追肥にもなったからではなかろうか。

タマネギの間には、スギナとそばの芽である。そば糠コーチングした結果である。

今年の畑には長ネギが沢山ある。毎日食べているのだが、食べきれないほどある。まだネギ坊主が出てこない。有難い食べ物だった。長く食べたといえば、今年の冬は充実していた。みかんは11月から、4月まで食べ続けた。皮ごとジュ―スだ。特別な保存をしたわけではないが、まだ食べることができる。半年も保存できたという事になる。大根も11月から今まで5か月食べ続けた。さすがに芯が入ってきたが、食べれる部分をまだ食べている。こかぶも同じだ。食べきれなかった小松菜が今花を咲かせている。つぼみ菜としてつぼみを食べている。そして今畑にあるものは、ニンニク。タマネギ。ジャガイモ。ソラマメ。そして小麦。家の方の畑の小麦は予想外に出来が良い。出来は良いが、たぶん獣かハトにやられる可能性がある。畑の場所が何しろ悪い。毎日何かしら出没している。その時は仕方がないと思っている。

麦の会の麦畑。何故か一部生育しなかった場所がある。理由はあるはずなのだが、どう考えてもよく分からない。

畑も整備をして種まきを始める。YR緑優のキャベツはすこし力を入れてみようと考えている。少しづつの野菜は諏訪の原の圃場でみんなで作る。家の畑は大根、小松菜、ニンジン、インゲン、トオモロコシ。これを少しづつ作る。8日は諏訪の原圃場の始まりになる。すでにジャガイモは芽が出てきている。サツマイモもまた少しは作るつもりだ。畑もいろいろあるのだが、もう一度甲府盆地に絵を描きにゆく。

 

 

 

 

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3月の自給作業

2018-03-01 04:06:02 | 自給

諏訪の原圃場の堆肥置き場

いよいよ稲の種まきの季節である。3月21日の春分の日に籾洗いを行う。やはり、この日を田んぼの始まりにするのは気分が良い。種まきまで1か月の川での浸種となる。最近の水温では途中で芽が出始めるであろう。鳩胸状態になったところで、冷蔵庫に保存をする。種籾は昨年収穫したサトジマンである。採取した物が10キロある。これを田んぼの泥と海水と混ぜて、軽い籾を捨てる。うるち米は1,13の比重での選別とされている。もち米1,08と軽い選別とされている。しかし、あまりこだわらずに、海水よりは濃くするぐらいの考えの方でいれば十分だと思う。海水に泥水をいくらか混ぜる。卵が立つとかいう話もあるが、あれはばかばかしい。卵は状態や鮮度によって立ち方が変わる。重要なことは種もみに春を感じさせて目覚めさすためには、田んぼの土と海の水に出会いが必要ということではないか。種籾はその後田んぼに来る川の流れに晒されていることが良い。

ジャガイモの植え付け、種イモはMを半分に切った男爵10キロ。20㎝間隔に植えて、42メートルになった。80キロが目標である。

水は13度以下でなければすぐに発芽してしまう。冷たい川であれば1月以上浸種しておいた方が良い。長く川の水に浸けておけば、種子消毒はやらないでも良いのではないかと考えている。この日には、併せて土ぼかしづくりを行う。土ぼかしは山土の半量くらいのソバ糠を加えて、水をかけ攪拌する。水は握って土が崩れるくらいである。土は1週間ほどで温度が上がり、糸状菌が覆い始める。そうなったら攪拌する。3回ほど攪拌を繰り返す。この土ぼかしは振るって荒いものは野菜の苗土にも混ぜて使う。細かいものを苗代に蒔いた種の上に蒔いて覆土する土にも使う。種籾が直接触れるのだから、よく発酵を進めるには1か月はおかなければならない。覆土には昨年作ったもみ殻燻炭も使う。燻炭は種の食の発芽や生育に良い影響を当れる。保温効果もある。いよいよという事になる。

