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絵を描いている状態

2023-08-17 04:56:38 | 水彩画


 絵を描いているときの状態を思い起こすのだが、訳の分からない状態。絵の世界に没入していると言うほどでもないのだが、何やらあやふやな感じなのだ。独特の状態なのだと思う。絵を描き出すと、大脳的には行き場を失い機能しなくなる。だから思い出す事ができない状態なのだ。

 神がかりの人間ではない。ごく当たり前の普通の科学を重んじる人間である。だから絵を描いているときにはこんな感じで描いているなとは思うのだが、その感じを文章にしてみようと思い出すと、まったく言葉としては思い出せないのだ。何故なのだろうか。この状態がどういう状態か脳科学者に聞いてみたい。

 ソンナエライ先生には縁もゆかりもないので、確かめる術もない。それでも良い絵を描こうとはしていないと言うことは確かだ。自由な状態で絵にしたがい、筆に従うようにしたい。そう考えているらしい。だから画面に反応しているだけなのだろう、こういう絵を描こうとかは思うことはない。

 富士山を描いていたのが、何かのきっかけで菜の花畑の絵になるなど良くあることなのだ。たまたまそこに引かれた線から誘発されるように、絵が動き出す。動き出せば、その動きにできる限り邪魔をしないように、ついて行く。それだけなのだ。だからとんでもないことをしているに違いない。

 やっと分かったところを全部描いてしまい。もう描けるような所はないなと言うところで、一段落で息をつく。その息を着いたときに絵を眺めている。ボーとして、半眠りで眺めている。突然その先のことが浮んでくる、すぐに飛び起きてまた描き始める。

 描こうとすると、その気がついたこととは別のことをやり始めることが多い。どんどん壊し始めたりする。そこそこで来たのだから、何故メチャクチャのことをやってしまうのかは分からないが、どんどん潰していったりしている。描き継ぐ前には想像もしなかったような、とんでもないことになることが多い。

 それはそれでいいと思いやっている。始まってしまえば、半眠りで見ていたときのことなど、飛んでしまう。しかし、その時ああそうだと思うから始めたにもかかわらず、画面の前に座るとまるで違うことをやる。これはほとんどの場合そうなのだ。これも何故なのかは分からないが、何でもやるが任せることがいいことにしている。

 何が重要かは分からないが、ともかく絵を描く行為が重要なのであって、どんな絵を描くかは、ある意味たいしたことではないのだ。すべてを忘れて絵に没頭して絵を描く。それだけで良いと思っている。そうしていれば、いつかはきっと自分の絵という物が立ち現れるはずだと。これが悪い欲なのだ。

 何故そう信じるかと言えば、前よりは自分の絵と言える絵に近づいている気がしているからだ。あれこれ頭を使って描いていたときはまったく自由という物ではなかった。自由に描く事を、大脳が制限を加えた。これでは自分が現われるはずがない。何からも自由でありながら、絵が描かれているとと言うところまで行くことが出来るのかである。

 すこしづつだが、近づいているのではないかと、そういう希望的な気持ちがある。それは、このブログに載せている、日曜展示を見れば分かる。大半の人にはそうは見えないかも知れないが、肝心の私にはそう見えるのだから、問題は無い。了見違いであろうが、自分の方向に絵を描いて、努力していると思えるのだ。

 これはそうありたいという欲かも知れないが、今はそれを信じて日々描いて行くほかない。どこまで行くものなのかこの方法を貫くつもりである。まあ実に曖昧で、デタラメなことだが、絵を描くというのはそんな物だ。どこにも確信できる物などない。

 分かっているように描いている絵など大嫌いだし、くそ食らえである。りっぱにみえるような絵も嫌いだし、上手に見えるような絵は恥ずかしくて仕方がない。下手風に描くのもさらに嫌らしい。当たり前で、常識的な絵で良いと思っている。

 特別気をてらうような必要も無い。平凡な絵で十分である。当たり前で常識的な絵が良いと思って描いている。ただ私の平凡に従おうというのだから、それは人とは違うかもしれない。絵はそれぞれの人間の中にあるのだ。その自らの当たり前の絵に至らなければならない。

 一本の線を当たり前に引くことの難しさは限りない。上手そうな線は大嫌いだ。下手そうな線はわざとらしくて恥ずかしい。何が当たり前かは、これが当たり前の線だというように見えるまで、繰返し引く以外にない。繰り返している内に、意識しない当たり前の線になるだろう。

 そうでありながら偶然引かれた線ののように見えるのも最悪だ。線ははっきりと自分の意志を反映していなければならない。私の考えが線を通して表明されている必要がある。意志があり、私であり、それがごく当たり前で無ければ嫌なのだ。そういう線がいつかは引けるのかと思いながら線を引く。

 色もおなじだ、よさげな色は嫌だ。汚い色は尚嫌だ。ごく当たり前に、見える色を見えるように描きたい。それが難しくて困るだけなのだ。そうしたことがいつかは出来るはずだと思い、上手にならないように、下手にならないように、ただ当たり前に繰返し描く。

 何とかこのように文章にしてみると、少し大げさになるが、こんな感じで絵を描いている。これを最善と思うわけでもないが、他にやりようもない。工夫はしない。頭は使わない。馬鹿になってやるほか無い。いや、それもダメだ。自分に近づこうとしてやるほか無い。

 まだ、元気はある。過去一番気力を充実させて絵を描いている。あと20年あれば何とかなるかも知れない。遠回りをして、時間がかかることを恐れないでやりたい。慌てて結果を出そうとすれば、頭の制作になりかねない。手の制作にするには、時間を恐れないことだ。

 いくらでも、無駄な時間を積み重ねてやるつもりだ。もし元気でこのまま絵を描き続ける事ができたら、何かは分かるはずだ。それでいいと思っている。結果をそれほど期待しているわけではない。今を充実して絵を描けることで十分満足なのだ。

 ただその満足が将来の完成を目指している物でなければおかしいと言うことに過ぎない。本当はそうでなくても良いのかも知れない。いや、結論まで行かないことには今の意味が無い。そんな先のことは考えても無駄なことだ。今日も精一杯描いたし、明日も全力で描くと言うことだ。
 

