goo blog サービス終了のお知らせ 

地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

透明水彩について考えてみる。

2023-09-28 04:39:44 | 水彩画


 水彩人は水彩画を探求する研究会として始まった。水彩という素材を生かした絵画を研究して行こうという組織だ。水彩人は装飾美術を目指すものではない。このことは何度でも言いたい。水彩画を人間を表現することの出来る藝術のための素材と考え、その奥深い表現方法を研究することが目的である。

 芸術としての水彩画作品を描く事を目的と考えている。つまり、現代で言えば「私絵画」を描くために、最良の材料だと考えている。自分というもののを探り当てて行く上で、水彩という素材は、制作に自由に反応をしてくれる。これは誰にでもと言うより私にとってと言うことかも知れない。

 水彩画には透明水彩というジャンルがある。水彩絵の具を薄く水で溶いて、透明性を生かして絵画を描くという方法である。水彩画の透明な美しさを生かして描く表現方法だ。英国から始まった方法のようだ。これは水彩画の一つの使い方で全体ではない。

 この透明水彩の描き方の弱点は作者の意志の反映が弱くなると言うことである。対象を写実的に引き移すことに主眼が置かれ、描きながら作者の思想哲学を探求するという、芸術性はない場合が多い。そのことは逆から見れば、作品に作者の意志が画面に入らないので、安手の装飾品としては無難という意味でもある。

 私の場合では、水彩画は絵の具を厚く塗り込めた部分もあったほうが良いと考えている。描いた線に筆触残る方が良いと考えている。その上で、水彩絵の具の透明性も利用した方が良いことは当たり前だ。つまりあらゆる方法で水彩絵の具を使えば良いと考えるのが「私絵画」だ。

 日本透明水彩画会と言う水彩画のグループがある。この会の人で水彩人の同人という人も2人いる。だから決定的に何かが違うと言うことでも無いのだが、透明水彩とわざわざ会の名称にするくらいで、たぶんこの会には、不透明で色を塗り重ねるような水彩画はたぶん余りないのだろうかと思う。

 水彩人は基本水彩絵の具を使うと言うことが条件で、どのような使い方をしようともかまわない。できる限り自由であることが大事だと考えている。何でもやれるのが水彩絵の具だと思う。やりたいようにやればいいのが水彩人である。だから水彩人には様々な絵があるのだとおもう。

 水彩絵の具は子供にも取り組める材料である。紙に描くのが普通という意味でも、絵を描く材料としての手軽さは一番だろう。アクリル絵の具も便利なものではあるが、色が汚いのが弱点である。いわばプラステックの素材感は到底私には耐えられなかった。

 水彩の透明性を生かして描くと、とても美しい表現になる。その表面的な素材の美しさのために、その美しさの奥にある世界に進みがたくなる。最初に塗った色の美しさに引っ張られてしまい、浅い通俗的な世界に留まる作品が多く成るのはその性である。

 誰が描いたと言う事は無くなり、透明水彩画描法で描いたと言うことになっている作品になりがちだ。モミジを描くためにはこの手順で、薔薇を描くためにはこの手順で、こうした指導書が沢山でている。この考え方は、私絵画から言えば、絵を描く最も大切な部分を捨てていると言える。

 商品絵画の分野では、透明水彩の作品が多いのだろう。そうした絵画はあるスタイルを踏襲したものになっている。誰が描いたかよりも、装飾品としての意味が重視されている。巧みな手順で、巧みに描かれて居ればそのスタイルが絵画の意味になる。

 水彩人ではそうした描法で描く絵を水彩画の中心には置かない。水彩人は下手は絵の内と考えている。上手いは絵の外と考えている。上手そうに見えると言うことはむしろ恥ずべき事だと考えている。「なんだこりゃー」と言うのが芸術だ岡本太郎が叫んでいたが、その通りである。

 岡本太郎の作品はその主張とは裏腹にあまりに慎重で、様式で作られていると見えるが、書いている本は正しい芸術論に満ちている。「芸術は爆発だ」これもなかなかいい。縄文土器を見て「なんだこりゃー」と叫んだのだ。今縄文はブームであるが、岡本太郎に始まっているのだ。

 未だかつてないものに挑戦して行くことが芸術的行為である。ありがちな絵をなぞらえるようなものは、芸術作品とは言わない。この点を間違えてしまうと、違うところにはまり込んでしまう。だから水彩人は下手くそだというのは、素晴らしい褒め言葉だと考えている。

 お上手ですねでは、芸術にはならない。この点水彩画に対する世間の評価がおかしいのであえて書いてみた。プレパトというテレビ番組が悪いらしい。番組は見たことがないので分からないのだが、その問題点がウエッブで見てみてよく分かる。

 絵は人と競べるようなものではない。誰が一番上手い、などと言うことは無い。どこまでもその人であればそれでいい。その人の世界がどこまで深いかが問題なのだ。絵で見たいのはその人の世界なのだ。見たいほどの人間は滅多にいないわけだが。よく出来た水彩画が見たいわけではないのだ。

 プレパトのウエッブを見た範囲では、そこにあるのは技術だけである。写真を見て上手に移すことを基準にしている。こうした制作方法はマチガテもやらない方が良いことである。肝に銘じておかなければならない。絵を描くと言うことで一番大切な物が失われる。

 見て感動するという原点である。描きたいという思いの原点は、自分という人間が見て感動したものを、画面に表現すると言うことにある。見た対象を説明するのではなく、その場で起きた感動を表さなければならない。感動も何もない写真を見せられてこれを絵にしろというようなことは、絵を描く上で害になる。

 しかし、水彩画の異端は私の方であろう。わたしがおかしいと言うのが世間の見方なのだろう。そんなことはどうでも良いが、水彩画が誤解されて行くのは寂しい。水彩人にそうした絵が現われてきているのは残念である。水彩人は上手な絵を良い絵とはしていない。

 水彩画の探求をいよいよ真剣にやらなければならない。絵を描きたいのであれば、自分の世界観を持たなければならない。絵が悪いのはその人間が浅はかだからだ。これは自戒である。以前他の人にこのことを言って、この歳になって人間が悪いなどと言われるとは思わなかったと言われた。

 やはり本音で言えばそういうことにならざる得ない。中川一政の書は見たいが、代書屋の書いたものを見たいとは思わない。見たい水彩画は、みたい人間が描いた絵だ。まだまだである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第178 水彩画 日曜展示

2023-09-24 06:31:55 | 水彩画
 第178 水彩画 日曜展示







261「海」
2023,9中判全紙





262「のぼたん農園」
2023,9 中判全紙


 今週は2点のみになった。ちょっと情けないが、田植えの準備から田植えまで、農作業ばかりで、絵を描く時間が取れなかった。絵にとっても大事な時期だったので、描きたかったのだが描けなかった。それでも何とか描いたものを展示する。

 海だけを描いてみたいと思い描いた。どういうものかは分からないが、この後もう少し描いてみるかも知れない。海の色と空の色だけで形はなくてもおもしろい。あれが描ければと思い海を見ている。まだ見ているものにまで至らないような気がする。

 もう一枚はいつもののぼたん農園である。気合いを込めて描いてみようとした。空回りかも知れない。少し可能性はあるかも知れないと思って描いていた。相変わらずのようだ。ともかく継続してみるほかにやりようはない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトリエカーを少し変えた。

2023-09-22 04:25:16 | 水彩画

 アトリエカーの中を少し配置替えした。車に乗せてあった松本家具のライティングデスクは降ろした。代わりに、花梨でできた花台を絵を描く台として乗せた。なんでもいいようなものだが、やはり良い材料でできた感じの良いものがよい。この花梨の台は中国で作られたかなり古いものだと思われる。

  先日あった事故の体験で、車は少しでも軽い方が良いかと思ったのだ。アトリエの中には絵を描く為の最小限のものを乗せることにした。そして、時々使うぐらいの者は、機械小屋に下ろさせてもらった。絵の具とか筆である。何もなくなって絵が描きやすくなったかも知れない。

 絵を張り付けている画板も変えたいところだ。今はベニヤにペンキを塗っただけの簡単なものだ。春日部先生の真似である。大きさは中判全紙が描けるものである。その感じが良いと思い使ってきたのだが。もう一度上からペンキを塗ってもいいのだが、もう少し良い板にしても良いかもしれない。

 絵の前に置いてあるパレットは、中国製の硬質陶器のもだ。中国のアリババで取り寄せたもの。全部で15色である。大きい方がの皿が5つあって、これはニュートンのセットで木箱付きのものがあったので購入した。たぶん絵皿は中国製だろうかと思う。