小麦の様子。麦踏は良くしている。畝間は耕運機で岩本さんが耕してくれた。土寄せにもなっている。

3月は野菜の種まきも始まる。今年は有機農業塾を始める。この圃場で自分の野菜も作るので、三月にはこの準備をすることになる。ジャガイモをみんなで94キロ植えこんだことになった。農の会の12名である。これを考えるだけでワクワクするものがある。踏み込み温床を作りその上に種をまいたトレーを並べる。これも3月に張ればすぐやらなければならない。すでに材料は十分である。有機農業塾の圃場には堆肥置き場も作った。これからは藁やチップが手に入る都度運び込むことにしたいと思う。

稲作や大豆や野菜の栽培の姿を記録しておくことは後で役立つと思う。田んぼのまとめを行う。その為の資料作りをしておく。田んぼの作業を写真で記録しておく。作業が写真で分かるように写しておく。また、1葉期から出穂までの各葉が出たところを写真で記録してゆくつもり。葉にはマジックで印をつける。

今年は自給の姿をまとめなければならないと考えている。ここまでやってきた自給農業のやり方は、試行錯誤してたどり着いたものだ。少しでも楽に、たくさんの収穫をする。しかも費用は出来るだけ描けない。特に農の会的協働の形は自給の省力化の姿として、合理性のあるものになっている。一人でやる自給の3倍ぐらいの効果がある。収穫は倍。経費は半分。労働は半分。楽しさは倍増する。どこまでまとめができるかはわからないが、まとめが出来る材料を今年溜めたい。お米作り。ジャガイモ作り。タマネギづくり。大豆づくり。小麦作り。この時代に農業をやる人は、誰よりも協働が苦手だと思っている。会社での共同作業で疲れている。その解消の為に一人で農業をやりたいと考える。しかし、ここが違う。自給農業の協働は助け合いである。自分のできることを提供し、人がやってくれることを有難く受け入れる。競争社会で失われたものの回復である。

 

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大豆の会のはじまりまでーー2

2018-02-15 04:12:51 | 自給

山北に住み始めたのは1988年39歳の時だ。1986年に土地を購入し開墾を始めて3年目だった。荒れ果てた杉林の伐採と、畑の整地に休日毎に通い2年かかった。完全に移住したころには自給自足の実現を本気で試す気になっていた。杉林を一本づつきり開いてゆくと、その場所は富士山も相模湾も見えるなかなかの場所だった。シャベル一本ですべてをやる。機械力を使わないと自分なりのルールを決めた。山を切り開き平地を作り野菜を作る。田んぼも作らなければならない。すべての水を集める装置も作った。巨大な水槽を幼稚園が廃棄するので頂いて、組み立て水を貯めた。そのころはインターネットの情報もないから、すべては思いついたままの試行錯誤である。稲作の本はあっても田んぼの作り方などどこにも書いてない。農家の人に聞いてみても田んぼの作り方を知っている人は居なかった。地面を掘り、一面に粘土を運び込んで層を作るのだともっともらしく教えてくれた人さえ居た。

田んぼを作るには平らな地面をまず作る、大雨の日に雨の中その平らな地面をかき回した。すると徐々に水が溜まり、田んぼが出来た。あっけないほど簡単なことだった。山に降る水が最後は田んぼに入るようにしたので、一度溜まり始めた水は無くなることはなかった。早速、直播の稲作をやってみた。見事な稲になり、秋には立派な収穫になった。面積は30坪くらいだったが、1俵のお米が収穫できた。何とかこれで一人の人間のお米が確保できた。自給が本格化することになる。初めての稲作にもかかわらず、意外に簡単なことだった。冬場は麦を作った。翌年は田んぼを倍に広げて2人が食べれるようになった。野菜もいろいろ作れるようになったのだが、必ず山菜を山で採取して1品は食べるようにした。いろいろやってみると、自給自足の食事には保存が重要だという事が分かった。それが味噌づくりを始めることに繋がって行ったが、そのことはまだ後に書く。