 
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第173 水彩画 日曜展示

2023-08-13 04:24:26 | 水彩画
第173 水彩画 日曜展示

10号前後の作品です。






318「島」
2023.8








319「紀伊半島」
2023.8









320「三津富士」
2023.8








321「のぼたん農園」
2023.8










322「紫の花」
2023.8









323「岡の家」
2023.8









324「名蔵湾」
2023.8









325「富士川河口」
2023.8



 石垣島に戻り絵を描いている。小田原と甲府盆地で書いていた感覚で何か変わらないかと期待しながら描いていた。今回は色々の紙に描いた。和紙も何枚かある。意識して変わると言うことはないのだが、前とはどこか違うという所には行きたい。今のままで良いとは思っていない。

 しばらくは水彩人を意識して、描いていたのだが、出す絵はすでに額装して小田原の家に置いてきたので、水彩人展のことは忘れて次に向かいたい。今はアトリエカーもない。描くことも少し自由がない。機械小屋の奥で絵を描いている。素晴らしい景色ではあるのだが、いつもおなじ景色だ。

 眼に映っている物を描いているわけでは無いのだが、目に映っている物に反応はしている。草の広がりや、海の色や、空の様子に反応はしている。その一体化した草の海を描いてみたいと思う。このさきの課題である。それでも自然に現われることを、待っている。

 






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第173 水彩画 日曜展示

2023-08-06 04:58:22 | 水彩画
第173 水彩画 日曜展示


 小田原と甲府盆地に行き描いた絵です。大きさは中盤全紙







312「桃の木の先に南アルプス」
2023.8








313「箱根駒ケ岳」
2023.8





314「花鳥山と甲府盆地」
2023.8






315「ふるさとの山」
2023.8








316「塩山フルーツの村」
2023.8








317「箱根駒ケ岳」
2023.8


 今回は水彩人展も近いので、出せるものが出来ればいいと少し期待して頑張った。まあ頑張ったところでいい絵になるというものでもないのだが。小田原に来て、石垣島が台風で戻れないという事もあった。日々の一枚にはあと一枚とどかなかった。

 今回少し色が明るく見えるのは直射光線で撮影したからである。箱根の長尾峠で絵を描いていて、一段落したので2時ごろの強い光で撮影した。この写し方の方が絵に近いかもしれない。画面が反射して少し白く見えている可能性はある。絵が明るいのは気持ちが明るかったという事もあるかもしれない。余計なことがないからである。ただ絵を描くばかりである。

 精一杯やれるという事が何ともありがたい。身体もどこと言って問題ない。好きなところに出かけて、ただ絵を描いて居られる。車の中では風が通り抜けて涼しい。山梨では朝涼しい内には桃の収穫を皆さんされていたが、午後からは誰一人畑に来る人もいなかった。この透き通った夏は子供のころから続いている。


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水彩紙のことあれこれ

2023-08-04 04:50:46 | 水彩画
欠ノ上田んぼの柿の実

 水彩画を描くうえで、紙の選び方は重要になる。できる限り正確に想像して、制作上のことを書いてみようと思う。どのくらい重要かと言えば、大したことではないと言えばいえる。重要と言った傍からおかしいのだが、絵を描くうえではその両方が本音なのだ。どんな紙でも同じだと思う日もあれば、やっぱり紙が重要だと思う日がある。

 本来の水彩紙というものは、ヨーロッパで伝統的に作られてきた手漉きの紙である。当たり前のことで、100年前は紙はすべて手漉きだったのだ。手漉きだと紙は大いに違ってくる。イタリアーーファブリアーノ、フランスーーアルシェ、イギリスーーワットマン、とヨーロッパには歴史的に評価されてきた手漉きの水彩紙がある。

 昔の水彩紙に関する使い勝手は手漉き水彩紙のことなのだ。今の機械製造の紙はまた別の話と考えた方がいい。もちろん今でも手漉きの紙もあるが、紙自体が作品と言えるほどの価格になっている。それは仕方がないことで、それくらい紙漉きのための環境は厳しい。

 MO紙というものを越前和紙の方が作られた。日本の版画は世界的に評価されたものだから、版画用の紙と言う方が一般的な理解かもしれないが、戦時中手に入らなくなった水彩紙の代わりに作られた水彩画用の紙である。私も以前この紙で時々描いたのだが、目がないので描きずらいという感じがして、この紙を突き詰めるまで描かないで終わった。

 沖茂八さんが研究・開発した国内初の和紙画用紙がMO紙。沖茂八さんが亡くなった後、三代目の沖桂司さんが漉いていたとある。今は桂司さんも亡くなられて紙そのものが失われた。小川町でも水彩画用紙が漉かれていた。しばらく試してみたがやはり使えなかった。今はこの紙もないのかもしれない。

 日本でも戦時中から手漉き水彩紙は作られたのだが、水準には達しないまま今に至り失われたのではないか。和紙の手漉き方法と水彩紙の制作方法は、全く違うので紙に凸凹の目ができないのだ。紙めは紙の水を切る時に、毛布に挟んで圧力をかけるときにできる。

 和紙は圧力をかけるようなことはない自然乾燥である。いずれにしてもそうした手漉きの水彩紙はもう例外というほどのものになっている。機械製造が始まる。機械製造の紙はそこそこ使えるものである。紙めも様々あり問題がない。問題は紙の材料にある。後で変色する紙もある。

 紙は太陽に充ててあしかめた方がいい。重ねてずらし、1週間太陽に充てて変化の少ないものを使う。悪い紙は1週間で日の当たらなかったところとの境にはっきりとした線が出来る。この紙色の変化は後では取り返しがつかないので、使わないようにしなければならない。

 水彩絵の具の方は最近は日本の絵の具もヨーロッパの絵の具も大差ないものになったが、紙の方も機械製造になってから日本のどこの紙もそれなりに使えるものになった。本当はラグで作られた紙があれば、良いのだが無いものねだりになる。こっとん100%がマシである。

 同じ真似でもインドの手漉き水彩紙は素晴らしいものがある。これは今でもラグで作る手漉きの紙があるようだ。また紙舗直に行って手に入れてみたい。日本には日本画を描く、最高水準の和紙があるにもかかわらず本格的な紙はついに出てこなかった。これは残念だが、日本の水彩画の水準の問題なのだろう。