 パレットはやはり白の硬質陶器製が使いやすい。今の15色で過不足はない。色が正確に見えるので、混色をする場合、間違いが無い。絵の具を溶かす広さも十分にあるので、使いやすい。堅牢なところも良い。手に持てないという意味では、アトリエカー向きだろう。

 チタニュームホワイト。セルレアンブルー。コバルトブルー。ウルトラマリンブルー。セピア。の5色が大きい方の皿に並んでいる。これらの大きな絵の具置きはパレットとして、その器の中で、絵の具を薄めながら使うことができる。青系統は大きな筆で使う事が多いので、その方が使い勝手が良い。

 下の方の絵皿は5色入れられる物が2つで10色。右から、ビリジャン。コバルトグリーン。コバルトターコーズブルー。コバルトバイオレット。オウレオリン。カドニュームイエローレモン。カドミュームイエロー。イエローオカー。カドミュームレッド。ローズマダー。

 この陶器製の絵の具置きに、15色をチューブから絵の具を出しておく。色に関しては他の色もたぶん全色一応は持ってはいるのだが、使う事はないので堅くなっているものもある。全部をまとめて木製の自作した蓋が被せられるようになっている。描き終われば必ず蓋をしている。

 大量の予備の絵の具は機械小屋のライフィングテーブルに入れてある。筆もその中にある。これが結構重いものであった。パステルや油彩絵の具などもこのテーブルの中に保存してある。ひとまとめにしてあるので探すことは用意である。

 水入れはやはり中国製の硬質陶器である。2つに分かれている。これは世田谷学園で指導していた時に使っていたものだ。アクリル画で使っていた。大小二つあるのだが、小田原に大きい方が存、石垣島の者はは小さい方だ。大きい方は小田原で使っている。この水入れが一番使いやすい。忘れて水を入れたまま家に帰ってもこぼれることがない。

 左側に筆置きがあり、25本置ける。コリンスキーのものと、太めの清晨堂の隈取筆。昔は上野の池之端にあった不朽堂の宮内さんの作られた隈取筆の太いものが好きだった。今の清晨堂は宮内さんの息子さんがやっているのかとおもう。清晨堂には水彩人という筆があるが、残念ながら私には合わない。繊細過ぎて、野性味が足りない。使い込めばいいのかもしれないが。

 コリンスキーの筆と、隈取筆と調子が違う訳だが、両方を使って描くことが多い。意識しているわけではないが、手がその時に描きよいと感じて選ぶことにしたがっている程度だ。あまり気にはしていないが、直に指で描いてイルカのように、どこにも滞りがないような自由に描けるものが良い。

 隈取り筆の方が筆触は心地よい。太い白雲を使うことが多い。コリンスキーの筆の方が水の含みが良い。これも太いほど使いよい。穂は短い短穂と呼ばれる物がよい。しかし、コリンスキーの場合は穂が長くても腰が強いので、使いやすいのかもしれない。

 花台の上には滑り止めのゴムの薄いマットが引いてある。その上のタオルがある。これで車の運転の揺れくらいでは、物が転げ落ちることはない。欲水を捨てないでそのままにしているが、水がこぼれていることもない。かなり安全運転の方なのだろう。

 床の絨毯も変えた。ペルシャ ギャッベ である。貰った物だ。絵を描くには少しもったいない物だが、気分良く描けるならそれも良いと思い使っている。やはり気分が良い。肌触りが良いのだろう。絨毯の下にはギンのシートの貼られたスポンジシートが敷き詰めてある。

 窓は開きにくくなっていた。窓枠が歪んだのではなく、鍵が壊れていたのだ。事故の衝撃でアルミサッシの窓の鍵が曲がってしまったのだ。そのために窓が自由に開け閉めできなくなっていたのを、自分で直す事ができた。取り替えないでも曲げを治したらば使えた。

 絵の方は少し苦労している。なかなか進まない。この調子では日々の一枚とはいかないだろう。描いてはいるのだが、なかなか絵がこれで良しとは成らない。少し絵の数は減りそうである。田植えと稲刈りが終わるまでは仕方がないのかも知れない。

 これからは午前中はのぼたん農園に居て、午後は外に描きに行く予定である。どうも一カ所に留まっているのまだ石垣島も描いていない場所が多い。まだ石垣島も描いていない場所が多い。新しい場所を描いてみたくなっている。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水彩人のこれから

2023-09-18 04:09:31 | 水彩画



 水彩人展は無事終了した。心底良かった。今日これから石垣島に帰る。担当の展示に関しても割合評判は良かった。充実した2週間であった。毎日通ったのだが、特に疲れたという事はなかった。会の絵の内容はまだまだなのだろうが、今やれることは精一杯できたと思う。

 まだ正式決定ではないが、次は相模原での展覧会という事になる。良い展覧会になってほしい。水彩人展は年2回の開催が会則で決まっている。何とかどこかで展覧会をやらなければならないということで、相談しながら会場を探した。たまたま昨日までそこで展覧会をしていたという、松田さんがいたので、相模原の市民ギャラリーに問い合わせたなら、6月末に会場が空いているので使えるという事になった。

 水彩人では地方展係で、奈良で開催するためにいろいろ進めてきた。奈良の同人に石川のうるわし展の時に相談して、進めてみようとなっていた。いつも地方展を協力してくれる人たちと、代表や事務局に相談して、ほぼいけるだろうという事で進めた。

 ところがその場所が奈良でも飛鳥の方なので、やる価値がないという意見の人が現れた。なんで笹村が独断で進めるのだと批判が出た。総会で決められたことではないのだから、総会で了解を経てから進めて欲しいという事だつた。もっともなことなので、奈良展は止めることにした。総会は1月である。そこでの承認を待って進めるとすれば、来年の開催は不可能なので止めるほかない。

 水彩人は52名である。展覧会をやるとすれば、かなり広い会場が必要になる。そうした会場の多くは一年前には予約をしなければならない。そうだとすると、2年先の地方展あるいは小品展を上野の本展の機会に打ち合わせをして、おおよそを決めていかなければ開催が難しい。

 そして総会までに借りられるめどを立てて提案することになる。しかし、抽選に外れれば、その年は開催が出来ない事にもなる。巡回展を定期的に同じ場所で行っている会は、新しい場所を借りるという事がないので、割合安定して開催して行けるのだろう。

 これが正しい進め方だとしても、いったい誰が上手くやれるのだろうかと心配になった。正直、石垣島にいる私が、奈良に行き打ち合わせをして進めるのだから、なかなか調整が難しく、上手く進めることには限界がある。たぶん異論がある中で進めるのでは面倒くさくなってしまうだろう。

 できる人がいるとすれば、やはりその地方の人である。福岡県の人が2年先の福岡展を準備して提案するという事なら、可能なのかもしれない。ところが現状地方在住の方からそういう提案が上がらない。これから募集して、2年先の計画を立てたい。

 開催したいという提案が上がらないから、そのまま待っているという訳には地方展係としてはいかない。開催に向けて努力してゆく必要がある。地方展の目的は水彩人の水彩画研究の為である。新しい仲間の発掘である。講習会を行い。水彩人の水彩画の在り方を伝えてゆく必要がある。

 これは地方展や小品展だけの問題ではない。東京近郊に暮らしている人は、本展の準備に大変な努力をしてくれている。その努力のおかげで、本展は成立している。そのことを考えたならば、地方在住の仲間が、地方展を準備に努力をすべきだろう。今の所それが実現されているのは、金沢のうるわし展だけである。

 水彩人の場合、民主主義的運営が会則で決まっている。前出の地方展の話でも、一人でもおかしいという意見が上がれば、やる気がそがれてしまい終わりになる。別段誰にも義務がある訳ではない。会の為と思い努力しているだけのことだから、みんなが喜んでくれるから努力も出来る訳だ。

 組織の中にはみんなを黙らせてしまう人がいる。水彩人にもそれなりにそういう人がいる。私ももしかしたらそうかもしれないと思い、書き始めた。簡単に言えば、問題点が良く見える人だ。どのようなことも必ず良いことと悪いことはある。どこまでも比較の問題である。

 良い組織は全員がその組織を作り上げている一人であると考えて行動できる組織だ。そうなるためにはその組織が自由で民主的な運営がされていることである。こうした仕組みは大変面倒くさいものだ。独裁組織はその点早い。良いことも早いが、当然悪いことも早い。