山北有機農業研究会という仲間を作ることになる。これが農の会の始まりである。ただいつからというよりも、周辺の有機農家をお訪ねしてお手伝いをしては、農業の先生が出来てきた。私の家の隣でみかん畑をやっていた人から畑を借りて、畑を隣地にまで広げていた。その方が川口さんでMOAの人だった。川口さんからこの地域で有機農業の組織を作りたいので協力してほしいという話が来た。山北に越してから3,4年目の1992年だったと思う。いっしょにMOA関係の方の家を訪ねたりした。1994年3月に川口さんの家で、MOAの前田さんと相談をした記録がある。この時、今までのつながりをまとめて、組織を作ることを相談した。この日が農の会の正式な始まりの日だったようだ。前田さんは心の実に暖かな人で、二人で夜遅くまで未来の農業組織作りの話をした。前田さんはその後転勤された。

山北の町会議員だった瀬戸さんの奥さんが戦後の生活改善クラブの活動でいろいろされていたのだそうだ。保存食のことなどとても詳しく、また面白くて参考になった。味噌づくりを最初に教わったのは瀬戸さんである。味噌の溜まりを醤油として使えば、結構使えるなど話してくれた。ご近所の農家の方など誘ってくれて、一緒にいろいろ勉強することになる。MOAの指導員の方が来てくれたこともあった。大仁農場の見学にも行った。徐々に新しい農業仲間が増えていった。あれこれ学習会をしている内に、仲良くなり、一緒に田圃をやらないかという話になる。養鶏をやっていた友人から田んぼにできる土地があるので、やってみないかというお誘いがある。みんなで意気込んで準備を進めた。ところが自然農法でやるというなら、水をお前たちにはやらないという拒絶に出会う事になる。当時はまだ自然農法にそれほどの反発があったのだ。この拒絶がむしろ、活動に本腰を入れるきっかけになる。共同の田んぼがやれるようになるのは、その後塩沢の奥で田んぼを始めるまで、時間がかかった。

この顛末は次回3回で。

 

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2月の自給作業

2018-02-01 04:05:09 | 自給

2月のトマト

冬の自給畑は、草が生えないから楽だ。やることもないので、収穫だけである。作物が凍えながらも、畑で頑張ってくれている。今年の冬はずいぶんと冷える。田んぼは凍り付く毎日である。それでも家の脇の石垣ハウスはそれなりに暖かいのだろう。加温しているわけでもないのだが、トマトが成り続けている。トマトは枯れかけてきているのだが、かろうじてまだなっている。7月から食べ始めてまだ食べているのだから、半年は食べさせてもらっている。少しではあるが、このような作物が自給には一番有難い。水やりとか冬の間は全くやらないのだが、雨が降れば水が入るようにしてある。中に踏み込み温床もあるのでそれも効果を上げているかもしれない。赤くならないトマトをスープにして食べる。ミニトマトの方が寒さに強いようだが、それでも桃太郎トマトも中球をまだつけている。今年はあまりに寒いので、どうなるかわからないが、冬越しトマトの枝を差し芽にして、次の年の苗にできる年もある。

畑では大根がまだまだ頑張っている。11月から食べ始めて、2月まで食べているのだから、すごい大根である。10月初めに蒔いたものだ。小さい内は間引きながらまず食べる。最初の頃は大根葉を炒め物にして食べた。大きくなって順に食べてきた。そして2月になってもまだ大根は食べられるのだから有難いものだ。今年は野菜が高いとか、大根が不作だというようなことが言われているが、私の家ではいつも以上に長持ちしている。これが自給の畑のありがたいところだ。売れるようなものではないが、自分が食べるためには十分なものだ。でも、自給祭には10本以上おすそ分けで持っていたが、ごく普通のレベルの大根だと思う。それは、こかぶもそうだ。今美味しく食べている。こかぶの味噌汁が好きなのだ。葉っぱも一緒に入れて食べる。筋があるとか、硬くなったとかいうようなことがない。小松菜も大きくなっては仕舞ったが、食べるには問題がない。もう無いのは一緒に蒔いたホウレンソウだ。ホウレンソウは時期が短い。