 紙は文化を受け継ぐ。和紙は日本的な感触がある。と言ってもわかりにくいことだが、滲み具合や色の乗りなどにいかにも日本的な感性を感じる。このことは実に不思議なことだと思う。ファブリアーノがイタリア的で、アルシュがフランス的だと感じる。紙は文化的な産物だと思うしかない。ファブリアーノの紙はダビンチが対象だし、アルシュであればモネやボナールが対象である。

 海外に素晴らしい水彩紙があって、日本で作るまでもないのかもしれないが、日本で工業的に作られている水彩紙というものはある。その水彩紙がラグで作られたものなどあるはずもない。水彩紙はラグの問題があったのだ。ラグは紙の材料としての命である。

 ラグとはシーツのような綿の古布を叩き潰し砕いて、繊維に戻したもののことだ。これが水彩紙の原料になった。今ではラグを使うような紙はどこにもないのではないか。コットを使った紙をラグと称することがあるので不明だ。インドにはまだラグを使った紙があるらしい。

 インドならあるかもしれないと思う。インドの文化は独特なもので、インディアンペーパーと言えば辞書の薄い紙のことだ。手すきの紙の伝統も深く、素晴らしい水彩紙がインドには存在した。と言っても私が購入したのはもう30年以上前のことで、紙舗直でのことだ。地下鉄の千石の駅前にあるのですぐにわかる。

 紙舗直でインドから取り寄せてくれたのだ。この紙は個性がある。その増え幾らでも使いこめる幅も持っている。手すきなのだが、これほど厚い紙は見たこともない。30年経ってますます使いやすくなっている。紙は作られてから時間が経過して使い勝手が良くなる。上手く保存しておけば、200年してからの方がいい紙になっている。

 紙は変わる。特に手すきの紙の世界は様変わりしている。多くの紙やさんが廃業された。日本画用の特別な和紙は今でも大切に作られているが、手すきの水彩紙は多分世界的に苦しいところにあるのだろう。ラグが簡単には手に入らないという事が一番の問題らしい。

 化学繊維が混じっていない綿布というものを集めるのが難しいらしい。いくらかでも化学繊維が混じればおかしな紙になってしまう。良く実情は知らないので想像だけのことだが。そこで今ではコットン100%が良い紙というアピールになった。ラグの紙からバージンコットンの紙に変えた時は違和感があったが今は慣れた。

 良い紙とは良い絵が描ける紙である。良い絵とは自分の世界観が現れた絵である。人の世界に至るためには試行錯誤が必要になる。だから、どういう状態であっても、どういう絵にでも買われる幅が大きい紙が良い紙になる。色や筆触に関してはどの紙でもなんとかなる。問題は自由度がどれだけあるかだ。

 また紙は作業の痕跡を残してくれなければならない。紙初めから、終わるまでどんな試行錯誤をしたとしても、その制作のすべてが現れている紙が良い紙である。その制作の過程は制作者それぞれで違うだろう。だから私が好む紙と他の意図が好む紙は違って当然である。

 大半をファブリアーノの紙で描いている。慣れてしまったという事もあるが、何をやっても壊れない頑丈な紙である。しかも水彩のごくごくうすい、水にわずかに色が付いたような絵の具でも、そのわずかな変化を表すことが出来る。それを何度も何度もきりがなく、繰り返し塗ることも出来る。

 その上にそうした初期の作業を一気に消してしまった跡の美しさまである。この紙は今ある紙の中で一番自由度が大きいのだ。油彩画を描いているのと変わりがない制作が出来る。絵は何も考えないで、反応で描いている。良くしようとも考えない。ただ従う。

 この従う時に紙の問題が出てくるのだ。自分に合わない紙であれば、自分の世界が出現しない。しかしそういう悪い紙でも、ある時化けるから油断できない。描きずらいどうにもならない紙で、自分らしいと言える絵が現れるときもある。紙はだから難しい。
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第172 水彩画 日曜展示

2023-07-30 04:17:26 | 水彩画
第172 水彩画 日曜展示

 中判全紙 今回は「のぼたん農園」を描いたものを並べた。 まえに一度展示した絵は前の番号で出している。そのあと少し手を入れた。






309「草の海1」
2023.7







310「草の海2」






292「崎枝の耕地」
2023.6





311「緑の海3」
2023.7






992「のぼたん農園」
2022.12







293「のぼたん農園」
2023.6


 今週もなかなか絵が描けなかった。それでものぼたん農園の絵が少し進んできた気がしている。最初の309番の絵にまで来たという感じがある。草の海と、本当の海が逆さなってゆく。絵を描いたような気がする。絵を描くのと写生するの違いかもしれない。絵を描く感覚は、自分の線が引けている感じかもしれない。自分の意思が入った線で描く。

 写生の絵を説明すれば、自分の世界を求めず、眼に見えている状態をどう自分の絵という体裁の中へ、取り込もうかという事が絵を描くことになる。自分の体裁の絵とは、自分が良いと思う絵の体裁に合わせるという事だ。絵を創造するのではなく、すでにある絵の範囲で描くという事になる。

 「私絵画」の描くという事は、見えていることはあくまで参考である。糸口に目の前の風景を使うだけだ。見えている糸口から手繰り寄せながら、自分の世界観が現れてくるまで描く。それは絵として良いとか、悪いとかいう事にむかうわけではない。描いたものが自分の中の何かを探り当てればそれでいいことになる。

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第171 水彩画 日曜展示

2023-07-23 04:52:02 | 水彩画
 第171 水彩画 日曜展示





308「草の海」 中判全紙
2023.7

 途中だった絵を描き上げたものが今週唯一の作品。アトリエカーが無いこともあるが、のぼたん農園の土木工事が5日間続いたこともある。日々の一枚が出来なかったことは残念なことだが仕方がない。早くアトリエカーを直すことが重要になる。

 前は30分休憩でもアトリエカーの中で絵を描くことが出来た。今回はそういう余裕が全くなかった。石垣島の夏の景色はどこかすさましいものがある。燃えたぎるような熱量がある。この草の海を何とか描いてみたい。見えているのだからきっと描ける。

