蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

黒船以前-パックス・トクガワーナの時代

2008年11月29日 | 本の感想
黒船以前-パックス・トクガワーナの時代(中村彰彦 山内昌之)

江戸幕府を打倒した薩長政権は、徳川家の治世に批判的であったので、長く江戸時代は停滞した暗黒時代とされていた。
ここ20年ほど江戸時代の見直しがされるようになって、近年では、政治・経済面、絵画や演劇等の文化面などで再評価がすすんできた。

本書もいうように、250年に渡って対外的にも対内的にも大きな戦争をしなかった国というのは珍しく、その体制の礎を築いた家康以降の3代の評価はもっと高くても良さそうなものだ。

しかし、判官びいきの傾向の強いわが国では、家康より信長・秀吉が人気がある(同じように頼朝より義経、尊氏より正成、大久保より西郷の方が人気がある)し、歴史物語的には、やはり戦乱がないとストーリーとしては盛り上がらないので、どうしても家康以下、徳川家の人々は人気も評価も今ひとつである。

本書では家光の弟で幕府の重臣となった保科正之を非常に高く評価しているが、あまりにも手放しの褒めようなので、読んでいてくすぐったくなるほどだった。

ところで、本書でもほんの少ししか触れられないが、十一代将軍家斉に興味がある。50年間も将軍在位して、50人以上の子供を作り、幕府滅亡の主たる要因を作った人物とされる。
しかし、傍流の一橋家から江戸城入りして、最長年在位したのだから様々な権力闘争をくぐり抜けたとも言えるし、体力も抜群だったのだろう。
彼が登用した重臣たちばかりが有名だけど、すべては将軍が意のままに操っていたにすぎないという想定で小説にしたらけっこう面白そうだと思う。

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石油がわかれば世界が読める

2008年11月24日 | 本の感想
石油がわかれば世界が読める(瀬川幸一編 朝日新書)

原油価格が、一時常識はずれの高騰をしたことで、原子力発電の開発が進み、太陽光、風力、バイオなどの代替エネルギーが採算がとれるようになった。日本国内産の石炭ですら採算ラインに近づいたというのだから、逆に言うと原油価格のオーバーシュートは(今にして思えば、だが)明らかだったのだろう。

しかし、桁違いの価格は一瞬で、今ではピークの三分の一程度になってしまった。日本のように資源に恵まれない国としては、むしろもう少し高価格が続いてくれた方が代替エネルギーの開発が進んで良かったのかもしれない。
例えば、太陽光や風力は初期投資が価格の大半を占めているわけだから、高価格がある程度続いてくれれば、相当数の設備ができたのだろうが、これだけ原油が下がると、一時ふくらんだ意欲もしぼんでしまったことだろう。

本書は、社団法人石油学会が創立50周年を記念して編集されたもので、当然、石油エネルギーを全面的に擁護する(次のような)内容となっている。

日本ではかつて家庭の燃料として木を燃やしていたので、都市近郊のいわゆる里山の樹木は伐採されてスカスカの状態であり、このような疎林状態は松茸の生育には適合していた。しかし、石油が燃料として使われるようになって伐採はほとんど行われなくなり、里山では樹木が繁茂し、結果として松茸はとれなくなった。
つまり、石油の使用により緑地は広がり、松茸がとれなくなったのは、環境が改善したためなのだという。

ロンドン名物の霧は石炭を燃やしたカスが大気に充満していたためで、石油燃料を使用しはじめて少なくなったという。

上記のような例は、私には意外であり、石油(を燃やすことは)環境悪化の元凶という見方は、なるほど、必ずしも正しくないのだな、と思えた。

また、ガソリン等の石油製品価格の大半がレントと呼ばれる、産油国、消費国の税金や原油精製費用に占められているというのも、(うっすらとは知っていたものの)認識を新たにした。産油国の立場からいうと、「そんなにガソリン価格を下げたければ、消費国の税金を下げればよいではないか」ということになる、というのも、なるほど、と思えた。


本書では、バイオ燃料についてかなり強い調子で批判的である。これは、石油業界から見るとバイオ燃料が、実は相当に脅威であることの裏返しなのだろうか、とも思えた。
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できそこないの男たち

2008年11月23日 | 本の感想
できそこないの男たち (福岡伸一 光文社新書)

この本の要点は、
「生物の歴史においてオスは、メスが産み出した使い走りでしかない。メスからオスへ、女系という縦糸だけで長い間、生命はずっと紡がれていた。その縦糸と縦糸をある時、橋渡しし、情報を交換して変化をもたらす。その変化が、変遷する環境を生きぬく上で有用である。そのような選択圧が働いた結果、メスの遺伝子を別のメスへ、正確にいえば、ママの遺伝子を別の娘のところへ運ぶ役割を果たす「運び屋」として、オスが作り出された。それまで基本仕様だったメスの身体を作りかえることによってオスが産み出された。オスの身体の仕組みには急造ゆえの不整合や不具合が残り、メスの身体に比べてその安定性がやや低いものになったことはやむをえないことだった。寿命が短く、様々な病気にかかりやすく、精神的・身体的ストレスにも脆弱なものとなった」(P261~262)
ということだと思う。