 なぜ労力をかけて展覧会を開催するのか。それは絵は一人では研究できないと考えているからだ。仲間と一緒に研究して初めて自分の立ち位置が分かるものだ。それは座禅を一人でやってはならないという事と同じだ。独善に至るのだ。そういう人を沢山見てきた。絵は描くだけなら一人で出来るから、おかしなところに落ち込んでしまう絵描きは多い。

 公募展に出していれば、いいかと言えばそれもまた違う。今の日本の公募展の絵は、私には大半は絵にはみえない。何なのであろうか。奇妙奇天烈な不思議な絵らしきものだ。ああした絵は展覧会が終われば、廃棄処分する以外方法もないのではないだろうか。公募展向きの絵画と言われるものがあるらしい。

 そうした公募展向き絵画の指導塾もあるらしい。私には理解しがたいことだ。各公募展の絵の雑誌が事務所にあったので、じっくり見せてもらった。私が絵だと思えたものは発見できなかった。つまり、私がおかしくなっているか。公募展がおかしいのか。どちらかなのだろう。

 その公募展中では唯一水彩人展は絵を描こうという会に見えた。水彩人は下手の集まりだと言われているそうだが、なるほどこういう事なのかと今頃になってわかった。水彩人展は公募展向きの絵画を良しとしていないのだ。私の絵はまさに平凡な風景画である。上手くもないし、特別な特徴もない。自分の世界を探求している絵だ。

 多勢に無勢であるが、水彩人に独自性はあると言えるが、下手だと言われればその通りである。そのようになる理由は民主的運営にもある。下手だからダメだとはだれも言わない。水彩人以外に、その様なことを会則で決めた会はないだろう。大抵の公募展は独裁型運営であるのだろう。雑誌に載っている絵が威圧的に見えた。

 今回来年6月に「水彩人相模原展」を開催することがほぼ決まった。相模原の駅ビル4階の市民ギャラリーである。ほぼ決まったのは、都美術館での本展で会う人に話して、会えた人すべての人から了解を得たから暫定的に進めていることになる。確かに総会を経なけば決定ではないと言えばそうである。最終決定は1月の総会になる。まあその時に異論が出ても、会場を借りてお金も払っている。どうなるのだろうか。民主主義は難しい。

 中判全紙2点を出すことにしたい。場合によっては3点。今度こそよそよそしく無い絵を出したい。内的であり、親密な絵を出した。突き放した絵にしてはダメだと今は思っている。すでに、気持ちは次の展覧会に進んでいる。意欲が湧いているのは、水彩人展のお陰だ。
 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第177 水彩画 日曜展示

2023-09-17 04:01:07 | 水彩画
第177 水彩画 日曜展示

10号前後の作品です。






254「妙高山紅葉」
2023,9








255「佐渡の漁港」
2023,9








256「佐渡の入り江」
2023.9








257「青梅の公園」
2023.9








258「屋良部岳」
2023.9








259「蓼科山」
2023.9








260「黒姫山高原」
2023.9


 展覧会の会期中ではあるが、絵を描くことは続けたいと思っている。こうして描いている。いろいろ学んだはずなのに、そういつもと変わるものではない。もう少しいたら、上野公園の絵が描けるかもしれない。毎朝、都美術館に通いながら写生をしている。

 絵にまとまるためには時間がかかる。公園には大木がある。1mもの太さのある木だ。その木のあいだから、公園の賑わいが見える。台日一緒っフェスティバルが行われている。この様子を描いてみたい。毎日少しづつ、記憶を絵に貯めている。

 上野公園では以前写生会をやったことがある。これがなかなか良かったのだ。絵になる場所なのだ。ただ、今は上野公園は管理がうるさいので、描くことができるのかどうかはわからない。最近では絵を描くことが禁止されている公園があるのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25回水彩人展で学んだこと

2023-09-16 04:34:50 | 水彩画

 石垣島を出たところ。

 水彩人展の会場にいる。審査日を含めれば、2週間もみんなの絵を何度も繰り返し見ている。会場で自分の絵は何なのか。どんな状態なのかと思い見ている。家で見ているとは違う。自分の絵が少しよそよそしいことに気付いた。何故なのだろうか。「私絵画」がよそよそしいのでは、まずい。

 自分の絵の中から作為的なものを除いてきた。絵作りするような気持ちを失くそうとしてきた。その結果何かが変わった。ある意味作為的なものが、私を表す何かのようであったのかもしれないと考えた。それを失くすということは、自分の人に見せているような側面が消えるということなのかもしれない。

 人間はなかなかややこしい。自分を消してゆくということと、自分を表現してゆくことは、裏腹なもののように見えて、同じく意図的なことなのだろう。どうすれば、小脳的な描き方にまで行けるのか。あるがままに描いて、自分に至るにはどうすれば、いいのか。

 もう一度反省して、絵を描く原点に戻る必要がある気がしてきた。描きたいという感動した原点に戻る必要があるようだ。感動をしていないのに描いていてはだめだ。日々の一枚にただ従って描いているだけでは、いけないのかもしれない。毎日描くのはいいのだろうが、その毎日に感動が薄れてきたのではだめだ。

 只管打画ひたすらに描く。描くことに心と体が一致する。描く手と描く心が一致するということ。ボーとして意識があいまいになっているとは違う。感動に包まれて、我も忘れて描くことに没入している状態であろう。この点がおろそかになっていたのかもしれない。

 絵を描くことが習慣化して、感動が薄れていたのかもしれない。その為に絵がよそよそしく他人事化してきている。もう一度風景を見て、感動するという原点に立ち返らなければならない。感動がないのに絵を描いたところで意味がない。日々の一枚にこだわりすぎたのかもしれない。貴重な水彩人展であった。

 水彩人では次の小品展の会場を模索していたのだが、今回相模原市民ギャラリーが候補に挙がった。6月末が借りられそうなのだ。一人20号2点づつ飾れる会場である。松田さんが先週までここで相模原芸術協会の展覧会でここを使っていたのだ。良い会場ということで借りられるならと候補に挙がった。

 水彩人展では毎年上野での本展ともう一つ小品展が行われることが決められている。小品展は昨年は松任のうるわしで行われた。今年もどこか地方で出来ないかと模索していたのだが、今回相模原市民ギャラリーで行う方向で、検討されることになった。

 この展覧会を地方展係としてやるのか、小品展の開催部会を作りやるのか、まだ決まっていないが、やれることはやりたいと思っている。相模原なら、小田原から通える範囲なので、あまり心配がない。一番早い電車であれば、1時間かからない。

 もし開催できるならば、この機会はよい目標になる。6月末までに、一新した絵を展示するつもりで頑張りたいと思う。水彩人という仲間がいて本気で絵の表現ができる場がある。このことは幸せなことだ。もし水彩人という場がなかったならば、すぐに自分の位置を見失う。

 絵は一人で描けるが、自分の絵は一人では探せない。今回の水彩人展はそのことを気づかせてもらえる良い機会であった。たぶん昨日、栗原さんと疋田さんが会場で絵の話がしたいといわれたのは、私の絵に問題があるということだったのだと思う。

 直接の言葉は聞けなかったが、十分にそのおかしいとされる意味は理解できた。本気で心配してくれる仲間がいるということはありがたい、素晴らしいことだ。年を取ると頑固になり、方向がおかしくなる。絵が衰える。できる限り謙虚に人の話が聞けるようでありたい。

 水彩人展の今年の傾向として、絵の「場」があいまいな作品が10点ほどあった。花の絵を描いて居るのに、花以外は一色で塗られているような絵だ。ボタニカルアートのように見える。静物画でも描かれた物以外は、ほぼ一色で描くような絵だ。

 確かに水彩画の最近の指導書やテレビのプレパトの水彩画ではそういう安易なイラストを水彩絵の具で描いて、水彩画であるとしているらしい。これは危険な傾向である。去年まではしっかりとした場のある絵を描いて居た人が、安易な水彩画の手順書スタイルを取り入れてしまった人がいる。

 そういうきれいごとの絵を絵と考えるのであれば、上手な絵を評価する他の絵の会に出してもらえばいい。そういう絵画団体もいくつかある。絵はどれほど上手に描かれていたとしても、その人の世界が表現されていなければ、絵とは考えない。下手は絵の内、上手いは絵の外。

 最近悪貨が良貨を駆逐するように、見栄えだけの手順に従い、きれいな絵を描く、表面的な絵が出てきたことは、日本人の劣化だと思っている。時代が弱まるとこういうことになる。即物的なわかりやすいものしか理解できなくなるのだ。世界の絵画の歴史を見れば、社会の衰退と、クソリアリズムの出現は連動している。