 今日から再度日々の一枚を再開したい。作業はまだ続くのだが、短時間でも描きたい。むしろ描きたい気持ちが溜まってきている。描けなかった間に、描きたい物が見えてきたような気もする。残念な1週間だったが、また頑張りたい。

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第170 水彩画 日曜展示

2023-07-16 04:02:49 | 水彩画
第170 水彩画 日曜展示






303「向日葵」
2023.7 中判全紙







304「水を入れる頃」
2023.7 中判全紙








305「草の海」
2023.7 中判全紙









306「草の海」
2023.7 中判全紙











307「開拓地」
2023.7 中判全紙








308「草の海」
2023.7 中判全紙








309「草の海」
中判全紙








310「草の海」
2023.7 中判全紙



 アトリエカーが使えないので、今週は機械小屋で絵を描いていた。機械小屋の窓から、のぼたん農園の広がる景色を見て描いていた。アトリエカーから降りて絵を描くのは久しぶりのことで、少し落ち着かない気分で絵を描いていた。

 何日か描いている内にそれはそれで慣れてきて、普通に描くことが出来た。しばらくは、中判全紙を描くつもりでいる。水彩人展に出す絵のことを考えてのことだ。水彩人展には中判全紙の絵を出品するつもりだ。あとひと月あるので、まだまだ描いてみたいと思っている。

 「草の海」を描きたいと思っている。空を描く気持ちの自由さ。海を描く気持ちの自由さ。草の海も自由に描きたいと思っている。草があり、土があり、木があり、道がある。そういう説明を越えて、広がる草の魔境を描いてみたい。


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第169 水彩画 日曜展示

2023-07-09 04:18:51 | 水彩画
第169 水彩画 日曜展示

 10号前後の作品です。






294「緑の海1」
2023.1





295「半島」
2023,7






296「海原」
2023.7






297「緑の海2」
2023.7





298「大里田んぼ」
2023,7







299「緑の海3」
2023.7





300「緑の海4」
2023.7







301「海原」
2023.7






302「湾」
2023.7



 小田原から戻り、水彩人の出品作を描き始めようかと思っている。草の海が描きたい。描く前から描く物がはっきりしていることは少ないのだが、毎日描いている内に、草原を海のように描こうと思えてきた。海の絵は一応海に見える。草の海も一応草原である。のぼたん農園から見える景色である。

 いつも描いている絵と違うものではないのだが、海を描いているように、できるだけ自由に草原を描こうと思っている。どこまで自由に草原がかけるかやってみたいと思っている。分かっているのは目の前の「のぼたん農園」草の海である。その先には竹富島や西表島に続く、本当の海がある。

 海も、空も、ある。そして草原である。この3つを自由に描いてみたいと思っている。これは今回描いて、描けるようなことではないような気がしている。それでも挑戦してみようと思っている。ノボタンがまだ咲いている。ノボタンもあって良いかもしれない。今日から始めてみる。



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第168 水彩画 日曜展示

2023-07-02 04:50:20 | 水彩画
第168 水彩画 日曜展示

10号以上の絵





287「木陰」
2023.6







288「蓼科山」
2023.6








289「妙高山」
2023.6






290「海」
2023.6







291「妙高山」
2023.6 中版全紙







292「崎枝の耕地」
2023.6 中判全紙






293「のぼたん農園」
2023.6 中判全紙


   2点加工前の写真が入った。石垣島に帰らないと修正できないので、見苦しいですがこのままで。写真を載せる手順を書いておくと、このように1週間に描いた絵を朝外に出て、コンクリートの地面に置いて撮影する。朝だと丁度良い光になる。間接光になる良い場所がある。

 そのあとカメラからパソコンに入れて、サイズや余分の部分を調整して、展示するという流れ。この時整理したはずが整理できていなかった。小田原のパソコンでは、作業が出来ない為そのまま掲載した。恥ずかしいですが、申し訳ありません。

 こうしてパソコンで絵の展示をすることにして、とてもよかったと考えている。個展はやらないことにした。やることが負担になった。絵を売らなければならないということで、画廊にも迷惑になる。売れなくなったという事もあるが、絵を販売しなければならないという事が耐えがたくなった。

 それでも描いた絵をそのままにしておくというのも、違うと思った。そこで毎日描いている絵を日曜にブログで展示するということにしたら、絵の整理がつく。いつ描いた絵でも探し出すことができる。前の絵と比較できるということも参考になる。絵が変わってゆくこともわかる。
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マチスの見るということ

2023-06-30 05:18:33 | 水彩画

  石垣は夏が始まっている。沖縄本島よりも1週間以上早く梅雨は明けていた。夏が来ると色彩が強くなる。影がなくなる。太陽が真上に来るので、昼間は見ている風景にに影が出来ない。異様な景色に最初は思えた。何が違うのか分からなかったが、影がない風景は不思議なものだった。

 マチスがモロッコで影のない風景に出会い、マチスの絵画が始まる。と私は考えている。マチスが生まれた町は北のくらいモノトーンのフランスである。1912年と1913年にはモロッコ・タンジェに滞在し、絵を描きながら画風を変化させていった。 陰がないと言うよりも、陰を青や黒の色面に置き換えたと言うことかもしれない。



 強い光が物を単純化している。墨のような黒い線で描かれる。そして黒の色面が明確な画面を作り出す。マチスにはいつもあいまいさはない。タンジェの風景から、マチスの絵が導き出された。マチスはモロッコの風景からアフリカの造形を展開する。アフリカの造形から、マチスの形が導き出される。

 マチスは画面をなじませると言うことが無い。調和を求めていない。ここが日本の絵画と大きく異なる。マチスの求めているのは整合性である。自然の中に合理性のあるつじつまを探している。自然界に存在する筋道を画面の中に求めている。そのためにそれまでの絵画に存在したような、絵画的な調和の要素を求めない。

 その考え方を純化させる為に、色紙の作品の至る。筆が持てなくなって切り紙になったわけではない。マチスの優れたところは、その絵画的とは言えないような、ぶっきらぼうな色面の絵画の中に、マチスを存在させることは出来ないかと探求する。もランディーのような色面は実は情緒的で、調和である。