2月はジャガイモの植え付けの準備となる。今年は25日に植え付けるので、もう一度そばかすを入れて耕運しようと考えている。新しい畑なのだ。新しい畑は何とも難しい。土の様子が分からないので怖い。真っ黒な土なのだが、前歴が果樹から畑に変わり、10年ほど放棄されていたらしい。同じ場所に、4月から始まる有機農業塾が始まる、畑の準備をしなければならない。ここも同じに1回目の作業では、畑にそばかすを撒いて、良く耕した。1か月したら2回目の耕運を行いたい。それは近いうちにやらなければならない。麦は順調である。まだ小さいのだが、それなりに分げつを増やしている。家の方の麦畑は草もそれなりに出ているのだが、小麦の会は麦以外は全く出ていない。麦踏を何回も繰り返しながら、そばかすの追肥をした。玉ねぎは上の葉がどんどん枯れてゆく。大丈夫なのかと思うほどだ。枯れてゆくのはマルチをやってあってもなくても同じようだ。

家の畑では、ソラマメが寒さで小さくなりながらも緑を保っている。今年は自家採種のソラマメである。かなり沢山蒔いた。畑の隅にまとめて蒔いて、畑が相手から、移植した。ソラマメは移植したらダメだという人がいたが、別段そんな経験はない。そこで移植したものと、移植しないものを比較の為に置いてある。大豆もそうだったのなのだが、移植に弱いというようなことを聞くことがある。私は何でも自分でやってみて判断する。連作障害もそうだ。連作障害かなというような不出来を経験したことがない。そもそもそれほど立派なものを期待しているわけではない。食べる分だけあれば野菜は満足である。2月にもう一つ大きな仕事がある。欠ノ上の大きなケヤキの伐採である。役所が周辺の木は切りながら、何故大きなケヤキは切らないのか、ごまかしてばかりいた。境界査定がないとか、川との関係できる必要がない。とか主張した。そうであるなら、何故その並びの木を切ったのだ。おかしいだろう。結局は切らないという事になった。この間の導路整備課ののらりくらりの対応に腹が立った。腹が立ったので、他のことで市に協力しないことにした。

 

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2018年味噌づくり

2018-01-29 04:14:24 | 自給

 

朝5時味噌の釜に火をつける。

2018年の味噌づくりはを1月28日に行った。滞りなく無事終わった。3時には片付けも終わりみんな帰った。楽しい時間は必ず終わる。祭りの後の寂しさが広がる。生きていてこういう良い時間が持てるという幸せは、幸運としか言いようがない。誰一人意図したわけでもなく、誰かが、神様のようなものが与えてくれたもののように思える。みんなの思いの集合という事なのだろう。みんなが周りの人の為にという思いをここに寄せて、集める。それが素晴らしい時間を演出する。この味噌づくりの一日は最高の演劇のようなものだ。しかもこの演劇は、一人一人の物である。誰もが主役であり、誰もが観客でもある。やれる人がやるという心に満たされていた。しかも今年は、多くの若い人たちが初めて参加した。必ず、この農の会の心は引き継がれてゆくことになる。そいう事が確信できる一日でもあった。小さな子供たちだけでも、8人いた。これが、お金では買えない幸せであり。こういう世界を目指すという事である。競争主義者には理解できない世界だろう。

前日の準備が終わったところ。

今年は前日の準備も大勢が来て行った。巨釜を移す作業が大変だったのが嘘のようだ。若い人が沢山いてくれたので難なく運ぶことができた。麹の仕込みは1週間前の1月21日だった。この日も寒い日だった。小田原に越して来てこれほどの寒い冬は初めてのことだった。平成に入り一番の寒さが続いている。麹の仕込みもまず凍ってしまった、水道をお湯を沸かして溶かすところからだ。井戸から直接の水は出るので、そこから水を汲んできて沸かした。味噌づくりの日も水道管は十分に保温しておいたが凍り付いていた。朝5時しんしんと凍り付い空気が、最高潮である。実は昨晩からあまり眠れなかった。こういうことはめったにないのだが、まるで遠足の前日の小学生。それでついつい、朝一番に火を付けに行くことになった。なんと水を張り、大豆を浸してあった巨釜のなかに氷が張っていた。こういうことは初めてのことだ。こんなことは、その結果、どうも大豆の浸しが不足した感じがした。来年は寒さが予測されたら、一度火を入れて少し浸し水を温めて置きたい。