前作の「生物と無生物のあいだ」(最近知ったのだが、このタイトルは岩波新書の有名な一冊と同じ(漢字とひらがなの違いだけ)らしい)と同様、科学者たちの研究生活の悲哀と栄光、挫折を描いたあたりの表現が、生き生きしていて面白い。

学校の助手の仕事の合間をぬって偉大な研究を成し遂げたネッティ、男性化(?)遺伝子を発見したはずだったのに別のグループに誤りを発見されてゴボウ抜きにされたディビット・ペイジ、ハーバード大学の医学部教授として栄華を誇ったヴィジャクとベルナルド夫妻の転落、そして何よりポスドク時代の著者自身・・・こうした、研究者の悲哀とか挫折といったネガティブな側面の描写が優れているように感じるのは、意地悪な見方だろうか
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グインサーガ120~123巻

2008年11月22日 | 本の感想
グインサーガ120~123巻(栗本薫 ハヤカワ文庫)

「旅立つマリニア」、「サイロンの光と影」、「豹頭王の苦悩」、「風雲への序章」

イシュトヴァーンの子供を連れたマリニアが、ミロク教の聖地ヤガへ旅立ち、グインはサイロンに帰還する。グインの妻シルヴィアは、グインが不在の間、荒れ果てた生活を送って父親不明の子供を妊娠していた。
それを知ったグインは困って宰相のハゾスに処置を丸投げする。シルヴィアは出産するが、グインとはついに和解できず(当たり前か)、グインはアキレウス帝に王座の返還を申し出るが、強く慰留され、アキレウスは退位し、グインが名実ともにケイロニアの支配者となる。

「豹頭王の苦悩」のあとがきで著者自身が書いているように、グインは悩み苦しむわりには、最後、あっさりシルヴィアを見限る。シリーズのファンの多くも、「もうシルヴィアはほっといて話を展開させてくれ!所詮、稀代の英雄に似合わない女だったのさ」と思っているだろう。

シルヴィアって本当にいいとこなしで、おそらく今後登場することすらなさそうなんだけど、彼女に限らず、グインサーガに登場する女性って、けっこうひどい扱いをされているような気がする。アムネリスも実にあっさりと舞台から消え、フロリーはただイシュトヴァーンの子供を生むだけに登場したような感じだし、リンダは終始不幸に沈んでいる。

「風雲への序章」のあとがきで、「123巻に至ってまだ“序章”とは」と著者が慨嘆している。
グインサーガは三国志を意識して書かれたものらしいが、今は三国鼎立したあたりになり、これからケイロニア、ゴーラ、パロ(?)の三国が激しく争う予定で、123巻は、その序章との位置づけとのことだ。

しかし、三国志は蜀が成り立つあたりがクライマックスだから、それをなぞると、グインサーガもヤマは越えた、ということになるのだろうか。そうだとするとナリスが死んだあたりが、赤壁の戦いに相当する最大の山場だったのかもしれない。
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モダンタイムス

2008年11月19日 | 本の感想
モダンタイムス(伊坂幸太郎 講談社)

魔王」の続編。割とスタンダードなエスパー迫害の物語。

SEの主人公は、先輩がトンズラした後の仕事を任されるが、依頼主とは電話も通じず、暗号がちりばめられたソースに頭を悩ます。しかし、ふとしたきっかけで暗号がとけ、主人公は大量殺人があった学校の事件と依頼主が何らかの関係があるのではないかと疑い、関係者を訪ね歩くが・・・といった話。

このブログでも何度も書いてきたことだけれど、伊坂さんの作品には共通した特徴がある。
① 超能力者(あるいはそれに近い抜きん出た能力を持った人)が登場する。
② まともで常識的な主人公と突飛な発想・行動をするバイプレーヤーを絡ませる。
③ 異なる場面を互い違いに描き、ラストに向かって除々に収束していく。
④ 現在の日本の国の体制に懐疑的で、その将来に悲観的である。
⑤ 有名な映画や文学作品等からの引用が頻繁に行われる。

本作品では、正編である「魔王」と同様、主人公の目線でストーリーが一直線に進むので③は当てはまらないかもしれない。しかし、その他はほぼ該当する箇所があったように思う。

魔王」「ゴールデンスランバー」「モダンタイムス」といった近作では、④の要素が非常に色濃く出ていて、しかも後の作品になるほど絶望感が強くなってきているように思う。
どの作品も、結論は、「もうこの国(あるいはこの世界)を変えていくことはできないから、後は逃げるしかない」である。

私としては、暗い調子のストーリーの中にも、②のようなヘンテコなバイプレーヤーの登場や、⑤のような引用を多用するといった味付けをして、ある種の軽妙さを演出してくれていた「重力ピエロ」「ラッシュライフ」「チルドレン」「グラスホッパー」といった作品の方が好みなのだが・・・
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