 見ている実際の世界をマチスの見方で、再現しようとする。色面の単純な組合わせの中にマチスの見ている世界を表そうとしている。それは味気ないものなのだが、マチスは味わいのない色面に世界を、集約させようとする。マチスの絵はあくまで見ていることが根底にある。

 色面の組み合わせだけでもマチスの見るが表現できるという考えなのだ。マチスはこの点科学者であり、画家とは到底思えないような色彩と形の組み合わせによる、論理性だけで作品を作り出す。その結果誰にでもほぼマチスという作品が再現できるような絵になる。



 マチスは見ることを通して、誰にでも可能な絵画方法を見付けようとしたのかも知れない。英国のテートギャラリーで子供達がマチスの絵をワークショップで再現していた。最晩年の作品の「えすかるご」を前にして、子供達が芸術的体験をしていた。大きな色紙を切り抜きながら、作品を床の上に作り上げて行く。

 これは素晴らしいワークショップだった。今でも行われているのだろうか。一つの色が置かれるたびに、一つの絵が現れる。マチスは絵を制作する喜びまで画面に残そうとしている。出来上がるまでの各段階が、一つの絵画になっているのだ。それはワークショップによってよく分かった。

 マチスの「エスカルゴ」は作られた手順が分かるように色紙が張られている。この「えすかるご」と言う作品を描くために、カタツムリのスケッチをしている。色々試行錯誤して、この単純に至るわけだ。誰にでも再現できる絵画。やはりマチスは絵画の結論と言うほか無い。

 マチスは不器用な画家である。並んで評価されるピカソと好対照である。私は器用なピカソには興味が無い。マチスは見ると言うことを絵画上で科学的に考える学者のような人だ。そのマチスの冷静な物の見方が興味深い。その導き出した論理的な思考が、後の絵画を変えたともいえる。

 それまでの情感を根底に置くような絵画から、絵画を人間性から切り離してゆくように見える。この方向は新しい絵画の始まりなのかと見えていたが、実はそれが絵画の終わりだったと今は思っている。絵画という形で、社会に対して表現するということが終わった。情感を消してマチスは結論に至った。

 絵画が個人の行為としての意味に変わった。マチスが分解しつくしていたことは絵画芸術というより、色彩論的なもので、個人の感性とは違う客観性を持った画面を成立させようというものだと思う。一面デザインのような構成の中に、芸術としての表現を成立させようとしている。

 そのマチスの求めたものがその後の20世紀の絵画に決定的な影響を残したと思う。今都美術館ではマチス展が開かれている。相変わらずすごい人だ。今回の作品でマチスの全体だと考えると、間違うだろう。作品の選択があまりに雑多で方向性がない。マチスのむしろマチスではないところが目立つ。

 マチスの意味を理解していない人が、網羅的に構成した展覧会なのだろう。例えば何を考えて、マチスの絵画と彫刻を並列したのだろうか。マチスの彫刻はマチスの一面を表してはいるが、また意味が違う、マチスはマイヨールと仲が良く、かたどりを手伝うほどだったという。

 「マイヨールももう少し彫刻が良ければ、」と語ったといわれている。マチスはそれほどの自信家だったのだが、マイヨールの彫刻のほうがはるかに素晴らしい。マチスのなんでもそぎ落とし、本質だけ残そうとする精神が、実は芸術としての肝心なことに、鈍感なところがあるのかもしれない。

 マイヨールの豊かさがマチスには理解できなかったのだろう。マチスは20世紀の人間性の失われてゆく時代を、見ていたのかもしれない。晩年に礼拝堂の装飾を行った。そのことをピカソは今更宗教か。と怒ったという。マチスの絵はある意味さみしい絵である。

 マチスの見ていた風景を、もう一度私絵画として見直してみることから、芸術としての絵画を、考える必要があるのだろう。絵画を個人的なものにする。自分の問題にする。そのことを進めてゆきたい。
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絵画はどこに向かうのか。

2023-06-26 04:17:36 | 水彩画

 梅原龍三郎


 中川一政


 小山敬三

小島善三郎


 小糸源太郎


 日本には洋画と呼ばれる絵画の分野があった。どこか明治時代の西欧への憧れから生まれた言葉だと感じてきた。洋画とは油彩画を中心とした分野なのだが、水彩画も一応ここに入る。洋画家というような言葉があるが、油彩画家というような言葉ない。まして水彩画家という言葉もないので、「水彩人」という言葉を考え出した。

 梅原龍三郎 小糸源太郎 小山敬三 中川一政 鈴木信太郎  児島善三郎  山口薫  須田刻太 松田正平 野見山暁治 の方々が私が評価し尊敬する10名の方々。洋画の代表的画家だ。岸田劉生とか、坂本繁二郎とか、岡鹿之助は違うと思っている。

 ここに名を挙げた10名の画家は日本独特の高い段階の絵画を作り出した人達だ。油彩画の人達であるが、東洋画の素養の元に、独自の日本絵画を展開したのだと思う。世界に誇ることの出来る、深い精神世界を持つ絵画である。ある意味日本の哲学絵画と言っても良いような人達だと思っている。

 その素晴らしい日本の絵画の時代は、この100年間で日本の洋画はすでに終わっている。昭和が日本の洋画の中心となる時代なのだろう。その後平成、令和は社会から藝術としての絵画が失われた時代だと考えている。草間彌生、奥谷博、絹谷幸二、の三人が洋画分野の文化勲章者なのだから、私が考える絵画とはもう関係が無い分野なのだろう。

 洋画という名前からして、不思議な分野である。日本の油彩画と呼ばれることもある。一方に日本画というものがある。国画と呼ぶこともある。この辺の感覚はよく分からない。装飾画という分野なのだろうか。日本画を芸術として見る事ができない。水墨画の富岡鉄斎はすごいと思うが、日本画のことは今は置いておく。

 10人の画家を挙げたのは、評価している画家を並べてみれば、自分の方角が見えるような気がするからだ。日本の画家を見る眼と海外の画家を見る眼も又違う。ボナールだけは日本の画家を見る眼で評価することが出来る。マチスは最も評価はしているが、違う角度からである。少し説明しがたいことだ。