大豆は5時から6時間半煮て、11時過ぎに配り始めた。それから、足で踏んで潰す。この足でみんなで踏んで潰すところが良いと思っている。機械小屋には大型のミンチの機械があるのだから、それでやればすぐ終わるのだが。あれこれ話しながら、味噌を仕込むのに1時間。一時間かかる。少し疲れるくらいの作業になる。たぶん機械を使っても一時間だろう。それぞれが踏んでも1時間。同じ時間なら、手作業の方が良いに決まっている。機械の方が良いと思う人は、こんな味噌づくりには参加しないだろう。私はいつも雑に踏んで終わりにしてしまう。粒がある味噌が好きなのだ。たぶん子供のころのお寺の味噌汁が、豆だらけだったからだ。豆が出てくると嬉しくなったものだ。自分の好きな潰し方にするなどという事は、機械ではできない。

今年は、料理の会の諏訪間さんが味噌汁作りで参加してくれた。過去最高の味噌汁になった。みんなの持ち寄りの野菜を太田さんが切ってきてくれた。野菜の甘さが際立っていて、驚くべき美味しさの調和になった。かつお節を一品持ち寄りで持ってきてくれた人がいるという偶然。一品持ち寄りは食べきれないほどの量だった。私は納豆麹を持って行った。それなりの味だったのではなかろうか。美味しいと言ってくれる人もいた。今年は全体では40人くらいになったのではなかろうか。小宮さんのブルーベリーガーデンでやっていたころのようだった。久しぶりの人もいた。初めての人も3分の1以上ではなかったか。これでうまく回るというところが農の会。今度は大豆を作る所にも多くの人に参加してもらいたい。

 

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明治大学黒川農場

2018-01-26 04:40:57 | 自給

明治大学黒川農場を見学させていただいた。ここでは有機農業による市民講座が開かれている。小田原有機の里づくり協議会の15名で出かけた。佐倉教授に小田原で始める有機農業による市民講座へご指導を頂くためだ。3時間も貴重なご意見を頂くことができた。有難いことだった。小田原で始める講座の再検討が必要だ。いくつかの大きなヒントを頂くことができた。明治大学で10年間継続してきた有機農業による市民講座の大きな成果に、目が覚める思いであった。予想はしていたことだが、実際に10年間有機農場を継続していることのすごさ。私もお米では25年継続して誰にでもできるさして難しいものではないと感じている。但し野菜によっては安定して作るという事が極めて難しいという事を感じてきた。それも自分が食べるものであればまだよいのだが、明治大学という組織の講座として、有機農業による作物の作り方を市民に納得してもらえる基準で継続するというのは、大変なことではなかろうか。NHKで野菜作りとして放映しているそうだ。そのことは知らなかった。

小田原で行う場合のいくつかの課題が見えてきた。1、苗作りをどうするか。2、肥料をどうするか。3、一人当たりの耕作面積をどうするか。4、一回の講座を4月から3月までにするのか。一年半にするのか。明治大学では、4月から12月だそうだ。

1、「苗作り」明治大学では苗は基本的に購入することにしている。市民がそれぞれの場所で取り組もうとしたときに、市販の苗を購入する可能性が高いという事のようだ。市販の苗を利用してもできるものにしたという考えだそうだ。ただ、そうなると種から育てるというその作物の全体が見えないことになる。タマネギの苗作りで感じたことだが苗を作るという事に、有機農業技術のかなりの部分がある。ここには壁はあるとしても農の会としては、挑戦しなければならない事の様な気がしてきた。そして、失敗して購入したこともある。失敗するという事も、学習という事ではないだろうか。どうなっているだろうという不安も、大切なような気がする。そのことがあってより真剣に作物と向き合うのかもしれない。

2、肥料としてはサカタのタネの金の有機、銀の有機というものを購入するそうだ。窒素成分に換算して、平均的な慣行農法に比べて半分ぐらいになるそうだ。畑の会では畑にそばかすを入れることで何とか耕作してきた。たぶん窒素成分で換算したら、明治大学のさらに半分にも満たないかもしれない。肥料をどのように考えたらよいかである。肥料を増やすと虫が出る。この点では有機の里づくり協議会の中でも意見が分かれるところだろう。農の会は出来る限り自給できるものでやっている。ソバカス、そば糠が私は中心である。肥料を購入する所から始めるのはあまり好きではないが。できれば、市内で出る様々な有機物をたい肥化する活動など有意義ではないだろうか。生ごみたい肥化事業との連携。

