蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

アルピニズムと死

2015年01月28日 | 本の感想
アルピニズムと死(山野井泰史 ヤマケイ新書)

子供のころからずっとなのですが、高い所に自分がいてそこから降りられなくなってしまい、下を見下ろしてゾゾーッとする、という夢をよく見ます。
そして、その高い所から降りようとして失敗し墜落するあたりで目が覚めるのです。

現実の世界でも高所恐怖症気味ですし、寒がりなので、山野井さんの経験を書いた本(本書や「垂直の記憶」)を読むと
「こんなことを好きこのんでやる人がいるなんて・・・」と思ってしまいます(そうかと言って読むのをやめることもできないのですが)。

本書では、クライミング中の写真もいくつか掲載されています。垂直の壁にはりついている写真とか、オーバーハングに腕力だけでぶら下がりながら登っているように見える写真を見ると、それが単なる写真であっても足元がゾワゾワするような感覚に襲われます。

クライミングだけを考えて特に仕事もせず奥多摩で暮らす・・・山野井さんに対して、現代の仙人のようなイメージを持っていました。
しかし、本書では、リスクを冒さない登山や人生に意味はない、という熱い思いがうかがえます。あるいはうがった見方かもしれませんが、リスクを徹底的に排除しようとする人への軽蔑すらも、うっすらと感じられました。

確か伊集院静さんだったと思いますが、ギャンブルで負けることは小さな死であって、(例えばそれが競輪ならレースごとに)生と死を往来するようなことを繰り返すことで生きていることを実感できる(だからギャンブルは止められない)、といった意味のことをおっしゃっていたように思います。

ギャンブルで負けても現実の死には直結しませんが、山野井さんのクライミングは掛け値なしに生と死の境目に存在しており、山野井さんはそうした危険を克服することでしか生きる意味を感じられなくなってしまったのでしょう。

なお、本書の目的はある程度クライミングに通じた人向けのアドバイスにあるようで、そのせいか、専門用語に関する説明はほとんどありません。クライミングの知識や経験はなくても、山野井さんのファンは数多いと思うので、出版社側で注をつけるとしてくれればよかったのに、と少々残念でした。

蛇足・・・自宅近くでクマに襲われて入院した際のエピソードが面白いものでした。(以下、引用)
「病室では友人から「さすがに不死身だね」と褒められ(?)、「君の人生は映画の『ダイ・ハード』そのものだ」とうらやましがられ(?)ました」
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秀吉はいつ知ったか

2015年01月24日 | 本の感想
秀吉はいつ知ったか(山田風太郎 ちくま書房)

私の長女が「信長協奏曲」(マンガ)を熱心に読んでいたので、私も覗いてみたのですが、このマンガでは秀吉が最大の悪役で、スキあらば信長の命を狙っているという設定になっています。まだ8巻までしか読んでいないのですが、多分、秀吉が本能寺の変の黒幕になるという展開になっているような気がします。

本書の表題と同じタイトルのエッセイで、山田さんも本能寺の変の首謀者=秀吉説を唱えていて、なるほど本能寺の変の発生を知ったあたりの時間経過を見ると、秀吉はあらかじめ変の発生を予期していたとしか思えなくなってきました。

ただ、信長軍の機動力なんかを見ても、この時代の情報伝達とか交通の便(道路状況とか)は、私たちが想像するよりも遥かに効率的だったのかもしれない、とも思いますが・・・

本書は未収録モノを中心したエッセイ集シリーズの一冊とのことで、著者の自宅(聖蹟桜ヶ丘)周辺の環境に関するものと歴史ものが集められているようです。

表題作はじめ、歴史関係の方が興味深く読めました。
特に、エッセイというよりは短編小説というべき「天狗党始末」と「安土城」が圧倒的に面白く、さすが稀代のストーリーテラー、と今さらながらに感心しました。