 日本の社会は芸術行為とは何かを見失い始めている。精神のない芸術などあり得ない。自己表現が芸術の基本だ。装飾絵画は芸術ではない。きれいにできていて何が悪いのかという人がいる。そう反論した人が会場でも何人かいた。
きれいな絵がいいのであれば、水彩人ではないだろう。水彩人の考え方は設立時の声明文に出ている通りである。

 塗り絵のように手順を覚えて、システムで進めて、一見の見栄えの良い絵が短時間でできれば、それでよかったという世界は困るのだ。確かにそうした安易な絵が売れる絵の時代にになっている。これは資本主義末期の商品絵画の時代ということだ。芸術の崇高な精神が弱まったことによる反映なのだと思う。

 せっかく絵を描くのであれば、精神の仕事にしたい。制作する人間が絵に現れるようなものにしたい。どこの誰が描いたかと言えば、指導書の先生が描いた絵の物まねというのでは、情けないと思う。一見きれいな絵ができたところで、そんな安手の絵を自分の生活空間に飾ることは恥だと思わなければならない。

 そんな絵画のある人の暮らしは精神的な喜びが衰退する。芸術はそう簡単なことではない。これは自己反省である。他人ごとではない。石垣島に戻り、新たな気持ちで絵を描いてみたいと思う。感動から始まる絵。自分というものと対峙する絵。自分の精神を深めてゆく制作。人の振り見て我が振り直せ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生成AIと絵画の未来

2023-09-14 04:34:44 | 水彩画


 生成AIが登場して、絵画は写真が登場した時よりも、大きな影響を受けると思う。今のところ、画像的な範囲であるが、マチュエールや墨絵のような筆遣いも再現されるようになるに違いない。すでにできるのかもしれない。技術が進展して絵画は変わると、絵を始めた60年前に主張していた。

 次の時代における意味ある絵画制作は何かと考えて、絵を描いてきた。複製画の問題を中心に考えていた。ダビンチや雪舟と自分の絵を、同時現に並べて考えなければならないというようになることだった。今制作するということの意味を重視しないとならない。

 そして、生成AIが現れて、過去の絵画と同列になるどころか、未来の絵画とまで同列に考えなければならないような奇妙な時代になった。人間の技量をはるかに超えて、誰もがアイデアだけで、AI的に制作してしまう時代になったということになる。

 絵画を制作するということに技術が意味がなくなる。写真的写実絵画はすでに無意味化しているのだろう。すごい技量だということで、驚かされるということがなくなる。機械に匹敵するほどの技量があるということなど、そもそも無意味なことなのだ。

 絵にしたいものさえあれば、言葉で生成AIに命令することで絵ができてくる時代が来ている。手仕事的な意味合いは失われる。職人的絵画の消滅になる。こうしたことは、想像60年前にも想像できることだった。にもかかわらず、そういう絵画を志す人が多いいことに、人間の愚かさを感じ続けてきた。

 絵画の存在意義は、描くという行為と想像するという脳の働きに集約されていく。私が長年主張してきた、「私絵画」だけが残ってゆくということだ。芸術の問題は、人間の内部のことだけになってゆく。それは当然のことであり、芸術は人間にとってどういう意味があるのか。ということなのだ。

 人間は生まれてきて死んでゆく。いつか人類も消滅する。人間が作り出したものも、すべて消滅する。その中で、人間一人一人が100年前後の命をもらい、活動をする。人間には知能が存在し、その100年をいかに充実したものとして生きるのかと模索する。

 その模索の中に、芸術的行為がある。同じく科学や宗教や哲学もある。人間の為の科学ということが言われる。人間の思いは、より充実した生命の輝きだろう。生きて悔いのない人生を送るということだろう。そして、絵画を描くという行為に生きる充実を感ずる人もいる。

 描かれた絵がAIの描く絵よりどれだけ見劣りしようとも、描く人間の行為だけは代替はできない。じぶんのAIよりは劣る頭脳を用いるにしても、描く充実の体感だけは残る。自分が生きることを見つめる手段として、描くという行為の意味は問われ続けるはずだ。

 絵を描くという手の行為が、脳の活動と連動する。私は小脳的行為と呼んでいるのだが、それは実感としてはよくわかってはいないことなのだが、何か重要な意味があると感じている。太極拳の体験を事例としてあげれば、まず毎日一時間の太極拳を1年間続けると、記憶能力の低い私でも、太極拳を覚えることができた。

 次の一年間は太極拳を忘れてる努力を行った。毎日思い出さないでも、身体が自然に動くまでにはまた一年が経過した。そして、3年目にただ太極拳をしているだけなった。思い出しながら太極拳を行うのではなく、歩いているように太極拳の流れに従うことができるようになる。

 これを進めてゆくと、美しい太極拳に至る。見る人にもこの達人の動きから、発している力を感じるようになる。その時には大脳でなく、小脳で動いている。弓の名人が弓を見てこれは何に使う道具なのかと不思議に思ったという領域に進む。

 私絵画として絵を考えてみれば、意識して描くということは絵を覚えるという年限であろう。私の場合、この期間は10歳くらいから、40歳くらいまでであった。絵に関するあらゆる学習を行った30年であった。そして、それからの30年、無意識に絵が描けるようになった30年である。

 そして、70からの30年はこの筆は何に使うものですかというところに向かう、30年ではないかと思っている。まだ筆は絵を描くものだということは認識している。しかし、絵を描く方法とか。良い絵とか。そういうものはだいぶ忘れてきた。

 はたから見ればだいぶぼけてきたわけだ。ボケたならばボケたで結構だと思っている。ただ自分の行為としての描くという行為に重きを置きたい。只管打画である。何かに向かうのではなく、描くという行為自体にすべてがあるとする。描くことの結果に何も求めない。

 ただ、そこに現れた絵に、じぶんの修行の置かれた状況が見えるということではないかと考えている。私の場合で見れば、いまだ邪念が強い。捨てたい捨てたいという、つまらない考えが漂っていて、すがすがしさがない。乞食禅の兆候である。

 どこから来て、どこに行くのか。この生きるという瞬間を絵を描くという行為の充実で埋めたいということになる。まだまだこれでは終われない。本当の充実がないということを絵が示している。まだまだダメだと分かることが、絵を描くありがたさだ。

 ダメでもいいじゃん。ダメだと認識して、日々精進である。日々の一枚である。格別なことはないのだが、絵がわずかな深まり見せていると、見ている。人にはどう見えるかはわからない。またどう見えるにしても、そうですかとできる限り素直に受け入れて進もうと思っている。

 それが水彩人での活動だと思っている。一人での修業は危険だ。どこに陥るかわからない。思い詰めることは危険だと思う。だから、同じ志の仲間が必要なのだ。水彩人があってありがたいと思う。大勢の中に並べてみてわかることがある。

 生成AIに置き換わるだろう仕事がある。多くの絵画がそうだともいえる。絵画の画面を通して作者の見えない作品だ。作者の人間が問題になる制作こそ、これからの時代の芸術としての絵画ではないだろうか。世界は混とん化している。苦しい時代の中で、描くという行為に自分の存在確認をするということだろう。

 水彩人がそうした私絵画の方向の組織であるとは、言えない。水彩人展でもかなりの作品が、制作者が見えない作品である。こうした状況を生成AIは変えてくれるかもしれない。機械のように正確なために、写真のように正確なために、あるいは水彩画の手順書に従って描いたかのような作品。が徐々に淘汰されることだろう。

 絵を描くとは何か。これがAI絵画の登場で問われている。「私絵画の時代」が来るということだろう。人間は人間らしい行為である芸術行為を行う。そのことに絵を描くことが、段々に移行している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水彩人展開催中

2023-09-13 03:58:52 | 水彩画


 水彩人展が開催されている。今までで一番興味深い展覧会になっていると思う。精一杯準備した結果なので、充実した気持ちでいる。そうはいっても、会場にいるとああすればよかった。あそこは気になるなといろいろあるのだが、次の機会のことになる。

 それにしても、水彩人という絵を描く仲間が、うねりくねり、よくここまで来たものである。みんなが言いたい放題だから、もめてばかりである。意見も違う。様々に自己主張が強すぎる上に違う。しかも絵を描く人は外で仕事をしたことがないから社会性がない。

 水彩人展は自由に平等に意見を述べる約束である。民主主義的運営を会則で決めた会である。最初は戸惑う人もいるが、だんだん民主主義の自由と義務に気付くことになる。発言する以上、やらなければならない。こうすべきだということは、その実践が必要になる。