3、自給農業では1家族で100㎡は必要と考えている。そのくらいは一人の面積がやれればと考えていたが、明治大学では1人13㎡だそうだ。4月から12月までで、17回の講座日でこの面積。つまり各々がこなせる面積は案外狭いのか。現在の計画から面積を減らす必要がありそうだが、何処まで減らせばよいのかである。畑の会の作業との兼ね合いも考えなければならない。

4、作物の流れで一通りの作物を経験するためには、1年半の周期で考えていた。短くして良いものかどうか検討が必要になる。補助金との兼ね合いで考えれば、4月初めの3月という形になるのか。そこに入らない、ジャガイモやタマネギは別に考えることになるか。明治大学のものはあくまで導入部分という事であるが、有機の里づくり協議会としては、新規就農の窓口部分の意味が大きくなるのではないだろうか。小麦、大豆、長ネギ、タマネギ、ジャガイモ、こうした常備保存作物をやってみないで良いのかどうか。またやるとしたら別のやり方があるのだろう。そういうものは別の畑で共同で行うという方法である。私としてはむしろ、果菜類の様な日常作業の多いいものは避けるという考えであったのだが。検討材料である。

 

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米麹の作り方 再掲載

2018-01-21 06:37:38 | 自給

2016年の麹の仕込み

今年は17,18日と米麹を仕込んだ。順調に推移している。山田錦を使っている点がいつもと違う。




1、「事前準備」、
麹作りは、仕込み前日に米を洗い水に浸す。水に浸す時間は12~20時間。仕込み当日の早朝、米をザルに上げてしっかりと徹底した水切りを3~10時間行う。水切りはタオルを中に入れるなど十分に行う。蒸しはできるだけ高温で一時間以上、やり過ぎと思う位に行う。



2、「麹菌の植え付け」
麹屋さんによると、冬よりも暖かい時のが作りやすいと言われていた。新聞紙を敷きその上に清潔な布を広げ、その上に蒸しあがった米を広げ、しゃもじでスライスしながら、米粒の表面の水分とあら熱をとばす。米粒はべたべたせず、表面が乾いた状態が望ましい。生の米かと思うようなパラパラした感じに近い。麹菌は水分が好きなので、表面が濡れていると、そこに留まって中に入らない。周りが乾いていて、お米の中心が濡れた状態だと芯まで菌が潜り込んでゆく。良く麹菌が繁殖することが重要である。



3、
一部の米をボールに取り、人肌の36°になるまで撹拌し下げる。麹菌を入れて良く攪拌する。全体のお米は湿気を飛ばすように、パラパラ、サラサラの感じで手で広げて乾かす。お風呂の温度を思い出しながら、熱くない感じになるまで行う。冷めたようでも下が熱いので良く上下を攪拌する。



4、
ボールで菌をまぶした米を、広げた米にパラパラとまき散らす。全体に菌を揉み込むように、かき混ぜてゆく。菌がお米の芯に入るように揉みこむように、力を込めてお米をつぶしながら菌を植え付ける気持ちで押さえつける。充分にかき混ぜたら、布で包み一塊りにする。それを米袋に入れる。一袋で11キロまでやれた。1時間以上移動する場合は、カイロを張り、毛布にくるむ。



5、「温度管理」
袋のまま、米麹の中の温度計で33℃位を目標に保つ。ホットカーペットや電気毛布、あるいは湯たんぽなどを使う。湿気が床にまで行くので、ビニールを敷いて置いた方がいい。乾かないように管理する為に米袋はいい。上と床と接する部分では温度が違うので、袋を静かに裏返す管理もいい。温度管理や手入れについては、かなりの幅があるので、どうやってもできるともいえるが、麹室で作るわけではないので、自分なりの失敗のない方法を見つけること。



