蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

キネマの神様(映画)

2022年05月27日 | 映画の感想
キネマの神様(映画)

円山郷直(沢田研二・菅田将暉)は、昔映画製作に関わっていた。今は競馬と酒に溺れる日々で、積もる借金に娘の渉(寺島しのぶ)と妻の淑子(宮本信子・永野芽郁)は途方にくれていた。
孫の勇太(前田旺志郎)は、郷直が昔書いた脚本(「キネマの神様」)に感心し、リライトして脚本賞に応募することを勧めるが・・・という話。

原作とは全く違う話になっている。
原作が映画を映画館で見る楽しさをテーマにしていたのに対して、映画の方は(昔ながらの)映画製作の魅力を描いている。
このため、前述して
た現代パートに比べて、菅田将暉と永野芽郁が主役の過去パートの方に相当重心が傾いている。

過去パートでは、(出番は少ないが)巨匠監督役のリリー・フランキーがとてもよかった。また昔の映画女優風メイクの北川景子も実に美しい。意外と古風な美人顔なのだろうか。

現代パートの郷直を演じた沢田研二は、意外にも(失礼)ギャンブル狂いのどうしようもない爺さん役が非常にハマっていた。特に真面目すぎる孫との掛け合いのシーンが楽しかった。
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真田太平記(1) 天魔の夏

2022年05月26日 | 本の感想
真田太平記(1)天魔の夏

信長勢に攻められた武田勝頼は重臣たちの離反もあって逃避行を続ける。真田昌幸は自領の城に勝頼を招くが拒否される。やがて勝頼は天目山で自裁する。
昌幸の配下の忍びの壺谷又五郎とお江、高遠城の籠城勢だった向井佐平次、昌幸の息子:源三郎信幸、源二郎信繁たちが登場する。

今村翔吾さんが、新聞のコラムで、終わってしまうのがとても残念だった小説、と評価していたのを見て読んでみた。
確かに、冒頭の、向井佐平次が高遠城で戦う場面はとても良かったのだが、全体のプロローグ的な巻という位置づけなのか、その後は登場人物紹介みたいな感じで、ちょっと間延びした感があった。

昌幸の露骨な信繁贔屓は、誇張しすぎのような気もするが、著者の好みを反映しているのだろうか。

あと、「天魔の夏」という副題がとても素敵だ。
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はじまりへの旅

2022年05月24日 | 映画の感想
はじまりへの旅

ベン・キャッシュ(ヴィゴ・モーテンセン)は、資本主義に絶望して?妻と子供6人と山奥で自給自足の生活をめざす。妻は躁鬱性になってしまうが、子供たちは心身強健、数カ国語を話し、難解な数学や物理学を理解できるまでに育つ。
妻は(仏教徒として火葬を望む)遺書を残して自殺するが、大金持ちで保守的な妻の家族は教会で葬儀を行い埋葬することを望んでいた。ベンは子どもたちと自家用バスで葬式に参列しようとする。子供たちは初めての世間というものを体験する・・・という話。

ベンは、文系、理系両方の学問に精通し、強靭な体力を持ち、自然の中でサバイバルできる知識も豊富というスーパーマン。長男は(その父親の教育で)こっそり受験した有力大学に軒並み合格、8歳の末っ子ですら憲法の判例をそらんじることができる・・という設定は、まあ現実にはありえないんだけど、もしこんなことができれば、ある意味、爛れた生活を送るアメリカや日本の都会人には理想とも言えるステータスかもしれない。

ベンはあくまで自らの主張を貫き通そうと、かなりの無茶をしたあげく、自らが招いたある事故により考え方を180度変えてしまう。その結果、平穏無事なエンディングを迎えるのだけど、ベンの浮世離れした生活にあこがれを感じた者としては、ちょっと納得いかない結末かな、と思った。

ヴィゴ・モーテンセンは、出演する作品ごとに隔絶したキャラを上手に演じ分けていて、いつも感心する。演じているというより、もうその人そのものにしか見えない。

ベンの義父(フランク・ランジェラ)もとてもよかった。
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収容所から来た遺書

2022年05月20日 | 本の感想
収容所から来た遺書(辺見じゅん 文春文庫)

山本幡男は、満州でソ連軍の捕虜となり、ソ連の収容所(ラーゲリ)に入れられ、そこで重病となって帰国がかなわなかった。彼は収容所に囚われた日本人たちの士気を高めようとアムール句会を作り、自らが添削や評価をして収容者たちの心を慰めていた。
やがて重い病気となり収容所内の病院で死亡するが、彼が託した遺言は多くの日本人が暗記することで妻のモジミに伝えられた。収容が解除され帰国する際、文書等を持ち出していないか厳格な検査が行われていたためである。

現在の日本のような安全で平和な社会に生きていると、その安定のありがたさを忘れてしまって、虚しさや不安からこころを病む人も多い。
不便で危険で将来の不安に満ちた収容所内の人々は、かつえるように(帰国の)希望を追い求め、そのために今日という一日をどう生き延びるかにすべてを賭けていて、むしろ人生の輝かしさを放っているようにすら思えた。

山本幡男さんも立派な人だったが、その遺書を受け取った妻のモジミさんもまた素晴らしい。
彼女は、夫が不在の家庭にあって、隠岐で教職について子供たちを養っていた。
長男は学問に秀で、幡男さんは一流の学歴を修めることを強く望んでいた。
モジミさんは、長男が松江高校へ入ると隠岐から松江へ(転勤先の学校をさがして)転居し、東大をめざすために、松江から大宮へとさらに移住した。まさに孟母三遷を地でいく熱心さで夫ののぞみを実現させたのだった。
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アオラレ

2022年05月19日 | 映画の感想
アオラレ

長年勤めた会社をクビになったトム(ラッセル・クロウ)は捨て鉢になって、離婚した妻を殺害する。
レイチェル(カレン・ピストリアス)は出張美容師?だが、ズボラな性格で顧客との約束の時間を守れなかったりして、客を失いつつあった。ある朝、いつものように寝坊して(自動車で学校へ送っていくことになっている)息子を慌てて車に乗せて出発する。
途中の渋滞の中でトムの車の後ろにつけたのが運の尽き。トムの車にクラクションを鳴らしたことから、トムにアオラレ続けることに・・という話。

ストーリーが直線的で、わかりやすいといえばその通りなんだけど、あまりにも予想通りの展開には少々退屈した。
レイチェルを窮地に追い詰めた原因が、けっこうな割合で自分自身にあって、恐怖を共有しにくい(「私は何も悪いことをしていないのに何でこんな目にあうの?」という不条理さが、この手の話には必要だと思うのだけど、本作では「レイチェルさん、あなたも相当なタマだね」なんて思っちゃう)のも、それに拍車をかけているような。

現代においてスマホを他人に操作されてしまうことの恐ろしさはうまく表現されていたと思う。
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