 民主主義は手間暇ばかりかかり、意見の一致はなかなかない。少数意見も尊重して、多数決では決められないことばかりだ。しかし、その結果は水彩人展に表現されていると思う。25回記念展で絵が良くなったひとがいる。それだけは間違いのない成果だ。

 ただそのよくなってきたというのは世間的な意味ではない。あくまで水彩人的な感想である。「外」に向かって切り開こうとする姿勢よりも、むしろ「内」に向かっての探求である。 会を作った時の声明文で宣言をしている。

 やはりそのよくなってきたという絵を今年の入選作品から、実際の作品をもとに、見てみたい。勝手に写真を使わせてもらいます。お許しください。
 

 青山さんという19歳の人の作品である。初出品である。素晴らしい人が出てきたものだ。新しい才能の出現である。水彩画の微妙な表現が、その薄めの重色で作られている。レモンの切り口など、やろうとしてもできるものではない。本人だってもう一度はできないかもしれない。

 コップの形もおかしいといえばおかしい。しかし、面白いといえばこの上ない世界に引き込まれ始める。こんな下手で魅力あるコップをほかの誰も描けない。と思ってしまう。最も絵において大切な、作者の眼がある。その目には青春地獄の苦しい重さも含んでいる。それは、思入れが過ぎるのか。

 そう思ってもう一度見ても、深い悲しみのようなものが漂っている。一番上にあり、一番重たい赤いケトル。いわゆる上手い絵を目指すのであれば、絵としてはこれでは困るだろう。こんなところにこんなものを置いて、しかも左側には窓だ。

 絵はだめでいいのだ。むしろだめだからいいのだ。絵は肝心な、存在という大切なものを抑えれば、あとのことはいい。この人は確かに生きている存在ということを、絵の上で示している。そう説得されてしまつた。こうした人が現れるだけでやってきた喜びが湧いてくる。

 



 大坪さんの8号の小品。何故この絵が選ばれて、私の良く描けた30号の絵が選ばれないのだと。きっと怒る人がいそうだ。この絵が選ばれるところに、水彩人の絵の見方がある。この絵よりうまく描けるという人はいくらでもいるはずだ。しかし、こんなに芸術的地味にあふれた作品はめったにいない。

 咲いている花は赤いチューリップだろうか。大木に比べて大きい。確かに雑と言えば雑な描き方である。しかし、よくよく見れば、ただものではない雑なのだ。花の大きな変化の中に、こうでなければいけないチューリップなのだという必然がある。

 大きな2本の松の木は、松には見えないが、ともかく大木が堂々と並んで立っている。素朴に見えてそうではない、実は作者はこの木の描き方は入念なのだ。その作意が見えてこないというところに作者の資質があるに違いない。強く立ちはだかる木の間に、家がたたずむ。この家がまたいいではないか。

 想像を膨らませれば、まるで詩人の家である。静かで、ちょっと悲しい家である。一度訪ねて、窓の外からその詩の朗読が聞こえているのか確かめたくなる。この作者はきっと、この絵を公募展を意図して描いたものではないのだろう。こういう絵は日常の中からふと、あふれ出てきたものに違いない。



 金澤さんである。昨年もいい絵を出されていた。文句なくすごい絵である。それこそ詩人が描いた絵だ。生まれながらの詩人である。努力して詩人にはなれない。天性である。生き方が詩人なのだろう。詩人にはいたたまれない時代だから、大丈夫かと心配になるが、老爺心。

 詩が絵に現れるためには技術が必要である。水彩という方法は、詩を表現するためには向いて居る方法だと思う。詩情があふれ出てきて、流されかねないところがあるのが水彩画である。ところがこの人の繊細な表現法は、実に配慮が行き届いている。震えている線描が無造作で、しかも繊細に置かれている。

 深い色の調和が絶妙である。このブルーの輝きを見せるためには、実に多くの抑えられた仕掛けが隠されている。こうした細やかな配慮はそうしなければいられない、感性の持ち主だからこそできることだなのだろう。全く自然でわざとらしさが完全に抑えられている。





 昨年も同じことを思ったのだが、高見さんは絵というものを良く知っている。絵の意味が十分に分かっている。昨年はどちらかと言えば、名画を思わせた。今回の絵は明るく、晴れやかである。おしゃれな雰囲気の絵だ。この室内の空気の明るさの中に、作者以外には表現できないものがある。

 花のある暮らしである。もしかしたら、プロパンガスのタンクが置かれている。郊外の小さな家なのかもしれない。窓から見える明るい空の色も、のどかで静かである。あの空の下には青い海が広がっているのかもしれない。物語がある絵なのだ。

 こんな絵が描ける人がうらやましい限りである。絵は生まれてくるもののなのだ。制作するといっても、作者は天使の声を橋渡しをしているだけだ。何かに従って絵が降はてくる。その絵を受け止めることが出来さえすればいい。

 こんな絵を見せられると、わたしのように、苦心ばかりして、学習して、制作する絵画の限界を感じる。毎日この方々の絵に接することで、心が現れる。自分もいつかこんな風に描ける日がくればと思う。そう心底思うのだが、実はこの方々どんなに苦心されて描いているかということも、わかってはいるのだ。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第177 水彩画 日曜展示

2023-09-11 04:09:11 | 水彩画
第177 水彩画 日曜展示 
日曜展示が月曜にずれてしまった。上野の都美術館の中庭で撮影したものだ。
10号前後の作品である。








348「佐渡の港」
2023.9







349「佐渡のいけす」
2023.9







350「飯盛山秋」
2023.9








351「桂林の公園」
2023.9








352「樹木」
2023.9








253「戸隠山」
2023.9






 今回は水彩人展の準備に小田原に来ていて、絵を描く時間が取れた時に描いた絵である。沢山の水彩画を見て、そこから押し寄せてくるものをうけとめながらの制作であった。すごい刺激があったので、自分が変わるのかどうかと思ったは、変わらないものだと描いていた。

 会場で自分のために描いている絵がどれかと思いながら見ていた。そういう絵がだんだん増えてきている。みんなの絵をその人の内なるものとのつながりだけで見た。いかにもありそうに見せかけている絵が多い。その人の体質のようなものからにじみ出た絵は心にしみる。

 私の絵はそこまで行っていない。自分と向かい合って描いていることだけは確かなのだが、何かまだ絵空事だ。自分に何もなければ、何もないように描けるはずだ。ありげに描くことが一番怖い。ただ自然に小脳的に描くことを目指したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

25回水彩人展 展示が終わった感想

2023-09-10 04:31:54 | 水彩画


 水彩人展の展示が何とか無事終わり、一息ついた。8室あり、100人以上の絵を見やすい良い状態で飾るというのは、何度やっても難しさに変わりがない。今回は会場を大きく変えたので、どういう結果になるか、気がかりなことが多かった。

 それでも、予定通り2時までにはすべての陳列が終わり、2時から会員の作品の講評が行われた。水彩人では規約で批評会を行うことが決まっている。例年展示が終わった後、その場にいる会員の批評会が行われる。どういう段取りだったのか、私が進行係になってしまった。

 展示のことですべての力を出し切っていたので、まさか次の批評会までやるとは思いもよらなかった。展示の反省もその場ではできずに訳の分からないまま、会員の作品評に入った。そのつもりで会員の作品を見ていなかったので、ぶっつけ本番は良くなかった。間違ったことを言ってしまったかもしれない、申し訳ない。

 予定通り、2時前に会場のオープン点検というものを行った。都美術館の係りの方に、会場の展示で違反がないか見てもらうわけだ。以前あった事例では、政治的に問題がある作品があれば、展示させてはならないので撤去させるなどということになる。あいちトリエンナーレで問題化したようなことだ。

 最近話題になったことは、著作権の問題である。今回は会員の方がウルトラマンが山になっている面白い作品を出品した。これが著作権に問題があるのではないかということになった。作者に相談したうえで非展示ということになった。調べてみるとやはりまずいことらしい。

 ゴミが落ちているのもいけない。どこか汚したところがないかもチェックされる。点検中は展示を担当しているアートラインの方と、水彩人の担当以外は会場から出なければならない。展示係としては、落ちがないようにあれこれ気をつける必要がある。

 点検は無事終了ということになった。そこから引き続き、会員の批評会が始まった。この引き続きがまずかったが仕方がない。15人くらい会員がいた。そのほか同人もかなり参加していて、30人くらいで行った。オープン点検が終わって、続けて会員批評会を始めますといったのがいけなかった。