6、「1番手入れ」
10~20時間後(時間差がある)になり、全体がひと塊りになった状態で、少し良い香りが出てくる。この時に布を取り去り、米袋にお米を直に空ける。米袋の中でよくほぐしてやる。この時も中の温度は35℃前後を保つ、上がりすぎないように、保温を調整する。アラーム付きで、外で温度が分る温度計は便利である。カバーの木箱があると便利である。中の湿度が高くなる。



7、「2番手入れ」
さらに10時間後には、菌が回り始め麹の香りが強くなる。米袋の中の米麹をほぐして、でできるだけ平らに広げてやる。それでも温度が上がりすぎるようなら、袋を切り開き全体に広げる。この段階では保温は室温にもよるが要らなくなることが多いい。でこぼこの山を作り表面積を大きくする。外側がに温度が低い場所ができるので、外側を高めにする。徐々に温度が上がりすぎるので、この点に注意する。40℃は超えないように管理する。

8、「3番手入れ」
さらに10時間するとさら白い麹菌が回わって、塊りになってくる。温度が上がり易いが、40℃を越えないように、良くほぐし表面積をふやす。保温は止めた方がいい場合が多い。40度を越えたからと言ってすぐ失敗と考えないでいい。麹の淵の方が温度が下がりがちなので、外の麹を中に回すように手入れをする。

9、「4番手入れ」
味噌麹の場合は、少し麹の回りすぎて、黄色あるいは薄緑っぽくなる位が良い。米粒を割ってみて菌がお米の中に浸透している感じになるように。どぶろく麹の場合は少し早目の白い内の方がいい。出来る限り10時間サイクルの発酵を4回ないし、5回繰り返す。温度が上がり過ぎの場合は、6時間でも手入れを行わざるえない。途中で温度が下がってしまったり、発酵が足りないようであれば、保温を強くして再発酵をさせる。割合簡単に戻るので心配いらない。



10、「出麹」
米麹が充分出来上がったら、15℃以下の乾燥した場所で広げたまま、乾燥させる。袋のままにしておかない。20時間すると完成する。完成したら、ビニール袋に入れて冷蔵庫で保存する。

追記、留意点

1、良いお米の蒸しを行うには、十二分に水に浸し、十二分に水切りをすること。その上で、強い蒸気で蒸しあげる。湯気が上に抜けてから、1時間は蒸しやる。蒸し過ぎで失敗という事はない。

2、家庭で行うには、米袋方式はもっとも簡単で、一応のレベルに出来る、優れた方法である。米袋1袋で10キロまで可能と言われるが、私は今回11キロまでやった。

3、麹菌が良く回るには、湿度の維持が重要。段ボール箱のカバーなどで覆えば、さらに良い。温度にむらがあるときは、袋ごと裏返すのも良い。

4、米麹は4,5回の手入れで出来上がるが、菌の活動をしっかりと終わりにして、保存しないと、袋の中で再発酵をはじめておかしくなる。

5、保存は案外に難しい。充分に乾燥し、冷やし、その後酸素に触れないように保存している。味噌に使う場合は、塩を出来上がったものに混ぜてしまい、保存しておくという方法もある。

6.麹菌は手入れを行う都度繁殖を休止しているので、出来るだけ手入れの回数は減らし、10時間くらい静かに繁殖を継続させる。固まると酸素が行かなくなるので、ほぐす必要が出てくる。このあたりの状態を観察しての管理が良い麹を作るコツのようだ。


7、全体としては白い塊のようになるのが目標。あれは最終段階でほぐさずに、枯らす。乾燥させることを枯らすという。これは面白い名称だと思う。

8、袋方式では、手入れ後裏返すことが出来る。保温が下側からだけとかの場合、片面だけ暖かくなれば、裏返して温度調整が出来る。

9、出来た麹の断面を観察し、菌が中に食い込んでいるかを研究する。大切なのことや麹菌の出来上がり量。山田錦は中に菌が入りやすいようだ。玄米でやる場合、菌が米の中には食い込めない場合がある。少しでも玄米に傷をつけてやると菌が入りやすくなる。