 10名の画家はそれぞれに、現実から哲学に飛躍している。自分の世界観を表現しているところが見所。その世界観が一つの思想哲学、あるいは宗教にまで昇華されている。人間がすごいのだろう。絵を描くことで、修行をしている気がする。世界観に到達するまで描き尽くしているような気がする。

 日本の洋画の一番の特徴は線にある。線は水墨画や書の伝統から来ている。線で自分の意図を伝えることができると言うことは、東洋の伝統芸術にあった物だ。線の複雑さに優れているのは日本の伝統文化なのだろう。書が人を表すと考えられてきた。

 絵画が社会に対する表現力を失った。社会が余りに進展が早く、絵画というような表現法が藝術として成立しなくなったのだろう。絵画を見る眼が変わったのだと思う。現代でも美術展は盛況である。先日の東京都美術館でのマチス展は、整理券が必要なほど並んでいた。

 しかし、絵を見る意味が変化したのだと思う。絵画を精神の表現として、哲学を持つ表現としてみると言うことがない。そうした絵画評論がない。絵画に関する芸術論という物がないと言える。それは私の探索が足りないと言うこともあるのだろう。

 筑波大学とか、東京芸術大学には美学という物があるがその学科の説明を読むと、私の考えている芸術論とは違うもののようだ。マチスは芸術論を39歳の時に書いている。何度も読んだ文章である。マチスの絵画が理解できたわけでもないのだが、マチスに出発点があると考えるようになった。ところがマチスは出発点ではなく、結論だったというのが最近の感想である。

 その先を模索してきたのだが、そこに日本の油彩画があった。日本人の精神の表現である。自然と融合した世界観がある。禅の世界に通ずる物を感じるようになった。東洋の世界観にある修行としての道の絵画である。絵画道というのはないのだが、「私絵画」である。

 外に模索するのではなく、自分の内なる模索である。その模索の深さを日本の洋画の10名に見たのだ。その模索が社会に繋がっていた時代もあったが、現在は表現者の世界観が弱まったと言うこともある。また受け手の側の絵画に対する思いも変わった。

 それでも、この先自分の世界観を描くことによって、模索して行こうと考えている。それを私絵画と呼ぶことにした。自分の問題として絵を描くと言うことだ。描いた絵に社会的な役割はない。社会的な意味が無いのだから、それを藝術呼ぶことは違うような気がする。


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第167 水彩画 日曜展示

2023-06-25 04:12:32 | 水彩画
第167 水彩画 日曜展示

 6号前後の作品です。






277「あかばな」
2023.6







278「湾内」
2023.6







279「溜め池」
2023.6








280「のぼたん農園」
2023.6








281「箱根富士」
2023.6






282「富士」
2023.6







283「名蔵湾」
2023.6







284「黄色い花」
2023.6







285「のぼたん農園」
2023.6






286「国府津の海」
2023.6


  のぼたん農園の稲刈りが続いた一週間だった。今日が最後の稲刈りになる。農作業が忙しいときは絵が描けないかと思うが、案外にそうでもない。絵を描く時間が無いほど農作業を続けていないと言うこともあるが、絵は一休みしたときや朝早く、あるいは作業を終わった夕方と、十分に書くことが出来る。

 何故農作業が忙しいときまで絵を描くのかと言えば、その方が新しい絵が見つかるのかと思うからである。自分という物が現われるきっかけがあるかも知れないと思うからである。そういう意味で農作業と絵を描くことは、私には相性が良い。

 最近の絵はいわゆる水彩画とは違う。結構濁らせて、白を使い。塗り重ねても居る。もちろん薄い重ね塗りなどもしているが、概ねとことん描いている。ダメになるまで描くことにしている。良い調子で止めると言うことはまず無い。思いついたことは成否を問わずやってみている。

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鈴木信太郎作品の絵画評が興味深い

2023-06-23 04:12:31 | 水彩画

 鈴木信太郎氏の作品(この絵がオークションに出ていたのではない。)この絵を見て成るほどと気付いたのは、線の色が違うと言うことだ。線の色を的確に変化させているところが何とも素晴らしい。絵をその場の思いつきや勢いで描いていないと言うことだろう。極めて冷静な作品だと私は思う。

 私の絵は鈴木信太郎の絵の影響を受けていると思う。どう影響を受けているのかと言えば、記憶の絵画ということになる。絵は記憶の蓄積で描くと言うことになる。私絵画というものはそもそもそういう物だ。自分の中に蓄積したものを絵として表現する。

 ボナールの絵も記憶の絵画である。ボナールは記憶の中の奥さんの絵を死ぬまで描いた。この絵がなかなかいい。これほど美しくまた人間を感じさせる絵画はない。記憶するという形で、濃縮整理されたものが絵に現われる。死んだ婦人の記憶の蓄積、その密度や濃度が深いために、素晴らしいボナールその人の絵になる。

 「記憶すること」と「見ると言うこと」の関係も重要になる。見ることの深さ。絵描きの見ると言うことは真実を見て、感動すると言うことになる。感動の蓄積が記憶に残って行く、絵における「見る」の原点である。風景でも花でも、何かものを見て感動すると言うことが無ければ、絵は産まれない。

 子供の頃から切実に生きている記憶の根底には、見てそこから染み込んできた感動を伴うものが溜まり続けて、ものの認識に繋がる。ゴッホの向日葵であれば、ゴッホが向日葵を見て、蓄積されてきた記憶が、今見ている向日葵の中に現われてくる。それが向日葵の絵になる。

 私の記憶はそれほど深いものではない。残念ながら通り一遍である。だから、たいした絵にはならないのだが、それは今のところは仕方がないことだ。今のところではないかも知れないが、そんなことは考えても仕方がない。鈴木信太郎やボナールよりも、農に関わることについては身体が記憶している。その記憶を絵にして行こうとしている。

 もし私の農業観察が絵に現われてくれば、それはそれなりのものに、いつかは成って行くのではないかと考えている。それくらい農業には打ち込んでいる。誰よりも田んぼを見ているつもりだ。子供の頃からの記憶の中に田んぼが詰まっている。それが絵に現われてくるところまでやらなければ、絵にはならない。