 一休みしたかったのだ。ところが誰も批評会を取り仕切る人が居ない。結局仕方がないので、引き続き進行係をやるきゃない。で突然批評会である。これはひどく疲れた。描いた人も命がけかもしれないが、作品評は本気である。ある意味命がけといってもいい。その人が良くなるための意見を本音で発言しなければならない。それが水彩人の約束である。

 進行係に行き掛かり上なってしまい、誰からの意見もない場合、発言せざる得ない。良くないと感じていたら、良くないと分かるように意見を発言しなければならない。ここがいいという意見は、影響が強いので、危険なことがあるものだ。誰からも発言がないので、ついつい発言をしていた。

 命を削って、ああ苦しかった。できれば、改めてブログに掲載したいと思うが、公開するのはやはり差しさわりがあるか。ブログの難しいところである。良いところだけ書くなら問題がないのだが、そうもいかないだろうからやめた方が無難かも。

 終わって事務所に行くと、事務所では目録制作でてんてこ舞いである。みんなで目録に印刷物を挟んでいる。これでは批評会のほうが、誰も進行係が居ないのも仕方がない。去年までは目録制作の担当のほうだったので、批評会の状況を知らなかったのだ。申し訳ないことだった。人間ついつい自分だけが大変だと思ってしまう。

 あっという間に5時である。もう都美館から出なければならない時間だという。5時半のはずが、5時と決めたらしい。5時は会場の終わりで、5時半が事務室の終わりだったはずだ。終わるときには、確か終わりの音楽が鳴り、5時半に真っ暗になる。

 この日は遠くからきてくれている人が居る。めったに会えないのだから、この機会に夕食ぐらい一緒に食べたい。どうせ、どこかで食べるのだから、みんなで食べたほうが楽しい。駅のそばの中華料理の店でみんなで食べておいしかった。

 久しぶりで会う人と、食べながらの今年の展覧会の話になった。おおむね会場の飾り方は好評だった。1室と4室は評判が良く、小品室の2,3番については今一つだった。やっぱり、公募展を見る目というのは、大作主義ということかもしれない。会場が天井が高いということもあり、小品が居心地が悪そうだ。

 都美術館という器自体が、大作向きなのだ。すでに日本の美術水準の停滞が現れているのだろう。新しくできた、国立美術館が似たようなものなのだから、美術界の会場に対する意識がこの程度ということで、恥ずかしいが仕方がない。

 これだから絵が停滞したともいえる。あの穴あきボードでは、小品は影響を受けてしまう。そういう意味でも、松任の「うるわし」の展覧会はなかなか良かったのだ。こんな展示をいつまでもしているのは、日本だけなのかもしれない。このおかしさに気づく人はいるのだろうか。

 水彩人展では毎年行うことが決まっている小品展を行わなければならない。それが水彩人の水準をあげることになる。小品展係が居ないということも問題なのだろう。東京で小品展ができないのであれば、地方展係として地方で小品展を企画することで、穴を埋めてゆく必要がある。

 奈良から関さんが出てきてくれていた。奈良での展覧会の企画ができればと資料を持ってきてくれていた。10月2日に奈良に行き下見をすることになっている。奈良でやるのであれば、京都の浅田さんにも協力をお願いしなければならない。多分出てくるだろうから、そのあたりのことを聞いてみたい。

 みんなが投票で選んだ1室の作家はさすがに頑張って、素晴らしい絵を描いてくれた。今回の企画の一番の成果だろう。水彩人がどこを目指しているのかを、示している。反対もあったのだが、無理をしてこの部屋を作った甲斐があった。今回の水彩人展の花の場になっている。

 また、大作室の考え方もよかったと思う。水彩画としては、大きい絵だけ集めたことが、良い結果になっている。大きい絵は大きい部屋で大きい絵だけで見たほうがいい。隙間があるからといって、小さい絵が混ざると何かおかしなものになる。

 その意味で一人の人が大作と小品を出すことがままある。これは大抵の場合相互に打ち消しあっている。自分の頭の中では成立しているのだろうが、会場で並べるとおかしなものにになりがちである。まさに会場向き作品のつもりであろうが、絵画ではない。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水彩人展,展示日

2023-09-09 04:16:59 | 水彩画




 水彩人展はいよいよ明日始まる。今日は東京都美術館で9時30分から展示である。舟原の家を出たところにバス停がある。6時30分のバスに乗れば、8時30分には上野につく。寝坊をしたら、7時30分のバスで行き、新幹線で行けば間に合う。朝食を上野駅で食べる。お弁当を買って、美術館に向かえば、ちょうど展示の準備が始まるはずだ。

 今回は展示係なので、ここまで準備を進めてきた。よい展示になるように、万全を期して進めてきたつもりだ。同人会員で52人の137作品が並ぶ。そこに応募作品が、52点並ぶことになる。189点の作品がそれぞれに輝くように並べたい。

 全国から集まった水彩の仲間の絵が並ぶことになる。間違いなく世界で、一番多様な水彩画が並ぶはずだ。水彩画の未来とはどんな世界なのか、水彩人にその方角が見えればいいと思っている。それぞれに水彩画を探求した作品であることは間違いがない。

 今回は1室は、水彩人の同人会員がを投票を行い、選らばれた人が1室に作品を並べる。水彩人の人の評価がどういうところにあるのかは見えてくるはずだ。制作は生き物だ。どんどん変化してゆく。去年と同じということでは後退しているといってもいい。

 次の2室と3室が20号、中盤全紙までの小品の部屋になる。私の感覚ではこのサイズまでが、水彩画の良さが現れる大きさだと考えている。これ以上大きくなると、様々な工夫のような技が必要になり、水彩画の材料としての魅力が失われてゆく。あまり感心したことではないと考えている。

 今回初めての試みとして、小品室を2部屋作ることにした。大きい作品と同じ部屋に並べると、小さい絵を大きい絵の引き立て役のように展示されてしまうことが多いのだ。どれほど良い絵であっても、部屋の中央にはなかなか飾られることがない。展示の都合上、どうしても小さい作品が中央にあり、大きいものが壁際に来ると、部屋全体の見た目がよくないのだ。

 大きさだけで絵を配置すると、壁際の隅の空いたスペースが小品の場所になる。これは私を含めて公募展にかかわる人たちが、公募展という空間に毒されているからなのだ。目立つほうがいいとか、大作ほど偉いというような、絵画の芸術性とは関係のない、おかしな意識に支配されている人が多い気がする。

 それは当然見に来る人たちも同じで、すごいですね。大きいですね。と感心してしまう。小さい絵に気づかない人も多い。水彩の展覧会の場合、立派ですね、まるで油彩画展と変わりないですね。などと感想を述べる人が居るくらいなのだ。

 大きい絵を見世物として描くというのは江戸時代からあることだが、あくまで見世物である。中国ではやはり大きいものが偉いというようなところがあった。権威主義と大きさは関係している。バチカンと中華帝国。水彩画の世界は個人的な一人の世界観なのだと思う。

 芸術作品が大きさで決まるわけではないのは、ミケランジェロとダビンチと較べればわかる。ミケランジェロはでかいことはでかいが、要するに看板に過ぎない。キリスト教会もおかしな空間が好きなのだ。天井や壁をあんなに塗りたくるのでは、居心地が悪くて仕方がないだろう。びっくりさせれば勝ちということではバチカンも公募展も変わりはない。

 水彩画はこれから、私絵画の主流になるだろう。絵は描くという行為にその芸術的な意味が集約されてゆく。50年前から主張だ。絵を描くもののあり方が大きく変わるはずだと言い続けてきた。徐々に変わり始めたが、AIが登場して、今後急展開するはずである。AI絵画は上手いぐらいでは驚かない。

 これからコンピュターが絵を描いてくれるだろう。どれほど大きな絵でも可能だろう。どれほど緻密なものでも可能だろう。どれほど上手な絵も描くだろう。描くアイデアもそれこそ人間の発想よりも多彩に違いない。人間がコンピュターにせいぜい挑戦する程度になる。

 絵画の意味が変わる。ダビンチという人間が描いたモナリザという絵の意味には、歴史や文化や哲学が凝縮されていて、そのことが後々人間に感動を生んだのだろう。そうした絵画の意味は終わる。コンピュターに置き換えられてゆく。では絵を描く人が居なくなるかといえば、そうではない。描く人はもっと増えてゆくはずだ。

 絵画はその意味を描くという行為のほうに、重心を移してゆく。描かれた絵はまた違う意味で存在価値を持つようになるだろうが、あくまで描くという行為の問題になる。絵を判断するとなれば、その絵が描いた人の行為の深さを反映しているかどうかになる。私は絵を見る場合、それだけを見ようと思っている。