真夜中に、温度の管理をしながらこれを書いた。

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諏訪の原の新圃場

2018-01-13 04:52:22 | 自給

あしがら農の会では新しい農場を準備している。北から南を見ている写真。

諏訪の原にある2反6畝の素晴らしい圃場である。遠く相模湾が見える。日当りもよく、緩やかな傾斜で最高の農地ではないかと思う。フラワーガーデンがすぐ近くになる。そこで座学ができる所が素晴らしい。土壌は今度分析に出す予定で採取したが、真っ黒い土だ。私の家から500メートルほどの所だが、明らかに土質は違う。また田んぼまでは300mであるが、そことも違う。土壌というのはなかなか不思議なものだ。今までに野菜が耕作されていたことがあるようだ。そして、10年は耕作がされていなかった。今回ソバカスをここに53袋撒いて、トラックターで耕した。石は北西角にいくらかあったが、そのほかにはほとんど石のない畑だ。北の端に水を貯める大きなコンクリートの水槽があるところを見ると、その昔にはみかんが植えられていた時代はあるのだろう。みかんが切られその後畑になって、そして放棄されたという流れではないだろうか。いずれにしても、久野の畑としては2反6畝の平らの畑がまとめてあるという好条件な場所は少ない。

 

ソバカスを53袋撒いてからトラックターは作業を開始した。左には大工さんの大きな下小屋がある。小屋が日陰を作ることはマイナスになるだろう。北側の遠くに見えるのは丹沢山系である。小田原のフラワーガーデンまで200メートルぐらいの場所だ。広い道路があり、そこはほとんど車の通らない道で、駐車をしていても問題のない場所である。この畑では有機農業での市民農園をやりたいと考えている。農の会もだんだん技術力が向上し、有機農業をひと様に教えられるレベルにまでなったと言える。ただその前に畑をするためにも、自分たちで試行してみようというのが、今年のこの農場の目的である。一人が75㎡ほどの面積を受け持ち、10数名で一年半回してみる。それで問題が起きないようなら、一般の人たちを募集しようという計画である。ジャガイモを3月初めに植えるところから始めようと話している。その後はどのようになるのだろうか。楽しみであるし、いよいよ実力が問われるところだ。

 中央に道路をを作り、左右に畑が配置される。東側が根守さんの畑になり、西側が有機農業塾の農地になる。この道路の幅が2メートルである。全体を耕し終わったのが3時であった。さすがに広い畑だ。この地域には古墳が多く、この畑の隣には15号古墳がある。立派な石室がある古墳だ。看板も、道標もあるから、時々訊ねてくる人もいる。せめて古墳のの周りの草刈りなど管理をしようと考えている。何しろ30センチ以上の榎が生えていて、石室を壊し始めている。全く文化財の保護が成っていない。官地だというので役所の文化財課にきれいにして良いか確認に行ったところ、どうにもはっきりしない。国有地だから国に管理責任があるというようなことだ。国に管理責任はないと思う。国有地であろうがなかろうが、小田原の文化財である。小田原市民が管理しないで誰が管理できるというのだろうか。直径30センチにもなる大きな木が生えるまでほったらかしであるという事は良いことではない。

有機農業塾が出来れば、小田原の農業の未来が少し変わる可能性がある。この有機農業塾が新規就農者の窓口になる可能性がある。ここで学び、小田原の農地を紹介できる。なかなか大変な仕事になりそうだが、70歳までの2年間このことを精一杯やるつもりだ。有意義な仕事になる。あしがら農の会らしい事業にもなる。そして、その2年間で私自身の野菜の作り方の総まとめもしたいと考えている。いろいろ講師の先生もお呼びして、充実した有機農業の講座が出来ればと考えている。すでに参加者の定員はほぼ満杯になっている。この2年畑の会をやってきてつくづくよかった。そこで培ったことが、今度の農業塾に生きてくるはずだ。中心に動いてくれるスタッフとして、根守さん、吉宮さん、渡部さんと素晴らしい人材が揃った。これならうまく行くだろうと確信している。農の会でこうした人のつながりがあるという事が本当に幸運なことだ。

 

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