 ヤフーオークションに出ていた。鈴木信太郎の作品評が興味深かったので。以下コピーさせてもらった。8号で何と16万円である。昔の何十分の1の価格である。それでも今のところ売れては居ない。買いたいと思うが、買っても自分の絵の置き場で困っているので買えない。

 横浜で画廊をやられている人らしいので、今度小田原に行った時に時間があれば寄ってみようかと思っている。その時ならば、買って帰り小田原の家に置いておけば良いかもしれない。その時まであればのことだが。絵を欲しいと思うのはやはり学ぶところがある絵だからだ。

 絵に鈴木信太郎という人間が絵に現われている。これは存りそうで、滅多にないことなのだ。鈴木信太郎はどのように絵を描いていたのだろうか。どこか童画的な様相があるのだが、極めて厳しい人でなかったのかと想像している。見たことも無かった人なので様子は分からない。

 ここから引用文ーーー(絵は写真のものではない)
色彩鮮やかタッチで静物・風景などのモチーフを得意とし、非常に親しみやすい画風を描き出している。本作品は、松の木や奥の細道から庭園などを描いた作品であると思われる。何気ない風景画ではあるのだが、画廊に展示していた際には地味に見入っている人が多い作品でもあった。 鈴木信太郎の作品は購入して頂く事も多く、画廊でも人の足を止める絵を描く。

 私なりに理由を推測したのだが、これは鈴木信太郎の描く絵が風景を脳に記憶する際に情報を圧縮した風景に近いのではないかと推測している。

 細かく話をすると脳という情報処理機はパソコンと一緒で記憶する際に情報を削り落とし、圧縮して保存している。脳を通して、1つの風景の画像解像度を低くしていくと鈴木信太郎の絵に近くなるのではないかと考察できる。

 どこの論文だったかは忘れたが、学生時代に読んだ本の中に脳は情報が処理しやすいものほど早く処理するようになり、早く処理できる情報ほど脳に刺激を与えているという実験結果があった。正直に言えば無粋であるので普段はあまり脳機能的・心理学的な話は描かないようにしているが、これこそ具象絵画が買われる理由の1つなのでは思い書かせて頂いた。(あくまで推論です。)

  少し私とは違うのだが、見ているものを情報処理して濃縮する。と言う考えは記憶で描くに近い気がした。記憶で描くと言うことは学生時代に松木さんに言われたことがきっかけになっている。わたしとしては、50年前から考え続けていることだ。

 落ち葉を描いてみようとしていた。実際に拾ってきて、ボタニカルアートのように写していた。単純に美しい落ち葉の色を写したかったのだ。いくらそっくりに描いたところで、落ち葉には見えないのだ。あの落ち葉の美しさが画面には現われないのだ。

 何故目の前にある落ち葉は落ち葉に見えているのに、紙の上に移してみると落ち葉に見えないのかが不思議で成らなかった。下手だから落ち葉に見えないなら良いのだが、写真のように描いているのに、落ち葉だと感じないのだ。どうも落ち葉の匂いがしない。落ち葉という認識とみている落ち葉が一致しない。

 それで、色々考えた末に、落ち葉を見ないで、頭の中に残っている落ち葉を想像して描いてみた。すると、はるかに落ち葉らしいのだ。そっくりではないのだが、落ち葉の匂いまで絵から感じる。その時そのことが不思議でならなかったので、松木さんのところに行ってそのことを話した。

 すると松木さんはそんなこと当たり前の事だ。と言うのだ。見てそっくりに描くこと自体がおかしいのだ。そっくりであったとしてもそのものにはなるはずがない。と断言する。落ち葉の記憶の蓄積から、落ち葉を感じているので、一枚の葉を写したところで、落ち葉の絵を描いたことにはならない。このように言われた。

 50年も経った今でも忘れられないでいる。先日美術部の同窓会の席で松木さんにお会いして、松木さんに教えられたことを今やっていますと話したら、そんなことを言ったのかと、しかし、それは今でもそう思うし、当たり前の事だと言われていた。

 記憶の絵画。見て、よくよく見て、その上で記憶を描いている。それが見たことから来る感動に繋がっているからだ。絵は感動を描くのであって、見た目を写しているわけではない。松木さんと一緒に登った雲ノ平の風景はいつでも頭の中にある。山の絵を描くといつも思い出す。記憶の絵画なのだ。

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第166 水彩画 日曜展示

2023-06-18 04:15:35 | 水彩画
第166  水彩画 日曜展示

 10号前後の作品である。



267「白い壺」
2023.6






268「志摩半島」
2023.6






269「戸隠岳」
2023.6






270「伊豆別荘地」
2023.6






271「岬の松」
2023.6







272「小山の鯉のぼり」
2023.6








273「芦ノ湖」
2023.6






274「山の空」
2023.6








275「芦ノ湖」
2023.6








276「フサキ岬」
2023.6


  石垣に戻り描いた絵になるが、良いときもあるし、ダメなときもあるのかも知れないが、展示は続けたいと思っている。絵を描くことは楽しいし、描きたいと言う気持ちは以前より強いかも知れない。不安は自分の絵がどこに行くのかの先が見えない点だ。

 その日描く絵のことも余り考えないのに、その先のことは考えても居ないわけだ。こうして描いていれば良いのかと言うことにときどき不安がわく。抗して改めて絵を見ると、大丈夫なのかと思う。大丈夫なのだと自分を励ます。

 毎日の絵では分からないのだが、1年前と今では違う。ゆっくりだがどこかへ進んでいる気がする。さらに前の絵とも違う。やはり動いてはいる。良くなっているというようなことは言えないが、自分になって行くようなことかもしれないと思う。

 
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絵はバラバラでいいのかも

2023-06-12 04:52:46 | 水彩画


 マチスを見ればマチスだと分かる。ゴッホを見ればゴッホだと分かる。中川一政の絵は他の何ものでも無く、中川一政である。本物の絵に於いては当たり前の事なのだが、何故だろうかと思う。ゴッホもマチスも中川一政も、年代で絵はかなり変化している。自分の描き方に至るまでに紆余曲折がある。

