蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

功名が辻

2007年12月30日 | 本の感想
功名が辻(司馬遼太郎 文春文庫)

織田、豊臣、徳川の三代を生き抜き、土佐の国持大名にまで出世した山内一豊と、賢妻の誉れ高い女房・千代を描く。

今から50年近く前に書かれたとはとても思えない。語り口や表現、言葉遣いが全く古びていなくて、歴戦の戦国大名のくせに妻の尻にしかれっぱなしの、どこか間の抜けた男を描くストーリーは、その筋にふさわしくユーモアがちりばめられて楽しめる。
例えば、(現在の文庫版の三巻で)淀の方の乳母・大蔵卿(大阪城内で絶大な権力を誇った)を千代が「鬼婆」とののしるところや秀吉が千代にせまる場面など読んでいてニヤニヤしてしまうほどだった。

大河ドラマの原作になったので、読んでいてどうしても主演の二人の顔が浮かんでしまったが、本書の中の一豊はあんなにかっこいい風貌ではありそうになく、西田敏幸さんとかが似合いそうな描写が多かった。

千代は、美人で地頭がよくて機転がきいて手先が器用で美的感覚にすぐれ思いやりがあるというほぼ完全な女性として設定されている。
著者の「こんな女房がいたらいいな(完璧すぎて自分の女房にはしたくないけど)」という気持ちが込められているように思う。

この本が最初に文庫になったのは1960年代だったようだけれど、解説は永井路子さんで、今どきのベタ誉めするだけの凡百のそれとは違って、やんわりとした批判をこめつつも作者と作品への尊敬が十分に感じかれるすばらしいものである。
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風の影

2007年12月29日 | 本の感想
風の影(カルロス・ルイス・サフォン 集英社文庫)

舞台は内戦前夜から第二次大戦後のスペイン・バルセロナ。
古本屋の息子である主人公のダニエルはフリアン・カラックスという著者の「風の影」という古本を偶然手にいれ、その内容に魅了され、フリアンの著作をさがしているコレクターの不気味な噂にもひかれて、著者の足跡をたどるが、やがて凶悪な刑事フメロにつけねらわれるようになる。

内戦開始前と内戦中と戦後の場面が入れ替わりに登場する、けっこう入り組んだストーリーだが、うまく整理されているので混乱なく読めて、読み進むにつれてゴシックやホラーあるいはミステリ小説としての味わいがかわるがわる楽しめる。各種ランキングで高く評価されたのも理解できる。
ただ、私にとっては少々クドかった。半分くらいの分量にしてもらえるとちょうどいいか、という感じ。

主題はダニエルとフリアンそれぞれの(許されざる)恋(二つの恋とも同じ道筋をたどる)なのだが、どうも二人ともいい子すぎて共感しきれなかった。むしろ徹底的な悪役である刑事フメロに同情したくなった。

フリアンとフメロは上流階級が通う学校の同級生だった。
フメロの父はその学校の下働きをしていて皆からさげすまれ(今風にいうとイジメられ)ている。
フメロはフリアンの恋人であるペネロペを密かに慕っているが、ある日たまたまフリアンとペネロペがキスしているところを目撃する。そしてそれ以来彼の行動は大きく変わってしまう。この場面(下巻の59ページあたり)が(私には)とても(フメロの立場から)痛々しく感じられた。

翻訳者のあとがきによると、著者はバルセロナを舞台とした連作を構想しているとか。フメロの視点から本書の内容を描いて見るのもなかなか興味深いと思う。
また、バルセロナの風俗などが頻繁に紹介されるが、特に食べ物(食べ物の描写は少なくてただ名前が出てくるだけなのだが)がとてもおいしそうに感じられた。
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中原の虹(四)

2007年12月25日 | 本の感想
中原の虹(四)(浅田次郎 講談社)

(一)~(三)の感想でも書きましたが、「蒼穹の昴」の続編として同じレベルを期待して読むとどうしても落胆を禁じえません。

(四)でも「蒼穹の昴」の主要キャラである史了や春児が登場すると、とたんに話がいきいきと動き出すような気がしてしまうのは、単に私が「蒼穹の昴」に過剰な思い入れがあるためにすぎないのでしょうか。

「中原の虹」の主人公は張作霖なのですが、どうも彼がスーパーマンすぎて史了や春児みたいな欠点や挫折がない(挫折が来る前に話が終わってしまいました)のが、物語が今ひとつ精彩を欠くような気がする原因なのかと思います。

張作霖が本格的に歴史に登場し活躍するのはこの(四)の後の話ですし、何より「蒼穹の昴」から連綿として引き継がれてきた物語の陰の主役、中原を制する君主だけが持つことを許された宝玉は彼の息子張学良が保持しているのですから、きっとまだ続きがあるのでしょう。

さんざん文句を言っておいて何ですが、早く続きを書いてもらえないものでしょうか。また十年も待つのは勘弁してもらいたいのですが。
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幸せのちから

2007年12月24日 | 映画の感想
主人公は医療機器のセールスをしているが、売れ行きはかんばしくなく、妻は一日16時間も働かないと家計が維持できない状態。子どもの保育所への送迎をめぐって二人は対立し、主人公が子どもを引き取って別れることになった。

主人公は大手証券会社の見習いに採用(採用面接でほとんど絶望というところから、主人公は冴えたジョークで大勢をひっくり返す。このジョークが確かに傑作で、あんな場面でこんな機転をきかせられる人なら採用したくなりそう(この映画は実話に基づいているそうだが、このジョークが実話なのか、是非知りたいところだ)。日本の会社じゃとてもおこりそうにないことではあるが・・・)されるが、見習い期間は無給の上、社員として採用されるのは20人のうち一人(こんな雇用条件が今のアメリカで許されているとは思えないが、30年近く前の話なので)。

この無給期間、子どもをかかえてホームレス同然の暮らしの末、主人公はついに本採用を勝ち取る、という話。

主人公が終始抱えている医療機器がとても重そうで、この機械(全部買い取ってから販売するというあこぎな商売にはまっていた)が主人公の人生のクビキであったことを明確に表現している。
この機械がすべて売れて主人公に運がまわってくる。

「努力は必ず報われる」というのは陳腐な言葉ではあるが、それがこの映画のテーマで、確かに「そうかも」と一瞬思わせてくれる。
ホームレスに追い詰められても証券会社のテキストを手放さず、あきらめを知らなかった主人公の姿と、ホームレスでありながらもその努力が成果にむすびつくアメリカ社会の良い面を描いている。(ただし、30年前の話。今でのそうなのかはよくわからない)
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