 すでにそういう意味で絵の見方は変わり始めていると思っている。公募展とか絵画コンクールの意味も変化を始めるはずだ。いまだに多くの公募展がかつてのあり方を踏襲していて、目立つ上手な絵が優れた絵だという観念から抜けきらない。そんなものはコンピュターが得意とする分野で、あえて人間が行う必要がなくなる。

 公募展で描かれた絵は、展覧会が終われば99%はただのごみとして燃やすだけのものになる。1%くらいの絵が美術館や公共施設やホテルなどに、展示されているとは思うが、それも地下にしまわれ、そのうち廃棄されるだけだろう。

 次の4室が最大の部屋になる。この部屋には水彩としては大きな作品が並ぶ。この部屋が水彩人のメインの部屋ともいえる。どこの会よりも大きな部屋を作ってみた。初めての試みなので、どういう部屋になるのか見ものである。ぜひ小品室と水彩画とは何かを、見比べてみてもらいたい。

 そして5室、6室。7室、8室と中間ぐらいの作品をそろえた。特に大きな作品を取り除くことで見やすくなっていると思う。特に6室は比較的抽象の傾向の作品の部屋でにした。こうしてみると水彩人はいわゆる抽象といえるような絵は少ない。抽象でも大作の人の作品が4室と1室に行ったこともある。

 今回で25回展である。つまり40代で水彩人を始めて、25年でここまで来たということになる。展覧会をやるというのは全力でやるから面白い。だから今までもほぼ毎日と会場に通う。やる以上はやれることに対して、全力を出さなければ面白くない。得るものもない。

 一緒に始めた仲間は7人だったのだが、ついに3人になってしまった。7人の侍が3匹の侍である。あと25年継続して、50回まで見届けることができたら、今日私が書いたことが現実化していることだろう。私がその時、私の絵が描けていたら、素晴らしい。そこまで頑張りたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第176 水彩画 日曜展示

2023-09-03 04:34:32 | 水彩画
第176 水彩画 日曜展示







341「石西礁湖(せきせいしょうこ )」
2023.8







342「琉球松」
2023.8








343「夏の終わり」
2023.8 中判全紙






344「のぼたん農園」
2023.8 中判全紙






345「のぼたん農園」
2023.8






346「田んぼの跡」
2023.8







347「大里田んぼ」758番を描き直す
2023.8  中判全紙

 稲刈りと並行して描いた作品である。作業前や休憩時間に描いた。あまり時間が取れなかったのだが、時間は余り関係が無いことだ。時間があろうがあるまいが、描けるときは描けるし、描けないときはまるで手が出ない。描けないときにでも日々の一枚は描くことにしている。

 水彩人展の間は描けるかどうか疑問だが。東京に絵の道具を持ってゆくということが難しい。スケッチブック程度でもいいから持ってゆくつもりではいる。東京都美術館と上野動物園の間の道はとても引き付けられる場所だ。閉められたままの古い門があって、子供のころこの門も出入りできたような気がするのだが。

 絵を描いて見れば、水彩人展で何を感じるのか、そういうことも絵に出てくるはずだ。一年に一度の機会である。この展覧会に全力を尽くして、なにかが得られればと思う。私が生きている以上何かが絵には反映しているはずだ。そういうつもりで絵を描いてゆきたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第25回水彩人展 開催近づく

2023-09-02 04:28:32 | 水彩画
 

 第25回水彩人展が近づいて来た。9月10日(日)~9月17日(日)東京都美術館で開催する。中判全紙の作品4点を出品する予定である。是非とも見て頂きたい。水彩人も始めたときの仲間は3名になってしまったが。25年前の気持ちのままに今も水彩画を研究だと思い描いている。

 25回展は記念展と言うこともあり、画集を作った。展示も大きく変えて、小品は小品だけで2つの部屋に集めることにした。また1室には、会員同人が評価する人の投票を行い、票数の多かった人の作品を飾ることにした。突き当りの4番目の部屋を一番広い部屋にして大作を中心に展示する。

 初めての試みなので、不安もあるが水彩人がここから、25回展を機にさらに成長をするために、やれることは何でも試みてみようと言うことだ。水彩人は水彩画の研究会である。まだ水彩画は未開の分野が広がっている。紙に水彩絵の具と言う材料は素朴なものであるが、画材の中で最も優れた材料だと考えている。これから水彩画の本領が発揮されてゆくはずだ。

 絵を語る会も9月11日と13日の10時から語る会を行う予定です。 絵を語る者は、語ることを希望する出品者であるが、その人自身のために絵を語るのである。語ることによって自覚すると言うことになる。思っていると言うことと、口に出して自分の絵について語ると言うことは違う。

 語ることによって、絵に対する自覚が生まれ、次の絵の成長に繋がるかも知れないと考えている。私は語ることで成長してきた気がしている。それはブログで語ると言うことでもあるが、絵の仲間の前で語ること。水彩人の会場で語ること。そのことがなければ、自分に近づいてくることは出来なかったと思う。

 多くの絵描きが職人的気質を持っている。黙って仕事だけをしていれば良いのだ。仕事で判断してもらう。これは職人の姿勢で、芸術家は研究者でなければならない。良い仲間と切磋琢磨して、あらゆる方法で成長を目指す者だろう。

 絵を語ると言うことは、水彩人なりの表現でもある。絵は表現である。表現の意味はそれぞれのものであるのだろうが、いずれにしても作者が何かを表現しているのが作品だ。自らを絞りだす表現がないとすれば、それは芸術作品ではない。その表現を伝えるために語ると言うことでもある。

 語るためには聞いてくれる人が居なければならない。是非多くの人に聞きに来て貰いたいと思っている。ただ絵を展示している開場である。絵を語っている人を邪魔だと考える人もいるかもしれない。絵を見ている人の邪魔にならないようにお願いしたい。

 水彩人展は数人での研究会から始まった。水彩連盟や日本水彩画会がアクリル画の登場によって、純粋な水彩画の表現の探求から変化をした。作品もせいぜい中判全紙ぐらいだったものが、100号を越えるような物になった。まるで油絵のようだという、展覧会に変貌した。

 水彩人は水彩画の素朴で直接的な表現の原点に立ち戻ろうと研究を始めた。その研究会が別派活動ではないかと言うことから、公募団体から私は退会させられた。そこから25年が経ち今に至る。水彩人が独立できたことは幸運だったと思う。アクリル画と並んで、水彩画を展示するということでは、水彩画を最高の素材だと考えてきた者としては、残念すぎることだったのだ。

 ただ、未だ水彩画は素材として、開発され尽くしたとは言えないと思っている。世間の考える水彩画は、ほんの一断面である。水彩画はこれから切り開かれるだろう、私絵画の世界に於いては、主流の表現になるだろうと考えている。

 ーーーここからは少し水彩人展のこととは離れる。
「私絵画」とは自分のために、描くという行為自体に意味を見いだす芸術行為のことだ。表現するという意味が、他者に対する表現から、自分自身に対する行為としての表現に変わるだろうと言うことだ。芸術としての絵画はすでにそのように変わり始めていると思われる。

 日本だけでもたぶん数万人の人が絵を描いている。商品絵画の時代の中で、商品としての絵画の人は1000人程度だろう。それは純粋絵画分野でのことでイラストレーターは別だ。100人の内99人の人は自分のために絵を描いている時代なのだ。

 何故自分のために絵を描くのかと言えば、それが生きる手応えだからだ。何で生まれてきたのか。そう考えたときに、自分の生きると言うことと向き合う方法が、絵を描くという行為になっている者が居るのだ。少なくとも私はそうである。そして、仲間の多くもそうなのでは無いかと見える。またそうして描かれた絵の中にこそ、藝術としての絵画に見えるものがあるのだ。

 私絵画の研究も成長もなかなか困難だ。自己本位に成りがちである。独善に成りがちである。商品絵画と私が見ている人達の多くが、なんて失礼なことを言う奴だと考えるだろう。資本主義社会全体から、絵画の現状を見れば、それ以外考えられない自体なのだが、間違っても評論家という人はそんなことは言わない。

 現代の評論家はその商品絵画の提灯持ちと言わざる得ない人がほとんどだからである。商品絵画を藝術の絵画であると主張しなければ、立つ瀬が無いのだ。芸術論とか、絵画論を語るのが本来の評論家なのだろうが、そういう人はネットで探して見つからない。

 北斎の絵だって商品絵画である。むしろ何故江戸時代の商品絵画がそこまでの芸術性を持てたのかが問題なのだろう。質の高い芸術を理解する大衆が存在したからだろう。堂々とそのことの意味を評論すべきだろう。現代の絵画の即物性や、幼児性を評論すべきだ。それが資本主義末期の芸術論ではないだろうか。