 良い絵描きは様々な絵を模索しながら、自分の絵に至るようだ。それに競べれば明らかに私の絵はおかしい。おかしいのはかまわないが、何故か、あちこち揺れ動いていて、一向に自分の絵の探求という感じにならないのかと思う。好きなように描いているだけではダメなのだろうか。と考えるときもある。

 描く対象が変わると言うことはある。描きたくなるものがその時々で変わる。海、空、田んぼ、花。と言うことなのだが、その時の気分で変わるのであって、何か考えがあってのことではない。突然花がおもしろくなることもある。

 この前から、満開のノボタンを見ていて、ノボタンのあの色が描きたくなっている。桃色なのだが、その質感の重さが何とも良いものだ。その良さは空の晴れやかさや。海の色が連想されてのノボタンの桃色なのだ。一つの色に感激するのは、周辺の自然を含めての結果なのだと思う。

  果たして私の絵は私の絵に見えるのだろうか。今のところは残念ながら見えない。筆触というものがある。これは鑑定が出来るくらい癖が出るものらしい。だから絵も線とか点を見ればその人の癖は出ているのだろう。しかしここで言うその人の絵という意味はそういうことでは無い。その人の思想や人間全体が表れているかという意味だ。

 AIで制作された絵画というものがでてきた。例えば写真素材を入力し、ゴッホ風に作るというようなことが出来る。薔薇の写真素材を水彩画でと入力すると、今よく見るような商品絵画が表れる。こういうものを見ると一体人間というものはなにものなのかと改めて思う。

 人間が創作すべきものが明確になる。AIでは作り出せないものを作り出すのが人間であり、人間が行う創作活動はそういう物だ。人間が創作したときには、他の人の作品とは明確に異なるものになるはずだ。思想哲学が違うように絵も違うものになる。

 AIにクリエーターの仕事が奪われると言われている。AIに取って代わるだろう仕事をそもそもクリエーター、創作された制作と言えるわけがない。イラストレーターと言えば良いのだ。いわば代書屋と書家の違いのようなものだ。歌手のことをアーチストと呼ぶのとも似ている。そういえばAIの歌手も存在する。

 絵を描くと言うことの面白さは、創作するという所にある。AIのように写し方のバリエーションで制作するのは、創作ではない。ゴッホ風に花を描きなさいと言われて描く。この制作方法はAIは創作をしているのでは無い。コピー機の新しい形に過ぎないのだ。コピーするときにパターンを加えているに過ぎない。そういえばそういう絵描きは多い。

 写真機が出来たときと似ているのだろう。現代社会は芸術性の高い文化が衰退した社会なのだ。熊谷守一の絵画が面白いというような余裕は失われただろう。藝術は高い文化性を持つ観衆がいて始めて成り立つ。観衆が求めるものがAI制作であるのかも知れない。

 中川一政や梅原龍三郎や富岡鉄斎や須田刻太の書が素晴らしいと思うのは自由自在だからだ。まず鉛筆で下書きをしたものがある。そして書画一如としたと説明したいう。その話を画廊でしたら、書の評論家という人が、書に下書きなどあり得ないと否定的に反論した。たぶん公募展の真似方の上手な書の評論をする人だろう。AIがいらないくらいだ。

 最近の社会はAI程度の作品が芸術と混同されてきていると言うことだ。文化勲章作家である絹谷浩二氏の最近作は、絹谷風に龍の絵を描いて欲しいとAIに頼んで出来たもののように見える。絹谷浩二氏の作品はすばらしいと思ったこともあった。今ではその癖のある描法がパターン化の原因になっているように見える。

 中川一政風に、須田刻太風に、松田正平風に、〇〇風にと言うように絵を描くことは創作ではない。さらに気をつけなくてはならないことは自分風にと言うところにある。いつもまっさらなきもちで、何風を乗り越えて絵に向かわなければならないと思っている。思いも寄らない絵が表れても良いと思っている。

 こんな調子で絵に向かうので、まさかと思うような絵も表れる。それでいいはわからないが、仕方がないと思っている。目標はもう少し先に置いている。今結論を出そうとして、易きに流れることは避けたい。あわてることなく、今の自分のあさはかな底に向かうことだけだ。

 当たり前の笹村出が、生きてきて記憶してきたものが表れてくるのを受け止めたいと思っている。記憶の蓄積を厚くしてゆくように、風景をよくよく見たいと思う。絵を描く為に見るというのは、ただ目に映るのとは違う。感動の根本を見ようとしているのだ。

 この感動が根源にない記憶は絵を描く為には無意味な記憶だ。どこまで風景に感動できるのかが、絵を描く要素になる。絵に田んぼが表れてくるのは田んぼを見ていて、感動しているからだ。感動の蓄積が記憶になっているのだろう。この感動を描こうとしている。

 それは植えられた稲の苗が水に写る様子であったり、田んぼの土壌の様子であったり、たわわに実りゆれる稲穂の色であっあり、田んぼには無限とも思える面白さがある。この田んぼを作っているという事も感動の源になる。その感動を点として置かれた緑が、表してくれなければならない。

 AIに以上のような説明をして、絵にしてみて下さいと言ったらどんな絵を描くだろうか。もっと明確に説明してくれなければ、描けないと答えるのだろうか。私の今までに描いた絵をすべて入力して、笹村出風でお願いしますと言えば何とかなるのだろうか。

 こうして、芸術としての絵画は、私絵画に進んでゆくほかないと言うことになる。どこまでAIが進化しようとも、人間が絵を描くという行為に、深い喜びを感じる部分は代替えすることは出来ない。結果としての絵はAIには出来ても、感動し、思考し、悩み、制作する自己は、私でしかない。

 この私の行為の在り方を、藝術としての行為に高めてゆくのが私絵画である。行為の証として絵は存在する。その絵はそれぞれのものになるのだろうが、まだどのようなものになるのかは分からない。AI絵画が表れて、つまらない商品絵画がAIに任されて、その先の時代は「私絵画」の時代になる。

 私絵画という、AIには一番縁のない絵画が、次の時代の絵画になるのは必然である。論理的に絵のことを思考する人が居ない時代なのだろう。それは絵だけのことではないのかも知れない。哲学者不在の時代。哲学無き時代。社会を導く思想家の不在。即物的な時代と言うことか。
 
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