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教養としてのプログラミング講座

2015年01月23日 | 本の感想
教養としてのプログラミング講座(清水亮 中公新書ラクレ)

私の年輩だと、プログラミングというとマシン言語が思い浮かんでしまいます。
「素人には全く理解不能なもの」的なイメージがあり、COBOLとかでさえも「オレ、算数弱いから」とかいって(実際は数学的素養はあまり関係ないらしいですが)近づきたくないなあ、って感じでした。

その後、プログラミング言語が日常的用語に近づいてきたらしい、ということはなんとなく聞いていたものの、コンピュータ近くの職業でありながらプログラミングとはかなり遠い所にいました。

本書では、プログラムというのは一種の手順書に過ぎず、日常生活で誰もがプログラミングをしている、といったあたりから説き起こして、私の化石的石頭を解きほぐしてくれました。
実際、本書を読む限り、最近では幼児でも理解できそうなプログラミング言語があるようで、世の中は変化しているよなあ、なんて感慨がありました。
もっとも、私がFORTRANとかCOBOLを齧ったのは30年以上前、CとかJAVAだって随分前からありますよね。そして今でも私の目の前でCOBOLでプログラミングをしている人(すでに定年になって再雇用の方ではありますが)がいるので、ハード面の進歩に比べたら、プログラミング周辺の進化スピードはかなりゆっくり目なのかもしれませんが・・・
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さよなら妖精

2015年01月20日 | 本の感想
さよなら妖精(米澤穂信 東京創元社)

山間の観光都市に住む高校生の主人公は、(日本での寄宿先となるはずだった知人が死去していて)途方にくれていたユーゴ人の女の子に出会い、友人の親が経営する旅館にホームステイできるように取り計らう。
美人で明るく様々なことに興味を持つ彼女と主人公たちは街を巡る。
やがて彼女は、内戦が始まったユーゴに帰国するが・・・という話。

彼女がユーゴ内のどの地域に帰ったのか(そしてその地域は内戦に巻き込まれていないか)を、彼女の言動から推理するのがメインストーリー。その前に日常的な謎を主人公とその友人たちが解決するという構成。
ちょっと前に読んだ「氷菓」と同じような流れで、舞台も同じ街をモデルにしているので、「古典部」シリーズの一つにしても良さそうなものだが、登場人物等に共通点はなかった。

中盤までのふんわりとしたムードから一転して苦いラストになっている点も「氷菓」に通じるものがあるが、「氷菓」に比べるとヒネリがないというか、そうなるだろうな、と思う通りに落着してしまうのが、ちょっと残念。
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神の子どもたちはみな踊る

2015年01月17日 | 本の感想
神の子どもたちはみな踊る(村上春樹 新潮文庫)

「アイロンのある風景」→浜辺で焚火をする男の話。文中でジャック・ロンドンの「たき火」が紹介されていたので、読んでみた所、大変に面白い作品だった。

「神の子どもたちはみな踊る」→新興宗教に帰依した母親はシングルマザーだった。主人公は父親らしい耳たぶのない男を見つけてその後をつけるが・・・という話。「1Q84」の原型のような話だと思った。

「かえるくん、東京を救う」→主人公は信用金庫の不良債権の回収担当者で、そのハードボイルドぶりがかっこいい。地震の原因であるみみずくんと戦うかえるくんが主人公の前に現れて・・・という話。「かえるさん」と呼びかけると、必ず「かえるくん、だ」と訂正されるのが可笑しい。

「蜂蜜パイ」→作家である主人公は、新聞記者の親友に彼女を譲ってしまったことを悔いていたが・・・という話。こちらは「多崎・・・」の原型のような話に思えた。

阪神淡路大震災の後に書かれた短編集で、地震を擬人化したような場面がちらほら出てくる。村上さんの短編らしい安定した面白さはあったのだが、前述のようにジャック・ロンドンの「たき火」があまりにも良い作品だったので、それと比べると・・・と思ってしまった。

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