 水彩人展も25回を機に、さらに水彩人が求めてきたものを純粋に探求する会になりたい。私がやれることも今回が最後か考えて、色々提案させてもらった。始めて25年も経つと50歳だった人も75歳である。メンバーが替わって行くのも止むえない。25回展で水彩人を始めた者としての方角だけは示したいと考えている。

 水彩人展はおおよそ100名くらいの人で開催される。沖縄から北海道まで仲間が居る。一年に一度大半の人が顔を合わす機会になる。水彩画の一番の研究の場だ。ゆっくり絵を見せてもらい、作者の考えを聞かせてもらおうと思う。石垣島に居ると、どうしても絵の世界から離れてしまう。

 こうした時代の中で絵を描くと言うことが、どういうことなのかを水彩人の仲間と話し合いたいと思う。自分変えを居て行くためには一年に一度の重要な場だと思っている。そうした水彩人という場を作り、今もあるということは何にも代えがたいことだ。大切にして行きたい。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アトリエカーが来た。

2023-08-23 04:14:48 | 水彩画


 待望のアトリエカーが来た。軽トラックの上にアトリエを乗せたものだ。事故で車が大破して、新しい車に変えた。石垣島で車を探したのだが、どうしても見つからない。そこでネットで車を探して、大分の車屋ドイというお店から取り寄せた。

 最初は沖縄本島で車は見つかったのだが、何度かやりとりしていたのだが、どうもあるとか、無いとか、車の様子が不明瞭で諦めた。次に鹿児島のお店で車は見つかったのだが、契約直前になって様々な費用が追加され、かなり高い物になってしまったた。不安になり止めた。

 そして、大分の車屋ドイさんにたどり着き、電話で色々聞いた。実に誠実に答えてくれた。こういう人なら大丈夫だと決めた。石垣島では必要なさび止めも、特別に縫って頂くことが出来た。石垣島での登録など、こちらの司法書士にお願いして、すべてを万全に考えてくれて、対応してくれた。

 安心して納車を待つことが出来た。高い買い物なので、安心が何よりである。このお店は電話だけで安心できる、素晴らしいお店だった。車を購入しようとしている人にはお勧めできるお店だ。と言っても、私は電話だけのことなのだ。電話の声でこの人なら大丈夫と分かったのだ。

 40日間軽トラアトリエではない場所で絵を描いた。これはもう何十年ぶりのことかも知れない。慣れるまで上手くはゆかなかったのだが、機械小屋で描けたので幸いなことだった。風があれば強烈な暑さも何とか忍ぶことが出来た。また車で描こうと準備しているのだが、これがどうもすぐには出来ない。

 小田原に9月初めから、18日まで行くので、帰ってきたら来るまで再開しようと考えている。もうしばらくは機械小屋で描こうかと思う。やっと慣れた場所から移るというのが案外に難しいのだ。おかしな物だ。機械小屋はなかなか良い環境だったのだ。

 アトリエカーの新しい軽トラはなんとなく運転席が広くなった感が時がある。おなじはずなのだが、少し感触が違う。色々スイッチの様子も違う。おなじ軽トラでも少しずつ変わる物のようだ。ともかく新車になったのだから、事故をなんとか我慢できる。

 あの事故以来、かなり安全運転になった。2度と交通事故は起したくない。アトリエカーで昔描きに言った気に入った場所をゆっくりと巡ろうと考えていたのだが、これはもう出来なくなった気がする。石垣島で絵を描けるのだから、欲張る必要は無い。

 ゆっくり石垣島を巡って絵を描こうと思う。午前中はのぼたん農園に行き、午後は石垣島の他の場所に行って絵を描こうかと思う。最近はのぼたん農園だけで描いていた。少し場所を変えるのも良いかと思う。やはりそれも水彩人展が終わってからにする。

 絵を描く場所を変えることは、私には随分大きなことになる。絵を描いているときの気持ちが、一番重要なことになる。禅堂で坐禅を組むことと、家で坐禅をするのでは違う。アトリエカーの中で描くのが良いのだが、アトリエカーを泊める場所も大切なのだ。

 今度はアトリエカーの中に積んであった。物はほとんど機械小屋の絵を描いていた所に下ろした。絵の具や筆である。車を軽くしたくなった。アトリエカーは随分重いらしい。重すぎるのも車の安全には問題があると思うようになった。アトリエは何もなくともかまわない。

 絵を描く最低限の物だけを置いておくことにした。何日か描いてみたが、問題は無いようだ。広くなった分却って良いようだ。絵を描く台を置いてみようかと思う。カリンの李朝様式の低い台がある。高さ10㎝ここで描いてみることにする。床に置いてと言うのでは少し絵の位置が低いようだ。

 これで低いようなら、20㎝の台もある。こちらに変えるて見るつもりだ。絵を描く高さが気になって仕方がない。床に座って描くのは悪くないのだが、絵がどのくらいの高さが良いかが気になる。案外に難しい。やってみてから変えることにする。

 椅子はゲーミングチェアーを最初から使っている。座椅子のような高さの物で、座り心地は悪くない。車が平らではないときには座椅子の脚の下に板を入れて傾斜を調整して使っている。一日中座っているのだから、椅子は重要になるが、今のところこの椅子に満足している。

 安い中国製の物だったとおもっていたのだが、座り心地には何の問題も無い。機能も問題は無い。再度調べてみると、AKRacing ゲーミング座椅子と言うもので5万円近くしている。こんな高い物を買った覚えはない。似たような者が色々あるから、違うのかも知れない。

 売り出しの色々キャンペーンで安売りしていた。安売りに弱いのだ。コメントを書くと1万円返金というような企画もさらにあったので、早速組み立て写真入りの良いことコメントを書いて、返金してもらった。椅子をイリライニングにして、寝ていることもあるが身体のどこかが居たくなると言うようなことも無い。3年は使っているがどこも壊れない。丈夫な物だ。

 これだけ使っていて、ヘタラナイのだからなかなかの椅子だ。小学生が喜びそうなデザインなので、絵を描く為には見た目が落ち着かないくらい悪いので、大島の着物を掛けて地味な感じにしている。着物の古着はいくらでもあるのだ。気分を変えて、着せ替えてみようかと考えている。

 9月も半ば過ぎになれば、アトリエカーの良い季節になるだろう。石垣島のあちこちで絵を描いて歩こう。大里の奥から北部辺りまでまだまだ描いたことの無い地域が沢山ある。北部は耕作放棄地が広がっている。今、畜産が苦しくなってきているから、牧場の閉鎖もあるらしい。

 地元の農家の方が、どこか気の毒で様子など余り聴けない雰囲気だと言われていた。開拓で出来た集落が、廃村になって行く流れにある。何とかこれを食い止めるためには政策以外にない。どうせ作らなければならないなら、自衛隊基地とか、ゴルフ場とかは北部地区にすべき物だった。

 何故か、新しい様々な計画は飛行場よりも南部に限られている。せめて行政が主導できる物は北部に誘導すべきだろう。これは開発事業が利権に関係していると言うことを表している事が見える。かつて不動産投資で北部地域も色々あるらしい。

 北部の方が景観としては魅力的な地域だ。これからアトリエカーで北部を巡って絵を描くつもりだ。北部で落ち着いて絵を描いたことは一度も無い。心機一転のつもりで、9月後半からは北部の耕作地を描いてみることにした。考えている内に、楽しみが広がってきた。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第174 水彩画 日曜展示

2023-08-20 04:35:38 | 水彩画
第174 水彩画 日曜展示

10号前後の作品。







326「海岸の家」
2023.8








327「青梅の川の公園








328「名蔵の田んぼ」
2023.8








329「川のほとり」
2023,8








330「名蔵の田んぼ」
2023.8








331「半島」
2023,8








332「のぼたん農園」
2023,8






333「溜め池」
2023.8


 今週は風のない日が多かった。風が無いと屋根のガリバリューム鋼板がまるでフライパンのように熱くなり、機械小屋の中に入られないことになる。早くアトリエカーが直らないかとそればかり考えていた。アトリエカーだと日陰に入り絵を描くことが出来る。

 アトリエカーが出来たと電話があった。これで助かった。これからは午前中はのぼたん農園で描いて、午後はどこかに描きに行こうと考えている。少しのぼたん農園を離れて描くのも必要だと思っている。水彩人展にもう入るから、水彩人展が終わったならばそうしようかと思う。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする